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第4話 スマッジング

「朝日先輩、そっちはどうですか」


 電話の向こうの後輩が、弾んだ声で聞く。


「あらかた取材は出来たけど、コラム用にもうひとつ、違う角度の話が欲しいわね」


 電話の向こうの後輩が、ためいきをついたのが聞こえた。


「さすがは取材のさかえと呼ばれる女、相変わらずの徹底主義ですね。コラムなんて、ちゃちゃっと適当に書けばいいじゃないですか。ネットで調べたら、仏教との関連がどうとか、インドの原産がどうとか、いくらでもネタはありますって……ま、ファッション誌としては今ひとつでしょうけど」


 栄は首を横に振った。


「何かまったく別の、新しい話が欲しいのよね。とりあえず、あなたは直帰していいわ。私はあと一件くらい飛び込んでみるから」


 了解でーす、と元気な声のあと、通話は切れた。

 後輩は、仕事が出来る人間だ。今回の特集記事が『お香』というあまりウケそうにないニッチなものに決まってからというもの、驚くべき早さで都内の老舗香屋にアポを取り、ものの数日で草稿をまとめてしまった。

 その写真のセンスは今一つだったが、書かれた文章はしっかりまとまりのあるものになっていて、表現や構成に厳しいことで知られる編集長も、それほど赤を入れられないだろうと思われた。

 ただ、栄には分かっていた。

 まとまっているだけの取材では、あの編集長は納得しない。

 これまでに何度も、違う角度の話も仕入れてこい、というダメ出しを食らってきた。

 それゆえに、栄はこのまま会社に戻る気にはなれなかったのである。


「そうはいっても、あの子が下調べしてくれたお店は全部回っちゃったのよね」


 愛用の革の手帳を開き、リストアップされた店名を見る。そのどれもが、横線で消されてしまっている。

 他にないかとスマホで検索をかけてはみたものの、それらしいお店を見つけることは出来なかった。

 さてどうしたものかと考えながら歩いている内に、栄は自社の近くまで来てしまっていることに気がついた。

 これじゃいかん、と思ったそのときである。


 ふわん……


 爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。

 何かしら、このにおい。

 香水のような複雑な香りではない。

 かと言って、普段の生活で感じるような、自然にあるような香りでもない。

 もしかして、いくつかのお香屋さんを巡ってきて、服ににおいがついたのかしら。いや、さっきまではこんな香りは漂っていなかった。

 鼻先に感覚を集中させると、栄の鼻には、その香りが風に乗って漂ってきているように感じられた。

 なんとなく、その方向も分かるような気がして、栄はその感覚を頼りに足を進めた。


「あそこからだわ」


 立ち止まって、その建物を見つめる。

 『カオル堂』と書かれた看板はいかにも年季が入っていて、その建物自体にも長い歴史を感じさせる風格があった。古いが、古臭くはない。情緒がある、といって差し支えないな、と栄は思った。

 それにしても、このオフィス街の中に、しかも会社の目と鼻の先に、こんなお店があったかしら。

 怪訝な顔になりながら、栄は店の扉に近づいた。

 開店時間を過ぎていないかどうかが気になったが、取材の謝礼はまだ少し手元に残っているし、いざとなれば宣伝を餌にして多少の話を聞くことは出来るだろう。

 ノブに手をかけ、ぐっと引くと、店から流れてくる空気はいくつもの芳香を包み込んでいて、複雑ながらも不快なものにはなっていなかった。


「いらっしゃいませ」


 栄を迎えてくれたのは、作務衣を身にまとった若い……男だろうか、女だろうか。いわゆる性的少数者の取材をしたこともある栄だったが、今まで出会ったことのあるどんな人物とも違う雰囲気に、一瞬たじろいだ。


「こんにちは、わたくし、この近くにある出版社の……」


 歩み寄りながら、名刺を用意し、丁寧に渡しながら店主を見る。

 あらためて、見目麗しい人物である。

 首の華奢さや指の細さは、まるで少女漫画に登場する王子様キャラのようだ。それでいて、どこか重厚感のある、落ち着いた雰囲気をまとっている。

 何よりも驚きを隠すことに神経を使ったのは、その瞳の色だった。透きとおった黒い瞳の縁が、輝くような銀の円なのだから。


「今、お香の特集記事を組もうと言うことであちこち取材して回っているのですが……」

 

