第5冊 慣熟と初封印
『二宮慧、準備は良いな』
僕と怪禍紙諸録は手当たり次第に怪禍紙の現れそうな場所を探し回った。と言う訳でもなかった。
「怪禍紙が死ななくても……か」
それはそうなんだろう。
今回の怪禍紙は自らを苦しめる物を壊したいと言う欲望から生じたらしく、学校はその一つであるとの事。
『……自宅に現れたとしても佐鳥芽衣子が居る。彼奴の事だ、殺しはしないだろう』
彼女はそう言う怪禍紙なのだと。
「無理はしてないと良いけど」
僕が呟けば『貴様は貴様の心配をしたらどうだ? そら、来たぞ』と語りかけてくる。
「ギッ、ギッ、ヒッ」
鎖の絡みついた身体に、顔に一つだけある大きな目。
『こちらに来たか。まあ、それもそうか。学校さえなければ一先ずはどうにかなるからな』
怪禍紙諸録と僕は佐鳥さんに今回の怪禍紙発生の大凡の理由、その推測を聞いていた。
『親殺しも忌避する所だろうよ』
怪禍紙発生の元となった人物は親の熱心な教育方針に苦しめられているのだと。それを佐鳥さんは聞き取った。
そして、思い詰めて過ちを犯そうとしている目前でもあると。
「……開帳」
僕は怪禍紙諸録を開く。
天野幸恵を記した頁を。
「────封魔結界、装纏」
変わらぬ効果を、私に齎す。
使い慣れた封魔結界。
「行くよ、怪禍紙諸録」
私の声に怪禍紙諸録は『……今は未だ、な』と間を置いてから言う。
「ギッ、ヒッ!」
速度は速くない。
武器もない。警戒すべきは、打撃の破壊力。私に向かう大ぶりな右の拳を右の拳で迎え撃つ。
「ギュィィ!!?」
困惑の声を上げる一つ目に構わず踏み込み、腹に左の拳打を叩き込む。
「ギッ!」
逃げ出そうとするも、追いつくのは容易い。私は背中を全力で殴りつける。
『二宮慧!』
怪禍紙諸録の声が背後から聞こえた。
「あ?」
『チッ! 混乱するか! 天野幸恵! 封印に入るぞ!』
私は怪禍紙諸録の言葉に「頼むよ」と軽く返す。
封印手順は単純で、怪禍紙諸録の白紙の頁に怪禍紙を叩きつける。簡単な話、私が殴り飛ばし怪禍紙諸録が受け止める。
「行くよ、怪禍紙諸録ッ!」
全力で腕を振りぬこうとして巨大な手に止められる。
『これは、あちらで何かがあったか! 佐鳥芽衣子!』
覚えがあった。
記憶にあった。
記録にも残っていた。
これは欲望が、感情が膨れる事によって起こる、怪禍紙の活性。
瞬間に、私の身体は意図せずに浮き上がり、投げ飛ばされる。
窓に向かって。
ここが一階である事、投げ飛ばされた先が校舎裏である事が幸いした。巻き込んだ様な人影はない。窓ガラスを割りながらも、傷は負う事なく外に転がり出る。
「ギッヒャヒャ!!」
「クソ野郎……」
回転を利用し即座に起き上がる。
だが、警戒していた追撃はない。
『何をしている、二宮……天野幸恵! 奴の狙いは校舎の破壊だ!』
「前提見誤ってたな!」
あの怪禍紙の欲望に私は関係がない。
ただ邪魔立てをしただけに過ぎない。そんな物を気にかける理由はない。当たり前の事だけど。
「…………あんまり壊すのも忍びないからね」
廊下には所々の破壊痕。
ただ、背中は見えている。矢張り、速度に特化する事はないのか。これもまた幸運と言うことだ。
「私にだってね! 距離開いた場合の対策はあるんだよッ!」
基本の殴る蹴る。
不得意ではある物の、中距離に結界を張る事も可能だ。とは言え、威力への期待はない。その活用方法は、彼が教えてくれた。
「ぶっ転べ!」
相手の足元への結界生成。
────最近伸び悩んでてね。
────封魔師の仕事の話かな?
────そう。
────それは僕に聞いて良い事なのかな。
そうやって、彼に相談をした。
────今は猫の手でも借りたくてね。
特に期待していた訳でもなかった。
────どうにも殴る蹴るだと逃げられた時に対処に困ったり、強いと殴る蹴るじゃどうにもならなくてね。
対して、彼曰く「普通に歩く時、突然に足元に石ころが出来るとは思わないでしょ?」との事。
だが、収穫があった。
────成る程ね、試してみるよ。
想像以上に効果があった。
だから、これは相手を逃さない為の手段であり、私の小手先の強敵と戦う時に使う攻撃の一つ。
「ギャッ!」
転んだ怪禍紙に追いつく。
「怪禍紙、諸録ゥゥウウ!!!」
付いてきた怪禍紙諸録を掴み、右手で手繰り寄せ。
「オラァアアアアアアアアッッ!!!」
声を張り上げ、私は全速力で右腕を振り下ろす。
『貴様ァァアアアアッッ!!』と叫ぶ声を無視して白紙の頁を怪禍紙に叩きつけた。
頁の中に怪禍紙が取り込まれていく。
そして、発生源の情報と共に記録が刻まれる。
「封印、仕った」
へたり込んだ私に怪禍紙諸録が『貴様、巫山戯るなよ』と苛立った様に。
『……まあ、今回ばかりは大目に見てやろう。佐鳥芽衣子を迎えに行くぞ、二宮慧』
意識が引き戻される。
「うん」
天野幸恵の記憶が遠のく。
僕は立ち上がり、怪禍紙諸録を抱えて歩き出す。