このくそったれな世界の端で
湿っぽい雨が降り続いている。これじゃあ最後の晩餐にと、奮発してテイクアウトしたピザ屋のピザも不味くなっちまうじゃねぇか。カレンダー上は初夏なのに、梅雨が長引いていて気が滅入る。
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殺し屋のジェイドは、グランドと呼ばれるスラムの外れに廃材で小屋を建てて住んでいた。グランドとは、かつて「地上」を意味した言葉であったが、地上が有害物質で汚染された現代において、人が住めるギリギリの汚染濃度である地下11〜25階のことを指す。
ジェイドは殺し屋である。誰を殺すかと言われれば、地下25階の住民たちだ。
グランドに住む貧民たちは、人類領域の維持のための諸作業を充てがわれる。流体清浄器の点検維持、地下都市を支える、臍の緒と呼ばれる大きな柱の修理。その功績に応じて、貧民たちはより清浄な空気の吸える地下に住居を移すことを許される。
地下25階——それは、貧民が貧民でなくなる希望の街、のはずだった。
「貴族住層に行ったやつらはこっちには戻ってこねえだって? そりゃそうだ、あっちの暮らしの方がよほどいいんだろうよ」
他ならぬ、地下25階。人権回復層と呼ばれることもあるその地域では、スラムには珍しく人々の暮らしは豊かである。ピザ屋に裁縫屋、刃物屋に花屋、各自が店を構えて、売り上げを自分の儲けにできる。彼らはその金で、趣味というものを持った。
「気楽なこった」
ジェイドはそうつぶやくしかなかった。今回の仕事は、貴族住層のことを語りながらジェイドの前を通り過ぎた、花屋の主人の殺害である。彼もまた、貴族になれた者として、じきに羨まれることになる。——たった今、彼が、一ヶ月前に死んだ彼の友人を羨んだように。
「ジョセフさん、ですね」
「え……? あ、はい」
知らない声に呼び止められたことへの警戒心が、たちまち解ける。ジェイドは燕尾服を着て、顔の半分をハットから垂れた緑の布で隠していた。
召喚人。ジェイドの表向きの職業であって、貧民にとっての福音に等しい存在。その出立ちの者を見て、心躍らない者は存在しない。
「おめでとう、ジョゼフ」
彼の友人が彼を祝福する。これもいつもと同じ。
「え? あ、あぁ」
不協和音。彼の反応が、おかしかった。
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「あんた……召喚人なんだよ、な?」
念を押すような物言いに戸惑う。自分は確かに召喚人であって、世界への貢献度が一定指数以上になった市民を貴族住層へと案内する。貴族として生きていくにふさわしい人間であることを保証するために、対象者には健康診断を受けさせ、貴族住層の教育水準維持のために読み書きの能力をテストし、治安維持のために思想調査もかかせない。ジェイドはこの、大変だがやりがいのある職業に誇りを持っているのだ。
——そう、今は。この服を身に纏っているときだけは。
「いかにも。私は召喚人であり、貴殿は誉れにありついたのだ」
「…………あぁ……、そうなんだな……………………」
なぜ、そんなに悲しそうな顔をする。一時的にスラムの住民とは別れなければならないが、それもひとときだけのこと。残された住民たちも、よほどのことがない限り貴族へと昇格できる。ということになっている。