 栄が口を開くと、店主は微笑をたたえて頷く。


「少し変わったお話の方が、よろしいのですね」


 店主の言葉に、栄は戸惑いながらも同意して、疑問を口にした。


「あの、なぜお分かりになったのですか?」


「朝日さんがお店に入ってきたときに、様々な香りも一緒に入ってきましたから。きっと、既にいくつものお店を巡り、取材をなさってきたのだろうと推察しました」


 決して押しつけがましくなく、微笑みを浮かべたまま店主は言う。

 栄はその洞察力に感嘆しながらも、取材をするのだというスイッチが入った頭に浮かんだ質問をさらに口にした。


「私が普段からお香を使っている、という可能性もあったのでは?」


 店主はふるふると首を振った。


「もしそうであるなら、朝日さんの指から漂う香りや、お召し物から漂う香りが、まったく違う種の物にはならないだろうと思います」


 なるほど、と栄は舌を巻いた。

 栄は様々な人に会わなければならない仕事柄、においには気をつけている。香水をふりまくことで取材がうまくいくこともあれば、香水なんぞけしからんと門前払いを食った経験もある。

 だからこそ、お香屋を回ると決まってすぐ、栄は適当に見繕って果物の香りのする線香を買い、朝、部屋で焚いた。そのおかげで、いくつかの店では「普段から使っていますね」などと歓迎された。

 しかし、そんな付け焼き刃はお見通しというわけだ。

 一日の最後に、大当たりを引き当てたなと栄は笑った。


「素晴らしいですね、そういったことまでお分かりになるなんて。えぇと……」


「飛良泉と申します。飛ぶ良い泉で、ひらいずみです」


 栄は愛用の手帳を開き、カウンターに置いて店主に見せた。


「都内で有名なお香屋さんを巡ってきました。こういったお店なんですが」


 飛良泉は手帳を覗き、列記された店名に目を通す。


「素晴らしいお店ばかりですね。となると、お香についてのお話は、やはり、ほとんどお聞きになったのでしょうね」


 手帳のページを繰りながら、店主はふむふむと頷く。お香屋さんに失礼なことは書いていなかったはずだと思い出しながら、少し緊張して栄は待った。


「実際に、お香をお聞きになってもみたのですね」


 ちら、と上目遣いに見られ、栄はどきりとした。整った顔が自分に向けられ、見惚れるような心地だった。


「ええ、お香は『聞く』ものだとも教わりました」


 ふむ、と言って上体を戻し、店主は虚空を眺めた。

 栄はその間に、ちらっと店内を見渡してみる。カウンターの店主の、さらに奥に『反魂香あります』という短冊を見つけ、あれは他のお店には無かったようなと思い至った。

 しかし、店主が考え込む姿が一枚の絵画のようで邪魔をする気になれず、口を挟まないまま、栄は飛良泉の美しい唇が動き出すのを黙って待った。


「厳密にはお香の話から外れるかも知れませんが」


 店主がそう前置きをしたので、栄は笑って見せた。


「それこそ、きっと私が望んでいる話です」


 栄の笑顔に釣られてか、飛良泉は微笑みよりも幾分大きな笑みを見せた。


「スマッジング、というのがあります」


 興味が惹かれた栄は、大きく頷いた。そしてカウンターに置かれていた手帳を手元に引き戻し、ペンを持ってメモの用意をした。


「アメリカの先住民族に伝わる儀式のひとつで、スマッジとは燻すという意味です。彼らにとって聖なる植物であるセージを用います。葉を焚き、そこからたなびく煙によって場や心を浄化し、病を体から追い出すと信じられていました」


 後で思い出せるよう、キーワードを抽出して栄はペンを走らせる。

 それにしてもアメリカ先住民族とは、と栄は驚いた。取材をしていく中で、香の歴史や文化は、そのほとんどがアジアのものであり、代表的な香木とやらはベトナムやインドネシアが原産だったからであった。


