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ということで僕は野枝小道と共に放課後の図書室に居た。
「なんでだ?」
「あまり独り言を言わない方がいいですよ。一緒に居る私まで変に思われてしまうので」
澄まし顔でそう口にする野枝小道を見ていると先ほどのHRが終わり、各々が帰り支度に勤しむ教室での一幕が思い出されてきた。
『あなた、昨日はやってくれましたね。私はそんなに都合のいい女ではないんですよ、お分かりですか? それなのにあなたときたら──』
『ちょーっと待て、言い方! あと凄い目で見られてるから!』
『何が見られている、ですか。そもそも』
……と続けるこいつを図書室に連れてきたのは、僕だな。
じゃあ、図書室にいるのは僕の仕業に違いない。なるほどね。教室の片隅を欲しいままにする僕を舐めないでもらいたい。不意に衆目に晒されると逃げるぞ僕は。
気を取り直し、用件に当たりを付けて口を開く。
「もしかして、本持ってきてくれたのかな。ごめんね、迷惑かけちゃって」
「いいえ、お気になさらず。持っていませんので」
「ん?」
「はい?」
何用なんだよと僕が首を傾げるのに合わせて野枝小道も首を傾げてくる。傾ける方向が鏡合わせになっててどこまでも視線が合う。気不味くて視線を逸らす。
「何故、私があなたの本をあなたの為に持ってくる必要が……?」
同級生だから、とか言おうとしてそういやこいつ人の名前を勘で呼ぶ奴だったと思い直す。むしろ僕の顔を覚えているだけマシなのかもしれない。こいつが初恋だったって本気かよ僕。見る目ねえな。
「野枝小道先生、ではどういったご用件でしょうか」
心が折れないようにせめて戯けて、精一杯の虚勢を張った僕を、野枝小道は怪訝に見やる。
「別段、作家としてあなたに話しかけたわけではないのですが。苗字で構いま──いえ、先生ですか。野枝先生。小道先生。良いですね。小説家としてはどうしたって若輩ですし、高校生というのもあってか中々そう呼ばれないので気分がいいです。許しますので野枝先生と呼びなさい」
あ、はい。と頷く僕を満足気に見やると図書室から出て行こうとする。いや、待って。
「あの、何用で」
「ああ失礼。見る気はなかったのですが」
こちらをと差し出された紙には僕の文字がのたくっている。思わず掴み取る僕を珍しいものを見るように野枝小道がしげしげと、なんなら不躾に眺めてくる。
「読んだの」
「そのつもりは無かったんですが。創作メモですよね。ということはあなたも小説ないし準ずる創作活動を行なっている、違いますか?」
きゅっと昨日とは違う不快感が胸を締める。
小説を書くのが好きで、小説家を目指してる。そんな夢を口にするのは気恥ずかしくて誰にも言わずにいて、その癖誰からも認められたいと願っている。僕の本は面白いんだと。
自分の恥部を明らかにされたような気になって顔がかっと熱くなる。
「私の見立てでは小説家志望ですね。新鋭気鋭の美少女女子高生作家にお近づきになって編集部とのコネをこねこねしようと甘い考えに溺れていたら知った顔がそこに居て動揺。思わず逃げるように立ち去った」
といったとこでしょうか。なんてしたり顔で言い当ててくる。流石ミステリ作家、一から百まで当てられるのか。自己肯定感も凄い。
自分の不甲斐なさに泣きながら寝たことも言い当てられていたら死んでいたかもしれない。
寝ればどんなに辛いことも受け流せる僕といえど、傷口は抉られたくないのだ。痛いから。
「だとしたら」
そう口にして野枝小道は口を閉ざす。何か考えをまとめるように、指先をくるくる回して。
だとしたら、なんだというんだろう。コネをこねこねするのに否定的な響きが間違いなくあって。だったらこの会話は何に繋がるんだろう?
