円環達成
執務室。
造幣局での業務を終えて、長谷川は疲弊を色濃く滲ませて帰還した。
部屋ではマリアとポチが、固唾を呑んで彼の帰りを待っていた。
そこには、鼓膜が痛むほどの重い静寂が満ちていた。
『通常案件 No.278 ステータス:回収完了』
長谷川はデスクに座ると、淀みのない所作で、最後の一片をファイルに綴じ込んだ。
合計360名。
S級23名、A級59名、通常案件278名。
計画通り、360日ですべてが完了した。
『カチリ』
ファイルを閉じる金具の音が、世界の端々にまで響き渡ったような気がした。
全てのログの保存が完了した。
「……終わったわね」
マリアとポチが一冊の完成されたファイルを見詰める。
彼女たちの体からは、連日の探索で染み付いた「不条理の澱」が消え、管理者としての純粋な輝きが戻っていた。
世界が「自律」を始めた証拠だ。
「ああ。360人、すべての再配置を終了した。……これより、この世界は完全に、我々が管理する物語となる」
長谷川は、予感に導かれるようにファイルの最終ページを捲った。
本来はあるはずのない、白紙のページ。
『10:10』
それは一文字の狂いもなく、ページの中央に記されていた。
「……なに、これ。私、書いてないよ?」
マリアの声が微かに震える。
(……ほう。時刻か、比率か。二進数か。
あるいは、ヨハネによる福音書 十章十節――『盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためだけだ。わたしが来たのは、羊が命を得、またそれを豊かに持つためである』か。
……この符号は、何を意味している)
長谷川は椅子に深く背を預け、眼鏡を外した。
「ねぇ、これ、どういう意味? ちょうど10時10分になれば何かが起きるの?」
マリアが壁に掛けられた時計を見る。
時刻は10時19分。
「……これだけでは断定できん。判明しているのは、360人を再配置した結果、謎のページに、謎の符号が記入されたという『事実』だけだ」
「謎ばっかりじゃない……。あ! 試しに改竄してみる?」
「見えない真実を改竄してどうする。重要なのは、この文字を観測した我々がどう行動するかだ」
長谷川は、眼鏡を拭きながら淡々と言った。
「1日目でも360日目でも、我々のルーチンは変わらない。『終わるまで、続ける』。それだけだ」
「……そうね。やることは変わらないわね」
「私はこのまま、ここでファイルを見返すとしよう。……最初の1ページ目から、すべてを」
「……そうね。私達も、第1話からもう一度、世界を観測してくるわ。もし何かがあったら、すぐに呼んでね」
マリアとポチは虚空を引き裂いて、異世界へ消えた。




