一:『来ちゃいましたが。』
新暦――勇者が魔王を封印した年を元年とするそれは、既に九百と七十九年四ヶ月を数えていた。
人間の魔物に対する優位性が確立し、社会的な安定を得たのが新暦八〇年。長きに渡る魔物との戦いに終止符が打たれ、ようやく得た平和の中、人々が力を入れたのは文明の文化的、技術的な発達だったという。その「文明開化」と呼ばれる数百年に及ぶ大発展は、人間社会全般の文明レベルを押し上げただけではなく、以前までの文化も取り入れて残す場合が数多くあった。
その内の一つが「冒険者学校」の設立であり、戦士、魔法使い、盗賊、商人など、様々な特技や才能を持つ者をそれに合ったものに分類し、その才能を伸ばす教育機関として生まれた。中でも国家、及び名の知れた人物が創設した学校は最高級の教育環境が用意され、そこを出た学生は花道を歩く事が約束されたも同然だ、と言っても過言ではなかった。
魔法や科学技術が進歩し、数百年経った今でもそれは変わらず、多くの学生がそこに入学することを夢見て日々努力を続けている。
国立パンノニア学園。
数ある冒険者学校の中でも最大の規模を誇る、パンノニア連邦直下の冒険者育成機関である。
普通の教育機関が小学校、中等学校、高等学校、大学と四つに分けられている中、パンノニア学園は中学から大学までの一貫校として十年間、学生達に様々な技術を教え込んでゆく。
生徒を才能によって「戦士」、「聖職者」、「魔法使い」、「商人」、「盗賊 」の職業クラス(組分けとは別。組は通常の学校と同じ様に分けられる)に大別し、優良な成績を修める者はそれらをさらに細分化した「上位職クラス」として専門的な教育を受けさせる、という伝統的な教育方針には賛否両論あるものの、結果として学園は多くの優秀な人材を輩出し続けていた。
かと言って、エリート校特有のピリピリとした雰囲気に覆われている訳でもなく、むしろおおらかな校風に彩られた空気はのびのびとした、穏やかな学校であると言える。
その学園に一大事が舞い込んできたのは、つい先月のことだった。
「生徒が行方不明になった?」
学園長、ペルチェ・アリーナは別段驚くこともなく、淡々とその報告を聞いた。
傍から見れば薄情にも見える態度ではあるが、「またか」という感情がありありと浮かんだその表情を見れば、何らかの理由を察してもらえるだろうか。
ここ数年で何回目かも忘れてしまった報告に、ペルチェは続きを促した。
「中等部三年のアイナ・ラディスが、外出届に書かれた期限になっても戻らず、連絡もつかないそうです」
「……理由は?」
「出掛ける前に友人達と口論していたのが目撃されてまして、その時の話題が……その……」
「……」
予想が当たった事を知って、彼女は深く溜息を吐く。
アイナ・ラディス――生徒には失笑と、教師には溜息と共に呼ばれるその名前を学園内で知らないい人間はいない、悪い意味での有名人。
学業成績は良好、無口だが真面目な性格で、基本的には模範的な生徒であると言える。しかし、
「あの魔王贔屓さえ止めてくれれば、ねぇ」
狂信的とも言える魔王擁護が、それら全てを覆い隠していた。
新暦九七九年、魔王が封印されてから長い時が過ぎた現在では、アイナのように魔王や魔物を擁護する人物、活動団体は平然と存在している。しかし社会の大半には未だ魔王を害悪とし、敵視する風潮が根強く残っているのだ。
無論殆どが中庸的な人々ではあるが、中には極端な思想を持つ輩も確かに存在し、アイナはその後者に入ると言えるだろう。彼女が学生寮暮らしであることも災いして、周囲で衝突が起きることは珍しくなかった。
そしてその度に外出、探しにきた教師が見つけるまで図書館や古本屋に入り浸る、という何とも迷惑千万なことをやってのける彼女は、生徒にとっても教師にとっても関わりを持ちたくない少女だった。
「とりあえず、近場の本屋や図書館を探して。見つからなかったらまた私に連絡してちょうだい」
報告してきた男に半ば機械的となった返答を伝え、ペルチェは手元の書類に視線を落とす。
