忙殺される長谷川
異世界。
「ハァ……ハァ……っ!」
渾身の焦熱球は、ついに神代の装甲を打ち砕いた。
業火に焼かれながら、尖兵は最期の呪いを紡ぎ、不気味な軋みと共に崩れ落ちる。
だがその瞬間、ポチの細い腕が、自身の意思を無視して自らの首を締め上げ始めた。
「……っ、が……っ、あ……」
地面に転がり、酸素を求めてもがく少女。
その耳元に、磨き抜かれた令嬢のヒールが立てる、冷たく、優雅な音が近づく。
「ふーん。コイツ、やり過ぎね。……この子を壊していいのは、私だけよ」
マリアが傲慢に指を弾くと、崩壊しかけていた尖兵は不条理の壁に圧し折られ、空間ごと引き千切られるようにして消滅した。
「……あ、……マ、リア、様……」
「可哀想に、痛かったね……」
マリアは聖母のような慈しみで、その絶対的な権限を「褒美」として執行した。
【改竄:ポチの負傷および装備の修繕。あと、少しポチを強くする(ご褒美)】
「ありがとう、ございます。……マリア様」
死の淵から引き戻された安堵に震える少女は、プロとして強引に呼吸を整える。
その視線の先には、戦意を喪失し、呆然と立ち尽くす召喚者がいた。
「ここの『支配者』を気取ってるの、貴方ね」
【氏名:ヴァルター・フォン・レギール】
【能力:忠誠がズレる】
【改竄:『冒険者パーティの盾役(欠員)』として異界へ強制配置転換】
「……通常案件1名、作業が完了しました」
「はい。よくできました」
マリアは優しく「請求書」をポチの手へ滑り込ませた。
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損害賠償請求明細書(事後更新分)
■事案
神代の尖兵(劣化コピー)との遭遇、および戦闘不能回避のための緊急介入。
■直接損害(経済的損失)
ポチの救援費用 : 0円(主による特別控除)
ポチの強化手数料:204万円(ポチの年収と同額)
■必要経費
ポチの日給: ▲8,000円
危険手当 : ▲ 500円
■合計
未払い債務: 51,245,600,000円(約512億円)
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かつて空を焦がそうとしたその瞳は、今はただ、主の寵愛を求めていた。
債務が増えるほど、彼女は主との絆が深まるような錯覚に囚われる。
その陶酔した表情を見つめ、マリアは恍惚の笑みを浮かべていた。
執務室。
一日にS級が6名。
多忙を通り越した、異常な一日だった。
09:00。
【氏名:浅井 健太郎】
【能力:鼻の頭がぼんやり光る】
「……ぼくの鼻の頭が、ぼんやり光るんです」
「非常に、その……情緒あふれる能力ですね」
『光源:鼻(微弱)』。
読書灯にも満たない光度が、10秒かけて点灯し、消灯する。
その明滅に合わせて、長谷川の胃が微かに疼いた。
あまりに無益な情緒。長谷川にとって「光が見えない」時間の始まりだった。
45分後。
「……その情緒を逆手に取りましょう。お化け屋敷の暗闇で、周期的に発光するんです。
闇の中から突如として鼻先だけが浮かび上がる、未知なる恐怖として」
論理的な最適解に辿り着けなかった敗北感を噛み締めながら、紹介状を渡す。
彼は感謝の言葉を述べると、鼻頭を蛍のように明滅させながら廊下へと消えていった。
(……ダメだ。最後まで粘ったが、どうしても経済的価値に変換できなかった。安易な『お化け屋敷』に着地してしまうとは)
――長谷川、敗北。(最適解がわからなかった)
10:00。
【氏名:矢野 駿介】
【能力:『自動ドア』が自分にだけ反応しない】
彼は入室さえできなかった。
警備員に両脇を抱えられ、ようやくデスクの前へ運ばれる。
「自動ドア、自動水栓、自動改札……あらゆる文明が私を無視します」
長谷川の口角が、冷徹に吊り上がる。
(……勝ったな。それは拒絶ではない)
12分後。
「あらゆる物理センサーをすり抜けるあなたは、機械文明における『透明人間』だ。
その能力を無駄にしてはいけない。国家機密を扱う特務機関の、セキュリティ脆弱性診断員として推薦しましょう」
帰り際、彼が立っても自動ドアは沈黙したままだったので、長谷川は外まで見送った。
――長谷川、勝利。(能力の最適配置)
11:00。
【氏名:羽鳥 理】
【能力:孤独で雑草を育てる】
「新人歓迎会で、気づいたら会場をジャングルにしてしまって……」
「なるほど、独りでいるより集団で浮いてしまうほうが、雑草が育つと」
(孤独で「雑草を育てる」というか、「密林を召喚する」と表現したほうが正しいのでは?)
