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名前を刻印する犯罪者

執務室。


長谷川は「事務的な救済」において、徹底したプロを探求した。


配属から一、二ヶ月。

彼はS級、あるいはA級に分類される特殊案件のフォローアップを欠かさない。

予定の時刻になり、画面越しにオンライン面談が始まった。


福山結愛。

子を捨てた親を追跡する復讐者。


相続や戸籍整理の際、「親を見つけなければ法的に詰む」といった袋小路の案件が、

弁護士界隈から「裏の紹介」として彼女の元へ流し込まれていた。


画面の中の福山は、歪んだ崇拝の眼差しで長谷川を見つめている。


「何か、業務上で困っていることや、気になる点はありますか?」


「能力が成長している実感はあります。ですから……、いつか、長谷川さんの『真名』を暴いてもいいですか?」


(……怪獣同士の争いに巻き込まれるのは、ごめんだ)


彼は内心の戦慄を押し殺し、巧みにはぐらかして場を和ませた。




業務再開。


手元の分厚いファイルを捲った。


【氏名:串田 圭】

【能力:自分の名前を刻印する】


「……どうぞ、お入りください」


「失礼します」


ドアを開けて入ってきた男、串田は、瞳が充血し、唇がズタズタに裂けていた。

男は深く一礼し、音もなく席に着いた。


「よろしくお願いします、串田さん。早速ですが、能力のご説明をいただけますか?」


「はい。視界にあるものなら、何にでも僕の名前を彫れます」


串田は鞄から板チョコレートを取り出し、銀紙を剥いてデスクに置いた。


「彫ります」


『串田圭』


音も、振動も、火花すらない。

チョコレートの表層が、ただそこから「消滅」した。


「いくらでも。……ほら」


『串田圭』『串田圭』『串田圭』『串田圭』


始めは規則正しく、やがて角度を変え、滅茶苦茶に。

チョコの表面が、びっしりと名前の溝で埋め尽くされていく。


(ほう。ここまで来ると、もはや彫刻ではなく破壊だな)


「削りカスは、僕の口の中に転送されるんです」


串田が無邪気に笑う。

その隙間から見える歯は、ボロボロに欠けて、チョコレートが付着していた。


「なるほど、素晴らしい能力だ。使い道はいくらでもありそうですね。

普段はどのように能力を使っていますか?」


「デパ地下の総菜売り場でよく食べてますよ」


(さらっと言ったな、犯罪者)


「本当はステーキを食べたいのですが、名前が残るとバレるから我慢しています。

フレンチのソースとか、ビーフシチューとか、スープ……液体だけですね。

まあ、総菜売り場を3周する頃にはお腹もいっぱいで、ついでにワインやシャンパンでいい気分ですよ」


串田は食費がかからないのは助かる話を続けた。


「串田さん、あなたの窃盗自慢はもういい。他に使い道はないのですか?」


串田が、ひび割れた唇を歪ませた。


「あとはその……僕、少し変わった嗜好がありまして。他人の所有物に、自分を刻みたいんです」


串田はどこまで言っていいのか、迷っている。


「どうぞ、串田さん。ここでの会話は一切、記録にも残りませんし、私も守秘義務がありますから大丈夫ですよ」


(少し変わってる? ……フン、窃盗の常習犯が。とっとと言え)


「そうですね、有名な観光地や旅館には『自分』を刻み込んでやるんです。もちろん、バレない場所にね。

露天風呂の底の岩なんて最高ですよ。何も知らない客が、僕の名前の上で全裸でくつろいでいる。

……『いい湯だな』なんて言いながら。口の中は砂利でガリガリしますが、その背徳的な味がたまらない」


長谷川はプロフェッショナルな笑顔を崩さない。

だが、その内側では、目の前の男を心の底から侮蔑していた。


(なるほど。この男の本質は『捕食者』だ。

名前を刻みたいのではない、他者を、その生活ごと食らいたいのだ)


