第6冊 差異と酔い
『おい、佐鳥芽衣子』
暗がりの住宅街の中、佐鳥さんと合流する。
佐鳥さんが「終わったの?」と僕たちを見て聞いてくる。
『ああ、終わった。終わったが確認する事があるぞ、貴様』
怪禍紙諸録の疑問は封印の最中に起きた怪禍紙の活性化について。
『人間の方は無事なんだろうな』
「うん。何とかね」
何とか。
と言う事は、何かがあったのか。
『……何があったかをキリキリ話せ』
怪禍紙諸録は鋭さを感じさせる声を発した。
「それが、全然……一応、眼鏡外してたんだけど」
何の前触れもなく、相手の精神が乱れたのだと。
『……しまったな』
焦りの感情を孕んだ声。
『二宮慧、少し事態が重たくなった』
「何か知ってるの?」
天野幸恵の記録を見た僕が把握していない何かを、怪禍紙諸録は知っていて。その事を確かに知覚したのだ。
『少し昔の事でな。天野幸恵の記録だけでは絶対に触れられない、更に過去の事だ』
少し昔、などと怪禍紙諸録は語るが、恐らくは少しなどと言う程度ではない筈だ。
僕の様な人間と言う存在にとっては。
『取り敢えずは特定の条件において周囲に影響を及ぼす怪禍紙だと記憶しておけ』
そして、と続け。
『そいつが目の前に現れたのなら逃げる。今のお前には勝ち目がない』
天野幸恵の力を持ってしても、彼の言う怪禍紙には届きもしないのか。
「…………」
僕が考え込んでいると『怪禍紙に殺されたくなければ記録を読め。貴様自身を喪うな。それが最も強くなる方法だ』という言葉を掛け。
『兎も角、今日は解散だ』
僕としても疲れた。
記録に倣う。
記録に従って、やり慣れた事をしている様な感覚と、僕自身では初めての実際の感覚。記憶が遠のいていき、僕と言う自覚が戻って来た瞬間の感覚の差異に酔ってしまいそうになる。
そこから生じる、疲弊感。
これは、経験したことの無いものだった。
「取り敢えず学校に戻らないとね」
図書室の鍵を返していないこと。
荷物を学校に置いたままにしている事。どれ程に疲れているとしても、一度学校に戻らなければならない。
「…………」
歩きながらに、佐鳥さんの抱えている怪禍紙諸録について少し思う事があった。
君も怪禍紙なのか、だとか。
過去の詳細、だとか。
怪禍紙諸録の身の上話に少しばかり興味を持ったのだ。
ただ、今はそんな話を持ち出す雰囲気でもないだろうと、僕はこの好奇に蓋をした。
「────三人とも戻って来ましたか」
図書室には校長先生が待っていた。
「実は少しお話しがありまして」
『話、か』
「ええ。校舎の件です」
切り出された話題に、確かに注意をされても仕方がないと僕も思った。
「人身を守る為というのは承知しております。その上で、申し訳ないのですが」
校長先生の言いたい事は、出来る限りに校舎に損害の出ない様にとの事。
学校もタダで運営されているのではないのだから。
『いや、当然だ』
怪禍紙諸録は僕の方へと表紙を向ける。
『となれば、さて。喜べ、二宮慧。次に開く記録が決まったぞ』
思い当たる節があったのか。
「今直ぐに?」
『阿保を言え。急いては事を仕損じる……オレもそこまで急かすつもりはない』
真剣な声で言う彼に「よろしくお願いしますね」と校長先生が告げ。
「それでは、図書室の鍵は預かります」
佐鳥さんが「ありがとうございます」と礼をしながら図書室の鍵を手渡す。
「いえいえ、それでは気をつけて帰ってください」
校長先生が図書室を出たのを見送ってから、僕と佐鳥さんは顔を合わせ。
「僕たちも帰りますか」
「そうだね」
荷物を取り、図書室を後にした。