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自分の前世の職業がわかる女

大型書店。


ビジネス書コーナーの隅にある「資格試験」や「適職診断」の棚の前で、一人の女性が立ち尽くしていた。

自己分析という名の迷宮に迷い込み、出口を見失った者の背中だ。


そこに、整然とした棚の並びとはおよそ不釣り合いな、燃えるような赤髪とパンクファッションに身を包んだ少女――ポチが現れた。


「……見つけた」


「はいっ?!」


背後から掛けられた低い声に、女性は心臓が跳ね上がるほど驚いた。


「……就職先、探してるの?」


「え、あ……。はい、まあ……」


「……いい仕事、知ってる」


ポチに他意はない。

だが、その切羽詰まったような無機質な視線は、勧誘というよりは「獲物を追い詰める肉食獣」のそれだった。


「すいません。私、そういうの、結構ですから」


女性は逃げるように足早に立ち去った。


(……また失敗した)


ポチは自分の交渉能力の低さに、内心で小さく呟いた。


女性は逃げ込むようにエレベーターに乗り込み、狂ったように閉ボタンを連打した。

箱がゆっくりと一階へ向かって動き始める。

安堵の息を漏らした、その時だった。


「……ごめん。驚かせるつもりじゃない」


背後から聞こえるはずのない声が響き、女性は悲鳴を上げた。

いつの間にか、そこには先ほどの赤髪の少女が、影のように立っていた。


【氏名:澄川 由衣】

【能力:前世の職業を特定する】


「澄川さん。自分の前世の職業がわかる能力……持ってるでしょ。私は、能力者に適切な『居場所』を紹介する仕事をしてる」


ポチはマリアから教え込まれたセリフを、感情を殺してなぞった。


「……何もしない。……とりあえず、落ち着いて話そう」


エレベーターの扉が開くと同時に、澄川は外へ飛び出した。

だが、数歩走ったところで、背後に立ち続けるポチの「逃げられない視線」に屈したように立ち止まった。


「……少しだけ、ですよ」


二人は、駅前の騒がしいカフェへと足を踏み入れた。


(……S級案件、1名獲得)




執務室。


手元の分厚いファイルを捲った。


【氏名:澄川 由衣】

【能力:自分の前世の職業がわかる】


(……前世の職業を知っていながら、相談しに来るのか)


純粋な好奇心が、長谷川の内に静かな火を灯した。


「……次の方、どうぞ」


ドアが開き、入ってきたのは、洗練されたネイビーのスーツを纏いながらも、どこか浮世離れした静寂さを纏う女性だった。

澄川は丁寧に一礼し、椅子の端に浅く腰を下ろした。


「よろしくお願いします。では、早速ですが能力のご説明をいただけますか」


「はい。私は、自分が数百年前に何を職業としていたのか……その『履歴』がわかります」


「具体的に、どのような職業を?」


「……ある人生では、騎士の鎖帷子の錆を落とし続ける職業でした」


長谷川のペンが止まった。

彼の知的好奇心に火が灯る。


「澄川さん。これは業務とは無関係な、単なる個人的な確認だと思って聞いてほしい。

……その職の、当時の『年収』はいくらでした?」


澄川が困惑したように瞬きをする。


「年収、ですか? ……ええと、一日に、黒パンが二つ。

それに、半年に一度、擦り切れたチュニックが新調されるだけでした。金貨なんて、見たことも……」


(……ほう、黒パン二つということは? 現代価値に換算して日給800円以下、年収20万円以下か。

装備の維持管理という、軍事インフラの根幹を支えるプロに対して、あまりにも不当だ)


「またある人生では、教会のステンドグラスの煤を払うだけの掃除する職業でした」


「……こちらも日に黒パン2個程度ですが、『教会内の屋根裏や厩舎の寝床』が付いていました」


(年収は依然として不当だが、こちらは福利厚生が付いているとも言える)


