セーブ&ロードを繰り返す男 #10^43
10月10日。
秋冷がビルの隙間を通り抜け、行き交う人々は心なしか肩をすくめている。
長谷川は、前日に突如面談を申し入れてきた男、天呪原を待っていた。
規則正しいノックの音が、室内の静寂を打つ。
「……どうぞ、お入りください」
ドアが音もなく開く。
入室してきた青年、天呪原は丁寧に進み出て一礼した。
椅子に腰を下ろすその仕草は、研ぎ澄まされて無駄がなかった。
「天呪原さん、ですね」
「……懐かしいですね、長谷川さん」
天呪原は、遠い目をして微笑んだ。
「……覚えていますか。あれから僕は、あらゆる領域のスキルを学び終えました。
どれだけの月日が流れたのか……もはや僕の主観時間は、数字としての意味を成さなくなりましたよ」
彼は、観察するように長谷川を見据える。
「それでも、わからないことがある。長谷川さん、あなたは何者ですか?」
「……そうですね。全てお話ししましょう。
ただ、あいにく詳しい説明ができる者が出払っていましてね。もうすぐ戻るので、少々お待ちいただけますか」
「もちろん、待たせていただきます」
長谷川は手際よく人数分の珈琲を淹れ、差し出した。
天呪原はそれを儀礼的に一口だけ含み、再び口を開く。
「……全てを学びましたが、それはゴールではありませんでした。ようやく、この世界の『円環』に気づいたところです」
天呪原の視線が鋭くなる。
「例えば、あなただ。あなたはかつて『能力はない』と言った。……僕を騙しましたね? 長谷川さん」
長谷川は、隠す様子もなく口角を上げた。
「……言い方は悪いですが、ええ、騙しました。ですが嘘はついていません。
私には能力がありません、これは本当です。……厳密には『元・能力者』です」
その時、空間が、内側から暴力的に書き換えられた。
「表側」を食い破るようにして、一人の女性、マリアが、まるで最初からそこにいたかのように現れた。
「あー……。前に言ってた『カンストした子』って、この子のこと?」
「ああ。どうやら円環の存在を掴みかけているようだ」
天呪原の顔から、初めて余裕が消えた。
「全知」であるはずの青年の視界に、彼女の存在は一秒前まで影も形もなかった。
「……これは? 私の認識を、強制的に書き換えているのか?」
「認識? 違うわよ。あんたが視てる『世界』は、私にとっては一冊の本。好きなページを開いてるだけよ」
狼狽する天呪原は、絞り出すように問う。
「……率直に聞く。あなたたちは何者だ」
「んー、なんだろ? 管理者かな」
マリアが不敵に微笑んだ瞬間、天呪原は確信した。
――ここにいてはいけない。
彼は思考より速く、意識の深層にある「起点」へと跳んだ。
――ロード。
天呪原の姿が、霧散するように掻き消えた。
だが、長谷川とマリアの二人は、眉一つ動かさない。
「……ロードしたか」
「ふーん」
「座標は二十三時間前の天呪原だ」
「追いかけるよ」
「……彼は今、初めて、「全知」が通じない恐怖を体験している」
「うふふ、そういうことね」
マリアがクスクスと笑う。
長谷川が珈琲を啜る。
最後の一口を飲み干すまでの、わずか数十秒。
だが、その時間こそが、天呪原が死ぬ気で稼いだ二十三時間を、ただの「ページめくり」へと変える残酷な猶予だった。
「……さて、では彼の全能感を差し押さえに行くか」
二人は空になったカップを置くかのように、二十三時間前の扉を開いた。
10月9日。
10時10分43秒。
天呪原の自宅マンション。
「……はぁ、はぁ、……っ!!」
天呪原は、自室のドアを閉め、幾重にも鍵をかけ、その場に崩れ落ちた。
全身から嫌な汗が吹き出す。
心臓の鼓動が耳元でうるさいほどに跳ねていた。