大事な仕事をこれ以上邪魔するな、と言わんばかりの雰囲気に臆したのか、男は了解の意を伝えると逃げるように学園長室を後にした。
足音が遠ざかったことをしっかり確認して……彼女はその書類を机の引き出しにしまうと、大きく伸びをした。
「あー……。やだなぁ、何で学園長ってこんなに面倒なんだろ」
先程までの様子とは打って変わって、若い女性の口調で一人愚痴る。実際彼女の外見は若々しい女性であって、どちらかと言えばこちらが素であるうようにも見えた。
事実そうなのだろう、机に突っ伏すと子供のように頬を膨らませ、誰に言うとも知らず文句を呟いた。
「ただでさえ多い仕事に、面倒起こす生徒……もうちょっと教員増えないかなぁ」
別段この学園は教師が足りない訳ではないし、仕事の量も教育機関の長としては常識的な量ではあるのだが、あまり事務仕事が得意ではない彼女にとって日々は激務の連続だった。
だからそんな愚痴が自然と口をついて、
「―――ほぅ、教師を欲しているのか?」
返ってくるはずのない返答に、心底驚いた。
「うひゃqあwせdrftgyふじこlpっ!?」
声にならない悲鳴を上げ、慌てて部屋の中を見渡す。彼女以外誰もいないはずの学園長室には、いつの間にか彼女ではない男女が二人、応接用のソファーに腰かけていた。
――いつの間に!
そう声を上げる間もなく、片割れの男が立ち上がる。
「そうだな……俺も久しぶりの外界で退屈していたのだ、少しなら手を貸してやろう」
傲慢に、されど嫌みにならない程度に抑えた口調。何処か威厳を感じさせる声は、若々しい容姿と合わさり不思議な魅力を醸し出していた。
男を何と例えればよいのだろうか、ペルチェはその答えを持たない。ただその代わりに、
「だ、誰ですか、貴方はっ!?」
精一杯の非難と威厳を込めて、男に問いかける。
すると彼は自信満々に、
「俺か?魔王だ」
そう言い放った。
――魔王。
彼女が今までに何回も聞いたことのある言葉であるはずなのに、これほど重みを持ったことはない。いつもなら軽く通り過ぎるその単語が、いやに心に引っ掛かる。
よく見かける紛い物とは違う、魔王たる雰囲気を纏ったそれは、まるで―――
「……貴方、まさか、本物の」
ついその言葉を口にしかけ、慌てて飲み込んだ。
有り得ない、有り得ることではない。本物の魔王は千年近くもの昔に封印され、古代遺跡で石像と化したままのはずだ。遺跡の周囲には警備兵も常駐し、何か異変があれば彼らが黙っていない。
しかし、
「ええ、本物の魔王様ですが。正真正銘間違いなく」
彼女の言葉を引き取った、二人組のもう片方――アイナ・ラディスが、その希望的観測をぶち壊すように答えた。
「ラ、ラディスさん!?一体いつの間に……」
「……魔王様と一緒にここに来ましたが、気付かなかったですか。薄情な教師ですね」
避難するような口調ではあるが、決してその声に怒った様子はない。
むしろ悪戯が成功した子供のごとく、少しの笑顔を浮かべてアイナは言葉を続けた。
「随分と大変だったのですよ?魔王様の封印を解く方法を探すことから始まって、ようやく見つけても準備に手間取ってしまいましたし。やっとのことで封印を解いたと思えば、そこの警備の人達がわんさか押し寄せてしまってもう大混乱に」
「……え?」
「その時は魔王様のお力で何とかなったんですが……やはり一度身を隠そう、という話になりまして。そこでこの学校のことをお話ししたところ、いきなり魔王様が転移魔法で―――」
「ちょ、ちょっと待って!待ちなさい!」
慌てて話を遮ったペルチェは、何が何だか分からないといった風に頭を抱えた。
この二人が言っている事は俄には信じ難い事であって、話を裏付ける証拠はない。しかし魔王と名乗った男の持つ雰囲気は、間違いなく人の上に立つ者のそれである。たったそれだけの事実が、話に妙な真実味を持たせている。
だがいくら話が本当のようであろうと、突拍子もないものをいきなり信じるほど、彼女も馬鹿ではなかった。
故に、
「……詳しい説明を求めます。ソファーにお掛けなさい」
じっくり、二人の話を聞くことにした。