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「げえぇっ!」と叫ばれる痣もち公女ですが、国王陛下の溺愛にドップリ浸かっておりますので、ご心配なく!

作者: 若松だんご
掲載日:2026/07/01

――げえぇっ!


わたしを前から、逃げ出した男。

わたしへの求婚者。

なにが「げえぇっ!」なのか。その理由はわかっている。叫ぶ心境も、わからないでもない。

けれど。


(「げえぇっ!」って叫ばれていいのは、カンウだけでしょ)


カンウなら言われても仕方ないし、言われるのも当然……って。ちょっと待って。


(カンウってなに?)


冠羽? 違う。それは、オウムとかの頭にあるみょんっと伸びた羽根のことだ。

換羽? 違う。それは、古い鳥の羽根が抜け落ちて、新しい羽根に代わることを指す言葉。

じゃあ、わたしの思い出した「カンウ」は? それも、「げえぇっ」なんて言葉のひっついた「カンウ」はなに?


関羽だ。


姓は関、名は羽。(あざな)は雲長。

関羽雲長。一般的な呼び方だと関雲長。(基本、名の「羽」は呼ばない。呼んじゃいけない)

古代中国後漢末期、三国時代、蜀の武将で、とっても長くて綺麗なお鬚だったから「美髯公」とも呼ばれる人。どういうわけか、華僑から関聖帝君として、恵比寿さま的扱いで商売繁盛を期待して関帝廟に祀られてる――って。


(わたし、なんでそんなこと知ってるのよぉぉ――っ!)


つらつらと、関羽に関する情報が出てきて、自分でもビックリ、オーマイガー!

本気で頭を抱え、膝から崩れ落ちる。

だって。


(ここ、どう見ても、ヨーロッパっぽい世界じゃん)


わたしの着ているもの。中世ヨーロッパかファンタジーで見そうなドレス。チュニックっていうんだっけ。クリノリンとかパニエとか。そういうスカート膨らまし材料の入ってないドレス。髪も複雑に結い上げたりしてない。流すように下ろしているだけ。

わたしが居る場所も同じ。いくつもの柱。装飾のついたアーチ状の梁が高い天井を支えている。


(って。この情報もドコ情報なのよぉぉっ!)


知らない記憶の大洪水。

ヨーロッパってなにさ。ファンタジーってなによ。

なんだけど、それはストンとわたしのなかで理解できる文言で。


(これって、いわゆる「異世界転生」ってやつ?)


最後に、まったく知らないはずだけど、理解できちゃう言葉が来た。


異世界転生。


それは、現代で過労死とか事故死した不遇な人物が、「ここは、あのゲームの世界?」みたいなかんじで登場人物に生まれ変わって暮らしてるってやつ。

転生先は、ゲームだったり小説だったりいろいろするんだけど。転生する人物もヒロインだったり、ヒロインをイジメる悪役だったりするんだけど。

そうして、「知ってる物語通りの未来は嫌」とかなんとかで、必死に格闘するのが、その転生の醍醐味だったりするんだけど。


(ここって、何の世界なのよぉぉぉっ!)


わたし、知らない。

ゲームっぽい、ファンタジーっぽいってのはわかるけど、わたし、ゲームなんてほとんどたしなんでない。漫画だってアニメだって小説だって同じ。学校出て、就職してからというもの、そういうものを嗜む余裕なんてなかった。仕事と仕事と仕事と、アパート帰って寝るだけ。友達と遊ぶとか、恋人と戯れる――なんてこともなかった。悔しいけど。

そんなわたしが、異世界転生?

そしてただいま、婚約(予定)者に、「げえぇっ!」で逃げられ中。

これ、なんの物語よ。いきなりハードモードな気がするんだけど。こんなので、ハッピーエンドを目指せるわけ?


「大丈夫かい、アリックス」


ガックリ膝落ちしたわたしを、そっと後ろから慰めに近づいてきた人物。


「父さま……」


「なにが『げえぇっ!』ですか。『げえぇっ!』と言いたいのはこちらですわ!」


「母さま……」


わたしの両親。お二人とも、服の裾が汚れるのも気にせず、わたしを囲むように膝をつく。

わたしが、「げえぇっ!」で逃げられたことにショックを受けて膝落ちした。そう思って慰めてくださってるのだろうけど。


(そっちじゃないんだなあ)


そりゃあ女の子だし? 多少のショックはあるけど。

膝落ちは、一気に思い出した「前世」ってやつから。

わたし、物語テッパンな「異世界転生」をしちゃってたわけ?

そっちのが、ショックの比重が大きい。両親には悪いけど、逃げられたことにあまりショックは受けてないんだな。実は。


(この顔だから、仕方ないわよね)


という所感。

父さま譲りの銀の髪。乳母や侍女たちが頑張って手入れしてくれているおかげで、流れるようにクセがなく、光り輝くように美しい。顔立ちは母さま譲り。ツンと立ち上がった鼻、小ぶりな耳。体つきだって、華奢ではあるけど、出るとこ出て、引っ込むべきところはキュッと引き締まってるナイスバデー。目の色は、亡きお祖母さまと同じで、新緑を思わせる黄緑色。

白く透き通るような肌。

そして、エナルディア公の一人娘という立場。芳紀十七。

こんな好条件、婚約者なんて、より取り見取り、選び放題。求婚者の来訪なんて、のべつまくなし、ひっきりなし。

のはずなんだけど。


(この痣が……ねえ)


そっと額に手をやる。

乳母たちが頑張って髪で隠してくれていた痣。それは左の額から頬にかけて広がっている。

生まれた時からあったもので、両親は名医と呼ばれる者たちに、かたっぱしから治療を依頼したが、結果ははかばかしくなく現在にいたる。

他にも、祈祷師だの占い師だの、かなり怪しげな人の手も借りたけど、結果は同じ。それどころか、「この痣は、前世の報い」だの「エナルディア公家に恨みを抱く者の呪い」だの、へんな因縁もつけられた。(で、呪いを解くための祈祷料をせびられる)

そして極めつけが。


公女の痣は、真に公女を愛する者の「愛」によって消え去る。


というものだった。――大爆笑。

医者も誰も消せないってのに。

あっ、愛って、なにさっ。ゲラゲラゲラ。

すごいぞ愛。さすがだ愛。(←バカにしている)

まあ、その言葉を藁にも縋る思いで信じているのが両親。

娘を真に愛してくれる者が現れれば。そうしたら娘の痣は消える。

だから、何度でも(一応のふるいをかけてから)誰彼構わず、愛してくれそうな若者を連れてくるんだけど。


(でも、その占いが真実だったとしてもねえ)


この痣がある限り、真に愛する者なんて現れないでしょ。さっきみたいに、「げえぇっ!」って関羽レベルで怯えて逃げられるのがオチ。

なんだけど。


「こうなったら、アナタ! 次ですわよ、次!」


「そうだな、次だ、次!」


母さま、父さま、全然諦めてない。

百人集めて、百人「げえぇっ!」なら、二百人。二百人でダメなら、三百人、四百人。

そこにたった一人の「真に愛する者」がいることを信じて。

広大な砂漠の中の、たった一粒の真珠を探すような、途方のないことだとしても。


(別に、修道院とかに入ってもいいんだけどなあ)


この痣のせいで伴侶が見つからないのだとしたら。

わたしは一生独身のまま、修道院で暮らすってので構わない。家や領地は遠縁の親族にでも委ねてさ。

一人娘だからって、そこまで頑張らなくてもいいのに。

思うけど、ここまで必死になってくれている両親に、「修道院に行きます」とは言えない。言いにくい。

これが、「家のため~」「家名存続のため~」ってのなら、慰めてくれるこの手を振り切ってでも修道院に行くのだけど。


「大丈夫よ、アリックス。あんな上っ面しか見てないような男は、こっちから願い下げですわよ」


「そうだとも。アリックスは、誰よりも優しくて、誰よりも賢明な子だ。それを知りもせずに逃げ出すような奴、アリックスの相手に相応しくない」


真にわたしを思ってくれている人って、この両親じゃないかしらってぐらい、愛が深い。


「待っていろ、アリックス。父さんが、最高にいい相手を見つけてきてやるからな」


こんな両親に、「修道院行きでいいです」とは言えない。


「はい、お父さま」


見つかるわけない。けれど、頑張ってくれている両親の気持ちに、水を差すわけにもいかない。


(二十歳も過ぎれば、諦めてくれるかしら)


そんなことを思う。

結婚適齢期、二十歳を過ぎて、行き遅れてしまえば。

その間に、「これは!」と思う男に会って、「げえぇっ!」で終われば。

そうすれば、父さまたちも諦めてくださるかしら。

「げえぇっ!」をくり返されて、わたしのライフは0になってしまうだろうけど。


          *


なーんて思っていたんだけど。


「あっ、アリックスっ! たっ、大変だっ! おっ、お前の結婚相手ができたぞ!」


最新の「げえぇっ!」から半月後。

父さまが、息せき切ってわたしと母さまの元に走ってきた。


「結婚相手?」


「できたって、アナタ、どういうことですの?」


いつもなら、乳母たちが腕によりをかけて美しく装って、面会三秒「げえぇっ!」で破談になるのに。それが、結婚相手ができた?

