承 従者と令嬢
「さぁ、お返事を……まさか、嫌だ、とか言いませんよね? 」
「いや……。ちょっと突然過ぎて、頭が追いつかないというか……」
「ま さ か 、 嫌 だ 、 と か 言 い ま せ ん よ ね ? 」
「ちょっと待って、ちょっと待って」
私がハイライトの消えた瞳で、ゴリ押ししてくる事に、明らかに狼狽した様子のスノードロップ様。可愛いかわいいカワイイ。
そんな様子も可愛らしいが、今はそれを愛でている暇はない。
とにかく、相手を冷静にさせてはいけない。ここで言いくるめれば、後の展開が楽になる。無理矢理にでも、私の好意を受け入れさせる時だ。
そんな時である。
誰も居ないはずの校舎裏で、女性がすすり泣く声が聞こえてきた。思わず、私達は話を止めてそちらの方を見る。
私は、スノードロップ様を庇う形で前に出る。そして、学生服のスカート中の太ももに隠し持った、トリカブト毒がたっぷり塗られたナイフを、鞘から抜いて構える。
「何者だ! ゆっくりと出てこい! 」
「ひっ! 」
威嚇する様に私が言うと、茂みの中から1人の女子生徒が出てきた。
歳は、私達と同じくらい。銀髪縦ロールで瞳は南海の様な水色。立ち振る舞いからは高貴さを感じる。
「これは……エリザベス・サンダーボルト侯爵令嬢様……! 」
「サンダーボルト候!? 」
スノードロップ様が呟いた事を、私は思わず反芻した。
サンダーボルト候は、この国屈指の軍事力を誇る武門の家だ。華々しい活躍を何度もなされている。汚れ仕事担当の我々から見ると、別世界の住人という印象が強い。
そんな家の娘である彼女、エリザベス・サンダーボルト嬢。そんな彼女は、目に涙を浮かべながら嗚咽を上げている。
「我が従者がとんだ失礼を! アイビー、すぐにお詫びを! 」
「も、申し訳ございません! 知らぬこととはいえ……」
私は、すぐにナイフをしまって頭を下げた。
格上の家に目を付けられて良い事も無い。すぐに平伏して許しを乞うた。
「頭を上げてください……貴女達に対してどうという事では無いのです。ただ、私、悔しく悔しくて……! 」
そう侯爵令嬢は言うと、再び嗚咽を上げて涙を流し始めた。困ったのは私達だ。話が全く分からないし、これでは、私達が、令嬢を泣かせている様にも見える。
「エリザベス嬢。立ち話もなんです。ゆっくり話を聞きましょう。食堂辺りに移動しませんか? 」
かしずいたスノードロップ様はそう言って、令嬢を食堂までエスコートした。私としては、告白の返事を早くして欲しかったのだが、妙な邪魔が入ってしまった。
* * *
「「……婚約破棄?」」
「はい。我が婚約者がそれを画策していると……」
エリザベス様は、食堂で暖かいお茶を飲むと少し落ち着いたのか、涙でショボショボになった瞳を曇らせながら言った。
エリザベス様の婚約者は、公爵令息の、ガイ・ガネット様。
正直、あまり良い噂を聞かない方だ。傲慢で、女好きで、お馬鹿。そんな噂は、私達の耳にも入って来ていた。
お父上の公爵様も息子の放蕩ぶりには頭を抱えている様で、割とマジで、そろそろ勘当されるんじゃね? とか、噂されている。
流石に、本人にも聞えているとは思うのだが、「まさか本当に勘当まではしまい」と高をくくっているのか、敢えて聞こえない様にふるまっているのか、いつも、脇に女の子を侍らせて、へらへらしている。
「……政略結婚です。愛して欲しいとは言いません。しかし、私はあの方を愛しています。それなのに、あの方ときたら……!」
「公爵家の若様は、若様というか、馬鹿様ですから……ぐえっ」
不敬な事を言った主の頭を、私は、はたいた。本音を言って良い場面と、悪い場面というものがある。今は後者だ。
