霧の騎士VSリオの騎士 1
六 霧の騎士VSリオの騎士
城から抜け出し、東の丘の草原で、イップ姫は本を読んでいた。
ラズベリーブルーの草原に、城から持ち出したシーツを広げ、お気に入りのタマゴサンドを傍らに置き、座ったまま物語に没頭する。
辺りは春先で、花や土の匂いが香り、日差しは陽気に見舞われ、風の音や小鳥の囀りも聞こえる。
最近は業務に追われ、好きなことが全く出来ない。今日はここで本を読みふけると決めたのだ。一日や二日で何かが変わるとは思わない。だから、勝手に今日は休日とする。
「イップ姫――――!」
遠くからセリオンの声が聞こえ、息を切らしながら、ラズベリーブルーの丘を駆け上がってきた。
「姫っ! やっぱりここでしたか。探しましたぞ。朝から急に居なく成って、護衛の騎士達が大慌てしております」
セリオンの慌てる声に、イップ姫は身動き一つ立てない。イップ姫は本に目をやりながら冷静に答えた。
「勝手に慌ててるだけだよ。私が居なくても業務に差し遣いはないわ」
イップ姫はそこで要約セリオンに目を向ける。革の胴衣を着て、大剣を持ったまま走ったので、額からも大粒の汗をかいている。
「それにしてもセリオン、汗だくだよ」
「誰のせいだと思っているのです」
セリオンは仏頂面のまま答える。
「良いですか、休みたい時はちゃんと伝えて下さい。急に居なくなられては心配します。私もイップ姫の業務は少し厳しすぎると感じております。私からも皆様にちゃんと伝えますから」
セリオンが説教しているにも係わらず、イップ姫は再び本に目を向けると読みふける。
その顔は真剣で、とても休んでいる様には見えない。
「姫っ!」
「良いの、たまにはゆっくりさせてもらうの。………あっ、そうだ、セリオンも今日は休みにしよう。二人して、一緒にゆっくりするぞ!」
全く悪びれなくイップ姫は笑う。その笑顔は年相応で、いつもの彼女からは想像もつかない。セリオンはその笑顔にいつも騙されるが、悪い気はしなかった。
彼にしか見せない笑顔だ。
「ほら、早く。そんな鎧外して、寝っ転がって」
イップ姫は本を閉じて、セリオンの革の胴衣を引っ張る。
「あっ、危ないですよ! 私の腰にぶら下がっている剣は、鞘が無いですから」
「それなら、私が怪我したらセリオンのせいね」
良く解らないイップ姫の理屈に、セリオンは溜め息を吐き、腰の大きなバスターソードを外して、野原の上の無造作に置いた。
「鎧は良いから、セリオンも座る」
イップ姫は座る位置をずらし、シーツにセリオンの場所を空けた。
「良いですか、少しだけですよ。傭兵の私がこんな所見られては、首が飛びます」
「ほら、堅苦しいのは抜きよ。生憎と今日は業務を出来ない程のよいお天気よ。こんな日は何もする気が起きないわよ」
確かに春先の暖かさで気持ちが良い。イップ姫でなくとも誰もがボーッとしたくなる。
セリオンは諦めイップ姫の隣に腰を下ろした。走って火照った身体に風が気持ちいい。
セリオンはイップ姫の読んでいた本に瞳を落とす。
「またですか、好きですね」
イップ姫が読んでいたのは、ニデロムの塔と言うタイトルの本だ。
彼女は伝承や伝説の類いの本が大好きで、中でも天空城や、滅びた海に浮かぶ大国の話など、現実には有り得ない物語が好きである。
「良いじゃない。………それとセリオン、堅苦しい」
座ったまま横目に睨んでくるイップ姫に対し、セリオンは呆れたように肩をすくめた。
「イップ姫も、もうすぐ王です。私にそんな口調使わせては、周りの者に示しが付かないです」
「二人の時は良いの、いつもの様にしていてほしい。それに、王に成ったら私が何を言おうが、セリオンは堅苦しい言葉を使うでしょ」
確かにそうなれば、セリオンにとってイップ姫は雲の上の存在に成るだろう。口調どころか話し掛けることも出来ない。
「だから、今だけはそうしてて欲しいの」
イップ姫の真剣な顔に、セリオンは仕方ないと浅く息を吐いた。
「解ったよ。ただし、二人の時だけな」
「うん。それで良い」
イップ姫は満足と言った様に笑顔に戻り、セリオンと並んで座った。ラズベリーブルーの丘からは、城や城下町が見える。
二人してそれを眺めた。
城下町では人が忙しなく働き、馬車が行き来をしている。少し離れた畑では、人々は牛を使い畑を耕かせている。大戦が終わり、人々の顔は安堵に包まれていた。
だからこそ次だとイップ姫は思う。
「セリオン、この国をどう思う?」
「この国? あぁ、良い国だと思う。俺は好きだ」
自分の国を褒められてうれしく思い、イップ姫は城下町を見下ろしながら微笑んだ。