理解できない母さまと顔を見合わせ、それから近くにいた侍女から水の入った杯を受け取った父を見る。


「けっ、結婚の申し込みがあったんだ!」


水を飲んで、少しだけ息が整った父さま。でも興奮は収まってない。


「結婚の申し込みって……」


わたしの痣のことを知らない人? それとも、エナルディア公の領地ほしさに、その辺を無視する人?


「聴いて驚け、こっ、国王陛下だ!」


――え?

――――は?

コクオウ……ヘイカ?

一瞬、わずかゼロコンマ何秒だろうけど、文字の変換が追いつかない。――が。


「って、国王陛下ぁぁぁっ⁉」


「そっ、それは本当ですのっ⁉」


わたしの声もひっくり返ったけど、母さまの声も上ずっている。

そりゃあそうだろう。わたしの結婚相手が決まったってだけでも驚きなのに、その相手が国王陛下だなんて!

聴いて驚け、見てビックリ。驚天動地。石破天驚。青天の霹靂。センセーショナル。


「こっ、国王さまは、この痣のことをご存知ないのかしら」


疑問が浮かぶ。

この痣のこと、わたしがこの痣のせいで、「げえぇっ!」に遭ってること知っていれば、絶対結婚相手にわたしを選ぶようなことはしない。

国王陛下の妻、つまり王妃ともなれば、その家柄血筋はもちろんだけど、美しさというのも重要になってくる。王妃の美しさは国王への支持につながる。極端な話、血筋がよく美人であれば、脳みそ空っぽアッパラパーでも構わないのだ。

それなのに。


「知っていると思う。知っているはずだ。なぜなら、わざわざアリックスをご指名なのだからな」


「はあっ⁉」


「この縁談は、儂が持ちかけたものではないのだ。国王陛下のご使者が、お前を王妃にしたいという陛下のご意向を持ってこられたのだよ」


「なんで?」


王妃を選ばなくてはならない。

それはわかるけど、それなら使者を派遣する前に、相手の身辺調査的なものは行ってるよね。

わたしがエナルディア公の一人娘で、将来女公として領地を引き継ぐこともご存知のはず。そして痣のせいで「げえぇっ!」に遭ってることだって。

その上で、すべて承知の上でわたしを王妃にしようっていうの?


(やっぱり血筋かしら)


エナルディア公は、王国の中央からやや外れた中西部に土地を有する、ちょっと小さめ領地の公家。父さまは、あまりそういうことに興味がないようだけど、その権勢は王家に劣らないだけのものはある。

わたしの顔は見れたものじゃなくても、その領地からの収益、権力は欲しい。だから噂なんて気になさらないのかしら。


(まあ、顔なんて見なくてもそういうことはできるし)


下世話な話。

部屋を暗くして、顔さえ見なければ。「げえぇっ!」もなく、ことを済ませることはできる。痣は顔だけで、体には何の問題もないしね。何回かそういう関係を持って、子さえ産まれてしまえば、後は好きなだけ美人の愛妾を囲ったらいい。そういうお考えなのかしら。


(そういえば、国王陛下って、離婚なさったばかりだっけ)


国王レオン・アルテュール陛下。

たしか、今年で26歳。そしてバツイチ。

去年、三年連れ添った王妃と、「二人は又従兄妹で近親婚にあたる」「三年経っても子が生まれない」ことを理由に離婚した。

前王妃、15歳。結婚して一度も閨を共にしないままの離婚だった。

「ベッドを共にしないで子ができるかーっ!」

誰もがツッコんだ。

王妃が幼いことを理由に、そういうことをしなかった国王。それで子ができないから離婚って。もしそれで子ができていたら王妃さまはマリアさまだよ。処女懐胎。

12歳の少女と結婚して、手を出さなかったというのは、称賛に値するけど、だからってこの離婚理由はクソすぎる。

まあ、前王妃さまは離婚直後に再婚なさって、お相手とお幸せに暮らしているらしいからいいけどさ。

そんな国王陛下。

わたしと再婚なさって、この痣を見て、「やっぱナシ!」ってなったらどうするんだろう。バツ二になるのかな。それでもいいのかな。

まあ、いいわ。


「承知いたしました、父さま」


スッと立ち上がり、胸に手を当てる。


「わたし、王都に、国王陛下のもとへ参ります」


ダメなら帰ってくればいいものね。

父さまだって、こんな「どこからどう見て家柄、遺産重視です!」な結婚話なんて蹴っ飛ばしてやりたいだろうに。それでも逆らえなくても持ってきたのは、国王命令だから。

それを、わたしが「嫌」を言うわけにはいかない。

父さまを困らせるわけにはいかない。

それに。


(もしかしたら、痣の呪いが消えるかも――ね)


一縷の望み……というわけじゃないけど。そうなったらラッキーじゃん?

占い通りに、陛下から愛されることで痣が消えれば。

ダメでもともと。当たればラッキー、めっけもん。

それぐらいの気持ちでの決意。


「でも、いつでも辛くなったら帰ってきていいんだぞ。国王なんて我が家からしてみれば、大した相手じゃないんだからな」


「そうよ。女の子は愛されて望まれて結婚するのが、一番なんですからね。気に入らなければ、アナタが蹴っ飛ばしてきてもいいのですよ」


……父さま、母さま。

お願いだから、決意が揺らぐようなことはおっしゃらないでください。


          *



「ふぅん。やはりすごい痣だな」


上座、数段上った先にある玉座に腰かけた男が、顎に手を当て、わたしを見下ろす。


(だから、ベールを取りたくなかったのよ!)


謁見の間。

わたしが歩いてきた赤い毛氈の両脇に並ぶ貴族が、ベールを取ったことで現れたわたしの顔におおいにどよめく。


――噂通りだな。


そうですよ、噂通りの公女です。


――あの痣でよく顔を見せられたな。


別に見せたくて見せたわけじゃないです。ベールを取れとクソ王が命じてきたから、仕方なく顔を見せただけです。


――げえぇっ!


ウルサイ。

定型文の感嘆の声を上げるんじゃない。

王の前でベールを被ったままは不敬だとかなんとか。そういうこと言って、ベールを取れって命じてきたから取っただけ。本当なら、わたしだって顔は隠しておきたかったわよ。

むかつくから、昂然と顔を上げる。恥ずかしがったり、悲し気に俯いたりなんてしてあげるもんですか。

キッと、諸悪の根源クソ王を睨みつける。

アンタが嫁にするって言ってきたんでしょ。アンタがベールを取れって言ったんでしょ。

だったら、悪いのはアンタじゃない。このクソ王。

さあ、次はなに?

こんなひどい痣だとは思わなかった。こんな醜女は王妃に相応しくない? こんな女、離婚だ! ――かな。まだ結婚してないけど。


「フフッ。なかなか気の強い女子(おなご)のようだな」


ゆっくりと、それでいて尊大に立ち上がった国王。そのまま段を降り、わたしに近づいてくる。


「よい顔立ちをしているのに。もったいないな」


痣のこと?

クイッと顎を持ち上げられ、しげしげと顔を検分される。


「まあ、気の強い女子(おなご)は嫌いではないぞ。その顔立ちとの落差に、――そそられる」


そっちかーい!

昂然と顔を上げ続ける気の強さ。

国王を睨みつけるような気の強さ。

その辺が、顔に似合ってないと言われた?

ニカッと笑った国王。


「気に入った! そなたを我が妃とする!」


はあああっ⁉


――嘘だろ?

――嘘でしょ?

――あんな痣ある女を?


広間が揺れるほどどよめく。

国王が、あんな醜女を妃にするのか? あんな醜女を、我らの王妃として戴かねばならぬのか?

なかには、「ああっ」と女性らしい呻き声も聞こえた。倒れるような音も。。

けれど。

スッとわたしの前で膝を折った国王。


「アリックス・エナルディア公女。どうか余の妃になってはくれまいか」


わたしの右手を取り、もう片方の空いた手を自分の胸に当てる国王。

濃い金色の、獅子のたてがみを思わせる髪。彫の深い均整の取れた顔立ち。中でも印象深い、深いふかい青の瞳。体格もよく、騎士だと名乗っても申し分のないいい体をしている。

中世のイケメン騎士って、たぶんきっとこんなかんじ。

そんな風に思わせる王が、わたしの前に跪いて、わたしに妃になってほしいと願う? 


(嘘でしょ?)


貴族じゃなくてもそう思うわ。


(これって、何かの罰ゲーム?)


