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自分に対する殺意が見える男

早朝。


「今日、私も同席していい? 気になる能力者がいるの」


マリアは優雅に紅茶のカップを置き、悪戯っぽく微笑んだ。


「……業務の邪魔をしないのであれば、構わないが」


「じゃあ、午前中はここに居るわ。……ポチ。案件、任せるわね?」


名前を呼ばれた少女――ポチは、信じられないものを見たかのように目を見開いた。

マリアの隣から引き剥がされる。

その事実に、彼女の顔から血の気が引いていくのがわかる。


「……っ、……はい。マリア様」


「どうしたの? 貴女もう相当、強いのよ? 大丈夫」


長谷川は哀れなポチを一瞥した。

幾多の戦場とマリアの気まぐれで強化された戦闘能力は折り紙付き。

事務作業の精度も、今やベテランの域だ。


単独での任務遂行に支障なしと判断し、すでに一部の権限も委譲している。

客観的に見れば、彼女はもはや完成された「猟犬」だった。


「……大丈夫です。お昼に戻ります」


絞り出すような声。

マリアが自分以外の誰かに執着を示す――その「気になる能力者」への、どす黒い嫉妬心を必死に押し殺しながら、執務室を後にした。




業務開始。


手元の分厚いファイルを捲った。


【氏名:中村 蓮】

【能力:自分に対する殺意の視覚化】


長谷川は隣で退屈そうに指先を弄んでいる女――マリアを一瞥した。


「……次の方、どうぞ」


入ってきたのは、中肉中背の男、中村だ。

その目は血走って赤黒く濁り、こけ落ちた頬が、彼が削り取ってきた正気の残量を物語っている。

中村は椅子に崩れ落ちるなり、震える声で絶望を絞り出した。


「……長谷川さん。助けてください。僕はもう、この力のせいで……まともに眠ることもできない」


長谷川は、事務的な優しさを含んだ声で応じた。


「大丈夫ですよ、中村さん。ここは相談の場です。まずはあなたの能力について、詳しく聞かせていただけますか?」


「……自分に対する殺意が、煙のような形で見えるんです。今、あなたからは何も見えません。

お隣の方からも。ですが、文字からでも殺意は伝わってくる」


中村は、無言で圧倒的なプレッシャーを放つマリアから視線を逸らすように続けた。


「先日、仕事でミスをして謝罪に行ったんです。

上司は『気にするな』と笑いながら、その実、目と口から赤黒い煙をぶち撒けていた。

僕の頭を机に叩きつけるイメージを明確に描きながら……。ただ、損得勘定が勝っているから、彼は実行に移さないだけ」


「世界が……裏表のない悪意で満ちているように見えるんです」


「……ではその能力、使わなければよいのでは?」


「それが出来れば……! 能力を解除している間に、誰かが僕を殺そうとしているかもしれない。

そう思うと、常時発動させて確認せずにはいられないんです」


長谷川はしばらく沈黙した後、手元の紙の裏にペンを走らせた。


「中村さん。文字からでも判別できると言いましたね。これを見てください」


提示された紙には、『警察署長への脅迫状』と記されていた。


「……何か見えますか?」


「いえ。僕宛てじゃない。ただの無機質なインクの跡です」


長谷川は満足げに頷き、紙を伏せた。


「では今から一分間、あなたは自分を『警察署長』であると強く定義してください。よくある『一日警察署長』みたいなごっこ遊びです」


中村は困惑しながらも目を閉じ、深く息を吐いた。


時が経ち、長谷川は、再び提示する。

中村の目が見開かれた。


「……あ。見えます。僅かに、湿った湯気のようなものが。殺意はないけれど……僕に向けられたメッセージだと、認識している」


長谷川は短く鼻を鳴らした。


「いいですか。あなたの能力は、対象そのものではなく『宛先』を認識して発動する。

つまり、あなたは自分という宛先をハックすることで、世界中の悪意を抽出できる『観測機』になれるというわけだ」


「で、でも、僕は……、この能力が辛くて……、助けて欲しくて……」


「ねぇ、その能力、使いにくいわ」


それまで黙っていたマリアが、凛とした声で割り込んだ。


「『自分だけ』なんて、そんな下らない設定誰がしたのかしら? 消しちゃいましょう、その不自由な制限リミット


「……マリア?」


マリアは指を鳴らした。


「ほら、救ってあげる。……世界は誰かを殺したい『熱いエネルギー』で溢れているの。

さあ、少し見てきなさい。……大丈夫、壊れたら私が『直して』あげるから」


(――能力の改竄だけはしない約束を!)


