時代の狭間に吹く、新しい風 3
「面白そうな話だな。私も交えてくれないか?」
その時、再び開いた扉から、今度は一人の老人が姿を表した。
「バーカード、殿」
エドワードは焦りながら答える。バーカードはエドワードを一睨みして、背筋を伸ばし歩いてくる。
先程から扉の前で話を聞いていたが、エドワードの無知さや、他国の姫に食い付くなど摂政に在るまじき行為に、いい加減しびれが切れたのである。
それに対し、レナ姫もリオ姫も中々良いことを言う。青臭いが嫌いでは無い。
「デルマン皇太子にレナ姫、私も同席してもよろしいかな?」
「あぁ、かまわぬ」
レナ姫は頷くが、デルマンは不機嫌な顔のまま返事もしない。
レナ姫の返答に、先程まで険悪なムードで固まっていた給仕女達が慌た。料理はもちろん無い。バーカードはそんな給仕女達に首を横に振った。
「かまわん、食事は別の者と予定を組んでいる。紅茶があれば頂こうか」
カインは慌てて、席を譲ろうとするが、バーカードはそれを手で制して、カインの後ろを通りすぎる。バーカードは一番末席の前にやって来ると、リオとキョウに目をやった。
リオはまたしても言いたい台詞を逃し、苛々した顔をしているし、キョウは再び現れた来訪者に困惑している。
その様子にバーカードは頭を下げた。
その姿は優雅とは言い難い。しかし、一言いうなら凄いだ。
身体を九十度曲げる最高礼。しかも動きもスムーズで早い。とても老人の動きとは思えない。
「せっかくレナ姫と楽しく食事をとっている所に、何人もの空気の読めない者が現れ、誠に申し訳ない」
その姿に見とれていたリオとキョウは慌てて立ち上がり、リオは頭をさげ、キョウは騎士の敬礼をして、お礼を口にする。
「いえ、こちらこそ、素晴らしい食事をご馳走して頂き感謝しています」
バーカードは首を横に振り、手でキョウ達に座るよう催促する。そして、キョウ達が座るのを見てから、自らも椅子に腰を下ろした。
「それに、我が国の摂政たるものが、国政も知らず恥ずかしく思います。煩わしい気分にさせてしまったことを、先ずはお詫び申し上げたい」
バーカードは座ったまま深く頭を下げた。
「バーカード殿!」
バーカードの台詞にエドワードは怒りを露にする。バーカードがそこで謝れば、自分が悪いように聞こえる。
バーカードは端の席から再びエドワードを睨んだ。
エドワードはバーカードの怒っている意味が解らないので有ろう。バーカードの視線から逃れるように深く座り直す。デルマンはエドワードが責められているにも関わらず、知らぬふりをしていた。
「いえ、大丈夫です」
リオは両手を振って何度も頷く。隣ではレナ姫が良かったとばかりに胸を撫で下ろしていた。
「所でバーカード、どうかしたのか?」
リオに対して、余りにも下手に出るのが気に入らないデルマンは問いかける。何とか隙を見付けて帰らせたい。
デルマンの声は聞こえたので有ろうが、バーカードは相手にせずにリオに話し掛けた。
「時にリオ姫様、逆にこちらから聞きたいのですが、リオ姫様なら、霧が消えて十年後はどうしたら良いと思いますかな? レナ姫も思っている事があれば言って下さい」
バーカードの問い掛けにレナ姫は焦る。摂政中の摂政からの問い掛けだ。レナ姫の言った事など鼻で笑われて終わりになる。
リオはバーカードを見て少し口元を緩めた。
「流通」
リオが発した一言目でバーカードは目を見開き頷いた。
「霧が無くなり、先ず発展するのはそこからだよ。船も速いけど、内陸部の所に運ぶとなれば、今は馬車しか無いけど、もっと多く積めて、早いものが出てくればコストも下がる。ティーライ王国の葡萄酒や、この国の飴玉、安くなればそれだけ買う人も増える。そうしたら大量生産して、もっとコストが下がり買う人も増える。しかし、流通には投資がかかる。だから国が管理するの」
たしかに、今は霧の為に馬を使う者が少ない。しかし、霧が無くなれば馬を使うものも増え、流通はスムーズに行くだろう。
バーカードは頷き、リオの次の言葉を奪った。
「その次は産業ですね?」
「うん」
「先程の、もっと速い物の検討は有りますか?」
リオは「あっ」と声を上げた。バーカードは少しの言葉も聞き漏らしていない。それから悩んだ仕草をしたが諦めた様に口を開く。