よくあるじゃない。勝負で負けたとかで、クラスの底辺女子に告白するってやつ。クラスのイジメられっ子男子が、カースト上位男子から命じられて、同じく底辺の女子に告白をさせられるっていうパターンもあるけど。


(誰よ、こんな罰ゲームを国王に命じたの)


それも、わざわざわたしを呼び出して。国王に命じていい罰じゃないわよ、こんなの。

あとで、「これは冗談でした」「罰ゲームです」って言っても、収拾つかないからね。知らないわよ、どうなっても。


「――どこを見ている」


キョロキョロ、どこかに罰ゲーム発案者がいないか探していたら、罰ゲームを笑ってみてる奴がいないか見ていたら、グイッと取られていた手を引っ張り直された。


「えっと。ほ、本気ですか?」


こっちを見ろとばかりに、真っすぐにこちらを見つめる青い瞳に捕らわれる。

青い。青く吸い込まれるような瞳。ほとばしる真摯な眼差し。


「本気だ。余の妻は、そなたしかいない」


「……はあ」


マジか。

なんとも中途半端な声が出た。


          *


そこからは、「怒涛!」の一言だった。

わたしを王妃に迎え入れる。

国王がそうと決めたら、あとは早い。

正式に婚約が締結されたとして、領地で固唾をのんで待っている両親のもとに使者が派遣された。

挙式の日程。持参金、参列者のリスト、当日のドレスにあれやこれや。

決めること、決まってること目白押しで目が回る。目が回ってバッタンキュ~。体が一つしかないのが恨めしい。二つ三つあれば、オリジナルはゆっくり休んで、後は分身たちによろしくできるのに。

そんな前世知識でアホを考えるぐらい、目まぐるしく疲れたけど。


――健やかなるときも、病めるときも。常にこれを愛し、これを敬い、これを慰め、これを重んじ、これを守り、死が二人を分かつまで、愛することを誓いますか?


荘厳な装飾のほどこされた大聖堂。神々しく見えるように計算され、はめ込まれたステンドグラス越しの光の差し込む祭壇の前で。大司教の問いに「はい」と誓えば、わたしはこの国の王妃となる。

目の前の、国王らしく威厳に満ちた夫。

その夫が、わたしの顔も痣も隠していたベールをめくり、そして誓いの口づけを交わす。


――神と子と精霊の御名において。神があわせられたものを、人は離してはなりません。


ここからだ。

王妃となった以上。

よくわからなくても、選ばれた以上、やってやろうじゃないの。

大聖堂を出て、祝福に駆けつけた民の前に、夫とともに姿を見せる。

痣は、きっとどよめきを巻き起こすだろうけど。


「――アリックス」


わたしの手を取り、ともに歩いていた夫が、わずかに足を止め、こちらに手を伸ばす。


「ベール、下しておこうか」


ファサッと戻されたベール。

おかげで、痣を民衆に見られることはなくなったけど。見られて「げえぇっ!」に遭う心配はなくなったけれど。


(見せたくないのかしら)


こんな醜女を王妃にしたのかって、呆れられたくないのかしら。

軽くショックを受ける自分がいた。

そりゃあ、わたしだって見られて「げえぇっ!」は嫌だけどさ。でも、王妃となったからには、ずっと隠しておけることじゃないし。一回見せておけば、次に会っても「げえぇっ!」は言われなくて済むんだし。嫌だけど、見せておいた方が、後々楽じゃない?


「その愛らしい(かんばせ)は、余以外に見せないでほしい」


――は?


愛らしい? (かんばせ)

なんて仰々しい言い回し。そして、どこまでも嘘くさい言い回し。

醜いから見せたくないだけでしょ? 正直に言ったらどうなのよ。

薄いベール越しに、夫となった男を睨みつける。


(真に愛していたら、この痣も消えるはずよ)


公女の痣は、真に公女を愛する者の「愛」によって消え去る。


別に、信じていたわけじゃないけど。ワンチャン、ここがそういうファンタジー世界なら、それもアリかなって、信じてはないけど思っていた。

さっきの誓いのキスで、なんか神々しい光が発せられて、わたしの痣がパアアアって消えるとかなんとか。

でも、そんな奇跡もなにも起きてない。わたしの痣は醜くそこにある。

鏡を見たわけじゃないけど、それだけはわかる。

だから。


(嘘つき)


わたしを支える腕。手を預けたその腕に、思いっきり爪を立ててやりたくなった。

でも、それより。


(これからよ、これから!)


重要なのはそんなことじゃなくて。

この後の祝宴。それから床入り、初夜!

好きでもなんでもなくても、結婚した以上、そこは避けて通れないのよ。

前の王妃さまのように、「幼いから、結婚しても床入りいたしません」なんてのは通じないし。わたしが妃になった以上、この国の次代国王を産むのは、わたしの役目なんだし。

この男をどう思ってるか、この男がどう思ってるかは、そこに関係ないのよ。無視しなきゃいけない案件なのよ。

好きでもなんでもなくても、愛されていなくても、コイツとそういうことして朝チュンしなきゃいけないのよ。


(一回で子を孕めたらいいなあ)


それも、一番必要な王子を。できれば元気な子を。

そうしたら、コイツの嘘に腹立てることなく、王宮の片隅でひっそり生きていけるのに。


          *


って思ってたのに。


(なんで来ないのよ!)


祝宴から、早めに退出したわたし。

初夜を迎えるなら、そういうことをするなら、色々準備が必要でしょ。

お風呂に入って身ぎれいにして、あっちこっちにいい香りを塗りこんで(ドコとは、具体的に言わない)。髪も剝げそうなほど櫛梳った。

夜着も、この時用のとってもはだけやすく、脱げやすい(脱がしやすい)スッケスケのものを着た。ものすごく恥ずかしい。

結婚したのだから、子を作らなきゃいけないからってわかってるけど。こんなの痴女だよ。スケスケすぎて、燭台の灯り程度で、ハッキリと体のラインがわかる状態。

これで欲情してくれなかったら、恥ずかしさもあるけど、女としてのプライドが粉々になっちゃうだろうな。痣はともかく、体だけならそう悪くない、女として立派に育ってると思ってるから。これで萎えた、興味ないなんて言われたら、……ねえ。

なーんてモヤモヤドキドキしてたんだけどさ。

来ないのよ、アイツ!


祝宴が長引いてるのかな~。これからですな。お楽しみですな、イヒヒ。


みたいなこと言われてからかわれてるのかな。

そう思ってたけど。


さすがに長すぎない?


丸い月は、中天に差し掛かるどころか、西に向かって落ちていく時刻。

日付、変わった。

そんな時刻まで新郎を留めおく輩がいたら、それは非常識が過ぎる。結婚初夜の新郎は、新婦のものでしょ。


(だからって、こちらから「まだですか?」とは訊けないし)


まだですか?

早く来てくださいよ。そして出すもの出して、子を授けてくださいよ。


(言った時点で痴女決定)


痣がどうこう言うレベルじゃないわよ。速攻離婚。いや、離婚して一生実家に潜っていたいレベルの大恥。


(あーあ。なんで結婚しちゃったのかなあ)


寝台に腰かけ、ポスッとそのまま上半身を寝台に預ける。

結婚しなかったら。そうしたら、こんなモヤモヤすることもなかったのに。

でも、結婚しなかったら、父さまたちを心配させてしまう。母さまなんて、痣つきで産んでしまったばかりにと、ご自身を責められるだろう。

だから結婚した。

だから結婚を承諾した。

あの国王、わたしの痣を見て「げえぇっ!」って言わなかったし。

王として感情のコントロールが上手いとしても、眉一つ動かさず、爽やかな笑顔を浮かべてた。あれが芝居だとしたら、驚嘆に値する。

わたしの痣に顔をしかめないのは、両親と乳母、それと長年仕えてくれている使用人だけだったから。


(それに……。笑ってくださったから)


わたしに求婚してくれた時、笑ってくれたから。

わたしに、真摯な眼差しを向けてくださったから。

家族以外で、そんな目を向けられるの、初めてだったから。

だから、ついつい絆されて結婚してしまった。流されるままに、アレの妻になってしまった。既成事実はまだだけど。


(でも本心は、わたしなんて相手にしたくなかったってところかしら)


いくらなんてもこんな時刻にまで、ここを訪れないってのは、そういうことなのかしら。

勢いで決めてしまったけど、やっぱあんな醜女なんて、抱けないわ~。萎えるわ~。

妻にするなら、もっと見目好い女にすればよかった~。

でも、アレの父親の領地がなぁ。あの領地から上がる財源は無下にできないんだよなぁ。

そういうところかな。

式の後も、わざわざベールを下ろしてきたし。「愛らしい(かんばせ)は自分以外に見せるな」的なこと言っていたけど、あれは大嘘で。本当は「そんな醜い顔を、皆に見せるな」だったんじゃない?


(そうよ、そうに決まってるわ)


思考が、結論が最悪の方向に転がっていくのを止められない。


(まあ、いいわよ)


結婚はできたんだし? 父さまも母さまもこれで安心してくださるでしょ。

あのクソ国王だって、領地からの収入で懐潤って、ウィンウィンでしょ。

子が欲しかったら、ちゃんと閨事しなさいよ。産んであげないとは言わないから。子が生まれないのは、そっちが悪いんだからね?


