時代の狭間に吹く、新しい風 1
五 時代の狭間に吹く、新しい風
大きな窓から差し込む光は、陰りが見えだし、徐々に沈む夕日をうかがわせる。
城の長い廊下を、デルマンは不機嫌な顔のまま歩いていた。
二十代半ば、中肉中背、王族だから顔が知られているものの、一般人だったらすぐに忘れられるような、特徴の無い顔をしている。しかし、デルマンは正統な皇太子だ。現在は第三皇太子だが、父親のローランド第一皇太子が法王に成った暁には、デルマンは第一皇太子となり、次の法王は自分の物となる。
その為か、プライドが高く、自分が気に入らないと直ぐに癇癪を起こす。大臣達には扱い難い王族だ。
デルマンは本日、忙しい法王やローランド皇太子に替わり、法国オスティマ領、セントエレフィスの会合に出席したのだが、セントエレフィスの王は、霧の被害が減りつつある事を理由に、独立の提案をしてきた。
霧の為に滅んだ国は多くある中、今まで国が存在したのは、法国オスティマのおかげと言う事を忘れている。
いっそうの事、警備兵全て引き上げて遣ろうかとも思うが、デルマンにはそこまでの権限は無い。
そして何より気にいらないのは、デルマン一人の時にその話題が出て来たことだ。今まで法国オスティマ本国の、領王全てが集まる会合では、口に出しもしないのに。
甘く見られた。こんなことなら、断らずに大臣を同行さすべきだった。
確かにデルマンは国政にはまだまだ疎い。法王や、ローランド皇太子に比べると、情勢も解っていない。しかし本人は、父親のローランド皇太子と自分を同等に考えていて、現在の法王が何時までも、王の座に居座る事に良い思いをしていなかった。
法王は早く引退をして、父親に代を譲らないと、何時まで経っても俺は皇太子だ。だから今のような事態が起こる。今の法王は甘いのだ。いい加減、領土国は離れていき、いずれ法国本国は威厳を無くすぞ。
自分勝手な解釈をして、デルマンは報告のため、父親の元に向かう。
「デルマン皇太子」
その時、後ろから声を掛けられる。声の主が解ったので、足を止め振り向いたが、他の者なら無視をしていた。
「バーカードか」
バーカード・カッター。法国の摂政を務めている内の一人で、デルマンが最も苦手とする一人だ。
今年七十歳と、どの大臣より老けており、そしてどの大臣より勢力的で、どの大臣よりも国政に詳しい。
五十代の大臣に向かって「まだまだケツの青い!」と言う発言から解るように、大変厳しい感性の持ち主だ。
しかし、法国オスティマが五カ国を統一したのも、この老人があっての事。法王からの信頼も厚い。
「はっ。で、どうでしたか?」
老人とは思えぬ張りのある声をしている。デルマンは少し言葉に詰まった。
「いっ、いや何、セントエレフィスの奴ら、独立をほのめかせて来よってな。一度本国に持ち帰り、法王に報告すると言った次第ある」
「ほう、独立ですか」
バーカードの目が細む。
デルマンには解らないが、多分快く思って居ないのであろう。
「でっ、ではこれで」
早々とデルマンが去ろうとしたところ、もう一人の大臣が声を掛けてきた。
「デルマン皇太子と、バーカード殿。どうかなさいましたか?」
「おぉ、エドワードお主が着いて来ないので大変だったぞ。今度から俺が会合に行く時はお供せい」
自分から断っておきながら、好き勝手言っている。明らかに、バーカードの時と態度が違った。
エドワードは大臣の中でも四十歳ともっとも若く、バーカードにケツの青いと言われた内の一人だ。デルマンとエドワードは、バーカードが苦手な所から意気投合した。今ではデルマン皇太子の片腕だ。
「どうかなさいましたか?」
「あぁ、詳しい話はローランド皇太子に会ってからだ。エドワード、お主も着いて参れ」