【改竄:能力の制限解除リミットブレイク


中村の瞳が、見たこともない色に染まった。


「あ、な、うわあああああああああ!!!」


彼の絶叫とともに、中村の肉体は世界の境界線を突き抜け、掻き消えるように消失した。


「……マリア、待て。彼の精神に負担をかけ過ぎている、やり過ぎだ」


「制限を外しただけよ。もういらないでしょ? 貴方も彼を『ハック』したでしょう? 同じことよ」


長谷川は、残された空の椅子を見つめ、深く長い溜息を吐いた。




大都会。


中村は交差点に放り出された。


鼓膜を震わせる喧騒。

だが、それ以上に凄まじい「視覚の暴力」が彼を襲う。


信号待ちのドライバー。ハンドルを握る手からは、前方の軽自動車を「轢き潰してやりたい」という衝動が、どす黒い排気ガスのように噴き出している。


「……あ、あ。僕じゃない、僕に向けられていない殺意が……全部見える」


背後で子供の泣き声がした。

振り返った中村の目に映ったのは、母親の背中から溢れ出す「この子のせいで私の人生は台無しだ」という、鉛のように重い殺意だ。

それはただれた赤黒い腐汁となって、アスファルトに滴り落ちていた。


「煙じゃない……。もっと、悍ましい……何かだ」


意識が遠のき、へたり込もうとした瞬間、サラリーマンと肩がぶつかった。

「すいません」と頭を下げる男。だが、その首筋からは『血に濡れたナイフ』が中村を目前まで突き出した。


中村は交差点を見渡した。

どこにも、まともな人間の形をしたものは居なかった。

誰もが赤黒い毒々しい何かをまとい、行儀よく整列して、地獄のパレードのように交差点を渡っている。


「うわああ、アアアアッ!!!」


中村は脱兎のごとく走り出した。

視界をぎるのは、赤黒いムカデの足を生やした犬。


爛れた彼岸花の顔を咲かせた女。


巨大なヘドロの脚で地面を汚しながら歩く学生。


彼らは誰も、まだ何もしていない。

ただ飼い主を慕う犬であり、煙草の煙を不快に思う女であり、友人と笑い合う若者だ。

――だが、その心根の奥底で、誰もが「死ね」と、一瞬の火花のように決意している。

その鮮やかな殺意の結晶が、中村の網膜を無慈悲に突き刺した。


男はコンビニの洗面所に駆け込み、すぐさま蛇口を捻った。

氷のような水で、剥き出しの眼球を必死に洗い流す。

震える両手を見つめた。……いつもの、自分の手だ。


「はぁ、はぁ……」


呼吸を整え、意を決して顔を上げた。

鏡の中にいたのは、剥き出しの赤肉だった。


数千の刃で全身を縫い止められ、血膿の泡を吹きながら、『助けて』とむせび笑う、異形。

鏡の中の「自分」と目が合った瞬間、快楽と絶望が中村を支配した。


「アハハハハ!やっと、わかった……アハハあ!」


世界で一番、こいつ(自分)をぶち殺したがっているのは――。


「俺だあああああハハハ!! 俺だったんだよ!ゲハハハ!!」


拳を叩きつけ、鏡を粉砕した。


「お、お客様?! お、落ち着いてください!」


駆け寄ってきた店員の顔面からは、赤黒いガラスの破片が剣山のように生え揃っていた。


「ハハハ! ガラスくらいかよ?もっと生やせよ、つまんねエナアァ!!!」


中村が詰め寄ると、店員の顔から突き出していたガラスが、一瞬で霧散した。

殺意が消え、純粋な「恐怖」に上書きされたのだ。


「ゲハハッ! 怖がったら殺意が出ねえだろ? 何やってんだハハハ!!」


中村は、鏡の破片でズタズタになった拳を振り回し、引きった笑い声を上げながら店を飛び出した。


男が世界の境界線を突き抜け、相談室に落ちてくる。


「ハハハ!! ……あ?」


「……中村さん、大丈夫ですか?」


「……ああ、そうか。アハッ!」


中村が椅子を蹴り飛ばした。

壁に打ち付けられた椅子は宙に浮き、無様に転がる。


「俺に何をした?」


「制限を解除したのよ。よく見えるんじゃない?」


「へえ、じゃあ見せてみろよ」


中村はペン立てに刺さったハサミをひったくり、マリアに向かって全力で投げ飛ばした。


