天国から帰ってきた大正浪漫
結婚式場。
豪華なシャンデリアの光の下で、今まさに「婚約破棄」というこの物語のクライマックスが始まろうとしていた。
「はーい、そこまで。ストップ」
マリアが世界の境界線を力任せに引き裂き、高砂席のど真ん中へ着地した。
絶句する新郎、新婦。そして、劇的な瞬間を期待していた参列者たち。
「今からアンタたちの再就職先を決めるね」
「「は、はい……!?」」
マリアは世界の真実を見た。
【氏名:エリス】
【能力:古代魔法】
【氏名:アルフォンス】
【能力:なし(設定漏れ)】
「設定漏れって何よ……、適当過ぎでしょ。ごめんね、アンタたちが悪いんじゃないの。こんな安っぽい復讐劇を書いた作者がバカなの。……はい、回収終了」
マリアが指を鳴らすと、悲鳴を上げる新郎新婦は空間の亀裂へと吸い込まれて消えた。
大混乱に陥る会場を無視して、マリアは一人、隅の方で怯えていた幸薄そうな女性へと歩み寄る。
【氏名:佐伯 結衣】
【能力:不幸】
「……ど、どうしたんですか? さっきの二人、どこへ……」
マリアは結衣の背後に視線を据える。
【氏名:佐伯 龍之介】
【能力:曾孫を呪う】
マリアが再び指を弾くと、結衣の影から、感情を煮詰めたヘドロのような怨念が這い出してきた。
それは、どす黒い執着を形にしたような、古臭く、こびり付いた「残照」だった。
『グオオオォ、グポッ……、ガアアアア!』
「見つけた。孫娘を呪って、何が楽しいわけ?」
怨念が何かを叫ぼうとしたが、マリアはその咆哮を、不可視の圧力で踏みつぶした。
【改竄:公平な対話のため、怨念化ペナルティを削除】
ゴポゴポと、汚れたヘドロが剥がれ落ちていく。
後に残ったのは、気品ある佇まいの老紳士の気配だった。
『……申し開きのしようもありません。斯様な無様な真似をして、深く恥じ入るばかりです』
「はいはい、わかったから。助けてあげる代わりに、アンタはここで『面談』を受けなさいな」
マリアは手慣れた手つきで名刺に日時を書き込み、傍らのテーブルに置いた。
『この佐伯、必ずやその恩義に報いましょう』
老紳士は深々と頭を下げた。
「……曾孫? ひいおじいちゃん? ……そこにいるの?」
結衣の震える声が、静まり返った式場に響く。
(――よし、それならこの子は、この世界に留めとくべきね。通常案件3名と、S級1名の回収、完了っと)
マリアは満足げな笑みを浮かべると、混乱の収まらない式場を残し、境界線の向こう側へと姿を消した。
執務室。
手元の分厚いファイルを捲った。
【氏名:佐伯 龍之介】
【能力:天国から帰ってくる】
……パキ、ピシ、ゴン。
密閉された執務室のドアから、乾いた音が鳴った。
ノックにしては不規則で、物理的な振動というよりは、空間そのものが軋んでいるような音だ。
デスクに置かれた「盛り塩」が、まるで墨を吸ったように微かに黒く変色し始める。
(……本当に、来たのか)
「……どうぞ」
――ギイィィ
嫌な音を立てて自ずから開いた。
そこには誰もいない。
ただ、夜景を背にした空間の一部が、古い映像のノイズのようにぼんやりと歪んでいる。
『――失礼、つかまつる』
(……な?! 直接……脳に響いてくる)
長谷川のデスクにある液晶画面が点滅を始め、蛍光灯が不安定な周期で瞬く。
「盛り塩」は、まるで泥水のように溶けてデスクに飛散した。
(能力は発動済みか……)
何かが確実に、相談者用の椅子へ着席した。見えない「質量」がそこにある。
「……お名前を伺ってもよろしいですか?」
『佐伯と申します。かつては、この街の署にて、治安維持に汗を流しておった身であります』
目の前は虚無だ。
長谷川は、ノイズで乱れる液晶画面を無視して手元の血文字で書かれたような経歴書に目を落とした。
(……職歴は官吏。 現代で言うところの警察官)
「佐伯さん。能力のご説明を頂けますか」
『いかにも。……左様、天国の門を潜らんとした刹那、どうにも我慢がならず踵を返した次第』
『折しも曾孫が産まれましてな。……あの子の生い先を見届けねばという、一種の使命感に駆られ、そのまま戻って参ったのであります』
(……天国スルー・曾孫ラブ、か)