「確かに、ハーブにはバクテリアの減少や発生予防の効果があると聞いたことはありますけど……」


 ペンを止めて、栄は店主を見た。

 店主は微笑んで、言葉を次いだ。


「朝日さんのメモにもあったように、お香はスピリチュアルな意味合いも多分にあります。ですから、洋の東西を問わず、人は香りや煙にそういう効果を見出したのかも知れません」


 そう言いながら、店主はカウンターの横にある棚から、大きな瓶を手に取った。中には白みがかった緑、あるいは緑がかった白の、乾燥した植物が入っている。


「これがスマッジングに用いるホワイトセージです。これをアバロンという貝の上に置き、火によって燃やし、煙を仰ぐ、という流れになります」


 体験してみますか、という申し出に、栄はこくこくと頷いて応えた。


「取材費も含めて、代金はお支払いしますから」


 栄がそう言うと、飛良泉は首を振った。


「これは商品として置いているものでは無いので、お代は結構ですよ。その代わり、もしも本当にお香に興味が出たら、ごひいきにして下さいね」


 にっこり、という形容がぴたりとはまる笑みを向けられて、思わず栄は顔が熱くなるのを感じた。きっと、このスマッジングとやらをしてくれていなくても、香に興味があったらここに通うだろうと思った。

 飛良泉に促されて、栄は店の奥の部屋に入っていった。

 二重の扉を抜けると、そこはこぢんまりとした部屋で、殺風景で、しかも不思議なことになんの香りもしていなかった。さっきまでいた空間と比べて、それは実に奇妙な感じがした。


「掛けて下さい」


 言われるがまま、栄は一人がけのソファに腰を下ろす。

 その正面に飛良泉は跪き、四角いローテーブルの上に貝を置いた。そしてその上に、擦ったマッチを載せ、鳥の羽か何かで仰ぎ、炎を消した。さらにその上に、さっきの白っぽい植物の葉をちぎって数枚置いた。慣れた手つき、というよりも、洗練された演舞のような手つきだった。

 音も無く白い煙が立ち上ってくる。


「煙が落ち着くまで、ゆっくり休んで下さい。もしも気分が優れなかったり、お時間が差し迫ったりするようであれば、退室していただいて結構です。それでは、ごゆっくり」


 飛良泉は立ち上がりながら言葉を紡ぎ、そして部屋から出て行った。

 栄はもうもうと上がる煙を見ながら、日中の取材内容を頭の中で整理し始めたが、やがてまどろみ、そのまま寝入ってしまった。


「……ん」


 目を覚ました栄は、手首にはめた時計に目をやった。

 記憶が確かなら、この部屋で10分ほど寝入ってしまっていたらしい。

 貝の上の葉は、もう煙を出してはいなかった。


「おつかれさまでした」


 二重の扉をくぐって店内に戻ると、変わらぬ美貌の店主が微笑みで出迎えてくれた。


「すみません、なんだか寝てしまったみたいで」


 恐縮して頭を掻く栄に、飛良泉は頷いて応える。


「だいぶ、お仕事でお疲れのようですね。朝日さんの記事がよいものになりますように、お祈りします」


 栄はあらためて感謝を伝え、記事が出来上がったら一度持ってくることや、完成した雑誌は持参することなどを伝えて、店を出た。

 疲労感はまだ残っていたが、どこか心地よい感じもあった。

 会社に一言連絡を入れて家に帰ると、結婚を約束した恋人が夕飯の支度を済ませておいてくれ、いつもよりも早い時間帯に、二人は体を重ね始めた。


「……?」


「どうした?」


 自分の胸の奥に違和感を覚えて、栄は表情を曇らせた。

 心配そうな目で見つめる恋人に、栄は大丈夫と言いながら、自分の胸を色々な角度から圧してみる。


「しこりが、あるような気がするの」


 まさか、乳がん?

 そんなはずは、と思いながら、栄は日中の、煙に包まれた小部屋のことを思い出した。

 あの儀式は、病を体から追い出すものだって言ってたわね。

 もしかして、あれのおかげで、これに気付くことが出来た、なんてこと、あるはずないわよね。


「大丈夫かい?」


 うん、と肯定ではない返事をして、栄は恋人に正直に打ち明けた。


作者の成井です。


今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。

「面白い話だった」「続きも読んでみよう」と思って頂けたなら、

下の☆☆☆☆☆欄で評価していただけると幸いです。


では、また。

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