第二章 カレンツァ帝国(3)
皇帝自ら勅令を告げる時、帝都の市民たちは宮殿前広場に集められる。
シュナイデル伯爵の使者が謁見した翌日、この日も多くの市民たちが広場に呼び集められていた。その顔ぶれは、男が多いが、女や老人もいた。彼らは互いに顔を見合わせ、小声で囁きあっていた。今日皇帝が語る言葉について、予想を交わしているようであった。
皆の顔には、不安の色が表れていた。彼らだけではない。先行きの見えない漠然とした不安は、今この国全体を覆いつつあった。
太陽が南天の頂上に達した時、バルコニーに二人の兵士が現れ、同じ動きで向き合うように両端に直立した。それが、皇帝が姿を現す合図だった。
聴衆のざわめきが止み、皆がバルコニーの奥に眼を凝らす。その視線の中、彼は悠然と陽光の中へ姿を表した。
深紅の外套を身に纏い、頭には月桂冠を頂いて、陽の光に燦然と輝くその姿を眼にした時、彼の神々しさに聴衆は誰もが息を飲んだ。皆がじっと、彼の語る言葉を待っていた。
皇帝は一度、ゆっくりと広場を見渡した。そして、そこにいる誰もがはっきりと聞こえる声で高らかに語りかけた。
「カレンツァ・エンシェタス!誇り高き兄弟よ!今日集まってもらったのは他でもない。この国を愛する君たちに、話さねばならぬことがある!」
聴衆は、一言も発することなく皇帝の声に聞き入っていた。
「今、我らは大きな試練の時を迎えている。諸君らもすでに知っていることだろう。我々に仇なさんと企てている、逃亡奴隷の輩のことを。反逆の賊徒らを。奴らは卑しくもおぞましき邪教を狂信し、この国の平安を脅かさんとしている。この国の内で、外で、我ら神々の子に唾を吐きかけている。誠に許しがたい蛮行である!」
聴衆から今度は一斉に、「そうだ!」「殺せ!」と叫ぶ声が上がる。皇帝は、片手を上げてそれらを制し、言葉を続けた。
「我ら神々の末裔は、決して恐れはしない。偉大な祖先に誓って言おう。邪悪な企ては、ことごとく討ち果たされるだろうと。歴史を見てみるがよい。これまでも数多の苦難が我らに降り注いだが、全て偉大なる帝国の前に崩れ去ったではないか。神々を冒涜することが如何に愚かなことか。奴らが望むのであれば、存分に思い知らせてくれよう!それが、我々の責務ではないか!」
歓声と拍手が巻き起こる。
「余はこれより、反逆者どもに制裁を下す。まずは西へ逃げた者共を捕らえる。抗うものは、一人残らず殺せ!奮い立て、誇り高き神々の子よ!」
広場に皇帝の声が響き渡ると、それに呼応し、大きな歓声が沸き上がった。
「カレンツァ・エンシェタス!」
「カレンツァ・プレアドス!」
皆腕を突き上げ、声を張り上げる。歓声が、空気を震わせる。
「カレンツァ・エンシェタス!」
「カレンツァ・プレアドス!」
歓声は、幾度も続いた。
大衆は熱狂していた。不安や恐れを抱いている者たちにとって、彼らの自信と誇りを取り戻してくれる救世主は、眩しい程に輝いて見える。絶対的な支配者を歓迎し、盲従し、疑念は永遠に忘れようとする。彼らが信じるもの、信じたいものが美しく神々しいものであれば殊更によい。彼らの物語は、彼ら自身の手で、神話へと成就してゆくのだから。
ゲーティア大陸歴972年11月、皇帝カルタスは将軍ハルディアに軍を与え、ハーラント討征を命じた。後の世に「カルタスの西征」と呼ばれるこの戦いは、やがて大陸全土を巻き込む大乱へと発展することとなる。