「まだ考えの段階だから内緒にしてね」
バーカードは笑顔で頷く。
「内緒にしましょう」
「例えば、空を使う」
「空ですか?」
「うん。大きい風船を作るの」
完全に子供の発想だと、リオの言葉に周りから失笑が聞こえる。その中でレナ姫とキョウとバーカードの三人だけが真剣にそれを想像していた。
解ったとレナ姫は手を叩く。
「そうか! ガスを入れるのじゃな。ガスは空気より比重が軽いから浮く」
「ですが、ガスだと爆発の可能が有ります」
バーカードの指摘に、リオとレナ姫は首を横に振った。リオが再び得意気に話す前に、先にレナ姫が口を開く。
「燃えないガスが有るぞ。ヘリウムじゃ。世界に多く有るし生産も………」
「そう! 生産も簡単に出来るよ!」
リオの様子に、隣のキョウが背筋を真っ直ぐ伸ばし、緊張の汗を流しながら震えていた。
リオはレナ姫の頭を押さえ込んでいる。
「リオ、姫。て、手、手を離して」
キョウは前を向いたまま、小声でリオに話し掛ける。
リオは知らない顔をしていた。
レナ姫は短い腕をバタバタ振って必死に頭を上げる。
「止めよリオ姫、良い所でまたしてもお主は………」
「だって、レナ姫が悪いんだよ。私の発想なのに!」
キョウがとうとう痺れを切らし止めようとするが、周りは微笑ましく見ていた。バーカードは一人腕を組、しばらく固まっている。それから、一つ頷くと次はレナ姫に目をやった。
「レナ姫は何か有りますか?」
「私? 私は別に………」
リオに押さえ付けられ、乱れた髪型を直していたレナ姫は、急に話を振られたので、焦って口ごもった。
こんな緊張する場所では何も考え付かないし、リオの案の後だ。下手なことは言いたくない。
その様子をリオは見て頷いた。
「レナ姫、レナ姫、あれ」
「あれ?………あっ、しかしじゃ」
レナ姫は顔を真っ赤にする。
「だって、レナ姫が図書館で言っていたことだよ」
バーカードは二人を真剣に見ている。レナ姫が再び口ごもろうとするのを、リオが急かしていた。
「どんな事でも良いです。聞かせて下さい」
「それじゃ、言うぞ。………その、何じゃ、学校と言う物が欲しいのじゃ」
「学校ですか?」
「そうじゃ、学校じゃ。皆で集まって学問を習う場所じゃ。………私は行きたい」
最後の台詞は小声で誰にも聞こえなかった。
再びバーカードは目を見開き何度も頷く。法国オスティマには、学校に良く似た塾が存在するが、権力者の子供が行くものや、国政を学ぶものしか存在しない。
「成る程、教育ですか」
バーカードは興奮のするのが押さえ切れずにいた。
幼い二人の姫が示した道。
流通の新しい経路と産業。
まだまだ案を練り込まなくてはいけないが、こちらは製造から始めると大事業に発展するだろう。雇用が産まれ、生産すれば、購買力が上がる。金が回れば国は豊かに成る。
そして教育。
人々の知性や技術を育てる知識が有れば、国は良くなり潤う。
二つとも直ぐには発展しないが、確かに十年先を見た道だ。
イライラしていたエドワードは、反論しないバーカードを見てさらにイラつく。子供の意見を、何をバカ正直に聞いているのか。
「いい加減にしろ! どこが十年先だ。そんな事ぐらいは誰でも思い付く。もっと現実をみて見なくては、今にセントエレフィス領の様に、全ての領土が独立を口にするぞ!」
思わず、国外に出してはいけない禁止事項を口にするエドワードに、バーカードは腹の底から大声を上げた。
「だからお前は、まだケツが青いと言ったのだ!!」
老人とは思えない迫力と大声。
エドワードで無くとも、皆が息を飲み込み姿勢を正す。
「良いかエドワード、国政とは十年先を見よ! そして、それに至るように進めていくものだ! この二人が語った内容が解らぬとは、摂政として恥ずかしいぞ!」
バーカードに怒られ、エドワードは首をすくめて、身を小さくした。デルマンは面白く無さそうに、リオとレナ姫の二人を見る。
法国オスティマ本国の王はいずれ自分の物だ。なのに、こんなガキ共相手に、何故こんな気持ちにならなくてはいけない。
「お前達が好きに言うのは勝手だが、どうやって霧を止める? 俺の法国は霧の討伐で利益を上げてきた。民は皆が困るぞ。そんな勝手な事は俺が許さん!」
