消えゆく痛み
痛みが背中を蝕む。侵食すると言ってもいい。衝撃を受けたことによる痛みではなく、冷たいものに触れて皮膚に霜が張りつくような感触と、チリチリと燃える炎に炙られているような感覚が交互にやってくる。
痛い、痛い、いたい、痛い。自分が落ちてきた長い長い道が見える。細い光に照らされて、わずかに見えていたその道筋も、パックリと空いた地下14階の穴が閉じたのか、漆黒の闇と同化した。何も見えなくて恐ろしさに、目は視界を見渡すことすら諦めた。
不思議な感覚を覚えた。背中の痛みが消えたり生じたりした。間欠的な痛みはジェイドの精神をいたく混乱させた。
ふと、彼は何かを思いだした。遠い昔の、どこか懐かしさを感じさせる記憶だった。
ジェイドは母親を、ひどく憎んでいるようだった。
彼は母親と血の繋がりがないことを自覚していた。そして、母親はジェイドを——父親の監視がない場所で繰り返し痛めつけた。
母親は、いい妻であるためならいい母親になることも受容した。ただ、彼女にとっての重要人物である夫がいなければ、義理の息子に優しくしなければいけない理由もないようだった。
父親のいるときだけ、ジェイドは理想の家族の記憶を保持できた。逆に言うならば、父親がいる限り、自分が母親を殺した事実を思い出すことができなかった。
「うわぁああ、ああぁあ」
混乱の極致、思考の反乱。己の感情の制御すらままならず、この地下都市ではありえないどこかでの相反する二つの記憶を、否応なく統合させられる。己がどこから来て、なにをすべきなのかは全く示されないままに。
しとしと、しとしとしと。
雨のような音が聞こえる。いつからか、自分は確かに叫んでいるはずなのに、その自分の声さえも聞こえなくなった。そして、彼は完全に溶けてなくなってしまった。
地下都市の人間が落とされる、塩酸の湖。溶けかけた肉塊がところどころに浮いていて、見た者は正気ではいられないだろう。ジェイドが幸いだったのは、顔を下に向けずに落ちたことだったろうか。それとも、自己の成れの果てを知覚してから死にたかっただろうか。