(これって、よくある「君を愛するつもりはない」って展開になるのかな)


政略のため結婚したけれど、「愛し合うつもりは毛頭ない」的な。そして、「押すな、押すなよ?」みたいに、宣言と真逆の展開、夫から超溺愛されるっていう、そういうパターン。


(ないわね)


自分で考えて、自分で否定。

そんなうまい話は、前世で読んだ漫画だけで充分よ。


(アッフ……。眠い)


夜中だし、今日一日疲れたし。

どうせやってこないし。待っているのも飽きたし。


寝ますか。


トロンと下がってくる瞼に逆らわず、心地よい眠りに落ちていく。

そういうことをしやすいように、柔らかく整えられた寝台は、疲れたわたしの意識を、アッサリ夢も見ない眠りの中へと引きずり込んでいった。


          *


それからの「王妃」としての暮らしは、いたって平穏だった。

顔の痣。

それを隠すのに、ずっとベールを被ってるわけにはいかないから、頭に布を巻いて、その裾が顔を隠すようにしている。チラッとなら見えちゃうかもだけど、そんなしげしげとこちらを見ようって人もいないだろうってことでの妥協案。


(だって、あのクソ国王ですら、こっちを訪れないし)


新婚の初夜。

結局その日の夜、あのクソが寝所を訪れることはなかった。祝宴で泥酔しちゃったってのなら、次の日の夜にでもリベンジしにくればいい。けど、そういうことは一度も起こらず。それどころか、昼間の来訪もなにもないまま。


(別にいいけどね)


会いたいってわけでもないし。

それに、今更「ヤッてないのはまずいから、今からヤるぞ」って言われても困る。心の準備がとかそういうのより、「もうちょっと空気読めや」って気持ちが大きい。

ああいうのは、「結婚したぞ!」とかなんとかの勢いでやるもんじゃない? その場のノリっていうのかさ。怖いとか、好きでも何でもないしってのは置いといて。やらなきゃいいけないから、頑張ってクリアする。そういうもんじゃない?

だから、今更そういうのを言ってこられても困るっていうか。


(まあ、言ってこないからどうでもいいんだけど)


おかげで、王妃として何かを求められることもなく、「平穏」な日常が流れている。

朝は一人で起きて、侍女に身支度を手伝ってもらう。日中は誰かに会う、公務に出席するなんて王妃らしい仕事は与えられていないから、自分の好きなように過ごす。夜は一人で食事をして、一人で床に入る。

最初こそ、「もしかして今夜は訪いがあるかも」なんて変な期待? もあって、あのスッケスケ夜着を着ていたけれど。「もしかして」が起きないまま、十日、二十日、一か月と過ぎ、二か月、三か月、ついに半年と過ぎたころには、「来ないのが当たり前」になっていった。スケスケ夜着なんて、衣装箱の奥底に入れられて、普通の夜着を着て、サッサとねるようになっていた。

一人で寝るには広すぎる寝台。

でもいいじゃない。どれだけでも寝返りが打てるし、寝相悪くても落ちたりしないし。食事だって、一人で食べるのなら、マナーとかそこまで気にしなくてもいいし、一人だから社交辞令的な会話を考えておかなくてもいいし。

「王妃」として王宮で暮らしているけど、「王妃」としての職務、務めは求められてないし。何より、誰にも会わずに暮らせるのは最高!

たまには運動しなくちゃで庭園に出ることはあるけど、それ以外は、引きこもりニート状態。衣装だって、誰かに会うわけじゃないから、新しいのを用意しなきゃ、ああこのドレスに合う宝石も新調しなくちゃとか、そういう苦労もない。

こうやって引きこもっていることで、どうせわたしの悪口は言われ放題になってるんだろうけど、それもわたし、誰にも会わないから気にしなーい!

王妃なのに、王妃らしくなくていいこの生活、最高すぎる!

まあ、なんにもせずに引きこもるのは、さすがに退屈なので、空いた時間は趣味に全振りしてる。

母さまとの手紙のやりとりとか、実家から連れてきた気の置けない侍女との他愛のないおしゃべりとか。王宮の図書から本を借りてきて読んだりとか。刺繍や絵画、楽器の演奏なんていう淑女らしい趣味も楽しんでみたり。

もしかしたらこの先、前の王妃さまみたいに、離婚を言い渡されるのかもしれない。

どういう理由でわたしと結婚したのか。どういう理由で離婚を言い渡されるのか。

想像しても仕方ない。その時は、なるようになれ! だ。あの国王だって、いつかは世継ぎが必要になるんだから。その時にはわたしのもとを訪れるか、バツ二になって、新しい王妃を迎えるでしょ。

なーんて考えてたのだけど。


          *


「――アリックス。君にこの国を任せたい」


その日、夜遅く。わたしの寝所を訪れたクソ国王は、予想の斜め上を行くようなことを言い出した。

予想の斜め上? いや、予想の天元突破。

わたしにこの国を? 任せる?

予想の「よ」の字すら考えたことなかったこと。


「どういう……ことですか?」


驚きに、尋ねる声がかすれた。


「隣国が攻めてきた」


あ。

なるほど。


国王というのは、都の玉座でふんぞり返ってるだけが仕事じゃない。兵を引き連れ、戦いに出ることもある。日本の昔の帝みたいに、御簾内から一歩も出ないなんてことはあり得ないのだ。

それで、この男も国王らしく戦場に出る。そういうことなのだろうけど。


「それで、どうしてわたしに?」


国を任せるの、わたしでいいの?

そりゃあ、銃後を守るのは王妃の仕事だけど。

国王に世継ぎがいれば、その世継ぎが守る。少年以上の年齢の場合だけど。

そういう適任者がいない場合は、王妃か、近しい親族が請け負う。けど。


「君以外に適任者がいない」


なるほどその2。


(そういや、この国王、兄弟姉妹もいないんだっけ)


たしか、国王が幼いころに他国から嫁いできた王妃さま、お母さまが亡くなって。

その後、先代国王の愛妾だった女が王妃になった。

それが、ちょうど先代国王が王妃と離婚したいとかなんとかぬかしているタイミングだったから、「王様、嫁さんを殺したんじゃね?」疑惑ができた。

実際がどうだったか、それは誰も知らない。

けど、疑惑の塊、元愛妾現王妃だから、まあ、先代は一気に信用を失って、国はまとまらなくなった。


(疑惑100%だったものねえ)


幼かったわたしでも覚えてる、王室の不祥事。とんでもスキャンダル。

世情も落ち着かなくなって、当時の父さまも苦労なさっていた。


(それで、結局再婚した王妃との間に子は生まれなかったんだっけ)


前王妃の呪いと噂された。

自分を殺してまでいっしょになった二人を許すものか。遺った息子のためにも、新たに子を産ませてなるものか。

新たに王子が生まれたら、前王妃さまが遺した子、つまり今目の前にいるクソ国王なんだけど、その息子が自分と同じように殺される危険がある。だから、二人の間に子が生まれない呪いをかけた。

そんな風に言われている。

その呪いのせいかなんなのか。この国王には兄弟はおらず、わたし以外に頼れる地位にある者がいない。――というわけか。

なるほど、なるほど。


「でも、わたしでよいのですか?」


適任者がいないということは理解した。でもわたしが適格がどうかは、別問題。


「君がいい」


即答。

そしてキッパリ言い切られてしまった。


「君ならこの国を善きように導いてくれると信じている」


いや、その信じる理由は? 根拠はどこよ。

ツッコみたいけど、できなかった。


(まただ)


あの青くて真っすぐな、揺るぎない視線がわたしに注がれる。

優しく微笑みをたたえた口元。

なぜか。なぜかそうして見つめられると、胸苦しいような泣きたいような、よくわからない感情がわたしのなかで暴れだす。


          *


それから十日ほど後。

国王は、兵を連れ国境へ、戦場へと旅立っていった。

一応、王妃らしく「ご武運を」とか言って、お祈りして見送ったけど。

わたしにとっての本番はここから!


残った大臣たちをとりまとめて、政治をつつがなく推し進める。いさかい、争いなんてもってのほか。

国王が戦いに専念できるよう、後顧の憂いは断つ!

銃後の守りは任せろ!

任されちゃったんだから、役目は果たす。

といっても、そこまで大変なことはない。

政治のあれやこれやは、国王が決めていった通りに進めていくだけで、大臣たちとの会議も、決まってることを、「そうですね、それでいきましょうか」の定型文を確認するだけ。会議開く意味あるの会議。前世の会社でもよくあった、時間の無駄会議。

あとは上がってくる報告書、稟議書などなど。山のような書類にペッタンペッタン判子押すだけ。ペッタンペッタンサインサイン。自分の名前大売り出し。判子も署名も。書いても書いても次から次へと、わんこそばみたいに書類のおかわりがやってくる。

あとは、王都の警護に当たってる近衛兵たちの閲兵。それから、戦場から戻ってきた傷病兵の見舞い。

前線に送る補給物資の用意。

あれやこれや。

寝る暇もないほど、結構忙しい。そして。

届く戦況の報告は、なかなか芳しいものではなく、「大丈夫かな」と不安になったけれど。


――大丈夫ですじゃ。陛下なら必ず勝利なさいます。

――陛下は、常勝の、金の獅子王ですからな。向かうところ敵ナシですわ。


臣下たちが口々に言う。

今のところ、あの国王は、全戦全勝、一度も負けナシなんだって。けど。


(いやあ、「金の師子王」はないわ~)


心の中でププッと笑っておく。中二病か? その二つ名。

でも、その「金の師子王(笑)」でも、今度の戦が初黒星になる可能性だってあるじゃない。敵だって、わざわざ負ける戦を仕掛けてきたわけじゃないでしょ? 勝つ見込みがあるから、戦を仕掛けてくるわけで。

でも。


――王妃さまは、心配性でございますな。

――そりゃあ、陛下がいなくなってしまえば、王妃でなくなってしまいますからな。

――それに。陛下以外、誰が好き好んであんな痣の女を妻に迎えるというのじゃ。元王妃という肩書があっても、あれでは……のう。


うるさい。

特に後半。

わたしは自分が未亡人になること、再婚は難しいことを心配してるんじゃないってば。

普通の感覚で、知ってる人が危険な目に遭ってるのなら、大丈夫って不安になって心配するのが当たり前じゃない。

自分のことなんて二の次、三の次、百の次よ。どうでもいいわ。

とりあえず、見せかけでも仮面夫婦であっても、夫となった人のことは心配だから。それに負けられたら、この国もどうなるかわかんないから。

だから、銃後でできる限りのことをする。

戦費? 宮廷費なんて、いくらでも削って構わない。戦ってる人たちに充分な武器と糧食を届ける。薬も忘れちゃいけないわ。

物資が足りない? 輸送する人力も?

