地下12階の決闘
地下11階も地下12階も、人類にとっての地獄であることには変わりない。異なることといえば、地下12階の住人には、地下11階の住人の脱走を防ぐ役割が付加される。
地下11階の住人は、汚染物質をとにかくたくさん溜め込んで死ぬことしか期待されていない。生存本能を刺激して、より多くの時間をそこで過ごさせ、そして土に還る。そうして汚染物質の、より深層への流入を阻止する。
だから、地下11階の住人はそれより深く潜ってはならない。脱走してはならない。脱走しては、それ自体が、人類の生存領域の縮小に繋がる重大懸念事項となりうる。
ジェイドは、地下12階に脱走したわけではない。彼は人類への貢献が考慮されて許されて地下に行ったのだ。
その功績とは、地下11階の人間を多数死なせたこと。そう示されたわけではないが、時期から見てそうとしか考えられなかった。
多くの人間に地下11階で生き、汚染物質を蓄積して死んでもらうのが人類の誉れだとしたら、ジェイドのやったことはその逆を行くものではないのか。
育ての親から幾度となく聞かされた、この世の理と各階層の役割に、疑問を持ち始めたのはその頃だった。
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「なぁ、おかしいと思わないか」
「あ? お前誰だよ」
丸腰のジェイドに、話しかけた相手はナイフをひらつかせて凄む。
ナイフといっても、壁や天井から欠け落ちたアスファルトの破片を少し尖らせた程度のもの。互いにぶつけて鍔迫り合いするというよりは、より早く、敵の肉を穿つかが勝負。
最初の一手で勝敗が決する。だからこそ、相手は決死の覚悟で向かってくる。命捨てる覚悟の者が一番強い。そんなスラムで、ジェイドは異質だった。
「そう怒るな。俺はお前に話しかけただけじゃねーか」
「何が目的だ? 食いもんか? 服か?」
「なんで俺たちがこんな目に遭わなきゃならねぇのか、知りたいだけだ」
相手はあんぐりと口を開けて、そのまま突っ立っていた。そして何やら納得したように頷いて——
「よくわからん。だから死ね」
この相手は地下15階で生まれ、母親の不貞により階を上げられた者だ。地下15階は倫理層の始まりで、人間が初めて倫理上の罪で裁かれる。
住まいだけは確保された地下15階からの劣悪地への遡上で、彼は暴力に勤しんだ。汚染層ではそれはむしろ愛すべき長所となった。彼は汚染層からの脱出と倫理層からの脱落を繰り返して生きている。
そんな彼の境遇を、ジェイドは知る術もなく。
ジェイドの頭蓋を穿つために、切っ先するどく横一文字に振られたナイフを、いとも簡単に受け止めた。
「君——弱いね」
ジェイドは彼の肩の関節を外し、奪ったアスファルトの破片で彼の喉を潰した。
彼は呼吸ができず、じきに息絶えるだろう。