淡く脆い自信
物質的に満たされた世界でも、人は誰かを虐げずには生きられない。共に生きるという思想は、建前として誰もが受け入れているが、危機に陥ると直ちにそれを放棄する。
思うに、それは人の受け皿である土地に限りがあるからではないか。——そんなことをふと、思いつく。
各層を生き抜いて、より深い場所に降りてきた。地下25階には、理想郷があるとどこかで信じていた。そこに行きさえすれば、殺し合わないということがどういうことかわかる気がしていた。
だが、地面に空いた大きな口に呑み込まれようとするジェイドを見るのは、あわよくばこの階層から人が消えてくれればいいのにという、他人事の殺意だった。
地下都市の各階層のキャパシティには限りある。人がその階層に増え過ぎれば、生存競争さえ超えた、急激な人口減少が起こる。食べる物がなくなれば人は飢える。人ひとり生かせるための食料を集めることは、誰かを見殺しにすることになる。誰も彼もに平等に分配すれば誰も彼もが飢えて死ぬ。
博愛は滅亡に、残酷は人類生存ルートに……? ジェイドはよくわからなくなった。なにが正しいのか? なにが間違っているのか?
ただ、一つ、考えないことを許されない問題があった。各階層の限られたキャパシティの中で、人類が今まで生き残ってこられたのは、なにか大いなる存在の管理があってこそなのではないか、という疑問である。
地下11階、汚染された空気をそれより深くに浸透させないように、身をもって汚染物質を蓄積させ、肉の壁となり死んでいった人々。地下14階で、それより上層の汚染物質を濾過する「胎盤」と呼ばれる装置を、自我を失いながら甲斐甲斐しく世話していた人間たち。
人間としての尊厳、理性、そして生存。それらを無視され、奪われてこの世界の一部になることで、この世界の均衡が保たれているのなら……。
「その残酷さに歯向かうことは、罪となりえる……!?」
ジェイドの目の前で変化する世界は、ジェイドの目にはあまりにもゆっくり動いていた。走馬灯とでも言うのだろうか。ジェイドが生きることを諦めれば、その瞬間に時間が駆け足で進み、ジェイドの息の根を止めていたかもしれない。
「…………………………知ったこと、か」
それでも、ジェイドは生きることを諦めなかった。
「そんなに僕が危険分子なら、とうの昔に排除されていたはずだ」
それが、彼にとっての、「自分は生きていていい存在である」という確認の、弱弱しい根拠だった。
現に、彼は何度も、この世界の都合で殺され、記憶を消され、また植え付けられ……。彼自身にも尊厳などあったものではない。