26分後。
「能力は孤独を糧にする。ならば、あなたを孤独にさせない場所が、あなたの檻であり救いだ。
子供という、個人の孤独を物理的に粉砕する嵐の中に身を置きなさい」
長谷川は、児童福祉施設への就労訓練を案内した。
能力への最適化だけが解決ではない。
彼女が去った後のパイプ椅子には、一輪の四葉のクローバーが、申し訳なさそうに咲いていた。
――長谷川、勝利。(個性の最適配置)
12:00。
昼食。
即席ラーメンにお湯を注ぎ、タブレットでニュースを流し読みする。
見出しには『豆腐を触媒に量子を観測する奇跡』『豆腐価格高騰』という文字が並び、彼は無言で画面を閉じた。
(……私は、彼らに『適切な居場所』を提示しているだけだ。この狂った世界でな)
13:00。
【氏名:根本 誠一】
【能力:少しだけ透明になれる】
「始めます」
根本が透明になり始める。
「できました」
「……は?」
それは、想像していた透明化ではなかった。
根本の輪郭ははっきりとそこに存在している。
だが、その肉体越しに、背後のブラインドの縞模様が、ぼんやりと透けて見えるのだ。
(……推定透過率、30パーセントといったところか)
47分後。
「……つまり、3割は幽霊な訳ですから。ちょうど、先ほど入社を決めた同期もいます。お化け屋敷で、中途半端に透けてください……」
彼は3割ほど頼りない笑顔を浮かべ、擦りガラスのように背景に溶け込みながら退室した。
(……またダメだった、どうあがいても、3割だけ透明化……、わからなかった。……また「お化け」にしてしまった)
――長谷川、敗北。(最適解がわからなかった)
14:00。
【氏名:神崎 隼人】
【能力:100メートル先の『マヨネーズの残量』がわかる】
「この先のスーパーの倉庫です、最も充填されている個体で、99.999999921パーセントです」
(……小数点以下、9桁。かつての作者、なぜそこに全振りした)
長谷川の知性が、マヨネーズという名の深淵に飲み込まれかける。
23分後。
「……あなたは、ただ職場が100メートル先にあるだけでいい。
防護服を着る必要も、殺菌室を通る必要もない。工場の『外』から検品を行えば済む話だ」
「……あの家の冷蔵庫の中身は、5.586%です」
と、お礼にどうでもいい情報を言い残し、彼は去った。
――長谷川、勝利。(能力の最適配置)
15:00。
【氏名:若林 慶介】
【能力:10円硬貨を5円硬貨に変換する】(犯罪)
「……フンッ!」
硬質な音と共に、若林が握りしめた10円玉が、穴の開いた5円玉へと変質した。
(……!? 私の財布の中の10円玉までもが連鎖しただと……!)
「若林さん、今すぐ手を止めなさい。それは能力ではない。
『貨幣損傷等取締法』に抵触する立派な犯罪だ」
資産価値を強制的に半分にする厄災。
ついでに長谷川家の微々たる財政にも損害を与えた。
「あなたの居場所は、ここ以外にはありません。
造幣局の偽造対策部門です、厳重に管理させてもらう。
あと見てしまったものはダメです、その5円玉も預かります」
若林はバツが悪そうに5円玉を差し出した。
「あなたが本当に職員になれたら返しますよ」
「わかりました。……あと、兄も、よろしくお願いします。似た能力なんです」
「……兄?」
――長谷川、勝利。(能力の最適配置)
15:49。
手元に残ったファイルには、さらなる絶望が踊っていた。
『相槌を奪う』
『右手だけ先に帰る』
『相手の肩の荷の上に座る』――。
「……はは、……ははは」
乾いた笑い声が、執務室の壁に虚しく反響した。
業務終了後。
もはや世界の余命一年は課題ではなくなった。
10か月程度で、円環自体は達成可能な見込みが立っている。
長谷川の調査対象はこのファイルそのものになっていた。
「マリア、このファイルを徹底的に洗って欲しい。具体的には、このファイルが私を、あるいは世界を歪めているかだ」
マリアは自身が生成した漆黒の分厚いファイルを見て、躊躇うように鑑定を始めた。
【改竄:このファイルが長谷川に干渉しているか分かる】
――個体への干渉なし。
【改竄:このファイルが世界に干渉しているか分かる】
――世界構造への間接的な干渉あり。
「……え?!」
「……ほう?」
長谷川は、乾いた笑い声をあげた。
「……まさか、このファイルが鍵だったとはな。では話が早い。次は『なぜ』と『どのように』だ」
「わ、わかった……」
【改竄:なぜ世界に干渉するのか分かる】
――円環からの逸脱を阻止するため。
【改竄:どのように世界に干渉するのか分かる】
――円環の強制再起動。
「……想定外だな。我々の円環を望まない、だが管理者でもない『何か』が居る」
「再起動って……」
「ああ、これが私の感じていた既視感の原因だろう。管理者である君には干渉せず、私だけ干渉を受けて既視感があるのだ」
【改竄:そいつはS級案件か?A級案件か?あるいは登場人物か?分かる】
――該当しない。
【改竄:そいつはどこにいる?】
――その時点において複数座標に存在する。
「個人が複数の居場所? 面白い、ここに引き摺り出そうか」
「え、待って、いますぐってこと?」
「そうだ、先延ばしにする理由が無い」
「……わかった」
【改竄:そいつをここに連れてくる】
――参照権限なし。
二人は顔を見合わせた。
「……なるほど。時間がかかったが、全貌が見えてきたな」
長谷川は、空白の24ページ目を開いた。
361ページのうち、たった1ページだけマリアの権限が通用しない領域。
そこに権限で守られた「何者か」が居る。
論理的に可能性は2つしかない。
1つ、管理者権限を持つ『かつての作者』が過去に守った「何者か」がいる。
1つ、管理者権限を持つ『マリア』が「何か」をしている。
長谷川はファイルを見ながら困惑する女を一瞥した。