そんな主従漫才を気に留めず、エリザベス様は話を続ける。ある意味、この人も肝が座っている。
「最近、懇意にしている男爵令嬢と、校舎裏で密会しているという情報を聞いた私は、そこで張り込みをしていたのです。そしたら、本当に2人が来ました。そこで、聞いてしまったのです。ガイ様が私を罠に嵌め、婚約破棄して新たに、その男爵令嬢を婚約者とするという計画を語っているのを……!」
「それはそれは……」
呆れ半分、困惑半分といった表情で、スノードロップ様は話を聞いている。恐らく、私も彼と似たような顔をしているだろう。
貴族同士の婚姻は、家同士の契約でもある。当主や家人達の意向を無視して、本人同士で、勝手に破棄したり結んだりして良い物ではない。
いや、あんまりこの辺の話をすると、その家同士の契約もかかったお見合いで、振られまくっている我等が主、スノードロップ様が余計惨めな感じに見えてくるから、あんまりこの話はしたくないんだけど。
お前も勝手に婚姻結ぼうとしてるだろって? ご安心を。私は良いのだ。こんな事もあろうかと、実を言うと、前々から、根回しはしている。
今後もお見合いに失敗しまくり、もう駄目だとなったら、私が正室の座に収まっても良いという言質を、伯爵様からも、父上からもとっている。9回も失敗したなら、2人とも、もう認めざるをえまい。
「罠に嵌める、とは穏やかな話では無いですね」
「男爵令嬢を、階段から突き落とした、とか、彼女の持ち物を壊した、という話をでっちあげると言っていました。そして、今度行われる、学園の卒業パーティーで、颯爽と私を断罪し、婚約破棄と、男爵令嬢を新たな婚約者とする事を宣言すると……」
「でっちあげ、ねぇ……。謀略にしては雑だな……それに、お偉いさんも集まる卒業パーティーで婚約破棄宣言? 公爵令息は正気か? 男爵令嬢に洗脳か何かされてるんじゃないか」
「そりゃ、本物の帝国の闇から見たら、こんな謀略、正真正銘、子供のお遊びでしょうよ」
「……」
今更ながら、我々の裏の顔を思い出したのか、侯爵令嬢は少し強張った顔をしていた。
そんな彼女の顔を見て、いたずら心が湧いたのか、我が主は、口を開く。
「我々がこの一件、介入いたしましょうか? 男爵令嬢1人、不幸な事故に遭わせるのはお手の物ですが……」
「スノードロップ様……。妙な事に首を突っ込むのは……」
「はは……ブラックジョークさね」
「ブラック過ぎます」
そう、私は咎めるが、エリザベス様はその言葉を聞いて、真剣な顔になっている。
「もし……もし、本当に私の為に動いてくれ。と言ってくれたら動いてくれますか? 」
「……恩賞にもよりますが、侯爵令嬢のお頼みとあれば、断れませんね」
スノードロップ様は、一見美少女にも見える顔を、蠱惑的に緩ませて、一転、黒い本性を覗かせた。
あ、この顔は仕事モードの顔だ。
「ご依頼します。我が婚約者と、その浮気相手の男爵令嬢による、私への謀略を防いでください。成功の暁には褒美は弾みましょう」
「よろしい。お引き受けいたします」
「スノードロップ様、そんな事、お館様に相談せず、勝手に決めて良いんですか? 」
「構わんだろう。サンダーボルト家とうちは派閥的には同じ。その令嬢が困っている所を助けても、感謝されこそすれ、咎められることはあるまいよ」
エリザベス様は言葉を続ける。
「ただし、ガイ様や男爵令嬢含め、死傷者は出さない事。流石に死人まで出したくありません」
「把握しました。『不幸な事故』という手段は、今回は控えましょう。時に、その浮気相手の男爵令嬢の名は何と? 」
汚れ仕事担当モードの顔になったスノードロップ様を前に、少し、緊張しながらエリザベス様は言う。
「男爵令嬢の名は、シレネ。シレネ・ハブ。それが、彼女の名ですわ」