気づき
「君に残された選択肢は二つある。ここで汚れ仕事をやるか、上層階に戻って無双するか、の二つだ」
「むそう」
「知らないかい? 『比べる者のいない』という意味だよ。僕は君に、上層階で生き抜くのに有利な情報を授けてあげる」
ジェイドはまだ、立ち上がれない。体の機能を丸ごと忘れてしまったかのようだ。
「なぜ、と言いたげだね。我々は土足で庭を荒らされる趣味はないのだよ。さぁ、早く選びたまえ」
優しく手を差し伸べる善良な人間を、演じる努力さえしなくなってきた。男は苛立ちを隠せない。眉をひそめて、舌打ちをした。カタカタとつま先を地面に打ち付けてもみたが、ジェイドは無反応のまま。
「なぁ、君。僕は壁にしゃべっているのかい? それとも猫の糞かい? 要領のいいガキならこき使ってやるんだが、君はハエほどの役にもたちそうにないな?」
役立たず。ゴミ切れ。汚物。
その他聞くに耐えない罵声を散々投げつけられても、ジェイドは無口だった。精神が壊れた生き物のように、アーアーと意味のないことを口ずさんで——しかし、スジを違える畳み方になっていた四肢を、無垢に暴れるフリをしてこっそりと痛みを感じない向きに組み替えた。
ジェイドの意識はいつからか少しだけ明瞭になっており、あの怪しげな男のついた嘘に気づくことができたのである。
あの男が言う、落ちてきた人間を上層階に戻す方法があるというのは事実だろう。しかし、上層階での生存に有利な情報を与えられるというのは確実性がない。今までに、下層階から上層階のスラムに舞い戻ってしまった人間を見たことはある。しかし、その人間たちは別段、上層階の過酷な環境下で生き残りやすかったとは思えなかった。
で、あるからには。ジェイドにそれを信用する理由はなかった。ならば、ここで生き抜くに越したことはない。ここには——綺麗な空気がある。
ジェイドは夜になるのを待った。夜ならば、動きやすい。視界の悪い場所で長く暮らしてきたジェイドには、どこまでも視界がひらけているとやりずらい。
夜は来た。思っていたのと違う方法で。




