彼が生まれ落ちた日
この世界には天の光と地の光があり、太古の昔からその二つの光が地上の支配権を巡って争っていたという。
天の光が優勢だった時代は世界には影がなく、隠れることのできない生命たちはすべて焼き払われた。
両者が拮抗していたとても不安定な時代には、天の光と地の光が交互に天空に現れて地を照らした。地の光には影を作る力があったから、生命は息を殺してではあるが、生きていくことができた。
そして現代は、地の光が地を覆っている。生命たちは天の光なしには生きられず、人間を除く大半の生物が絶滅した。人間だけが、地下都市を築くことができる文明と知能を持っていたから、かろうじて絶滅を免れた。
ここでは誰でも知っている、創世神話に等しいお伽噺だ。誰も、天の光はおろか、地の光が何を暗喩しているのかさえわからない。あまりにも薄っぺらい、現実味もなければ感情移入もできぬ、娯楽として意味のない物語。
その物語の果てに、ジェイドは生まれ落ちた。聞くところによると、ジェイドは身体中に泡をまとい、産声もあげられずに落ちていたらしい。
泡は、外界の刺激に潰されて破裂していく。あるいは、小さい泡が二、三集まって大きな塊になる。しかしそれもいずれ消える。
生まれ落ちたばかりの赤ん坊の周りを通り過ぎていくのは大人ばかりであった。当然である。ここは、地下11階。空気も水も、人間が住める限界の汚染濃度である。それも、だいの大人が一ヶ月死ななければいいという程度の。
乳児だけがそこに在るなど、考えられない場所。そこは、人類に対し重大な咎のあった者や殺人者などが送られる実質的な処刑場であって、彼らには、グランドから迫り来る汚染物質を代謝して身体に蓄え死ぬことだけが求められていた。
この赤ん坊はどこから来たのか。曰く、深層階で生まれたがここで捨てられた。曰く、ここで誰かが産み時間が経っていない。そのどれもが間違いである。
ジェイドは、そこで初めて人間を殺した。
地下11階、またの名を汚染層。そこで半年も生きている男がいた。彼は類まれなる統率力をもってゴロツキを束ね、彼らを指揮して汚染物質から身を隠せるシェルターを作り、部下を交代で狩りに行かせることで命を保っていた。ジェイドは彼に養われた。男が死ぬと、No.2が男に代わった。その営みは五代続き、ジェイドは十歳でその頭領となった。ジェイドは頭領に就任したその日に、彼らの組織を解散させた。
ジェイドの仲間たちは、突然の解散宣言にたいそう動揺し、その方針を巡り互いに争った。次期頭領は決まらず、彼らは個で動く、元の在り方に戻った。彼らは三日と経たずに皆死んだ。個で生きる術を忘れてしまっていたからだ。