デルマンのイラついた言葉に、臆すること無くレナ姫は反論した。
「だから、今話しておる。霧が無くなった後のことを」
レナ姫達とデルマン達では、最初から論点が違う。
「だから、先程からエドワードが何度も言っておっただろ! 霧は消えないと!」
リオはそこで、やっとさっきから言えない台詞が言えた。
「そもそも、そこがの間違いなの」
リオは椅子から立ち上がり、短い指を二本立てた。
「間違いの二つ目! 霧はもうすぐ止まる。私が霧を止めるから!」
リオの高らかな宣言に人々は驚きリオを見た。
レナ姫もよく霧は止まると口にするが、それ以上の事は口にしない。レナ姫が子供の戯れと言われる原因の一つはそこである。聞いて欲しいだけだと、誰もが思っていた。しかし、リオは違う。言い切ったのである。
霧を止めると。
止まると、止めるの差は大きい。
「リオ!」
「リオ姫!」
キョウとレナ姫は二人してリオを止める。それは言わない約束だ。
しかしリオは止まらない。再び口を開いた。
「確かに霧が止まっても、直ぐに霧が無くなる訳じゃないよ。完全に消えるまで十年は掛かるでしょうね。たしかに霧で利益を得たのはわかるよ。だけど、法国の皆が霧を望んでいるとは思わない。それに、他に国益の作るの道があるなら、国民も困らないよね?」
リオの台詞に、バーカードは口を開けたままに成った。
全くもってその通りだった。
年甲斐もなく、幼い他国の姫に心を奪われた。産まれて来るのが早すぎた。
自分はもう年だ、長くてもう十数年だろうが、もう少し彼女が作って行くであろう、未来が見たかった。
それはまるで、未来に希望をもたらす王。レナ姫が先程語った、それではないだろうか。
「もう良い! 子供の戯れを聞くのは飽きた。行くぞエドワード、食事が不味くてかなわん!」
「はっ、はい」
デルマンが不機嫌に立ち去る後ろを、エドワードは追っていく。
二人が扉を出ていってしばらくすると、レナ姫は慌てて立ち上がりバーカードを見た。
「すまぬバーカード、今の発言は聞かなかった事にしてくれ! 皆の者もだ。良いか、リオ姫は錯乱しておっただけじゃ」
「ひどいよ、レナ姫」
リオは困った様に眉をしかめる。レナ姫とキョウはリオに詰め寄った。
「ひどいのはお主じゃ!」
「そうだ! あれほど言うなと言っただろう!」
真剣に怒る二人に、リオは「えーっ、だって」と言い訳を始める。
護衛兵達も給仕女達も、まだ固まったまま身動きが取れない。薄々感付いていたカインですら、驚きを隠せずにいた。
「わ――――ははははっ!」
豪快に笑い出したバーカードの声に、やっと周りの者は正気に戻る。
「これは、何とも言えないですな。その言葉を言うだけの為に、国益の話まで出して納得させようとするとは、恐れ要りましたリオ姫様」
バーカードは素直に頭を下げた。
意味が解らないレナ姫とキョウは、バーカードを見続ける。リオは慌てるが、そんな二人にバーカードは解説してあげた。
その声は大きく豪快だ。
「先程、デルマン皇太子が言われた通り、法国オスティマは霧の討伐により国益が増えました。その中で霧を止めると言えば不味いですな、国益を削ぐわぬ可能性が出てくるからです。だから、別に国益を得る話してから言えば、お互い損はない。中々上手い外交ですな」
この方法はバーカードも、外交で良くやる方法だ。しかし、それを言われれば、リオにとっては目の前で手品の種明かしをされた様で恥ずかしい。
「バーカードさん止めて下さい」
バーカードは再び笑う。
「なら、リオ姫様の風船の案は頂きます。本来なら、すでに頭の中にある、その物の形状やルートの案も頂きたいですが、こちらもレナ姫がいます。直ぐにリオ姫様以上の案が出ますでしょう」
楽しそうに語るバーカードに対して、なぜ自分に話が振られたか分からず、レナ姫は何度も瞬きをした。
「では、私もそろそろ参ります。有意義な時間でした。後はごゆるりと食事を楽しんで下さい」
そう言うと、バーカードは椅子から立ち上がり、給仕女達に、最大のおもてなしをするように言い付け、部屋を後にした。
未だに訳が解らないレナ姫とキョウは、お互いに顔を見合わせてからリオを見る。
リオは真っ赤に成っていた。