――だが。 ハサミはデスクの上で不自然に静止し、カランと落ちた。


「なっ?! あ? ……見えない?」


「『能力』なんか効くわけないでしょ」


「グッ、ア、な……!!」


中村の身体が、本人の意思を無視して、機械のように動き始める。

叫び声を上げながらも、男の手は丁寧に椅子を拾い上げた。


苦悶の表情を浮かべながら、お行儀良くデスクに戻り、座る。


「で? その能力どうしたいの? 消す?」


男は理解した。 この女には逆らえない。絶対的な、生物としての格差。


「……ハハハ、使いますよ。人の醜さが見えた。悍ましいが、芸術作品みたいでしたよ」


中村は歪んだ笑みを浮かべる。


「もっと見てみたい。僕より悍ましい『傑作』が居るのか、知りたいですね。……ゲハハ!」


「あら、いい眼になったわね」


「……さて、では相談室に戻ります」


長谷川がキーボードを叩き始めた。


「中村さん、もう説明はいいでしょう。

『内閣府 特別債務徴収室』……配属先はこちらです。

ここはあなたと同じ超常能力者専用の配属先です。貴方はここで犯罪者を追います、当然、殺意も一般人のそれとは根本的に異なる」


中村は努めて、静かに様子を見ている。


「あなたの人生から平穏は消えるでしょう。ですが、見たいのでしょう?

あなたにしか見えない、そういう狂った芸術作品。……どうしますか」


長谷川はプリントアウトされた紹介状を特別な封筒に収め、差し出す。


中村はしばらくの間、紹介状を見つめていた。

やがて、彼は一通の封筒を手に取ると、ふと思い出したかのように顔を上げた。


「……長谷川さん。一つ、聞いてもいいですか」


「なんでしょう」


「長谷川さんの殺意……、今日、お会いしてからずっと『無』です」


長谷川の手が止まった。


「会話をしていてもずっと殺意が無い人、僕は初めて見ました。

普通の会話でも、感情の揺れで多少、湯気のような煙が出る人がほとんどですから。

……長谷川さんにも、能力が効かないのですか?」


長谷川は自嘲気味に、口角を上げた。


「……ほう、それは私にとって、喜ばしい事実の証明だ。

殺意を抱くには熱量が必要だ、そんな非効率なコストを払うくらいなら、

私は君の残業代の計算でもしていた方がマシですよ」


「……そうですか」


中村の体に、暗い衝動がたぎる。


『見たい』


目の前の、長谷川という人物が抱く「殺意」の具象を。

その悍ましい姿を見たい。


だが、隣に高圧的に座る女性を一瞥し、一礼して部屋を去った。


――静寂。


「……また見てみたいかも。……貴方の殺意」


(やれやれ、勘弁してくれ)


長谷川は手で制すと、淡々とデスクの片付けを始めた。




昼休み。


ソファで堕落する二人の女を無視して、業務を続ける。


(……徴収室は、これで完成だ)


長谷川は確信を深めた。

中村の能力は、徴収室を「起きてしまった事象」への受動的な対応組織から、事件そのものを能動的に封殺する特務集団へと昇華させた。


あらゆる殺意を可視化する中村の眼の前では、事件を未然に防ぐことなど、もはや必然ですらあった。

「捜査」という泥臭いプロセスは形骸化し、あらかじめ用意された正解をなぞるだけの、無機質な「答え合わせ」へと変質していた。


指先が、機械的なリズムでキーボードを叩き始める。


宛先:内閣府

件名:特別債務徴収室 人材紹介案件の完了について


貴府より委託を受けておりました能力者の人材紹介案件は、今般の中村の登用を以て、すべての欠落ピースが埋まったものと判断し、完了といたします。


長谷川は一切の感慨を排した手つきで、送信ボタンをクリックした。


残る課題は、24ページ目の人物。

だが、長谷川は確信していた。

その人物との対決が、すぐそこまで来ていることを。



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