二:『会議中ですが。』
パンノニア学園に理事会はない。
重要な国策機関でもあるこの学校で、何かしらの判断が必要となる場合には教職員、及び国から派遣された役人が合同で会議を開き、学園全体としての意思決定がなされる。
その決定は学園において絶対であり、この学園の事実上の最高権力、司法、政治機関であった。
「……以上が、私が聞いた話の全容です」
臨時に招集されたその会議の席で、ペルチェは二人から――アイナと自称魔王の男から聞いた話を、一字一句洩らさず報告した。
今回の議題であり、学園の今後を左右しかねない程の事態についての判断を仰ぐために。
「それは……確かに真の話なのですか?」
教職員の内の、比較的若い一人が遠慮がちに呟く。言葉には出さないが、「そんなものが信じられるか」という感情がありありと見てとれた。
仮にも学園の長たる者にそんな態度をとれば、叱責する人間が出そうなものだが皆押し黙ったまま、彼を咎めようとする声は一つも出ない。皆表情に出さないだけで、彼と同じ事を考えていたからだ。
だが、
「事実、遺跡が何者かに襲撃を受けたという報告は来ています。断定は出来ないでしょうが……彼らの話を信じても、特に問題はないかと」
役人だけは何の躊躇も見せず、いつもの事務的な口調で話を受け入れることを促した。
政府の方でも何かしらの情報は得ていたのだろうか、その様子は極めて冷静である。その態度が気に入らなかったのだろう、壮年の男教師が怒気を孕んだ声で言葉を返した。
「問題はないだと?我が校の生徒が魔王を復活させたことの、何処に問題がないと言うのだ!?」
「そうだ!もしそれが本当なら我々の、いや、この国の責任問題に発展しかねないのだぞ!」
「第一、原因の生徒はあのアイナ・ラディスですよ!これが彼女の与太話ではないと、どうして言えるのです!」
男に続いて、他の教師も口々に異議を申し立てる。だがその主張はバラバラで、この事態が与える学園への悪影響を恐れる者から、話自体を真っ向から否定する者もいた。
論点がずれているのだから、その論争が終わる訳もなく。各々の主張の応酬で、会議の場は狂騒と化した。
――馬鹿ばかり、か。
その輪に加わることもなく、役人は他人に気取られない程度の嘲笑を浮かべる。
魔王の復活に対して、政府は特に危機感を抱いていない。むしろその情報だけが先行し、国民が変に騒ぎ立てること―――彼の目の前で繰り広げられる、この乱痴気騒ぎのような―――それを一番に恐れていた。
だからこそ、その事実を公表するような事態だけは避けるよう、彼には厳命が下っている。しかしその命令も杞憂であったと、教師達の様子を見て彼は確信した。
学園の評判や自身の保身に走る教師達が、黙っていても情報の隠蔽と工作に尽力してくれることが容易に想像出来たからだ。
「……皆様。私の方から、提案があるのですが」
場が十分に落ち着くのを待って、彼はそう切り出した。
「提案、ですか?」
初めにペルチェへ疑問を投げ掛けた教師が、神妙な面持ちで答える。
政府が特に行動を起こすつもりがない、というのは役人の態度から皆薄々感じ取っていたし、少なくとも大事を前にしているようには見えなかった。それはつまり、政府は何かしらの明確な答えを用意している、という意思表示でもある。
この事態を上手く収める、何かが。
「彼―――魔王を自称する男ですが、我々に敵意はない。そして身柄の安全、社会的に生きるための土台を求めている。これは間違いないですね?」
役人の問いに、ペルチェは黙って頷く。だが何人かの教師は叫びを上げ、それに反論した。
「馬鹿な、敵意がないなど信じられるものか!」
「社会的な安全と土台だと?ふざけるな、認められる訳がない!魔王がどんな奴かは歴史が語っている!」
「そうだ!いっそ我々で討伐隊を作り、問題の生徒共々―――」
その教師が口にしようとした“それ”の続きは、決して言葉にされない。
突如として後方へ吹き飛ばされた彼は、そのままの勢いで壁に激突。一瞬で意識を手放した。