エドワードは短い挨拶をすると、逃げるようにその場を離れるデルマンを追いかける。
「デルマン皇太子待たれよ。私もお供しよう」
バーカードの声にデルマンは顔をしかめた。
老人は口出しせず、若い者に任せておいて、とっとと世代を譲れば良いのだ。
「いやいや、こっちは報告だけだ。それに、エドワードも付いておる。バーカードに来てもらっても仕方がない」
バーカードは端からデルマンの返答を期待していなかったのだろう。我先に歩いて行く。歩くスピードは速く、背筋も伸びている、とても老人とは思えない。
デルマンとエドワードはため息交じりに、老人について行った。
レナ姫の後を付いてきて、キョウ達は城の前で言葉を失った。
食事を取ろうと誘われたので、何処か良い食堂かと思っていたのだが、流石に城に連れてくるとは、キョウも護衛兵も予測していなかった。
リオは解っているのか、いないのか、城を見上げると興奮の声を上げる。
「キョウ、見てすっごい大きいよ。これ建設するの大変だよ。最初に足場組むだけで一月はかかるよ」
妙な所を感心しているリオだが、キョウは心配で仕方がなかった。
キョウは周りの聞こえないよう、小声でリオに耳打ちする。
「リオ、大丈夫か?」
「大丈夫でしょ」
リオはのんきに答える。
「だけど、俺、所属国無いって宣言しちゃったんだぞ」
「まだ国と呼べるほど、大きく無い国としておくよ。それに、食事だけなら、問題でないはずだよ」
「そうかな?」
「そうだよ」
キョウは不安でたまらない。普通の食堂ならそれで問題は無いが、城で食事するとなると問題にならないだろうか。護衛兵の方も同じだろう。さきほどから良からぬコソコソ話が耳に付く。
「レナ姫、流石に不味いのでは?」
カインの問い掛けにレナ姫は眉間に皺をよせる。
「だから尋ねたじゃろ。かまわん、リオ姫は私の大切な友達じゃ」
「しかし、」
「黙っておれ、共に食事するだけじゃ。お主は少し細かいのじゃ」
キョウとカインは目線を交わし溜め息を吐いた。能天気に強情。お互い大変な主君に仕えたな。
リオとレナ姫は護衛を引き連れ、法国オスティマ本国の巨大な城の城門をくぐった。城門の警備兵がレナ姫に対して敬礼を行う。カイン達も敬礼に返し城に立ち入った。
ここまでは未だ一般人も入れる。問題はここからだ。
二つの扉を抜けると、警備兵が扉の前で待機している。ここからは一般人立ち入り禁止、国の業務を行って居るものしか入れない。
レナ姫は簡単な挨拶をすませ、キョウ達を中に導いた。リオは珍しそうに周りを見渡している。
確かに城の中でここまで深く入るのは、キョウ達一般人には無理だろう。しかも世界一大きな国の城の中だ、色々見て回りたいとも思う。しかしリオのように、綺麗なシャンデリアや広い廊下、所々に置かれている花瓶や彫刻など見る余裕はない。
キョウは心配で変な汗が止まらない。いつでも体を動かせる準備をしているが、何か有った時にここからリオを連れて、無事に逃げ出す自信は無かった。セリオンですら不可能だろう。
レナ姫は廊下ですれ違った給仕女を呼び止め、食事の準備をするよう命じる。それから、長い城の廊下を何度か曲がり、一つの部屋にたどり着いた。
部屋は広く作られ、長机に、広い間隔で椅子が並んでいる。部屋の上座に当たる壁には、法国オスティマの初代法王の肖像画が飾られており、壁際に飾られた装飾品は高価な物ばかりだ。
「この部屋は、普段は会議室に使われておる。今の時間からは使われる予定はないし、邪魔も入らぬ。お主らもゆっくり出来るじゃろ」
レナ姫の台詞にキョウは少しだけ胸を撫で下ろす。レナ姫も流石に他の王族とリオを会わせるつもりは無いらしい。
レナ姫は上座の椅子に腰を下ろした。
