ニグスベールの奇跡の真実 1
八 ニグスベールの奇跡の真実
ライマ共和国近くの山中。森の中に、一軒のボロ屋が建っている。
その大きいボロ屋の周りには、石や鉱石が積み上げられ、近くには畑らしきものも存在する。屋根付近の空気坑からは、煙が立ち上ぼり、中に誰かが暮らしていると解った。
しかし、町から離れたこんな山の中に、誰かが住んでいるとは、霧の漂うこのご時世では考えられないことだ。
そのボロ屋を目指して、一人の青年が街からやってくる。
年は十代後半。気弱な面持ちはあるが、彼には一つの野望があった。
青年はボロ屋の扉の前で立ち止まると、扉に向かって大声をあげた。
「じいさん! じいさん!」
「なんじゃ、またペルか、やかましいな!」
古ぼけた建物の中から、老人の声が聞こえる。しかし、現在は作業に没頭しているのだろう。ボロ屋から出てきてくれない。
ペルは扉を開けて、挨拶もせずにボロ屋に足を踏み入れた。
むわっと熱風が一気に押し寄せてくる。中の温度は五十度。建物はボロボロで風通しの良いはずなのに、真夏日より暑い。
ペルは直ぐに上着を脱いだ。
ボロ屋の中には、七十歳を超える老人が一人。しかし、老人と言えど、並みの剣士以上の筋肉で、上半身裸のまま、人間の頭ほどの大きさの鉱石を、いくつも炉に投げ入れている真っ最中だった。
アルドネル・エマ。
それは老人の名前でもあり、知る人ぞ知る、世界最高級品と名高い、剣のブランド名でもあった。
「ペル、何しに来た」
アルドネルは大粒の汗をかき、今度は炉で溶かせた鉄を、砂で表面を固めた四角い入れ物に流し込む。
ペルは荷物を置くと、大きく分厚い手袋をつかみ、四角い入れ物をどかせ、新しい箱を置いた。
「おふくろが、いつもタダで教えて貰っているから、パンを焼いたから持って行けって、うるさいから持ってきたんだよ」
ペルは箱を置き、もう出てきた額の汗を拭きながら大声で答えた。
本当はまだ教えてもらってないのにと、ペルは眉間に皺を寄せる。
アルドネルは鼻息を荒くしたまま言い返した。
「教えてなんぞおらん。お前が勝手に来とるだけだ」
「そうだよ、俺はじいさんの技術を盗むまで、ここに来るからな!」
ペルの返答に、アルドネルは「はんっ」と鼻で笑った。
アルドネルは、決して剣を打つ技術をぺルに教えない。それは、ぺルを嫌っているからで無く、腕が劣っているからでも無かった。
職人は技術は教わるのでなく、盗むものと考えているからだ。だから、アルドネルは、教えはしないが決してペルを追い返したりしなかった。
腕は未々だが根性は有ると、アルドネルはペルをそう思っていた。
「ところでじいさん、今回は誰に打つんだい?」
ペルは額の汗を手袋で擦りながら、アルドネルに問い掛ける。アルドネルの打つ剣は、誰もが認め、欲しがる素晴らしい品だ。
自ら配合した硬質の鉄を使い、細工もゴツイ老人が手掛けたとは、想像も出来ないほど繊細で華やかだ。それでいて切れ味を持続させる。
ぺルが知る限り、これ以上の素晴らしい鍛冶屋はいないだろう。
しかし、それとは裏腹に、いくら金を積まれようが、王族の依頼だろうが断り、自分の気の向いた相手にしか打たない、頭の固い、職人気質の鍛冶屋だ。知る人ぞ知るの由縁はそこにあった。ぺルはここだけは見習ないでおこうと決めていた。
だから、アルドネルが剣を打つ準備をしていると言うことは、それに価する人物の依頼だろう。
ペルは三年間、アルドネルに付き合い、じいさんの好みは解っていた。
実力が有り、努力家の剣士。
それも、自分の剣を飾ること無く使う、敵と前線で戦う人物だ。
「まっ、じいさんの趣味だから、凄い剣士なんだろうがな」
「………ティーライ王国の騎士団長だ」
アルドネルは少し曇った顔で答えた。ペルは相変わらずのアルドネルの凄さに、口笛を吹く。
「スゲーな、騎士団長様かよ。クッソー、いつか俺もそんな凄い人に打つ鍛冶屋に成ってやる!」
ペルはここまで悔しがり、フッと言葉を止めた。
確かに、ティーライ王国の騎士団長は、噂にも聞く凄い人だ。ただの一騎士だった者が、剣だけを頼りに騎士団長まで上りつめる、まるで成り上がりの物語の様な人物だ。もちろん、剣の腕もかなりだろう。
しかし昔はどうであれ、騎士団長と言えば管理職で、戦闘には指揮者として赴くだけで、前線のような戦闘は皆無だ。それは、アルドネルの趣味からは大きく外れる。
「………本当に打つのか?」
アルドネルは再び曇った顔のまま頷いた。
その様子からして、あまり乗る気ではないらしい。理由はペルが思った通りだ。
「わしの打った剣で、王に祝福を受けた、愛刀を折られたらしい」
アルドネルの解答にペルは悩む。アルドネルはそんな理由では剣を打たない。
酷いときなど、ボロ屋の前で霧に乗っ取られた物と対決させ、刃筋が通っていないと言う理由で断る事すらある。
一体、何が有ったのか?
