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部屋を掃除する潔癖症

執務室。


『……左様でございますか。恐れ入りますが、まずは規約に基づき、現状を維持したまま直ちに部屋の外へ退避してください。

絶対に壁やドアノブには触れないようお願いします。あ、警察への通報は――』


「それはこちらで手配済みだ。まもなく担当官からそちらへも連絡があるだろう。

それよりも、取り急ぎ代替のオフィスの手配を願いたいのだが」


長谷川は、予期せぬ仕事場の移転を強いられたことに、深いため息をついた。




1時間前。


手元の分厚いファイルを捲った。


【氏名:久住 栞】

【能力:部屋を掃除する】


(……便利だな)


長谷川は綺麗好きだ。

つい私情を挟みそうになった。


「……お入りください」


ドアが開くと同時に刺すような「清潔感」が部屋に流れ込んできた。

入室してきた女性、久住 栞。


その身なりは異様なほど整えられ、指先からは微かに除菌アルコールの匂いが漂っている。


「失礼します」


彼女は椅子に座る前に、ポケットから取り出した除菌シートで、座面を慣れた手つきで拭き上げた。


「……本日は、よろしくお願いします。久住です」


その徹底した動作に、長谷川は内心で舌を巻いた。

(……なるほど。これは強迫観念に近い「清浄」への執着だ)


「久住さん。では早速ですが、あなたの『部屋を掃除する能力』を見せていただけますか」


久住は淡々と、しかしどこか神経質そうに答えた。


「……はい。ただその前に……失礼は承知しておりますが、能力の使用中はマスクを付けさせてください。

埃が舞うのは、その、耐え難いので」


久住は鞄から新品のマスクを取り出すと、封を丁寧に破いて装着した。

そして、オーケストラの指揮者のように両手を広げる。


「では、始めます」


次の瞬間、長谷川の視界が揺らいだ。

完璧に清掃されていたはずの執務室から、目に見えない死角から、空調フィルターの奥底から――。


無数の微粒子が、磁石に吸い寄せられる鉄粉のごとき勢いで一箇所に集束し始めた。

久住の両手の間に、灰色の不気味な雲が静止して浮かび上がる。


「あれ、この部屋? ……それに意外と綺麗ですね。……あ! 失礼しました」


(……単なる気流操作ではない。埃という物質のみを正確に捕捉し、操作しているのか)


「掃除、完了しました。……これが私の能力です。すぐに破棄しますので」


「ちょっと待った」


長谷川が身を乗り出した。


「もし、部屋に観葉植物があった場合、その泥や土も吸い込みますか?」


「え? いえ、吸い込まないはずです。土は、その、……植物に必要なものですから。

試したことはありませんが、私の感覚がそれを『埃』とは認識しないでしょう」


(やはりだ。操作対象は、この女の主観による『不要な汚れ(ダスト)』というフィルターを通っている)


「その能力、操作対象を『分類』することは可能ですか?」


久住は戸惑ったように、しかし促されるままに腕を振った。

刹那、一つの埃の雲が霧散し、空中で「三つの雲」へと再構築された。


「で、出来ちゃいました……。これは服の繊維やプラスチック片。人工物です」


第一の雲。ネオンのノイズを混ぜたような、乱反射するシルバー。


「こっちは靴の裏の土砂や砂利。自然由来のもの」


第二の雲。不透明なセピア、あるいは枯草色のグラデーション。


そして久住の指が、最も密度の高い、光を吸い込む赤黒く錆びた鉄色――「第三の雲」に向けられた。


「これは、皮膚片や毛髪。生物由来の、残骸です」


長谷川の思考が加速を始める。

「久住さん、その『生物由来の雲』を……さらに、DNAの個体ごとに分類できますか?」


久住の指先が、緊張で微かに震えた。

再度手を振ると、第三の雲はさらに細かく分断される。


「……297人。それと、判別不能なノイズになりました。

目には見えませんが、感覚で分かります。ここにいた人間の、生きていた証です」


(……毎日、欠かさず掃除しているこのオフィスに、297人分の生体痕跡だと?)


綺麗好きの長谷川は、背筋に凍りつくような悪寒が走るのを感じた。


「……待て。その『ノイズ』とは何だ?」


「古すぎて個体がわからない、崩壊した埃です。……自分でも、説明しながら気持ち悪くなってきました……あれ? ……おかしいですね」


久住が手を振ると、第三の雲はさらに、二つの対照的な塊へと再構築された。

片方は、透き通るような乳白色の雲。

もう片方は、不気味な暗褐色の雲。


「長谷川さん、これ……。なんでだろう……、この白いほうは、296人の埃です。

こっちの黒いほうは、……たった1人の埃です」


「つまり、血痕と言いたいのですか?」


久住は怯えたように肩を震わせた。


「はい……。そうです」


「この執務室は三か月以上、私が借りている。掃除は毎日しているが、血なんて物はどこにもありません」


長谷川は眼鏡のブリッジをあげた。


(本来の相談などゴミ箱に捨てて、今はこの部屋で何が起こったのかを暴きたい……)


「掃除する前に戻せますか?」


「いえ、それは出来ません……。でも、怪しい場所を知りたいってことですよね? 長谷川さんの真下です」


「は?」


長谷川は下を向く。

どこにでもあるグレーのタイルカーペットだ。


「能力を使ったとき、そこだけ異常に綺麗だったんです。……掃除を超えて、『何か』が隠蔽されているかのように」


「久住さん、相談を一時中断してもいいですか? ……流石に、確認せずにはいられません」


「はい……、私も、知りたいです」


二人は頷くと、デスクと椅子を動かした。


(さて、この手のオフィスは床が二重式――OAフロアになっている訳だが。……厄介だな、片手は)


