Xデー ― とある組織の働き方改革
“カチャッ”
よし、鍵が開いた。ピッキングに掛かった時間は30秒。鮮やかな手際、我ながら感心する。世間では押し込み強盗が増えていると聞く。窓ガラスを破って侵入するなど、プロ意識が欠如しているとしか思えない。指紋、髪の毛の一つとして証拠を残さない。これがプロの仕事。
この日6件目の家に忍び込む。調査員の報告によれば、住民は父親、母親と5歳の幼稚園児の3人。戸建てだから犬を警戒していたが、幸いにも調査員の報告には書かれていない。犬がいると侵入の難易度が跳ね上がる。とはいえ、油断は禁物だ。深呼吸をしてから、ドアをゆっくり開けた。
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いわゆる「ホワイト企業法」はこの国の労働環境を激変させた。働き方改革の一環で施行されたこの法律は、組織形態・業種・規模を問わずどんな職場でも適用される。たとえ犯罪組織であってもホワイト企業法に違反する労働を強いることは許されない。
週休二日制、一日の労働時間は7時間、残業なし、休憩は1時間以上とるように会社から指示される。残業は事前申請だから、その日のノルマが終わらなくても7時間を超える労働は認められない。
深夜勤務の僕の休憩場所はコンビニ。この家に忍び込む前にコンビニに行ったら、僕と同じ制服の男が3名いた。見たことがない顔だったが、彼らも同じ会社の従業員だ。コンビニで買った弁当をイートインスペースで食べていたら、そのうちの一人が「X社の人ですか?」と話しかけてきた。強面だったから一瞬怯んだ。同じ制服でなかったらオヤジ狩りと勘違いしただろう。
僕の勤務するX社は、地下組織のフロント企業。高い給与、手当、従業員が働きやすい環境を整えている、と宣伝して人材を募集している。ただ、ブラックな業界なので、ホワイト企業には程遠い。
小さく頷いたら、彼は隣の席に座った。話し相手がほしかったのだろう。彼は「あと何件っすか?」と言った。
「5件だよ」
彼は驚いた顔をして「マジっすか。俺なんか7件っすよ」と恨めしそうな顔をする。残り時間4時間で7件。これはなかなか厳しい。気休めにしかならないが、彼に「ノルマは大切だけど、ミスしないことがもっと大切だよ。一軒ずつ慎重にね」とアドバイスする。
彼は最近この業界に入ったそうだ。前職は建築関係。歩合でリフォーム工事の営業をしていたが、給与が不安定で転職した。手取りは2倍に増えたが、深夜勤務であること、家族に会えないこと、ノルマがきついことに不満をこぼした。末端の構成員である僕は、彼に何もしてあげられない。僕ができるのは、彼の不満を聞くことだけだ。
僕たちのノルマは一日10件。留守宅であれば、警備装置にだけ気をつければいい。ノルマの達成は簡単だ。しかし、僕たちが侵入するのは在宅の家。在宅時を狙うのは押し込み強盗と同じだが、住民に危害は加えない。ピッキングして家に侵入し、物音を立てずに目的の部屋に移動して任務を遂行する。そして、見つからないように家から退出する。
住民に気付かれてはいけない。これが業界の鉄の掟だ。高度なスキルが要求されるし、住民に遭遇する不安を抱えながら暗闇で行動する忍耐力も要求される。体力的にも精神的にもきつい。
彼には同情するが、僕もあと4時間で5件をこなさないといけない。6件目の場所をスマホで確認していたら、「主の祝福がありますように」と彼が言った。業界共通の挨拶だが、強面の彼には似合わない。僕は「あなたにも」と言ってコンビニを後にした。
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玄関には男性用のビジネスシューズとスニーカーが2足あった。スニーカーの一足は大人用、もう一足は子供用だ。子供用のピンクのスニーカーにはディズニーのキャラクターが描かれている。ディズニーが好きと調査員の報告にあった。部屋は冷えており、エアコンを消してから2時間と推測する。就寝から2時間、住民はぐっすり眠っているころだ。就寝中の住民に気付かれないよう、足音を立てずに階段を上る。
