何もかもを呑み込むもの
ギギ……
どこからか骨の軋むような不快な音が聞こえてくる。地下15階の人々は、示し合わせたように足早に、屋根があり囲いのある場所へ逃れていく。その音はあくまでも凶兆であって、それでいてありふれているらしい。
初めてこの音を聞く者は——そう、ジェイドのような人間は、その音が不快であるということしか分からない。周りを見渡せばどこか安全な場所に逃れなければいけないことは理解できる。だが、肝心の災厄の真相を知らないがゆえに、どこが安全と言えるのか自分の経験から判断できない。
耳を塞ぎ、背中を丸めながら、怯えた獣のように恐る恐る空を、すなわち青く塗られた天井を伺い見た。
「うわぁぁあぁ!」
天井が入れ替わる瞬間の音は、不快どころの騒ぎではなかった。数百人が暮らしていると思われる、今までジェイドが通過してきたどの階層よりも広い空間を覆う「天」が、ものすごい破壊音を立てて「夜仕様」
へと変貌を遂げる。ジェイドはあまりの轟音に耳を潰され、頭を殴られた人間のように視点が定まらず風景がぼやけて見えた。
そして——「天」と対をなす「地」もまた、揺れ動く。つい先程まで人が行き交っていた大路が、真ん中からぱっくりと裂けて、口のようになった。そうして、道端に捨てられたゴミや食べ残し、糞尿などの汚物が国の中に吸い込まれていく。
家々の中に逃げ込んだ人々は、その有り様を、乱雑に積まれた石垣の隙間から覗き見ていた。
口に吸い込まれていく数々の汚物は、量こそ少ないが上層階のスラムと変わらない人の営みの暗黒面とでも言うべきもので。ジェイドは、少しでもこの階層を「整った、綺麗な場所」と感じてしまったことを苦々しく思い出した。
強制的に何もかもを吸い込んでしまう「口」は、ある意味この階層の「排泄口」であって、これが頻繁にこの階層をリセットしているからこそ清潔さが辛うじて保たれているのだ。
そのことに気づき、思いを至らせる程度には、ジェイドは落ち着いていた。「口」が裂け始めてからしばらく経ったときに、意を決して大路から一つ入った裏道に逃げ込んでいた。腰を浮かせ、腕と足を使って少しづつ這って進んだため、ただでさえ万全ではない肉体が軋むように痛む。
大路が裂けていくのを、この階層の住人のように、家々の隙間から伺う。その裏道は、大路とは比べ物にならないほどに汚く、汚物で満ち満ちていた。裏道や細い道には、「口」は来ないのだと、彼は油断した。