それなら、父さまにお願いするわ。我がエナルディアは、領地こそ小さいけど、そういう流通面でとっても優れた技を持ってるの。誰よりも早く、アナタのワガママ届けます?

国王が、戦争中に、「国は大丈夫かな」って心配してふり返ったりしないように。後顧の憂いはぶっちょん切って。戦のことのみを考えられるようにするの。

そのためなら、わたし、わたしっ!


(うぉりゃあああああっ!)


ほら、全部の書類にサインも捺印もしたわ! 次! おかわりはないのっ⁉

仕事? ないなら作りなさい! 

アテクシ、これでも前世はブラック企業勤めですの。一徹や二徹で倒れるようなヤワではございませんのことよ。

戦場に赴いた夫や恋人のために祈る貴婦人もいるけど。悪いけど、わたしは祈るより働け! なのよ。過重労働、どんとこい! 「心配ですわ」でさめざめ泣いている暇あったら、戻ってきた傷病兵の手当てに参加してるほうがいいの。(慰労じゃないのよ。看護に行くの)

さあ、仕事、どんとこい!

って、両親だけじゃなく、最初こそわたしを笑ってみてた大臣たちが、本気で心配してくるほどに頑張ってたんだけど。


(あ――)


グラリと揺れた体。回る目。

重かった頭が、そのまま床に引き寄せられる。


(限界……)


王妃として頑張ってきたけど、体力、限、か……い。


「王妃さまっ!」


書類を抱えたまま、倒れたわたしに集まる臣下たち。


(ごめんねえ)


でもこんなの、寝たら治る……か、ら。


          *


(……んっ!)


次に意識を取り戻して見えたのは、真っ暗な世界だった。

正確には違う。暗い中に、少しぼんやりと灯りがともされている。


(寝台?)


それもわたしの。夫婦で過ごすための、あのフカフカ広々寝台だ。

過労で倒れたから。それでわたし、ここに寝かされてるのか。

意識を失う前のこと、今のこと。その辺から状況を類推する。

日中仕事のし過ぎで倒れたわたしは、ここに寝かされ、そして夜になったから灯りをともされてた。

そういうこと。


(やっちゃったなあ)


額に腕を乗せ、深く息を吐きだす。

まだイケる、まだ大丈夫だと思ってたのに。

この身体では、前世みたいな無茶はできないらしい。この身体、お嬢様仕様。


「――起きたか」


って、へ?

ちょっ、誰?


「へ、陛下?」


驚き桃の木山椒の木。

なんでどうして国王がここに?

アンタ、戦ってる最中じゃないの?

どうして、寝台脇に座ってるわけ?


「帰ってきた」


はあ、そうですか。これが夢や幻、幻覚じゃないってことね。――って!


「ちょっ! どうしてわたしの寝所に陛下がいらっしゃるんですかっ!」


思わず上掛けで我が身ガード。


「どうしてって。ここは夫婦の寝室だろうが」


あ、はい。そうでしたね。

ここは、わたしの寝室でもあるけど、夫婦でそういうことをする場所でもありました。

ずっとそういうことがなかったので、勘違いしてました。


「あの、それより、戦は? 戦はどうなったのですか?」


話題を変える。

国王がここにいるのはおかしいことじゃないのはわかったけど、戦争は終わってないんじゃないの?


「戦なら、終わらせた」


「――へ?」


「お前が倒れたと聞いてな。速攻で終わらせて、速攻で帰ってきた」


「――え?」


わたしが倒れたから? それで終わらせた……ってナニ?


「それで終わらせてよかったのですか?」


「長引かせる必要もないだろう」


そりゃあそうなんですけど。終わってくれたら万々歳なんですけどっ!


「本当のところ、いかにこちらに有利な条件で講和を結ぶかってところだったからな。別に俺がこっちに帰ってきていても問題ないんだ」


なるほど。

でも。


「それって、急いで帰ることにしたせいで、あちらが有利になってたりとか……」


「それはない。あちらが首の薄皮一枚で生きながらえたのが、薄皮二枚、三枚程度つながった状態で終わった。その程度の有利だな」


それは、有利と言っていいのかどうか。


「これに懲りたら、二度と我が国を攻めようなんて気は起こさないだろう。しばらくの間は平和が続く」


そ、そうなんだ。

ってことは、戦争したいと思えないほど、相手を完膚なきまでに叩き潰してたってこと?


「それよりも。具合はもういいのか?」


「えっと。はい。グッスリ寝たので、大丈夫です」


急に話題を変えられ、少し戸惑う。

それに。


(キレイ……)


寝台脇にあった椅子に腰かけた国王。その心配そうにわたしを見てくる瞳が。灯りの光が、青い瞳の中でキラキラ輝いてて、とってもキレイ。


「――そうか。それならよかった」


安堵したような声。わたしの方へと乗り出していた身を元に戻される。


「すみません、心配をかけてしまって……」


有利に講和を持ち込めたと言ってたけど、それでもかなり無茶をしたのかもしれない。

思い出したのが、豊臣秀吉の「中国大返し」。たしか、本能寺の変で主君織田信長が討たれて、家臣だった秀吉が中国地方からとんぼ返りしたってやつ。信長が死んでることを敵だった毛利が知ってたら、秀吉と講和するなんてせずに倒してたかもしれないのに。信長の死を知らせる忍者が毛利にたどり着けず、秀吉に捕らえられたことで、秀吉は急いで講和を結んで京の都にスタコラサッサしたっていうアレ。

国王が結んだ講和って、もしかしてそういうスタコラサッサ用の、とりあえず的なものなんじゃないの?


「だから、構わぬと言ってるだろうが」


「……はい」


頷くけど、構わぬにはできないです。

わたしが倒れてしまったせいで。


「俺としては、君が倒れてしまったことの方が申し訳ない」


「え?」


「君を見込んで銃後を任せてしまったが、そのせいで君が倒れることになったことを申し訳なく思う」


(――え? 今、なんつった? 銃後?)


謝られて、頭下げられて。普段なら「そのようなことございませんわ」の一言ぐらい出てくるのに。今は、そうじゃない自分がいる。


「君の働きは素晴らしかった。君のおかげでこうして戦を有利に進めて、予定より早く帰ることができた。感謝する」


「あの、それは、よかったです……けど。あのっ、じゅ、銃後って……」


この世界に、銃はまだない。あるのかもしれないけど、この国にはない。

だから、「銃後」って言葉はないはず……なんだけど。


「ああ、そのことか」


わたしの問いに、国王が得心いったという顔になった。そして。


「それは、俺自身が転生者だからな。古い言い方だが、『銃後』という言葉の意味を知っている」


え? は?


「てっ、ててっ、転生者ぁぁっ⁉」


「そうだ。君もそうだろう?」


わたしの素っ頓狂な叫びがうるさかったのか。耳をほじりながら顔をしかめた国王が言う。


「わ、わたしもそうだって……。ご、ご存知だったのですか?」


何で知ってる? どうしてバレてる?

焦りというか動揺というか。よくわからない汗がタラリタラリと流れてくる。

わたし、一生懸命アリックス・エナルディアを演じてたと思うのだけど。転生者って部分、微塵も表に出してなかったと思うんだけど。

というか、結婚前まで、転生してたことすら知らなかったし。


「ご存知もなにも。知ってたよ」


「そ、ソウデスカ」


知られていたんですね。ビックリ。

いたずらっぽい笑みを浮かべる国王陛下に、後ずさりしたくなる。ベッドの上じゃなきゃ、絶対距離取ってるわ。


「どうして知ってたか、その辺の事情は置いといて」


「はあ……」


なぜか、こちらに延ばされた国王の手。

自分でも知らず、その手を取ると、すべるように寝台から降ろされ、窓際にあったテーブルに案内される。


「君は、『イグニスニア年代記』って知っているか?」


「イグニスニア……年代記、ですか?」


知らないからオウム返し。知らないからキョトン。

イグニスニアってのは、この国の名前だけど。

年代記ってことは、新しく歴史書でも書かせた、出版させたってことかしら。「第何代国王ホニャララの御代、こういうことがあった」とかいうのを書き連ねたもの。人物の事績や制度などを項目ごとに分けて書くと、紀伝体。起きた出来事を年代順時系列に合わせて書くと、編年体。紀伝体は、中国の『史記』、日本の『古事記』などがそれ。編年体は、『日本書紀』などがそう。

どう違うのか、読んでないから知らないけど、高校の授業でそういうものなんだと習った。年代記ってのは、その編年体の言い換えと思ってほぼ間違いない。英語だと「chronicle(クロニクル)」だっけ?