「でもねセリオン、私はこの国には、もっと技術が要ると思うの」
セリオンはイップ姫を見つめながら答えた。
「技術?」
「そう、技術よ。確かにこの国は、今では世界に誇れる技術が有るわ。だけど技術は奪い、奪われるもの、いずれはこの国以上の凄い国も出てくるでしょうね」
休むと言いつつも、また国の事を考えている。
王国ファスマは、大戦では攻め込みにくい山際に在り、被害は少なかったが、大勝利を納めた訳でない。逆に攻め込みにくい代わりに、貿易の勝手が悪い。最大の難点は、貿易の流通によく使われる、海辺に面していないことだ。
この国の収入源は、産業、技術、そして山辺の農業がすべてになる。その中で技術、産業が同じ位のレベルなら、流通の勝手が良い、海辺の国に負けるだろう。
「今の大臣もお祖父ちゃんも、凄いと思うけど、このままでは駄目よ」
イップ姫の言葉にセリオンは目を見開け驚く。
世界の全ての人の話を聞いたわけではないが、王国ファスマに来た、外からの者の話を聞く限りでは、皆がこの国を憧れているし、誰もがうやまう。そう考えると、このままでも十分だと思うのだか違うらしい。
イップ姫が何処まで先を見ているか、セリオンには解ら無かった。
「じゃ、イップ姫はどんな事をしたいんだ?」
「私はねセリオン、十年後でも、何処よりも豊かな国を国民に約束したい。………それが王に成ってから私のしたい事なの」
このお方は、何処までも真っ直ぐに、未来を見ている人だ。
セリオンは笑った。
「騎士として国に仕えて居ない、傭兵の俺が言うのもおかしいが、俺がイップ姫を守るよ。イップ姫の身の安全も、遣りたいことを止めようとする奴等からも」
セリオンの言葉には何の根拠もない。彼にすれば励ましの言葉だったのだろう。しかし、イップ姫は嬉しかった。
イップ姫は父親と共に殺されるはずだった。そこに現れ悠然と自分を救い出した他国の傭兵。
護衛の騎士より自分を救った者の台詞だ、何より重みはある。しかし、恥ずかしいのでお礼の言葉が出てこない。セリオンと居るといつもそうだ。
決められた儀式の言葉なら、恥ずかしい台詞もスラスラ出てくるのに。そして、それはセリオンも同じ思いなのか、照れ隠しのようにその場に寝転ぶ。
だから、セリオンだけには秘密を明かせた。
「ねぇ、セリオン。私は王になった暁には、あれを開けようと思う」
セリオンはイップ姫の台詞に頭を傾げた。
「あれって?」
考えてみれば、王族の秘密だし、知らない大臣も居る中、たかが傭兵のセリオンが知らないのも無理はない。
「そう、あれ。装置の名前は知らないし、どう言う技術を使ってお祖父ちゃんが建てたのか解らないけど、それを開けるわ」
セリオンはこの時、開けるという言葉から、箱か扉を想像していた。しばらくしてイップ姫の騎士となり、その正体を見るまでは、一切想像は出来なかった。
「それを開ければどうなる?」
セリオンの問いに対して、イップ姫は夢見る乙女のように、目を細め語る。
「この世界より、技術の優れた世界と繋がるわ。その世界には、高速で走る乗り物や、手紙以外の方法で、世界中の人々と会話できるシステムや、空高く鉄を飛ばし、他の星にまで行く技術が有ると聞くわ」
イップ姫の語る言葉は、夢のような世界で、安易に想像すら出来ない。しかし、彼女は幸せそうだった。
イップ姫はさらに続ける。
「たしかに、向こうも人間だから、開けたところで交友的とは限らない。きっと、争いは起こるべき問題だと思う。ひょっとして凄い技術力で、この国を、いえ、この世界をも従わせようとするかも知れない。だけど、私は、そんな世界でも、未来に希望をもたらす王で在りたいと思う。………私は間違っているのかな?」
隣を見ると、春の陽気のせいか、セリオンは寝息を立てていた。
全く、これから自分が従うべき者を前にして、いい気なものだ。歳上の癖に、しっかりして要るのか、抜けているのか解らない。
「全く、お主は」
ついついセリオンを責める時は、王族の言葉が口に出る。しかしイップ姫には解っていた。
いつも遅くまで自分を見守っていてくれているから。
イップ姫は誰も居ないのを知りながら、辺りを見渡した。
ラズベリーブルーの草原には、優しい風が舞っているだけだった。
イップ姫は静かに顔を近づけ、セリオンの口元に自分の唇を合わせた。
大人からすれば、十八歳と言えば未々子供だが、十四歳のイップ姫からすれば、セリオンはもう大人で、自分の様な小娘を相手してくれるとは思わない。
だから、これは秘密だ。
誰にも言わない、自分だけの秘密。
イップ姫が強くそう思ったからだろうか。
この時の記憶は、リオには無かった。