愛の定義Wiki
生まれて初めてラブレターを貰った相手が男だった時の残念感は考えたことがあるだろうか?
朝、諸君はやる気のない足取りで登校する。だるいだるいと言いながら、校門を抜け、靴箱へ靴を仕舞おうと小扉を開ける。
その時、靴箱の中にある白い封筒が目に入るわけだ。
経験がある人もいるだろう。経験がない人は仲間意識を感じる。ことここに至って取るべき行動は大抵、封筒を手に取り、中を見ることだろう。私はそうはしない。カバンの中に隠す。
クラスの誰かに揶揄されるのを避け、徹底的に読み込もうと思う。午前、午後、部活、時間が過ぎるほどに胸を高鳴らせて、何が書いてあるかに思いを馳せる。
そして、夕暮れ。部活も終わりわざと自分の教室に戻る。そしてカバンの中に押し込めた封筒を取り出す。一日中自身の心を惑わせていたものと対面するわけだ。
震える手で封のされていない封筒を開き中の手紙を開ける。歓喜の瞬間。
そして開かれる女子宛のラブレター。同じクラスにいるイケメン男子のロミオ文章とポエム。ゲロのように甘ったるい文章。
今年一番の残念賞にブチギレた私は、ラブレターを赤字で添削し、そいつの靴箱へ入れておいた。もちろん名前とキスマークを添えた。
私が相澤輝治と友達になった事件であり、生まれて初めてラブレターをもらった瞬間だった。
相澤輝治は誰からでも愛される男だ。高い身長に甘いマスク。それなりなコミュニケーション能力とサッカー部で上げた充分な戦績がある。私からすれば大抵の人と仲良くなれるカースト高めの男というのが第一印象だった。
そんな相澤輝治から相談があると言われ、夕方の教室へ呼び出された。ラブレターの添削について感謝されるのかと思ってルンルン気分で教室に行った私は「このラブレターの添削お前がやったのか?」とカベドンされた。
夕暮れに少し黄色く染まった教室で、訂正されすぎて赤くなった手紙を片手に詰め寄ってくる様を見ると「感謝」ではなく「癇癪」だったんだろうなとしょうもない冗談が頭をよぎった。
「いや、俺の靴箱に入ってたから......」
どもりながら口にすると相澤の切れ長の目が細くなる。偏差値の高い顔を私の目にねじ込むかのように距離を詰めてくる。目線を逸らすとそらした方向へ顔を近づけてくる。
見えないようにしても雄牛のように充血した目と、荒い鼻息が視界の端に寄ってくる。私は観念した。
「.....ごめんなさい。出来心で」
私の言葉に満足したのか相澤は身を引いて、学生服を正した。
「いや、良いんだ。ありがとう。何日かかけて書いたんだが、自分でも気持ち悪い気がしてたんだ。見られる前に回収しようとしたんだが、どこにもなくて焦ってたんだ。お前のところに入っていてよかったよ」
良くはねぇよ。私は言葉をつぐみ、一呼吸置いてから言葉にした。
「相澤くんが良かったのなら何よりだよ。じゃあ僕は帰るから」
壁に押し付けられて埃だらけになった学生服を叩くと、回れ右して教室から逃げ出そうとした。
「まあ待て、少し話そう」
両肩に掛かる生暖かい手の温もりと、首元に当たっている親指の感覚。相澤に肩をガッシリ掴まれていた。
「一体なんでしょうか?」
私はため息をついて振り返ると相澤は首の後ろを掻きながら視線を逸らした。夕陽の当たるシャープな横顔に拳骨をお見舞いしたくなった。
「いや相談に乗ってほしくてな。ラブレターを書いていた後ふと思ったんだが、実は彼女のことがほんとうに好きかわからなくてな......」
私は言葉を急かした。
「というと?」
「いや、よくよく考えてみると彼女がいないことに焦って、ラブレターを書いた気がしてな。正直、彼女が好きだったのか、それとも彼女が欲しいから書いたのかわからなくなったんだ。友達とかも彼女作り始めてたし。他人に同調して彼女が欲しいと思っただけで実際自分が彼女が出来たとして愛せる気がしない」
「ああ。『恋に恋している状態』ってヤツですか?」
「なんだよそれ」
「いやWikiに書いてあったんですけど、対象を愛している自分に酔ってしまうことが原因で、相手を愛していると錯覚してしまうらしいですよ。あくまで物語の主人公気取りの愛ってヤツですよね」
「それは愛ではないのか?」
「知りませんよ。そんなの。でも強いていえば、よくよくゴルフ場で現れる『教えてあげるおじさん』なんかは相手に教えてあげるということが愛だと錯覚しているから迷惑な行為でもやるんじゃないですか?」
「確かに......愛とは言い難いな。迷惑行為だな」
「迷惑行為なのか自己に酔っているだけなのか知りませんけどね。とりあえず愛は一方通行であってはならないともWikiに書いてありますよ」
「なぜ?」
「ストーカーとかも愛を持って行ってることになるからじゃないですか?」
「では、俺が書いたラブレターも愛ではないのか?」
相澤は眉根を寄せた。少しだけ雨に濡れて子犬のようにも見えた。
「愛は育むもので始まりは恋であっていいんじゃないですか? 知りませんけど。そもそも彼女いないやつが愛を語れるわけないじゃないですか?」
少しだけハッとしたような表情をした相澤はカクリとうなづくと、私から逸らしていた視線を真っ直に捉えた。
「そうか......。じゃあ二人で愛の定義について話そう。これが終わらないと俺はラブレターを渡せる気がしない」
私に得はあるのだろうか? 徳は溜まりそうだが。そんな考えが頭をよぎった。