地下都市の肖像
人類は如何にして地下都市を築いたのか。その問いに答えるには、地上に人類の文明が花咲いていた、500年ほど昔まで遡らないといけない。
なんでも、地上に生える植物はどれもが緑色で、人間の肌は、(人種による差はあれども)今よりもよほど色が濃かったらしい。色が薄い人種の人々は、自ら光で肌を焼いてまで色を濃くしようとした。当時人々が食していた穀物「小麦」で例えられる、程よく日焼けした肌は、健康的な印象を他者に与えるとして羨望の的であった。
また、人々が栽培していた植物——人はそれを「野菜」と言ったが——は、一部の種類を除き、より青々としているか、より鮮やかな色をしているかで売れ行きが変わったらしい。
どちらにしろ、現代では考えられない話である。地下には、人や草々を照らし焼いていた日光は存在しない。よって、人も草も押し潰された土のような色で、弱々しく見える。
地下都市の構造自体は、はるか昔から文明に存在し、人々はそこを娯楽施設として用いていたようだ。時代が進み、日光が強くなり——肌を焼くことが健康的ではなく、それどころか、癌を誘発しやすくなるとして健康を害すると繰り返し警告されるようになると、地下は富裕層のための避暑地として高値で取引されるようになった。神話でいう、天の力が強くなり生命が地上で生息できなくなった時代の始まりであった。
富裕層は私財を投じ、自らの所有する居住地である地下都市をより堅牢に、過ごしやすく改造した。そのお陰で、我々残された人類が、細々とではあるが生息できている。不幸なことに、富裕層はより深くに潜ってしまったが。
地はどれだけ深く掘ることができるのだろうか? どこまでも掘り進めれば、やがて反対側に突き抜けてしまうのではないか? そもそも、文明を支えていたのが地ならば、その地を支えるのは何なのだろうか?
その問いに、ある者は亀という水棲生物が世界を背負っていると答え、ある者は、地に果てはなく、進み続ければ元の場所に戻る、ゆえに地は丸く、地は地の重みゆえに支えられていると言った。
私は——地下都市そのものである。地下に在る人々の層間の移動を監視し、必要に応じて、人々を在るべき場所へ導く役目を持つ意識である。
ジェイドという者が、この地下都市に紛れ込んでいるのは知っていた。彼は異質であり、脅威であると私自身のコアが叫んでいた。しかし、私は、私がなぜそう感じたのかがわからない。危機感が私を揺らす理由がわからない。
ジェイドとは、翡翠石の意である。初期文明の中で栄華を誇った王侯貴族の墓から、数珠繋ぎとなったそれが出土した、インプットされた知識はそう語る。
それは栄華を示すものであったが、それは土のなかに埋もれていた。それがなにを示唆するのか。生の栄華は死の世界に持ち越せるのだろうか。元来、地下、特に土の下というのは死者の眠る場所であったはずだ。それが今や、人に残された唯一の生存領域となった。その、人類史における意味は。
そこまで考えて、私は思考が本題から逸れてきたことを感じ取った。
私には説明できないのだ。ジェイドという存在を考えるときに感じる、そのうすら寒い、存在意義を問われているかのような身震いの意味が。