「……ありがとうございます、よくわかりました。

能力を詳しく教えてください。発動の条件や、文字の大きさ、刻印の深さ等です」


「目で見ることが条件です。瓶入りの水は刻めますが、樽は中身が見えないのでだめです。

刻印は正確に同じものです、大きさと深さは手書きで出来そうな範囲であれば調整できます。

硬さは無視しますが、口の中が切れてしまうのでガラスみたいな物は苦手です」


長谷川はチョコレートを再び見る。


「あなたは視認した範囲の物質を、熱も粉塵も出さずに口内に『移動』させています。

悪用は置いといて、いくらでも用途があるはずだ、現職では使っていないのですか?」


「現職の広告代理店では、全く活かせませんでした。でも、すぐ怒鳴る上司が居ましてね。

怒られている最中、ずっとあいつの生え際を見つめて、一本ずつ髪に『串田圭』を刻んで切断してやったんです」


串田は、遠い日のささやかな復讐を懐かしむように目を細めた。


「日に日に広がる額を見て、あいつ、本気で悩んでました。

最後は見事に禿げあがった。……あれが、僕のサラリーマン人生で唯一の『成果』です。

……味は、脂ぎった加齢臭が混じっていて最悪でしたけど」


長谷川は、串田の話を途中から聞き流し、思考を冷徹に収束させた。


「串田さん。提案があります。あなたは今日限りで、職人になりなさい」


「……職人? 僕がですか?」


「ええ。例えば、二つの金属板にあなたの名を刻み、その溝に寸分違わぬ『串田圭』という名の樹脂部品を流し込むとする。

……分かりますか? 左右対称の完璧な精度で噛み合い、物理的に『緩む』という概念そのものを喪失した接合体が生まれる」


長谷川は画像検索した建築資材の設計図をモニターに映した。


「建物は資材の接合面、見えない裏側にこそ、びっしりと『串田圭』が刻まれている。

その巨大な建築物は、言わば君のアイデンティティによって支えられることになる。どうだ?」


串田は、ひび割れた唇を舌でなめ回した。


「最高ですよ……僕という胃袋の中で、人々が生活するなんて」


「通常、職人は名前を1つ、軒下等に刻むが、君は違う。

壁一つとっても、その裏にはビッシリと名前が刻まれている」


長谷川はそこで言葉を切り、真剣な眼差しで串田を見つめた。


「ですが、串田さん。更に幸運だ。『串田 圭』という名前のあなたがこの能力を持っている」


「……僕の、名前……?」


「ええ。よく見てください。あなたの名前……この図形が能力に適しているか」


長谷川は、デスクに残されたチョコレートを指さした。


「『串田圭』、全て左右対称ですね。

上下左右、全方向への回転、どの方向の力でも分散され歪む余地が無い。

あなたの名前は、幾何学的にバランスが完璧な構成ですよ」


長谷川がプリントアウトされた紹介状に封をし、串田に差し出した。


串田が紹介状を受け取り、

長谷川が指を離した瞬間――その場所に『串田圭』が刻まれた。


「封筒の味は素っ気ないですが……あなたの指の熱が残っている。やっぱり規律正しい、真面目な人間の味だ」


串田は、欠けた奥歯をガリッと鳴らして笑った。


不意打ちの生理的嫌悪感が、長谷川を絶句させた。


(……コイツ、早々に警察へ突き出すべきだったか?)


「ありがとうございました。さっそく、堂々と刻みに行きますよ」


男はそう言い残して、退室した。

長谷川は、震える自分の指先を見つめ、それからわずかに居住まいを正した。




業務終了後。


窓の外では、108の世界を繋ぐ「物語の残響」が、遠い街灯のように頼りなく明滅している。

デスクの上に広げられた重厚なファイルは、ようやく4割ほどが埋まった。


「……ペースは予定より早い、申し分ない」


長谷川の右手には粉砕されたタブレット。

そして左手は、腕そのものが折れ、重々しいギプスで固められていた。


そこへマリアがふらりと歩み寄り、彼の手元を覗き込んだ。


「……タブレットくらい、私の能力で改竄してもよくない?」


「ダメだ。一度の例外は、全行程の崩壊を招く」


長谷川は、残る空白の「S級」ページを一枚ずつ丁寧に捲りながら、これまで以上の慎重さを自らに課した。

マリアはその無機質に動く指先を慈しむように眺めている。


「じゃあさ、もしこのファイルが燃えたら?」


「……それは流石に困るが」


長谷川がページを捲り終え、ファイルを閉じようとした。


「あれ? S級はあと16人で終わりでしょ?」


「いま、多くなかった? ……ページ数」


長谷川の手が止まる。

マリアを一瞥すると、S級のページを数えながら1枚ずつ捲った。


……20、21、22、23。


「……24枚目。この白紙は何だ」


マリアの指摘通り、ファイルの末尾には、不自然に真っ白なページが一枚だけ残されていた。

記録すべき能力者は23人。目次とも整合しない「余白」だ。


「……このファイルは君の能力による特注品だ。ページ数は、この世界の不条理の『総量』と同期しているはずだろう」


「……ってことは、私たちがまだ見落としている『何か』が、もう一人いるってこと?」


「万能の観測者である君が、見落とすことなどあり得るのか?」


「……『改竄』してみる?」


「白紙を書き換えるというのか。……いいだろう、試せ」


【改竄:24ページ目に記されるべき真実を抽出する】


――結果は、白紙。


二人の間に、冷ややかな沈黙が降りた。

窓を叩く風の音が、誰かの忍び笑いのように低く響く。


「……面白いじゃない」


マリアが不敵な笑みを浮かべた。


「全てのページを埋めた瞬間、この空白に何が浮かび上がるのかしら。……もし最後まで余白のままなら、二人で寄せ書きでもする?」


長谷川は答えず、眼鏡を指先で直した。

彼の視線は、既に「361度目の朝」を見据えていた。



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