「「「……」」」
誰がやったか、などとこの場で考える者はいない。魔法使いの誰かであるとは推測出来るが、追求する気も起きないし、教師として一線を越えかけたその男を心配する者も、誰一人としていなかった。
やがてコホン、と役人が一つ咳払いし、何事もなかったように説明を続けた。
「重要なのは、魔王が自らの存在を開示しない……つまり身分を偽ることを拒否していない点です。我々の考えでは、魔王に対し偽りの身分と戸籍を与えることについては吝かではありません」
「……だが、それでは奴を野放しにしておくことにならんか?」
先程の事が少し頭を冷やしたのか、反論する教師の声は多少冷静だった。
役人もそれに合わせ、比較的真面目な調子で返す。
「その心配はあります。ですので我々としても、当事者である皆様方としても、魔王は近くに置いておきたい。これに異議は?」
勘の鋭い者ならば、この時点で彼の“提案”とやらの予想がついただろう。事実それを聞いた直後、数人の教師は「まさか」という顔で役人を見た。
しかし殆どの教師は黙って首を振り、彼の言葉を待つだけに止まったのだ。
彼は満足そうにその様子を眺め、話を続けた。
「分かりました。そこで、物は相談となりますが……魔王をこの学園の教職員として迎える、という案は如何でしょうか?」
……その言葉をすぐに理解出来たのは、どれ程いただろうか。
予想外の提案がなされ、ざわめきが会議室を満たしたその頃。
渦中の二人は、学園の図書室にいた。
「……魔王様」
来た時からずっと、一心不乱に本を読み続けている傍らの男を、アイナはそう呼んだ。
それに気づかないのか、魔王と呼ばれた男は黙々と本を読み耽っている。無視された、という思いはない。それ程まで彼が集中しているということだろうし、その理由も十分分かるものだった。
――一〇〇〇年前、か。
魔王が封印されてから今までの時間がどれ程長いものだったのかを、アイナは改めて知った。
「……そこの小娘。今の暦名と年代を言え、今すぐにだ」
封印が解かれた直後、魔王が最初に発したのは侮蔑でも叫び声でもなく、冷静な問いだった。新暦九七九年、と正直に答えると、彼はアイナを疑うような眼で見つめる。
「新暦?何だそれは、ユリシウス暦に直すと何年になる」
「……えっ」
ユリシウス暦は彼が封印される前、当時の大国であったロゼリア皇国が使用していた暦であり、新暦の制定と共にその使用を終えている。
しかし歴史に造詣が深い訳でもなく、豆知識もない彼女にそれが分かる筈もない。突然浴びせられた質問に、ただ慌てることしか出来なかった。
「……人間社会で暦が変わって久しいほど、時が経っているということか……。ふん、この様子では俺の知識は“骨董品”だな」
魔王はその様子を見て、冷静な態度を崩さぬまま小さく、確認事のように呟く。
その直後に警備兵が襲いかかってきたため、会話は一度中断せざるをえなくなる。だが諦めた訳ではなく、二人共に遺跡から逃げ出し、追撃を振りきった所で、再び魔王の質問が始まった。
簡単な歴史の推移や、現代の魔法及び科学技術、現代常識―――彼の問いは段々と多岐に、深いものに変わっていった。アイナも最初は自分で説明していたものの、段々彼女では答えるのが難しい質問が増え、最終的には魔王自身が現代の書物を読む、ということで手を打つことにしたのだ。
アイナが一時の見受け先として学園を教えたのも、学園の図書室ならば魔王の疑問は全て解決するだろう、という推測が要因の一つを占めていた。
「……」
千年分の知識を必死に得ようとしている魔王の姿を、アイナはじっと、眺めるように見つめる。
本音を言ってしまえば、質問攻めにしたいのは彼女も同じだった。幼い頃からの憧れであり、半ば空想上の存在だった魔王が、手と手の触れ合う距離にいる。溜めに溜め込んだ十五年分の想いを、今すぐにでもぶつけたいのだ。
だが、あくまで好奇心の域を出ない彼女の都合と、緊急と必要性を持つ彼の都合。今はどちらを優先させるべきかなどと、考える必要もない。