「まあ、マイナーなゲームだったから。知らなくても当然か」


「は? ゲーム?」


年代記ってなんですか? の疑問の答えかと思ったら、ゲーム?

驚くわたしを椅子に腰かけさせると、反対側にあった対の椅子に国王が座る。


「とりあえず、ここはその『イグニスニア年代記』っていうゲームの世界なんだ」


「はあ」


そうだったんですか。

ゲームの存在を知らないんだから、わたしが「ここはゲームの世界!?」ってなることもなかったわけか。

目の前、テーブルにゲンドウポーズで手を組んだ国王を眺める。


「『イグニスニア年代記』ってのは、架空の王国イグニスニアの王が、何代もかけて国を発展させていくっていうシュミレーションゲームだ。調略謀略、結婚、同盟、戦争、なんでもありの世界で、国を維持、存続、ワンチャン拡大なんてことをしていくゲームなんだよ」


「あ、それって、戦国とか三国志とかでも似たようなゲームあったよね?」


「うん。それに近い」


なるほど。

理解ができた。

架空戦記モノってことか。


「完全に架空、ファンタジー世界なんだけど、一応、ヨーロッパっぽい世界観も持ってて、マイナーだけどやりこむと面白い、そういうゲームだったんだ」


へー。


「前世の俺は、そのゲームが好きだったから、ここに生れ落ちてすぐに、自分が異世界転生をはたしたってことに気づけた」


生れ落ちてすぐに、「ここはゲームの世界!?」を体験したわけね。


「八代目国王、レオン・アルテュールは、ゲームの中での大転換点――というか、かなりの窮地に立たされている国王だってことは知っていた」


「窮地?」


「先王の行いは、知っているだろう?」


「えと……。前王妃を殺して、愛妾を新しい王妃にすえたとかなんとか?」


一瞬、言おうかどうしようか、もっとオブラートに包もうかどうか悩んだけど、ややこしくなりそうなので、スパンとそのまま言った。


「ああ、気にしなくていい。前王の息子としては複雑な面もあるが、それは事実だから気にするな」


いや、気にするなって。

そこは「父さんは、そんなことしてない」って場面じゃないの? 「父さんは愛妾に骨抜きにされたけど、母さん(前王妃)を手にかけるほど落ちぶれちゃいない!」って息子ならフォローしなさいよ。


「俺の父は、愛妾に骨抜きにされた挙句、母を殺し、そして俺も罠にかけた」


「――は? 罠?」


「離婚した王妃だよ」


「それって、わずか十五で子供ができないから離婚! ってされた、あの?」


嫁して三年子なきは去れ王妃。


「そう。俺の前の妻だ」


「……はあ。それが罠?」


話が飲み込めない。作ろうとしないで、子ができないから離婚のどこが罠だったと?


「おそらくだが。子ができていたら、子を孕んだ時点で俺は殺されていただろうな」


「――――は?」


妃が孕んだら、コロサレル?


「実際ゲームではそうなっていた。そういうルートがあったんだ。幼い妃が妊娠したら、俺に突如死が訪れる。それでも父が国王として統治していたし、問題はなかったんだが……」


「いやいやいやいや、問題だらけじゃないですか! アンタ、殺されるんだよ!」


なんで他人事みたいに言うのさ。


「俺が死んでも国は存続するからな」


そこで、笑うな!

そういうことを言ってるわけじゃないって。


「とりあえず。俺が死んでも父がいた。けれど、その父もすぐに死ぬ」


「それって……」


「おそらく謀殺。そして幼い俺の遺児が国王になるんだが。その摂政に父の後妻王妃が就く。正式には、後妻王妃の兄が、だが」


聴いているだけのわたしの喉がゴクリと鳴った。唾を飲み込んでも、喉の渇きは癒えない。


「その息子も、自分の立場を理解できない年齢で死ぬ。そこでなにがあったかは、――まあお察しだ」


憎いというか、邪魔な継子を殺す。ここまでは、理解できないけど理解できる。

愛してたからこそ愛妾になって、後妻王妃にまでなったのに、その夫を殺す。愛してたんじゃないの? とツッコみたい。

そして、その幼い継孫をも手にかける。傀儡として生かしておいたっていいじゃない。理解したくないし、怒りがふつふつと沸き起こってくる。


「俺の子が死んだあとは、その摂政だった男が新しく王朝を建てて統治を続けていくんだが」


それを目当てに、姉妹を先王の妾にして、王妃を殺させ、王妃の産んだ王子も殺させ、先王を殺させ、最後に即位させた王子の子も、必要なくなったら殺したと。

それで開いた新しい王朝って。


「サイアク」


「まあ、そうなんだがな」


唾棄しても治らないほど、気分悪くなったわたしと違って、語る陛下はどこまでもあっけらかんとしている。口元には笑みすら浮かんでいる。


「それでなくても、愛妾を王妃にするために、前王妃を手にかけたって部分で、王家の信頼は失墜している。諸侯から見放され、なかには、他国と手を結ぶ諸侯もいる。レオン・アルテュールというのは、そういう国家の窮地に現れる国王なんだよ」


「それって、結構不遇な転生……」


「まあね。逆境しかないし。でも、俺はゲームをやりこんでたから、抜け道も知ってたんだよ」


あ、なるほど。

知ってたから、「俺って、最悪じゃん」みたいな悲壮感的なものはないわけね。


「俺がピンチを回避するために必要だったのが、君との結婚だったってわけだ」


「は? わたしとの結婚?」


前の王妃さまと離婚したことで、子どもを作らなかったことで、危機は華麗に回避(スルー)できたんじゃないの?


「君の両親は、エナルディア公だろ?」


「そうですけど……」


前から見ても、横から見ても、どこから見ても、エナルディア公ですが?


「エナルディア公の領地は、国のどこにある?」


「えっと。この王都のある王国の中央からやや外れた中西部……。でも小さな所領ですよ?」


目立った産業もない、小さな土地。


「君さ、大宮の重要性って、――わかる?」


「オーミヤ?」


「そう。日本の埼玉県さいたま市大宮区」


「えっと、名前だけは……」


名前は知ってるけど、詳しい場所は知らなかった、へー、大宮って埼玉県だったんだあ気分。転生して知る地理のお勉強。


「大宮ってさ、もともとは中山道の宿場町だったんだけど。そこに電車が開通して、今じゃ東日本を走る列車のほぼすべてが、大宮駅に停まる。そんなターミナル駅が大宮なんだよ」


「はあ……」


コイツ、前世は埼玉県民? ってぐらいの怒涛のお里自慢。

わたし、前世は東京で働いてたけど、生まれは近畿、滋賀県だからなあ。仕事も忙しかったから旅行とか出かけてないし。大宮はよく知らない。


「そしてこの国でその大宮に匹敵する重要性を持っているのが、君の父親が統治するエナルディアなんだよ」


「――は? エナルディアが大宮?」


どういうイコール記号?


「エナルディアの領地は小さく、土地から上がってくる税収は少ない。けれど、王都を出て西に向かう者は、必ずエナルディア領を通って、そこに通行料を支払う。その通行料こそが、エナルディアの財源だったと思うけど?」


それは、そう。

小さな田舎だけど、そういった財源で潤っていた。


「君って、前世はどこ出身?」


「えっと。滋賀……です」


滋賀県出身の東京暮らしでした。


「だったら、『琵琶湖の水止めたるで』で理解できるかな?」


「『琵琶湖の水止めたるで』、ですか?」


それって、滋賀を「やーい、ゲジゲジ」ってイジメてくるはんなり京都人に対する、滋賀のささやかな抵抗。でも、琵琶湖の取水権持ってるの、京都なんだよなーで意味なしセリフ。


「そう。エナルディアは王都からの街道のターミナル地。そこで流通を止められてしまったら、王都に物資が入ってこず、都は荒廃する。逆に王都から出された命令も地方にまで行き渡らなくなる。そういう重要な拠点なんだよ、エナルディアは」


「はあ。そうだったんですか」


「そうだったんです。だから、国を安定させるために、エナルディア公女を妻にする必要があった。実際、あの地の重要性を理解して、俺以外にも君を狙ってる者はいたしね」


「え、いたの?」


そんな人。

わたしの婚約者候補って、この痣を見てみんな「げえぇっ!」で逃げ出してたのに。


「いたよ。痣があろうとなかろうと。そんなのは気にしないって連中。エナルディアを押さえてしまえば、この国は好きにできてしまうからね。この国の命脈は、エナルディアが握っていると言っても過言じゃないんだ」


へえ。

わたしにとっては、街道が貫いてるだけの、温暖でのどかな場所なんだけど。土地の収益は少ないから、通行料はありがたいな程度だった。それがそんな重要な拠点だったとは。


「ゲーム的には、エナルディア公の娘を妻にすることで、国家は維持、回復を狙える。俺も死ななくて済む。けど――」


けど?