不思議がっているペルに対して、アルドネルは溜め息を混じりに話し出した。
「――――二年前のあの夜を覚えているか?」
もちろんだとペルは頷く。
二年前、アルドネルはある人物に剣を打つよう依頼された。
当然の様に断るアルドネルに対し、依頼してきた人物は、他では断られ打つ人物が居ないので、どうしても剣を打ってほしいと説明した。
その時、ペルは腹が立ったものだ。
まずはアルドネルに断られてから、他に行くのが普通だ。順番が間違っている。
ペルはそんな失礼な依頼人に対し、アルドネルに断られろと思っていたが、打って欲しい剣の内容を聞き、アルドネルの瞳に火が入った。
他には打てない剣。
今まで色々な困難を聞いてきたが、これ程の困難を言って来る人物は少ないだろう。アルドネルはその依頼を承諾した。
長さ一メートル四十センチ、太さ三十センチの大剣。片刃のバスターソード。
正確にはバスターソードより一回り大きい。
ペルの思いとは裏腹に、アルドネルはその話を聞き、やる気になったのである。
男が帰ったすぐに直ぐに、アルドネルは準備に入った。しかし、それほどの大剣だ、アルドネルも打った事は無い。だから先ずは、依頼より一回り小さい、試作品の片刃のハーフバスターソードを打った。
試作品と言えど本番さらながで、手を抜くことをしない。
しばらくして出来た、刃を付けていない、片刃のハーフバスターソードの出来は上々で、次の本番のバスターソードへと移った。しかし、一ヶ月掛り、やっと片刃のバスターソードは出来上がったが、アルドネルは納得出来なかった。
思った以上に重量があり、依頼人の男が振れるとは、到底思わなかったからだ。
飾る剣は打ちたくない。
そんな思いからだろう。アルドネルはハーフバスターソードの方にも、刃を入れた。
依頼人に渡すとき、バスターソードを振ってもらい、振り抜けないなら、ハーフバスターソードを渡し、バスターソードは持ち帰るつもりだった。
そんな事をしていたので予定が狂い、納品日の当日は、陽がとうに暮れていた。
急いで出来上がった二つの剣を荷台に乗せ、アルドネルとペルの二人は男の元に運ぶ。
そこであの現場と出くわした。
森の近くの開けた場所だ。
ザッと見ても、六十体もの霧に乗っ取られた野犬。
霧も未だ漂い、霧から逃れた野犬は、走り逃げ惑っているが、霧に乗っ取られるのも時間の問題だろう。
対峙しているのは一人の少年。
いや、一人ではない。左肩にいまだ幼い少女を担いでいる。
少年が手にしているのは、真ん中から折れた、刃こぼれの酷いロングソード一本。
数が数だ。少年は囲まれているし、可哀想だがここから助けることは出来ない。霧も漂っている事だし、長く無いだろう。
しかし、何とか成らないものかと、アルドネルは考える。見たところペルより若い、このまま見捨てるにしても心苦しい。
そこで、アルドネルは、頼まれたバスターソード以外に、ハーフバスターソードを持っていることを思い出した。
アルドネルは荷台から、ハーフバスターソードを掴み上げると、少年に向かって投げた。剣は回転しながら、上手い具合に少年の右側の地面に突き刺さる。
少年はこちらに気付き、礼を言うように頷いた。アルドネルも合わせて頷く。
ハーフバスターソードの大きさなら、上手く行けば、霧に乗っ取られた野犬を蹴散らせて、逃げ伸びられるかも知れない。
少年は折れたロングソードを、霧に乗っ取られた野犬に突き刺し、傍らの、片刃のハーフバスターソードを手に取る。
ここからは、アルドネルは思い出してもワクワクする。
少年は片手で、ハーフバスターソードを正眼に構えようとするが、その重さから上手く行かず、上まで振り上げて、右肩に担いだ。
そして、飛び出して来る、霧に乗っ取られた野犬相手に、肩で剣を押し上げ、勢いのついた剣を降り下ろす。
野犬は真っ二つに両断され、木陰まで跳ね飛んでいった。
まさか一刀で倒すとは思っていなかったアルドネルは、大きく目を見開いた。
少年は霧に乗っ取られた野犬を、次々に切り裂いていき、跳ね飛ばしいき、最後に虫の息になった一匹に突き刺す。
十分程の痛快な時間だった。
アルドネルは驚きのあまり、こちらも危ないのにも関わらず観いっていた。ペルにしても口を半開きにして観いっている。