「逃げ切った……。いや、あいつらは、そもそも追ってこれないはずだ。
ここは二十三時間前(ロード先)なんだから。僕以外は誰も……」
そう自分に言い聞かせ、震える手で顔を覆う。
だが、その視界の端に、「あるはずのないもの」が映った。
「……あ」
喉が、不自然に鳴った。
キッチンのテーブルに、二つのカップが置いてある。
つい今しがた、飲み終えたかのように。
「いい部屋だな。特にこのソファ、座り心地が良い」
聞き慣れたはずの穏やかな声が、背後から突き刺さる。
天呪原が絶望に染まった目で振り返ると、そこにはソファに深く腰掛ける長谷川、退屈そうに本棚を眺めるマリアがいた。
「……なぜだ。ここは過去、僕しか、来れない場所……」
天呪原の口から漏れたのは、壊れた玩具のような喘ぎだった。
彼の「全知」が、激しくノイズを発して崩壊していく。
さっきまで「自分の領域」だった部屋が、今はもう、得体の知れない怪物の胃袋の中に変わっていた。
膝の震えが止まらない。
彼は、自分が神だと思っていた。
だが今、目の前にいるのは、自分が制御できない「本物」。
「……全部、無駄だったんですね」
天呪原の瞳から光が消え、ただの、力に縋っただけの脆弱な青年の貌へと戻っていた。
「やっぱり、世界には『外側』が存在したんだ。僕のロードは、世界の『内側』でしか機能しない。
……これが正解ですね? 僕の能力の限界。ああ、全部、箱庭の中だったんだ」
(……フン、私も『内側』の住人ゆえ、ロードされれば記憶が消えるのだがな。
お前が何度もロードした結果、なぜか生まれる既視感に苦しめられたよ。
だがマリアには一切通じない、故に彼女は気付けない……それが事態を悪化させたな)
マリアが退屈そうに天呪原を指さした。
「で? あんたはどうしたいのよ」
「……飽きた、吐き気がする」
天呪原は真っ白な天井を見つめた。
その先にある青空を閉ざす、異能をもってしても穿てない世界の檻。
「……数世紀かけて最後に残った未知は、『僕の死』だけだ。もう、どうでもいい。
……ねえ、早くそのページを捲ってくれよ」
「いつまで、その薄っぺらな世界に引きこもってるの」
マリアの罵倒に近い一言が、天呪原を射抜く。
「そんな背表紙なんか引き裂いて外を見なさい。
あんたの全知をゴミ扱いするような世界が、掃いて捨てるほど積み上がってるんだから」
「……っ」
天呪原は青年らしい苦悶の表情を浮かべる。
「君が私達に出会う二十三時間前にセーブを固定しているのには、意味がある。……いや、必然だ」
繰り返された既視感の正体は、彼が能力に抱いた絶望の総数。
長谷川はそう結論付けると、冷酷な論理を言語に変換する。
「ヒトの設計図……二十三対の染色体に刻まれた、生物学的限界(DNAの枷)だよ。
君のロードは、最初からその鎖に繋がれていた」
その言葉は、天呪原の心臓を直接掴むような重圧を持って響いた。
「繰り返された数世紀。その円環の中で君の魂の配列は劣化し尽くし、もはや『人間』という種の定義から外れている。
……狭かっただろう。檻から出してやる」
長谷川が、淡々と告げる。
「二十三時間後、私の執務室に来なさい。君を異世界へ連れ出す」
「い、異世界……?」
「ああ。君の全知が通用しない、法則すら異なる世界だ。
どの世界に放り込むかは、君の適性を見て決める」
「……死ぬほど退屈しない場所を選んであげるわ。地獄だと思うけどね」
呆然と立ち尽くす青年を置き去りにして、二人の管理者は静かに空間に溶けていった。
残されたのは、冷めた珈琲の匂いと、かつて神を自称した青年の震えだけだった。
361人目の救済により、『円環』は『螺旋』となった。