なぜか、陛下がそこで言いよどむ。


「けど、俺が君を選んだのはそれだけじゃなかったんだ」


それだけじゃ――ない?


「どういうことですか?」


それまでの軽い口調はどこへやら。神妙な顔つきになって、うつむいてしまった陛下。組まれていた手は解かれ、いつの間にかテーブルの上で強く握りしめられていた。


「君、前世の自分の死に方、憶えてる?」


「え……っと」


「思い出したくないなら、それでいい」


「いえ。ぼんやりだけど覚えてます。わたし、たしか仕事帰りに横断歩道を渡ろうとして、信号待ちしてて。それから、不意に転んで、それも車道側に転んだことで……。アハハ、間抜けですよね」


その先を笑ってごまかす。

というか、バカじゃん、その死に方。

よくわかんないけど、いきなりこけて、そこに車が来て、そのままオダブツって。こけた原因は重なる残業からの疲れか何かだろうけど。間抜けすぎて、わたしを轢いた運転手さんに申し訳ないって言うのか。


「間抜けじゃないよ。君は、後ろから突き飛ばされた」


「――――え?」


目を見開く。

突き飛ばされ……た?


「君は、たしかにふらつきはしてたけど、それでも信号を待つだけの体力はあったようだった。妙にニコニコしてうれしそうにしていたし。誰か、恋人と待ち合わせでもしてるかのような、幸せそうな顔だった」


あー。それは「仕事ようやく終わって、やっとこれで家でゆっくり寝られる」からです。恋人? ナニソレオイシーノ?

ブラック勤めのわたしに、そんな相手はおりません。布団が恋人。悲しいけど。


「だが――」


一瞬、陛下が唇を噛む。


「その背中を、押した奴がいたんだ。ドンッと君の背中を。そして転んだ君は――、君が思い出した通りの最期を迎えた」


「それって……、自分から転んだんじゃなくて、誰かに転ばされたってことですか?」


「ああ、そうだ。俺の知る限り、犯人は二十代ぐらいの、目深に黒のキャップを被った男だった」


誰、それ。

そんな男は知らない。

となると、場当たり的犯行? 恨みがあってとかじゃなくて、ムシャクシャしてとかの犯行理由。


「男は、君が車に轢かれたのを確認して、その場を立ち去ろうとした。けど、俺はそれが許せなくて、男の前に立ちはだかったんだが……」


「陛下?」


言い淀んだ陛下。軽く喉を上下させて話を続けた。


「俺も男に殺された。行く手を邪魔したから。男が持っていたナイフで胸を一突き。心臓を刺されたせいで、君といっしょで即死に近い」


「――――っ!」


息を呑み、口を両手で押さえる。

わたしの死に方もそうだけど、陛下の死に方って……!


「前世の俺が、地面に崩れていく時、最期に見たのが、君だったんだ」


「わたし?」


「ああ。車に轢かれ、体を糸の切れた操り人形のように、あらぬ方向にくねらせた君の……目を開き、左半分顔を血で濡らした顔。その顔を見たのを最期に、俺も事切れた」


「そう……だったんですね」


じゃあ、この痣は、前世の事故でわたしが流した血の跡?

わたしは、車にぶつかったことは覚えているけど、その先は覚えていない。陛下の言うのが、本当のわたしの最期なら、糸の切れた操り人形のようだったのなら。おそらくだけど、首の骨かなにかを折って、血を流してることも気づかない、即死状態だったんだろう。


「すまない、こんな話をして。聴いて気持ちのいい話でもないよな。」


「いえ」


自分の最期を知れてよかった――のかな。

でも、知らないでいるよりはマシな気がする。


「忘れてくれて構わない。というか、忘れてくれた方がいい。いや、忘れろ。忘れるんだ」


んな、滅茶苦茶な。


「俺は、この世界で生き延びるために、エナルディア公女である君を妃にと思ったが。そこで、君のその痣を見て、あの時の女性だって気づいたんだ。それと同時に、あんな最期を迎えてしまった君だからこそ、この世界では誰よりも幸せになるべきだと、幸せにしてあげたいと思った」


俯き、テーブルばかりを見ていた青い視線が、わたしに戻ってくる。


「だが、幸せにするのは俺でいいのか、疑念もあった。前世で君を知っているからって、俺が幸せにできるのかって。君のその痣は、俺が最期に君を見たから、現世でも痣として残ったかもしれないのに」


――ん?

陛下が最期に血まみれのわたしを見たから、痣が残った? そんなことある?

聴いているだけだったわたしに、疑問が浮かぶ。


「不謹慎なのは承知で言うが。俺は最期のあの時、君の流す血を美しいと思ってしまったんだ。流れる鮮血の赤に、魅入られてしまったんだ」


なんと!

それはビックリ。

じゃあ、この痣は、わたしの鮮血を見て、「美しい」と思った陛下の前世の情念が、わたしの顔に血と同じ痣を残したと?


「前世で、男に倒された君を助けることもできず、男を捕らえることもできず。その上、現世で痣として残してしまったのだとしたら、俺は……」


陛下が、両手で顔を覆った。


(ずっと気に病んでいらしたのかしら)


「もしかして、今まで寝所を訪れなかったのは、そういう自責があったからですか?」


答えは返ってこない。

沈黙の肯定だけ。


(なんてこと……)


痣のせいで夫婦にならなかった。

事実は同じだけど、その理由が違う。

痣が醜いから避けたのではなく、痣を自分の責任だと思ったから夫婦になるのを避けた。

自分が生き残り国を守るために、エナルディア公女を妻に選んだ。そうしたら、公女は自身の知る女だった。それも自分が美しいと思ったせいで、生まれ変わってきた女の顔に痣が残ってしまった。


自責。後悔。悔悟。


今の陛下のなかに、どんな感情が渦巻いているのだろう。

そして、わたしは陛下の告白を聴いた今、どんな顔していればいいのだろう。

どうして助けてくれなかったの? この痣、どうしてくれるの?

アンタがわたしを幸せにしようだなんて、おこがましい。もう二、三回生まれ変わって出直してこい?


(――違うな)


陛下は何も悪くない。

そりゃあ、血を流すわたしを「美しい」と思ったことはビックリだけど。陛下が前世のわたしを殺したわけじゃないし。むしろ――


「――陛下」


席を立ち、陛下に近づく。床に膝つくと、優しく声をかけ、顔を覆ったままになっている彼の手をそっと取る。


「ありがとうございます。そこまで思っていただいて」


「アリックス……」


「わたし、この痣を、少しだけ嫌いじゃなくなりました」


本音を、思ったことを彼に伝える。


「気にかけてくださってた陛下や、両親には悪いですけど。そんなつながりのある痣だと知って、愛しさすら感じます」


「でも、俺が思ったせいで……」


「それ、誰が決めたんですか」


「え?」


「わたしには、生まれつきこの痣がありました。でもそれが前世由来のものかどうかなんて、誰にもわからないじゃないですか。陛下が、わたしの顔にグリグリ痣を押し付けてきたってのなら、そりゃあお恨み申し上げますが、そうじゃないでしょ?」


ってか、いつまでグジグジ悩んでるんですか。


「わたし、この痣に何度も婚約者候補に逃げられました。辛かったし、悲しくなかったと言えば嘘になります。でも」


悲嘆から驚きへ変化していく陛下の青い瞳を見る。それだけで自然と笑みがこみ上げてきた。


「今は感謝したいと思ってます。この痣があったおかげで、アナタ以外のところに嫁ぐことなく生きてこられましたから」


「それで……いいの、か?」


問う、彼の声がかすれている。

信じたい。でも信じられないってところかな。


「ええ。それに」


持ったままになっていた彼の手を、両手で包むように握りしめる。


「夫となったアナタ以外、今更誰がわたしを幸せにしてくれるっていうんですか。わたし、不貞を働く気はありませんから、アナタ以外、誰もいないんですよ?」


政略結婚だろうと、愛のない結婚だろうと、領地狙いの国家のための結婚だろうと。

一度結婚したからには、そこで幸せになるしかないんだってば。


「それから、この痣。真に私を愛する殿方の愛で、消し去ることができるようですよ」


「え?」


「まあ、インチキかもしれない霊媒師の占いなので、あてになるかは存じませんが」


公女の痣は、真に公女を愛する者の「愛」によって消え去る。


当たるかどうか、消えるかどうかは知らない。保証はない。

当たるも八卦、当たらぬも八卦。


「試してみませんか?」


イワシの頭の信心から。

当たって消えたらめっけもん。


「――そうだな、試してみるか」


(え?)