『私はただ、慈しみ、守りたかっただけなのですが……。世に言う親離れ、というものでしょうか』
『あの子は恐怖に身を竦ませ、果ては「お祓い」などと……。不徳の致すところとは言え、元官吏としてこれほどの屈辱、これほどの冤罪はございません』
長谷川は、佐伯が語る「守護活動」の実態を聞き取った。
『……「まっちんぐ・あぷり」というものですな。
あの子が自撮りとやらをする際、悪い虫……不埒な輩がつかぬよう背後より検閲を致したのですが……』
『結果、彼女の肩越しに私の「検挙する際の眼光」が写り込んでしまったようで。……縁が、一つとして成立せぬのです』
長谷川は、手元の経歴書に貼られた証明写真――もとい、心霊写真に目を落とした。
写真の中の佐伯の、見開かれた両目と口からは、タールのような黒い液体が涙のように流れ落ちていた。
長谷川は、佐伯が訴える問題の「まっちんぐ・あぷり」の画面をタブレットに表示させる。
そこには、曾孫の肩越しに、タールのような涙を流し憤怒の形相でカメラを睨みつける軍服の男――
佐伯の姿が、画面を埋め尽くさんばかりに写り込んでいた。
(曾孫の容姿は端麗だとして、『今日も写真に黒いシミが……もうお嫁に行けないのかな(泣)』……か。なるほど)
長谷川は悩ましい表情をした。
『……貴様ァ?! もしや、その惚けた表情は!』
「……ッ?! 佐伯さん、落ち着け! や、やめろ! そういう意味では――」
次の瞬間、執務室の空気が「音を立てて」凍りついた。
――抜剣
姿は見えずとも、鞘から解き放たれた指揮刀の鋭い鳴きが、長谷川の鼓膜を震わせる。
長谷川が手にしていたタブレットが、目に見えない一閃によって粉々に砕け散った。
黒いタール状の液体が、砕けた液晶の破片と共にデスクへ降り注ぎ、年度末決算書の「原本」を無慈悲に汚染していく。
「……ほう? お前、やってくれたな」
長谷川の眼光が、かつてないほど冷たく、鋭いものに変質した。
静かにこめかみに指を添える。
(……改竄するか? コイツも書類も、全て都合よく書き換えてしまうか?)
『――ふむぅ? いい目をしているな、若造?』
空間そのものが怒りに震え、佐伯の抜身の殺気が、長谷川の「改竄の予兆」を真っ向から押し返した。
世界の改竄者。
天国の脱獄囚。
二人の意地がデスクの上で激突し、火花が散るような静かな爆音を立てる。
だが――。
先に折れたのは、長谷川だった。
(……やめだ。改竄のコストが高すぎる。……昼飯を抜くのは御免だ)
マリアに頭を下げる理由にはならなかった。
指先を離すと、同時に佐伯の殺気も、霧が晴れるように収束した。
『……ふん。不埒な「板」を断つ勢いが余った。……その、何だ。汚すつもりまではなかったのだがな』
佐伯はバツが悪そうに視線を逸らすと、パチン、と乾いた音を立てて刀を納めた。
『手間をかける。その紙の件は、私に免じて許せ』
長谷川はデスクに滴り落ちる黒い液体を見つめて青ざめた。
再発行申請の山が見えた。
「……話を戻しましょう。曾孫さんとは、どの様に接しているのですか」
『「教導」であります。先週、曾孫が初めての採用面接とやらに向かう際、激励のつもりでその肩を一つ、叩いたのであります』
『……ところが、あの子の肩には消えぬ青紫の指跡が残り、そのまま高熱に浮かされ寝込んでしまった。
面接を病欠させるという取り返しのつかぬ不祥事を招いてしまいました』
(……激励のつもりが、呪いになっている)
「普段は何をされているのですか?」
『誰にも顧みられぬゆえ、界隈を彷徨しております。近頃は苦手なものが増えましてな。
電気仕掛けの道具は相性が悪いようで、すぐに不具合を起こす』
『猫というのも、いけません。即座に露見してしまう。
昨今流行りの霧吹き……除菌消臭剤とやらも、なかなかに堪える』
デスクに備えられたかつての「盛り塩」は、デスクの上で灰となり、サラサラと風化して闇に消えていく。
『しかし、です。稀に私の正体を見抜く曲者が現れ、あろうことか私を「除霊」せんと企てる。
無念至極、こればかりは手に余る次第であります』
(……待て、そもそもこの男、どういう状態なのだ。
世界の摂理に法があるとするならば、これは明らかなる逸脱であり、違法行為ではないのか?)