「別の人生では薬種商として病を治していました。……熱が下がれば銀貨一枚、治らなければボロ家の玄関に石を投げられる。そんな生活でした」


澄川がデスクの角にこびりついた一ミリに満たない糊の跡を見つけ、会話をしながら無意識に爪の先でそれを完璧に削り落とした。


長谷川は綺麗好きだ。


(……そこは私も気になっていた。借り物のオフィス故に仕方が無いと割り切っているが、そうか。

さて、成功報酬型とはいえ所詮は個人ビジネス。年収は精々、200万円程度と言ったところか)


「最後は、辞書の編集者として、言葉の意味を現代に合わせて一語ずつ定義し直していました」


「出版社からの一括前払いで、今で言うと年収80万円くらいでしょうか」


(……言葉の定義を現代に合わせ続けるという、最も重要で、最も報われない保守)


澄川は伏し目がちに、力なく笑った。


「でも、当時の技術や知識は、何一つ引き継いでいないんです。今の私には特別なスキルもありません。

ただ『過去に何をしていたか』を知っているだけの、空っぽの人間なんです」


長谷川の脳内で、巨大な歯車が音を立てて回転を始めた。

鎖帷子の錆落とし。ステンドグラスの煤払い。薬種商。辞書の編纂。

彼は彼女の言葉の端々に潜む、ある「共通点」を即座に抽出した。


(彼女はそれらの人生において、一つの仕事を『死ぬまで』全うしていることになる。

つまり、数百年にわたる全人生において、彼女の辞書に『転職』や『挫折』という文字は一度も刻まれていない)


彼女の視線は部屋の隅や、カーテンレールのサッシをチラリと見ると、ピリピリと指先を震わせながら、唇に押し当てる。


(変わっているな。部屋の汚れが気になるか。……面接中だぞ)


鎖を磨き、煤を払い、病を、言葉を、治し続ける。

彼女は「何も持っていない」と言った。


だが、長谷川の目には、彼女が積み上げてきた全人生が、現代社会が最も渇望している「一つの聖域」へと収束していくのが見えた。


「お好きなんですね」


「え?」


「澄川さん。あなたは『何も持っていない』のではない。

あなたは数世紀にわたり、世界を『正常に保つ』という一点において、プロであり続けた」


長谷川の指が、まるで祈りを捧げるようにキーボードの上を走り始めた。


「少しだけ本音をお伝えします。

私は基本的に、能力が真価を発揮する職場を紹介します。

……その人にとって天国なのか地獄なのか? それは二の次です」


澄川は不安そうに、唇に両手を重ねる。


「だが。これまで生涯をかけて仕事をやり抜いた貴方だ。……生涯五回目の職業だ。今回は、特別です」


長谷川は、普段は見せない落ち着いた笑顔をした。

澄川の不安そうな両手は、期待で胸元に落ちていく。


「まずは、システムエンジニアになります」


「……まずは?」


「ええ、そうです。

貴方は『空っぽ』や『無秩序』が気に入らないのでは?