そして、正気に戻ったのは、少年が霧に乗っ取られた野犬を、全て倒した直ぐだった。
アルドネルとペルは急に青ざめる。
誰もが怯える、あの数の霧に乗っ取られた物を、十分やそこらで全て、一匹も残らず倒してしまったのだ。
周りの霧も、残りの野犬も、逃げて行ったのか全て居なく、後に残ったのは、霧に乗っ取られた野犬の死骸だけが六十体以上。
少年は、フラフラしながらこちらに近付いて来ると、アルドネルの目の前で倒れ込んだ。少年にしても限界だったのだろう。アルドネルとペルは慌て、二人を荷台に運び、アルドネルのボロ屋に連れて行って寝かせた。
結局、依頼人にバスターソードを届けたのは次の日で、ハーフバスターソードは渡さなかった。
アルドネルは、依頼人がバスターソードを振れるか振れないかは、どっちでも良くなった。振れないなら、好きな所に飾っておけとも思った。
あの、片刃のハーフバスターソードは、その少年にこそ相応しく思い、是非とも少年に握って欲しかった。
バスターソードを届け終えると、アルドネルは急いでボロ屋に戻った。しかし、すでに遅かったのか、意識を取り戻した少年は、片刃のハーフバスターソードと共に消えていた。
残念に思ったが、残された少女をペルと共に、ライマ共和国まで連れていき、自衛団体に保護してもらったのだ。
少女は学者の娘で直ぐに父親が駆け付け、安心して泣きながら、何度もアルドネル達に頭を下げていた。アルドネルは自衛団体に、一応少年の事を尋ねてはみたが、けっきょく少年のことは全く解らず、心配していたのだ。
それが昨日、やっと解った。
アルドネルも、ティーライ王国の騎士団長の凄さは耳にしている。少年はその騎士団長の、剣を折るぐらいに成長していたのだ。そして、手にはアルドネルが望んだ通に、アルドネルが打った、片刃のハーフバスターソードが握られていたらしい。
そのティーライ王国の騎士団長は言っていた。
「あいつの手には、あなたの名前の記された剣が握られていた」
アルドネルは、久し振りに喜んだ。そして嬉しさの余り、思わずティーライ王国の騎士団長に、替わりの剣を打ってやると、自ら申し出した位だ。さらに、騎士団長から詳しい話を聞けば、少年は霧を止めるため、王国ファスマに向かっているらしい。
アルドネルは思う。
わしの剣を握った騎士が、霧を止めにいく。これが興奮せずにいられない。
最後にアルドネルは聞いた。
「あの、少年の名は?」
ティーライ王国の騎士団長は、何処か遠い目で答えた。
「所属国の無い、リオ・ステンバーグ姫の騎士、キョウ・ニグスベール」
アルドネルは、ステンバーグと言うファミリーネームを微かに覚えていた。
たしか少年が、あの肩に担いでいた少女の、父親が名乗った名前だ。
しかし学者と思ったが、何処かの国の王族だったのだろうか。それに、少年のファミリーネームは、目の前にいる。
「ニグスベール………」
「あぁ、俺の息子だ」
ここまで話したアルドネルは、ペルの反応を見ていた。共に喜んでくれると思ったが、ペルは悔しそうに唇を噛んでいる。
自分より年下の人間が、風に聞くティーライ王国の騎士団長に打ち勝ち、しかも、世界を困らせている、霧を止めに行っている。ペルはいずれ、アルドネルの様な鍛冶屋を目指しているが、未だに剣を打たして貰えていない。
負けた気がしたのだろう。不機嫌に口をふさぎ、頬を膨らませている。
それが解ったアルドネルは、重い溜め息を吐いた。
「ペル、ティーライ王国の、天下の騎士団長の剣だ。失敗は許されない!」
「わっ、解ってるよ! 俺が手を出したら駄目なんだろ」
「違う。お前が今まで一人で練習したように、真剣に打てよ!」
「えっ?」
ペルは何度も、溶けた鉄と、アルドネルの顔を見合わせた。
「わしが最後まで見守ってやる。やってみろ!」
「あぁ、お願いします!」
ペルはアルドネルの言っている意味が解り、急いで準備を整えに走る。
アルドネルは思った。
いつまで老人の時代ではない。新しい世代が、次の時代を作っていく。
――――そう、霧を止めに行っている奴もいる。
「全く、あのバスターソードを打たせた依頼人の男と、同じ事を言うとは、リオ・ステンバーグ姫の騎士、キョウ・ニグスベールか」
アルドネルはその名を胸に刻んだ。