(天国からの逃走、あるいは脱獄――。あちら側の司法から見れば、彼は「指名手配犯」に相当するのではないか?)
『あの子は来週、「警察官」という職を得るべく試験に臨むとのこと。
ならば、私も長き隠居を辞し、再び滅私奉公の道へ戻るべきと考えた次第』
『……そこで相談員殿、貴殿の職権でどうにか、私を「警察」なる組織への配属を、良しなに計らっていただきたい』
「……同じ職場(現場)を希望されていると?」
『左様! 幸い、私は死してなおこの通り、身辺の器物を動かす程度の手出しは可能』
『不逞の輩の首根っこを掴む力や斬り落とすくらいの力は残っております。
曾孫の傍らで、共に世を正す……これ以上の宿願は御座らん』
佐伯は椅子を蹴るように立ち上がると、軍人のごとき鋭さで踵を打ち鳴らした。
そのまま、直角に。魂の芯をへし折るような重みで、深々と頭を下げる。
『……何卒ッ! 何卒、良しなに取り計らっていただきたい!』
頭を下げた佐伯を中心に、現実の輪郭がザラザラと掻き消える。
長谷川の視界には、古いフィルムの傷のような黒いノイズが走り、デスクの上ではペンや書類が急速に摩耗しながら、重力を無視して浮き上がった。
「やめろ! わかりましたから! ……一度落ち着いてください」
静寂が訪れる。
長谷川は片手でキーボードを叩き始めた。
ノイズで画面が歪むが、彼の指は止まらない。
「問題は曾孫さんのほうだ。あなたの歪な愛情は、生者の世界ではただの『呪い』だ。いい加減に自覚しなさい」
長谷川が突き出したのは、二通の「宣告書」。
「あなたと曾孫さんの特等席だ。『内閣府 特別債務徴収室』。
表向きは閑職だが、実態はあなたのような超常能力者による治安維持を目的とする組織だ」
「被害者の霊から事情聴取をするのがあなたの仕事だ。曾孫さんには、その後に残る物的証拠だけを拾わせればいい」
『……なんと。左様な道が、残されておりましたか』
佐伯の輪郭が、これまでで最も鮮明に輝いた。
周囲を埋め尽くしていた古いフィルムのような黒いノイズが、一点に収束する。
そこにいたのは、ノイズまみれの幽霊ではない。
仕立ての良い常礼服を隙なく着こなし、美しく整えられた口髭を蓄えた、威厳ある老紳士の姿。
それはまるで、セピア色の活動写真から鮮やかに抜け出してきたかのような、大正の官吏そのものであった。
『……忝い、相談員殿。私の進むべき「職務」、ようやく得心いたしました。……私は、曾孫と共に、この世を歩んで参ります』
周囲を支配していた死の冷気が一転し、抜身の刀のような、凛とした緊張感へと変質する。
ドアへと向かう重い足音が、物理的な音ではなく、床を伝う震動として響いた。
ドアの前で、佐伯の輪郭が一度だけ、振り返るように揺れた。
『……相談員殿。もし貴殿が何処かで不当な暴力に晒されるようなことがあれば、私を呼びなさい』
『この佐伯、いかなる障壁も突き破り、貴殿を護る盾として馳せ参じよう。……貴殿とのこの「縁」、終生……いや、永劫に忘れぬ』
ドアが、まるで付き人が開くかのように音もなく、滑らかに開いて、閉じた。
――カチリ
長谷川は、薄く息を吐いた。
面談終了後。
長谷川は、移転したばかりの真新しい執務室を見渡した。
だが、その壁面はすでに、飛散した怨念によって無残に穢されていた。
不自由な片腕で洗剤を吹き付け、何度も布で擦る。
しかし、呪いそのもののような黒い染みは、落ちるどころか広がるばかりで一向に消える気配がなかった。