「私は優しいので言うことにしましょう。やめたほうがいいですね」
触られてないのに。首が絞められたような感覚が這い回る。脳の中がざわざわ騒がしくて、何をやめろと言われてないのに、勝手に答えを出して怯えてる。
それなのに僕は自分でそれを口にする。
「それって、作家を」
「他にありますか? 今のままならそうしたほうがいいです。いいですか、作家なんて自分の頭の中を誰とも知らない人達にひけらかす奇特で酔狂な人種といっても差し支えないわけです。創作に携わるということは少なからず自分の中身を曝け出さなくてはならないのです。それをたかだか同級生に、可憐で美少女とはいえですよ、知られたからといって立ち竦むなら辞めたほうがいい」
かちん、と。ああ、本当に言葉通りにカチンと頭の中で音が鳴った。
いけしゃあしゃあと好き勝手言いやがってとか。顔が良いからって言っちゃダメなこともあるだぞとか。何より、読んでもいないくせに! だとか。
むかつくぜ、作家め。
「……へー、野枝小道先生程になると人の著作を読むこともなく適性の有無だけで判断出来るんだ」
「天才ですからね。得意なジャンルはミステリですので」
「僕の小説じゃ目指せない根拠は碌に提示できないよね。今まで知らなかったわけで」
「知りませんよ。それでも察せるものがあるわけです。天才ですからね」
なんだこいつ、無敵か? あらゆる根拠が自身の天才性に依存しすぎてる……。こんなの何らかのルールとか決まりを破ってるに違いない。
あまりの無法っぷり、傲岸不遜といってもいいんじゃないか? その態度に毒気が抜ける。
ただ、やってやらー! という思いだけは腹の中に留まって。
そもそもとして、僕は小説が好きなのだ。読むのも、書くのも。
でも、とも思う。思ってしまう。
仮に、野枝小道が正しかったとして。
物語を考えるのが、自分の頭の中だけのそれを書くことが好きで、こんなに面白い話があるんだぞ! なんて言い張りたくて。確かに、面白くないだとか読みもせずに無視されるとか、そういった震えるほど怖い感情は常に潜んでいて、それでも作家になりたいと望んでるのだ、僕は。その思いを語るのには幾つもの積み重ねがあって。そこに至るまでの想いは日に日に強くなっている。
作家になれないぐらいなら死んだほうがマシだなんて嘯けるくらいに、僕はなりたいんだ。作家に。
「仮に、君の言うことが正しかったとしても、だとしても僕は小説を書くことをやめられない」
へーと眉尻を上げる野枝小道は何度か頷くと腕を組む。
「いいじゃないですか。人に辞めろと言われて辞めるような夢なら始めない方がマシですからね」
野枝小道は誰もいない図書室をふらふらと歩き、四人掛けのテーブルに寄り掛かる。
「私から言わせれば何も書かずにいられるなんて普通ではないんですよ。私はここに居るぞー、とか。私の考えを知ってくれーだとか、なんでもいいんですよ。俗っぽい思いをありったけ書き記せと思うんです」
なんか、凄いこと言い出した。何か、方向性の話? こう夢を抱いておいて追いかけないのは普通じゃない、的な。知らんけど。あいにく、僕は天才作家じゃないのだ。
「とはいえ、書かないことを無自覚に選んだ人達が読者層の大多数となるわけですから大っぴらにいいませんが」
まあ、けったいな奴等だなと。何が受けたのか、ひひひと肩を震わす野枝小道はなんというか魔女めいていて思わず一歩下がってしまう。確かに普通じゃない、これが作家か。
「とはいえ、本気で目指すのなら指標を決めなさい。先達からの最初で最後のアドバイスですよ。なんでもいいので、公募を出しているレーベルに送りなさい。そこで自分の力量ってやつを知ることです」
「もう、出してる」
「長編ですか? それとも短編? なんだ、存外やるじゃないですか」
「長編。ライトノベルの」
処女作だった。めちゃくちゃ面白いの書けちゃったと、小躍りして。何度も確認してこれは傑作だと投稿した。去年末のことで、結果は言うまでもないだろう。
「どうだったんですか」
まあ、長編の処女作なんてそんなもんさみたいな気持ちはあったから、素直に答える。初めてで上手くいくほど望んじゃいない。少しは願ったけど。
「一次も通らなかったね」
「……センスがないですね」
「まあ、ほら処女作だったからさ」
「んんん? まさか書き上げたテンションひとつで応募したんですか?」
いや、僕だって応募してから思ったよ? あれ、これって本当に面白い? どーなの? ってさ。少なくとも初めての長編は誰の目にも留まらなかったわけで。悔しくて泣いた。
「やはり、辞めたほうがいい気がしますね……。あなた、えー、くり、ふり?」
「やめろ、栗本だよ」
なんだその、変なテレビのロボット出そうな言い方。
「別に覚えてますが? ……さておき、成りたければ書くことです。あなたがどういう作風かは存じませんが」
颯爽と、いや本当に髪がぶわっとなるくらい勢いよく踵を返す野枝小道にこれが、天才小説家……! と意味もなく感嘆してしまう。マジでなんだったの? 言われるだけ言われただけだよ?
図書室の入り口でぴたりと止まった野枝小道はこちらも見ずに言う。
「昨今では大抵のレーベルがネットでの公募を推奨している節がありますからね。指標にはいいんじゃないですか」
そう言い残し立ち去る野枝小道を見て、なんやかんや激励されたのか? と、首を捻った。
まあ、それはそれとして。
「僕の本は?」