構造を理解して定義する、そういう入り口にちょうどいい職業です」


長谷川は確信を持って、言い放った。


「あなたが記憶を引き継がないのは当然だ、……必要ないからだ。

あなたが持っているのは知識ではない。『未定義を許さず、あるべき姿を描き、創造し、継続する』という、魂に刻まれた帰巣本能だ」


「私は、貴方が数世紀にわたってこの役割を完遂し続けているようにしか見えない」


「……私の、この……空っぽの記憶が?」


「空の記憶に対して、貴方の魂は何を叫んでいますか?」


澄川の瞳が、冬の星のように鋭く、冷たく輝き始めた。


「……あはは。不思議。全てが繋がる気がします。

……私は、『定義』したいです。

世界が言葉にできない曖昧な事は、私の定義で抑え込みたい。そして、永遠に維持したいです」


長谷川は満足げに目を細めた。

彼女は今、自らの「呪い」を「使命」へと書き換えたのだ。


「紹介状は三通用意しましょう。貴方の四回の生涯のうち、三回分の職務に対する正当な対価です。

一通目は先ほどの通り、システムエンジニア。貴方の性質が、最も効率的に現代社会を侵食できる入り口です。

すぐに行きなさい」


「……はい」


澄川は、長谷川から差し出された紙片を、まるで聖遺物レリックでも扱うかのような手つきで受け取った。

指先が微かに震わせながら、歓喜とも畏怖ともつかぬ涙が頬を伝う。


「二通目は三年後に見なさい。その頃の貴方の視座なら、この紹介状が持つ『意味』を十分に理解し、進めるはずだ」


「はい、信じます……。貴方の仰る通りに」


澄川は、二通目の封筒を宝物のように胸元へ抱き寄せた。

その瞳からは、かつての虚無感は消え失せ、熱を帯びた信仰の光が宿っている。


「最後の一通は――」


長谷川はカリカリと万年筆を走らせ、封をした。


「もし二通目に満足できず、貴方が再び『孤独』という名の不可解なノイズに耐えられなくなった時、

その劇薬を飲みなさい。それが三通目です」


「……ありがとうございます」


澄川は震える指先で、三通の封筒を揃えた。

長谷川はまだ話を終えていなかった。

彼は最後の一つ、漆黒の縁取りがなされた名刺を彼女の前に差し出した。


「そして、これは四つ目の人生への報酬だ」


澄川が息を呑んで名刺を見つめる。

長谷川は、冷徹なまでの眼差しで彼女を射抜いた。


「……勘違いしないように。

この名刺は、君の個人的な寂しさを埋めるためのものではない。

もし、不条理が君を抑え込もうとしたとき、私が直接介入するためのアクセスコードだ」


その言葉は、突き放すようでいて、彼女の存在を世界の根幹に繋ぎ止める絶対的な肯定だった。


「……直接介入」


澄川は、その言葉を甘美な福音として受け取った。

自分はただの「空っぽ」ではない。


この偉大な長谷川が管理する世界の、一端を担う「部品パーツ」として認められたのだ。

数千年の暗闇を歩き続けてきた自分を見つけ出し、光の中に配置してくれた「唯一の観測者」の部品となったのだ。


「すいません、泣いてしまって……。でも、ようやく……。ようやく、私は、貴方の世界に存在することを許された気がします」


彼女は何度も深く頭を下げ、祈りを捧げるような深い礼をした。

その姿は、長きにわたる放浪の末にようやく「あるじ」を見出した巡礼者のようだった。


退室の間際、彼女はドアノブに手をかけたまま立ち止まり、部屋の隅々を慈しむような、あるいは監視するような目で見渡した。


「……この世界の『秩序』、次にお会いする時まで、決して乱させはしません」


その言葉は、純粋な決意と、わずかな狂気を孕んでいた。


静寂が戻った室内で、長谷川は深く椅子に背を預けた。

完璧な仕事への高揚感が、彼の全身を心地よい疲労感で満たしていく。


(……ああ。私は今、累積する数世紀の孤独を、現代の動力へと変換したのだ)


それは能力の適材適所などという低次元な話ではない。

一人の人間の魂を、自らのロジックで再構築したという支配的充足感。

長谷川は無意識に、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。




業務終了後。


窓の外を望めば、108の世界を繋ぐ「物語の残響」が、遠い街灯のように頼りなく明滅していた。


長谷川は、デスクの上に広げられた重厚なファイルに、一片を丁寧な手つきで綴じ込んだ。


「……これで、359名。残りは1名、S級だ」


長谷川の呟きに、ソファで微睡まどろんでいたマリアが、重い瞼をゆっくりと持ち上げた。

彼女の目は連日の世界跳躍で赤く充血し、自慢のドレスも今や現場の埃で酷くくすんでいる。


その隣では、着せ替え人形ポチが、制御に失敗した自身の火球に焼かれたのか、パンクな衣装のあちこちを無惨に焦がしたまま泥のように眠っていた。


「……ようやく終わるのね」


「……ああ、そうだな」


二人の間に、重い沈黙が降り積もる。

それは言葉にするまでもない、冷徹な確信だった。


円環が完成へと至るとき、この24ページ目の白紙に、何かが起こる。



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