「今日はくたびれた。リオ姫も座るがよい」
そう言って自分の右手の椅子を勧める。リオは壁際に行き装飾品を眺めていた。
「うん、ありがと。ねー、キョウ、これ金だよ。メッキかな? これを一つ貰ったら、宿に何泊出来るかな?」
「止めてくれ。ただでさえ危うい橋を渡っているのに、これ以上危なくするな」
キョウの訴えに、リオは「冗談よ」と答えるが、まだ丹念に装飾品を調べている。キョウは装飾品を持ち上げたりするリオを必死に止めていた。
「リオ姫、壊すなよ。しかし、全くお主は元気じゃな。キョウも疲れたじゃろ、先に座わって待っておればよいぞ」
レナ姫の声に、キョウは慌てて首を横に振る。
「滅相もございません。私は構いませんので、どうか二人で召し上がって下さい」
「かまわぬ。今日はお主達二人に馳走するつもりで食事を頼んでおる。………しかし、それだとお主が気を使うか」
レナ姫は両腕を組んで、少し悩んでから「よし」と頷いき、手招きしてカインを呼ぶ。
カインは、レナ姫の指示に従いたく無い様に顔をしかめた。また何やら良からぬことを考えているに違いない。
カインはレナ姫の元に着くまでに、考えが変わってほしくて、ゆっくりと歩いていく。
「キョウが気を使う。本日は護衛の者も共に食事せよ」
そう来たかとカインは困った顔をする。しかし、これ以上は譲れない。
「レナ姫、どうかお許しを。我々が姫と食事を共にするなど知れては、我々の首が危なく存じ上げます。どうか、お考え直しを」
「お主等は考えが古いのじゃ。食事は皆で食べた方が美味いに決まっておる。それに、招待客に何も出すことが出来ぬなど、私に恥をかかすなよ」
カインは「くっ」と息を飲み込みキョウを睨んだ。その目は、お前のせいで、こっちまでとばっちりを受けたと語っていたので、キョウは目線を外した。
「よし、一人給仕室まで行き、食事をあと四人前追加するようお願いするのじゃ」
カインはため息を吐いた。
レナ姫は一度言い出すと、余程のことが無い限り考えを変えない。長い付き合いだ、カインにはそれが解っている。しかしそれは、法律に違反したり理不尽な事を言っている訳でない。はっきり言えば正しいことばかりだ。
護衛兵と共に食事をすることは、他の王族はしない。だから皆が常識のように思っているだけで、護衛兵に罰則する法律は無い。もちろん、皆で食事をした方がおいしいのも当たり前な事だ。
ただ、もう少し護衛兵の気持ちも解ってほしいだけだ。
カインはレナ姫に解るように、わざと重い溜息を吐くと、入り口の護衛兵に近寄り、二、三付け加え部屋を出ていかせた。レナ姫は満足げに頷くと、皆に座るよう催促する。鼻歌混じりでその顔はうれしそうだ。
レナ姫を上座に置いて、リオは右手の椅子、その隣にキョウ、左手の椅子にはカインから順番に三人座る。給仕室に行った一人はまだ帰って来ていない。
しばらくして給仕女達が現れ、食事の用意を始める。机の上には食べきれないほどの食材が運び込まれた。全てが出来立てで、良いにおいと湯気が漂う。
リオとレナ姫には、量が少ないが高価な食材がふんだんに使われ、キョウや護衛兵にはボリュームが有るが、一般的な食材と分かれている。
これはカインの入り知恵だろう。リオは別として、他の者が王族と同じ食材で、もてなわされる訳には行かない。
リオは料理を見て、純粋に歓喜の声を上げた。
「これ、すごいね。キョウ見て、黒いブツブツこれ何だろう?」
「それは鮫の卵の塩漬けじゃ。パンに乗せて食べると旨いぞ」
「聞いたことある。これがそうなんだ」
リオはレナ姫に他の食材の説明も聞く。レナ姫も面倒くさいがらず丁寧に説明していた。そして、給仕がグラスに水を注いたとき、扉が勢い良く開いた。