驚く間もなく、握っていた手が振り払われ、気づけば、わたしの身体は彼に抱き上げられていた。


「こんな愛らしくいとおしい妃を前に、我慢するのはもう無理だ」


ノシノシと、大股で歩き出す彼。

向かう先は――寝台?


「痣が消えるまで、お前に俺の愛を注ぎ続ける。覚悟しろ」


えっと。なんか微妙に怖いな、その宣言。


「お、お手柔らかにお願いします」


アレをコレして、ソレにナニするのは知ってるけど。寝台に運ばれた以上、そういう展開になるのは理解したけど。

わたし、まだ乙女だからね! 優しくされたいって希望はあるのよ!


「わかった。なるべく善処する」


あ、「なるべく」なんだ。

でも、「なるべく」でいいかなと思う自分もいる。痣が消えるぐらい、思いっきり愛されてみたい。そして、そういう相手は彼がいい。


「愛してます、レオンさま」


そういや、ちゃんと気持ち伝えたことなかったな。

寝台の上。仰向けに寝かされたわたしの上に、覆いかぶさった彼に思いのたけを言葉にする。けど。


(あれ? どうして身を離す?)


体を起こしただけじゃなく、片手で顔を覆い、盛大なため息まで漏らされた。


「お前、俺の我慢強さを試してるのか?」


ふえ?


「そんなこと言われて、手加減できる男など存在しないこと、思い知れ」


「うぎゃあああっ!」


お、襲われる! ってか、喰われる!

くり返されるキス。それはわたしの身体のいたるところに降ってきて。

衣を脱がされると、あそこもここも、いろんなところに彼の手が這って、わたしも知らないような場所にもキスが落とされた。時には、甘く噛まれ、吸い上げられ、舐められたりもした。


リミッター外れた男の愛って、……重くて怖い。前世で知りえなかった新知識。


          *


夕暮れ時。

バルコニーに立って、燃えるように赤く染まった景色を眺める。

別に景色を見たくてバルコニーに出たわけじゃなかったんだけど。


「ほぅら、キレイな夕焼けよ」


腕の中、清潔な布にくるまれた赤子に話しかける。

わたしが目を向けたことがうれしいのか、それとも外の空気に触れて気がすんだのか。

さっきまで大泣きしていた子が、アブアブと喃語とともに上機嫌でこちらに手を伸ばしてくる。


「ダメよ。そんなにいじったら、髪がほどけてしまうわ」


顔を近づけすぎたせいか、結い上げてあった髪を、赤子の手が握りしめる。

髪、下しっぱなしでもよかったのだけれど、「妻は夫以外の前で髪を下ろしたりしないものだ」とかなんとか言われ、わたしの髪は後頭部でまとめられている。

髪は、女の美しさを際立たせるもの。だから夫以外に美しさを見せる必要がない。


(古めかしいなあ)


いつの時代の習わしよ、それ。

思うけど、彼がそう言うのなら従っておきたい気持ちもある。

床のなかで、下したわたしの髪を一房指に絡ませて遊んでる彼を見るのも悪くないし。そういうことはできるのは、夫である彼の特権ってことにしておきたい。

それに。


(隠す必要なくなったし)


公女の痣は、真に公女を愛する者の「愛」によって消え去る。


あれはインチキ占いでもなんでもなく、真実だったらしい。

痣は消えた。

彼に愛され、過ごした翌朝。

わたしの顔から、痣はきれいさっぱり消えていた。

これには、自分のせいかと思い悩んでいた彼だけじゃなく、ずっと心配してくれていた両親も諸手を挙げて喜んだ。

でも、それ以上だったのが、……臣民だったのよね。


――うおおおおっ! 俺たちの王妃さまは、こんなにもお美しいお方だったのかあっ!

――一生ついていきます、王妃さま!


あれはすごかった。


――国王の愛が、醜い痣の呪いに打ち勝った!


国王陛下万歳! 王妃陛下万歳!

王妃の容姿が国家を左右するってのは、あながち嘘じゃないらしい。

それも、その容姿が王の愛(笑)でもたらされたってのが、ドラマチックで素敵ってことで、国の内外にまで噂として広まった。

まあ、「愛し合ったことで痣が消えた」ってのは、「ああ、あの二人、そういうことしたんだ」ってのとイコールだから、死にそうなぐらいクソ恥ずかしかったけど。


(あ、でも、ベール被せられたっけ)


痣が消えてベールもなにもいらなくなったのに。彼には、引き続き人前に出るときはベールを強要された。「他の男に懸想されてはたまらん」「アリックスの美しさは、俺だけのもの」ということらしいけど。ついでに、こうやって髪を結うのも同じ理由らしい。髪を下ろした美しい姿を見るのは、俺だけの特権。


(ものすごく狭量。やきもち)


「俺の美人嫁、どう?」って人に見せびらかす奴も嫌だけど。勝手に自分だけのもの、独り占めってのも、ちょっとめんどくさい。


(まあ、いっか)


それほどに愛してくれるのなら。

自分が両親以外の誰かに愛されるなんて、そんな人生考えたこともなかったから、ちょっとその愛の重さに戸惑ってる。

わたし、愛されてていいのかな。わたしから、何かをしなくていいのかな。

思うけど、彼がそのままでいいというのなら、そうなんだろう。ダメだったら、その時はその時だ。


「――アリックス。こんなところにいたのか」


噂をすれば影。開いたままのガラス窓から、現れたのはわたしの夫。

この国の王、レオン。

彼は最近、男ぶりが増したというか、国王として堂々とした威厳みたいなものを身につけてきた。

なのに。


「なんだ、マリユスもいっしょかぁ。って、なんだよ、その髪は俺のものだぞ」


わたしの髪をグイグイ引っ張る息子に、ヤキモチ焼くわけ?

必死に息子から髪を取り上げて、息子を泣かせて大弱り。眉尻下げて、みっともないったらありゃしない。

無敗の王、金の師子王とかなんとか呼ばれてるって聞いたのに。これじゃ、金の猫じゃん。わたしの前だと、簡単に猫化してます。常敗最弱の王です。


「わたしの髪は、わたしのものです」


たとえ、息子におもちゃ代わりにベチャベチャに舐められても。夫に指に絡ませ愛の言葉を囁かれても。持ち主はわたし、わたしのものです!

泣いた子を、体を揺らしてなだめ、宣言する。


「うん。その気の強いところ、やっぱりいいな」


怒り、暖簾に腕押し、糠に釘状態。

怒って見せても、ニッコリ微笑まれるだけ。

それどころか、泣き止んだマリユスごと、スッポリ彼に抱きしめられる。

温かくて、どこか安らぎとときめきを覚える彼の腕。


「――戦が始まる」


「戦、ですか」


穏やかな空気が一変する。

幸せに身を委ねたいのに。肌越しに聞こえた声に、身を震わせた。

戦が。始まってしまう。

そういうことの起きやすい、そういうゲーム仕様の世界なのだから仕方ないのかもしれないけど。

さっきの嫁好きニヤケ顔から、厳しい獅子の顔になった彼を見上げる。夕日に赤く髪を染められた彼は、結婚して数年経った今でも惚れ直しそうなほど素敵だけど、同時に、どこか切なく物悲しくなる。


「安心して。俺は、この戦の勝ち方を知ってるから」


見上げるわたしが、よほど不安な顔をしていたのだろう。わたしを見下ろしてきた彼が、フッと笑って破顔した。


「今でも、この頭の中に、勝つための方策を何十通りも考えついてる。敵に『げえぇっ!』とか、『おのれ孔明!』とか言わせてくるよ」


「フフッ」


おどけた言い方に、つられて笑ってしまう。不安な気持ちも幾分か和らいだ。


「それに、こんなに愛しい君を置いて死ねないって。俺としては、マリユスだけじゃなくって、それこそ野球チーム、いやサッカー紅白戦できるぐらいの子どもが欲しいからね」


「え、ちょっと待って。サッカー紅白戦となると、11×2で、22人っ⁉ わたし、あと21人産まされるの? ちょっと怖いんですけどっ!?」


「ハハッ。冗談。サッカーチーム一つで勘弁してやろう」


「いや、それでも11人。かなりの数なんですけど」


「それぐらい、君を愛してるってことだ」


チュッと軽いキスがわたしの額に落ちた。

優しい、愛のこもったキス。


「ご武運を」


それから。


「必ず、帰ってきてくださいね」


「ああ、必ず帰る」


わたし、この歳で未亡人は嫌ですよ。11人も産むつもりはないけど、アナタに愛されたいとは思ってるんですからね。

だから、必ず無事で。帰ってきて。


「愛している、アリックス」


目に涙があふれてくる。懸命にこらえてたけど、零れ落ちたそれを、グイッと彼の指の腹で拭われた。

そして、ゆっくりとわたしに降りてきた唇。マリユスを抱いたまま、軽くつま先立てば、しっとりと熱い唇が重なる。


どうかご無事で。これからも、わたしと一緒に生きて。


遠く山の端に沈む入日の残光に照らされて、祈りを込めた口づけは、黄金色に輝いた。

すみません。一度投稿した作品を手直ししてもう一回上げてます。

(短編なのに、連載と間違えて投稿してました)

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