第1話
私は薄グレーの、もやもやとした空気の中にいる。
四方八方から、薄汚い誘惑、罵倒、堕落した愚痴さが聞こえてくる。
そう、ここは、「THE 大人の世界」
それも、欲どおしく、資本主義社会の
サバイバルを駆け上がり、ピラミッドの上層部に腰をおろす、嫌われ者たちの溜まり場だ。
PM11:00。
彼らのくだらない自慢話がはじまる。
どんなモデルとやった、CD何枚売れた、M&Aが成功した、ブログのランキングが何位だ、新車の乗り心地、有名ブランドのオープニングパーティーの時間、海外の別荘の話、靴にどれだけお金をかけたか、エアラインのステータスの話・・・
0が五桁のアルコールを飲みながら、「友人」という名のライバルたちと、今夜も同席する。
私は、妻の父が経営する、一部上場企業の役員である。半年前に子会社も作り、業績もいい。
素朴なサラリーマンの家庭で育ち、とりわけずば抜けた才能があるわけではないが、甘いマスクと、爽やかな性格で、兼ねてから女性に苦労したことはなく、妻からも、見初められる形で結婚した。
妻と出会ったのは、14年前、お互い学生で、ちょうど流行りはじめていたサークルで知り合った。
当時、高校時代から付き合っていた彼女がいたが、彼女の両親が経営するコンビニの売れ行きがあまりよくなく、彼女自身も、お店に出ることが多々あるようになって、私自身も、華やかな令嬢とのデートに浮き足立ち、次第に彼女のことを疎ましく思いはじめていた。
25歳、少し早いかとは思ったが、義理の父のすすめもあり、妻と入籍した。
将来のポストが約束されていた。
元カノとは、入籍するまで、二股という形で関係は続いていたが、ある時、彼女が妊娠したというので、慌てて堕胎させた。
将来のポストを手放したくなかった。
入籍したと告げた次の日から、彼女の携帯は着信拒否になっていた。
結婚生活がはじまり、妻の浪費癖が発覚した。
渡したお金はすぐにブランド品に消えていく。
料理もしたことがないので、毎日あり得ないほど不味いメシを食わされた。
後悔していた。
アイツだったら、こんなに浪費しないだろうに。
料理もしっかり作って、あたたかい家庭が築けただろうに。
子供も、今はいらないと言う。
化粧臭い妻の派手派手しい部屋を見る度、彼女のことが恋しくて仕方なかった。
妻を抱く気にもなれなかった。
私はある日、妻に、金は渡さないと怒鳴り、実行した。
妻は怒って、何か言ってきたが、パジャマのまま、マンションの外に力ずくで引っ張り出した。
寒い冬の夜だった。
妻が、「寒いからあけて!」
と悲痛な声で、何度も叫んでいる。
私は無視をした。
何度もドアをガチャガチャする音が聞こえた。
私がドア越しで「すいませんと言え!」
そう怒鳴ると、不貞腐れたような声で「すいません」と聞こえた。
「なんだ!その言い方は!もっかい言ってみろ!」
「・・・」
「あ?聞こえねえぞ!」
「すいません」
私は鍵を開け妻を中に入れた。
「寒いから早く閉めろ!」
とも付け加えた。
この日から、妻の様子が変わっていった。
朝起きてこなくなることが多くなり、昼間もずっとベッドで横たわっていた。
ある日、妻が、風邪を引いたので、医者に行きたいから、金がほしいとベッドから言ってきた。
私は、その窶れた妻の姿に無性に腹が立ち、
「カネカネうっせえんだよ!」
そう怒鳴りながら、寝ている妻の顔に財布を投げ付けた。
妻との結婚は、出世のツールとしての一つにしかなくなってからは、
いかに義理の両親はじめ、周囲に悟られずに、妻を虐待するかが趣味のようになっていた。
幸い、妻の両親は、経営者にもかかわらず、人が良く、とりわけ、表のマスクが甘い私には、疑うことをせず、いつも自分たちの娘を卑下し、私はそれに居心地の良さを感じていた。
妻の性格も、派手好きではあるが、さっぱりしており、育った環境からか、人の裏をかくことをあまりしない。
医者では「うつ病」と診断されたそうだが、妻にも周囲にも、妻自身の怠けからくるものだと、自分を正当化し保身した。
私の饒舌さに、誰も疑いはしなかった。
ふと、隣のテーブルに目をやると、かつてITブームだった時に一儲けした、メディアでもよく見かける新興系の社長だ。
白のデニムに、黒のトレーナー。
ラフな格好だ。今はジーンズとはいわない。デニムだ。
ふと、学生時代が甦った。
アイツは今どうしてるんだ・・・。
周りの喧騒が遠くなり、彼女に堕胎させた時のことが思い出された。
手術が終わってから、泣いていた彼女に
「いつまでもメソメソすんな!」
そう怒鳴ると、睨み付けるような目で私を見た。
あの時彼女は恐怖心や罪悪感と戦っていたのだろうか?
私にすがりたかったのだろう・・・。
3年前の胆石の手術の痕を手でさすった。
身体の傷みなら、そのうち消えるが、心の痛みは、相手にも、自分にも、植え付けられ、ふとした時に、胃が締め付けられるように甦る。
まるで、雨の日のような色だ。
そう、どんなに晴天の太陽の下でも、きらびやかなライトが当たる場所でも、私の心はいつもグレーだ。
ある日、妻が失踪した。
仕事から自宅に戻ると、クローゼットの中の妻の物が全てなくなっていた。