二人はグレーのタイルカーペットを引き剝がした。

下には、回転式の取っ手が付いた、パネルが設置されている。


「ガチリ」という硬質な音とともに、長谷川が右腕に力を込めた。

数年間一度も動いたことのないパネルが、「バリバリ……」と癒着していた素材が剥がれる不快な音を立てて持ち上がる。


そこには、赤黒い柱が鍾乳石のように幾重にもへばり付いていた。


(……信じられん。あまりにも不条理だ。

血が滴り、凝固した結果そのものではないか。コップ一杯どころの騒ぎではないぞ)


ふいに、長谷川の背後に布がかすれる音が聞こえた。


次の瞬間、再び長谷川の視界が揺らいだ。

嘘で覆い隠された床下から無数の微粒子が集束し始めた。


長谷川が振り返ると、そこに居たのは魅入られたように鉄錆の色の雲を見詰め、なまめかしく唇を舐める久住の姿だった。


「……長谷川さん、これ、……血だけじゃないですね」


狂った指揮者のように腕を振り回し、浮遊する雲をガシャガシャと並べ替えていく。


「化粧品? ……ファンデーションの粒?」


その瞳には、先ほどまでのあどけなさは微塵もなかった。


「でも、犯人はバカですね。

表面はピカピカにしても、床下の配線に絡みついた『死に際の叫び』までは、掃除機じゃ吸い出せなかったんだ」


「……ええ。掃除の本質を理解していなかったようだ」


長谷川は久住を好きにさせて、片手でキーボードを叩き始めた。


(掃除する能力? 騙されたよ。

これは、情報の墓場に死蔵された『真実ダークデータ』を暴く、極めて特異な鑑識能力だ。

……いや、裏を返せば、あらゆる証拠を無に帰す『情報の抹消能力』にもなり得る)


長谷川が叩き出した紹介状の宛先。


『内閣府 特別債務徴収室』


「久住さん、そろそろいいですか?」


「え? あ、はい」


振り返った久住に、長谷川は紹介状と封筒を差し出す。


「ご不便をおかけします。紹介状はその封筒に収めてください。

さて、あなたは捜査官になります。暴きたいのでしょう? 積み重なった汚れ(しんじつ)を」


「はい……、その通りです」


久住は長谷川を崇拝するように見つめ、ゆっくりとそれを受け取った。


「そこは表向きは、未解決事件の資料整理を行う窓際部署です。

ですが実態は、解決困難な事件を秘密裏に処理する特殊組織。

あなたの能力は、そこでこそ真価を発揮する」


「ありがとうございます」


久住は左手の上に浮遊する鉄錆色の雲と、右手に掴んだ紹介状を交互に見つめた。

まるで、新しい玩具を両手に携えた子供のような表情を浮かべた。


「……長谷川さん。ほら、見てください。私、あんなに潔癖症だったのに。

……不思議ですね。これがゴミじゃないと理解したせいでしょうか。

もう気にならないどころか、もっと欲しくて堪りません。……もっと、見たいです」


(……どこまでも極端な女だ)


「さて、早速ですが、ここから先は本当にその機関の仕事です。

初仕事ですよ、久住捜査官。案内の者を手配しますので、まずは好きなように捜査してください」


長谷川は、受話器を耳に当てた。


『……執務室の『徴収官』です。……ええ、特別債務徴収室をお願いします。

前の住人が忘れていった『生命の負債』を見つけましてね……』




自宅。


『――この度は誠に申し訳ございませんでした。移転先の物件につきましては、先ほどお伝えした通りで間違いございません』


長谷川は電話越しに、移転の日程調整と損害補填の交渉を淀みなくまとめあげた。

しかし、その会話はなぜか、以前にもしたかのような既視感デジャヴを覚えた。


「……ごめん。流石に、デタラメな殺人現場になってるオフィスを借りてたなんて、想像もしなかったわ」


隣でマリアが呆れたように零す。

かつての作者が遺した不条理は、人間にのみ宿るとは限らない。


帰宅した長谷川は、自宅のリビングで残った業務を再開した。

漆黒のファイルを、指先で静かに捲る。


【氏名:久住 栞】

【能力:部屋を掃除する】


(……この能力名は、再定義が必要だな)


本人の申告した能力から「主観」というフィルターを剥ぎ取り、長谷川が運用方法を矯正させた結果、それは全く別の権能へと変貌した。

対象空間に存在する全物質を分子レベルで「分画ぶんかく」し、異物を特定する――極めて論理的かつ冷徹なプロファイリング能力。


(……再定義するとすれば、こうか)


【能力:ダストプロファイル(塵埃分析官)】


この能力は、長谷川のある構想において最適解であった。

360名すべてを再配置して「円環」が完成した世界。

その先で長谷川とマリアに依存せず、秩序が自律的に維持される仕組みの構築。


彼は、通常の警察組織では解決不可能な案件の最終エスカレーション先として「徴収室」を定義した。

超常能力者全82名の中から、捜査に特化した能力者を5名選抜し、配置する構想。


最初のピースを見つけ、長谷川は確かな手応えを感じていた。



不条理はどこまで論理で抑え込めるのか。

その序章(第5話まで)にお付き合いいただき、ありがとうございました。

もしこの『バグ』の行く末に興味を持っていただけたなら、ポイントで読後感を残していただけると幸いです。

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