その判断が出来る程度の気配りを、彼女は持ち合わせていた。
「……魔王様」
漸く読んでいた本を閉じ、軽く伸びをする魔王に声をかける。
魔王は少し驚いた顔でアイナを見ると、多少の呆れも含めてそれに返した。
「お前……まさかとは思うが、そこでずっと待っていたのか?」
「ええ、そうですが。どうせ会議が終わるのを待たなきゃなりませんし」
「その間は本を読まずに、と言われていた訳でもないだろう」
「ここらの本で興味があるものは、大抵読み尽くしましたから。魔王様の方が余程見ていて暇が潰せます」
「読み尽くした?……この量をか」
周りをざっと見渡しただけでも、数えきれないほどの書物が視界を埋め尽くす、この図書室。その中で自分が興味を持つ本だけを選び、それを全て読むという行為が、とても簡単なようには思えなかった。
それをさらっと言ってのける辺り、自ずと彼女の能力の高さが窺える。
――普通の小娘かと思ったが、只者ではないか。
自らを慕う少女に、魔王は見直すような視線を向けた。
「ところで……魔王様は、現代の知識はもう分かったですか?」
ふと、図書室に来た本来の目的をアイナが尋ねる。すると魔王は「フンッ」と鼻を鳴らし、馬鹿馬鹿しいとばかりに答えた。
「俺を誰だと思っている。概略程度ならば、あれとお前の話だけで十分に過ぎるわ」
「……ホントですか?」
「あくまで付け焼き刃程度なら、な。後は実際に生活する中で身に付けるしかあるまい」
彼もまた、とんでもない事をさらっと言ってのける。千年分の知識をこの短時間で、上っ面だけとはいえモノにするのがどれ程凄いことか、アイナに理解出来ないことではなかった。それが全く常識や価値観の異なるものであれば尚更である、という事も。
「……凄いですね」
アイナは素直に、称賛の言葉を送る。
「別に褒められることでもない。それより……あー、むぅ……」
「……何か?」
「いや、その……お前の名は何だったか、と思ってな」
「アイナ・ラディスですが。気になることでも?」
「そういうことではなくて……。まあ、少し待っていろ」
そう言うと、魔王は掌に魔力を集中させる。すると今まで何もなかった空中にリンゴ大の光球が現れ、それが輪を形作っていくと最終的に、ドックタグの付いたペンダントとして姿を表した。
――具現化魔法。
古来では非常に高等な魔法として扱われたそれは、現代では普通に見られる一般的なものとなっている。しかしそれは単純な形状の物に限られ、複雑な構造、紋様や刻印が刻まれた物を具現化出来るのは、その系統に優れた魔法使いだけだった。
ドックタグにはアイナの名が刻まれ、紐の部分はチェーンになっているそのペンダントは、間違いなく複雑だと言えよう。それを簡単な手品でもするかのように作り出した魔王の技術力は、最早規格外だと言って差し支えなかった。
「よし、これでいい。アイナにはこのペンダントを……どうした、何を驚いている」
「……魔王様って、本当に魔王様だったんですね」
「何を今更。それよりアイナ、これを常に身に付けておけ」
そう言ってペンダントを渡し、彼女に着けるよう促す魔王。何かしらの意味があるのだろう、その瞳は至って真剣だった。
アイナはそれを受け取り、自身の首に着けてから問いを返す。
「これは……?」
「そのペンダントは、俺の従者や側近に必ず着けさせた物だ。能力を少しだけ高める力もあるし、俺が危険に陥ったらそれを知らせる効果もある」
「……」
ペンダントからは確かに不思議な力が感じられて、アイナも体が多少軽く感じられるのが分かった。魔術的な仕掛けも施されているようで、彼女にその内容は分からなかったが、とにかく彼が言っていることが本当なのは分かる。
そうだとすれば、彼女にこれを渡した理由は、つまり。
「……私を魔王様の従者か側近にする、ということですか?」
「ん?嫌か?」
まるで予想外とでも言うように、アイナに問い返す魔王。
……アイナは黙って、首を振った。