階段に足をのせると“ギシッ”と音が鳴った。息を吞む。耳をすませて音を探る。住民が起きた気配はない。床の軋みに神経を集中しながら階段を上った。ターゲットの部屋のドアには鍵が付いていない。ゆっくりとドアノブを回した。
部屋の中には女の子がベッドに一人で寝ていた。5歳の幼稚園児なら両親と一緒に寝るのが普通なのに、珍しい。手早く作業をこなし、家人に気付かれずに脱出する。階段を上るときにどの段から音がするのかを把握した。下りは音を出すようなへまはしない。音が出る箇所を一段飛ばしでまたぎ、着地した。
玄関のドアを開け、外に出てから施錠した。これで、任務は完了。住民は「鍵は施錠されたままでした」と言うだろう。鍵がかかったままの犯行、まるで売れないミステリー作家の密室トリック。それに、もし施錠せずに立ち去れば、別の何者かが侵入する危険がある。
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「お疲れ様です。本日の業務は完了しました。再配達が一軒です」
僕は本社へ業務の完了を報告する。電話口で上司が『アントニオ、ご苦労だった』と言った。僕の会社ではコードネームが割り振られる。アントニオは僕のコードネーム、上司はパウロだ。本名は知らない。
パウロはとても丁寧な言葉を話す。昔は「鬼軍曹」と呼ばれていたらしいけど、時代が変わった。ゆとり世代の離職を防ぐため、パウロは叱る指導法から褒める指導法に改めたそうだ。
『大変だったね。大雪だと聞いたが、業務の遂行に支障はないかな?』
この日、新潟では大雪警報が出ていた。上司のパウロは僕を気遣いながらも、プロジェクトの進捗を気にしている。
プロジェクトは毎年12月24日の夜からスタートする。今日は12月15日。次のXデーまであと10日。上司のパウロはプロジェクトがXデーになっても終わらないことを恐れている。
年々子供の数は減っているのだから仕事量は減っているはずだ、と勘違いする人がいる。それは間違いだ。子供の数が減っても、僕たちの仕事量は増えている。昔は各家庭に子供が何人かいたから、一軒訪問したら数件の任務が完了できた。今は各家庭に子供は一人、多くても二人。効率が悪い。
もう一つ、部外者が誤解しているのがタワーマンションだ。タワーマンションは一棟にたくさんの部屋があるから効率的だろう、と素人は言う。タワーマンションはオートロックで監視カメラ付き、ピッキング対策の鍵を使っているから、正目突破できない。だから、タワーマンションには窓から侵入する。地上40階のタワーマンションは高さ約150メートル、そんな場所に忍び込むのだ。誰もやりたがらない。
それに、旅行などで不在の家もある。不在の家に小包を届けられないから、再配達も日常茶飯事。業務の非効率が僕たちの仕事を増やす。とにかく、業界では働き手不足が深刻な問題になっている。
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駅前のビジネスホテルに向かって雪道を歩いていたら、スマホに着信があった。
『もしもし、再配達をお願いしたいのですが』
不在だった家の父親からの電話。旅行先から帰る予定だったが、大雪で帰宅が遅れた。帰宅したら僕の残した不在票を発見して、慌てて電話したそうだ。
「いつがよろしいですか?」
『いまから……はダメですか?』
白い袋に入った小包を見ながら考える。子供は小包が届くのを待っている。現在午前6時、まだ辺りは暗い。家まで徒歩15分。日出は6時30分だから、30分以内に済ませればいい。手こずると誰かに見られてしまう。
「わかりました。いまから伺います」
雪道を再配達のために戻った。なんとか時間内に終えた僕は、小走りでホテルに向かう。夜が白みかけてきた。赤い衣装は人目につく。急がねば。
宿泊先のビジネスホテルが見えたとき、子供の声がした。
「あっ、あわてんぼうのサンタさんだーー!」
あわてんぼうじゃなくて、去年のプレゼントなんだけどな。そう思いながら、子供に手を振った。
僕は今日も明日も明後日もプレゼントを配る。今年のXデーまでに去年のプレゼントを配り終えることを、切に願っている。
<了>