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「用事がないなら、私のことジロジロ見るのをやめてくれないかしら。鬱陶しいのだけれど」
「ご、ごめん……」
「ふん」
そう言うと、彼女は長い髪を靡かせ、風に乗せ、その場を去っていってしまった。
とはいえ、そうは言っても、彼女もこの駅で、このホームで、電車に乗る以外に帰宅する術がないようで、帰宅する手段がないようで、その場を去るとは言えど、あくまでも乗り場を変えるほかに手段がない。
「なんというか、ごめん……」
「殺すわよ」
「!?」
彼女は頭の先から、毛先から、爪の先、足先、手先、先から先へと、隅から隅まで、隅々まで刺々しい。
「えっと、、君も新入生だよな?」
「そうだけれど、それが何?」
「いや、訊いてみただけです……」
それにしても彼女の髪は本当に綺麗な黒髪をしている。黒の中に黒を作るための色が敷き詰められているような、そんな黒。絵の具の色を混ぜ合わせていくと、最終的には黒になるという事実を、彼女の髪は体現していた。彼女の髪からは黒だけではない、多くの色が見え隠れしているように見える。
絵の具の黒を使ったのではなく、ちゃんと、きちんと、混ぜて、混ぜ合わせて、掛けて、掛け合わせて、創った黒。だからこそ、その黒には全ての色が見える。そんな黒、こんな黒、あんな黒、どんな黒。黒クロくろ。
思い出すだけでも彼女は美少女であった。思い出は美化されるとはいえども、その差分を取り払ったとしても、彼女は美少女なのであった。
それだけに、これだけに、あれだけに、どれだけに、彼女の性格は、鋭い眼光は、災いしているとしか、言いようがないだろう。あれが、それが、これが、どれが、災いしていないというのならば、他になんだというのか、逆に教えてもらいたいくらいである。
そんなことを、こんなことを、あんなことを、どんなことを、考えながら電車に揺られ帰宅する。
帰宅するわけなのだが、どうやら僕と黒髪の美少女は同じ街に住んでいるようで、終始同じ帰り道を歩くこととなってしまった。
「ねぇ」
「なんでしょう?」
「あからさまなストーカー行為をやめてもらえないかしら? 死にたいの?」
「え」
「え、じゃないわよ。駅からずっと私のことジロジロ見てると思ったら、今度はストーカーなの? 恥を知りなさいっ! この変態がっ! このクズがっ! このゴミがっ!」
すごい言われようである。これはドの付くMの方は歓喜しそうなものだが、物言いだが、残念ながら、残念なことに、僕はMの気質はない。かといって、Sの適性があるかと問われると、訊かれると、聞かれると、尋ねられると、詰められると、責められると、首を傾げるほかないのだが、それでもこれだけは言える。これだけは自信を思って言える。
「残念だったな! 僕はMじゃないんだぜ?」
「はあ?」
「………」
「はあ?」
「す、すんませんした……。ただ、一つだけ言い訳させてください……」
「何よ? この期に及んで何を言い訳するのかしら?」
「あの……その……僕は、やっぱりMじゃなっいったっ!!」
足を踏み付けられた。
「何すんのさ!」
「アナタが馬鹿だからよ。もういいわ、早く消えなさい」
「いや、そういうことじゃなくて、僕の家もこの辺なんだよ」
「それを早く言いなさい」
もう一度足を踏み付けられたことは言うまでもないだろう。しかし、だがしかし、言わなければわからないだろう。
「私はアナタと遊んでいられるほど、暇じゃないの。アナタが消えてくれないのなら、私がこの場から消えることにするわ」
「は、はあ……」
彼女はそう言い残して、ツカツカと、カツカツと、コツコツと、ツコツコと、歩き出した。
僕はその背中を、揺れる髪を、靡く髪を、彼女をただ、ただただ、見ていた。見つめていた。
「なんだったんだ?」
彼女は一体全体何体だったのだろうか? なぜ僕にこれ程までに、執拗に、因縁を付けてきたのだろうか?
実際問題、実際に、駅で彼女を見ていたのは僕だけではない。彼女の美少女ぶりに見蕩れていたのは、見惚れていたのは、僕だけではない。
それだというのに、だというのに、なぜ僕だけが公開処刑を受けることになったのだろうか? 疑問でならない。
「ただいま」
アパートの玄関の鍵を開け、ようやく長い1日も終盤に差し掛かろうとしていた。
「おかえりなさい。ご飯まだ?」
そんな可愛くない言葉と共に玄関に駆け付けたのは、やってきたのは、歩いてきたのは、猫のヨシオ(♀)である。
「お前は相変わらず可愛くねぇよな」
「なんでよ! どこがよ!」
「そういうとこだよ!」
皆様ももうお気付きのことだろう。そうこれは僕の頭がおかしいのである。違う。間違い。不正解。もとい。訂正。修正。
これに関しては、それに関しては、あれに関しては、どれに関しては、僕の頭がおかしいわけではない。決してない。
なので、それなので、だから、それだから、落ち着いて聞いてもらいたい。いま僕の目の前にいるコイツは、今しがた玄関には歩いてきたコイツは、喋る猫なのである。人語を話す猫なのである。
そんな馬鹿な。と、思った方も多いだろう。僕も最初に、初めて、この猫を見かけた時は、目が点であった。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていただろう。まさにそんな顔をしていたことだろう。
しかし、だがしかし、このヨシオの首をよく見てもらいたい。見てもらいたいと言っても見ることのできない皆様には言葉で説明するしかないのだが、見てもらいたい。
ヨシオの首には普通の猫は付けないであろう、メカメカしい形をした、いかにも機械的な、いかにもロボットな、首輪が付けられているのだ。
本人曰く、ヨシオ曰く、この首輪の力で人語を話せるようになったのだという。そんなドラ◯もんじゃあるまいし、ほんやくコンニャクかよとも思ったが、現にこうして、そうして、ああして、どうして、僕とヨシオを日本語を用いて会話しているという現状を、状況を、情勢を、近況を、見ると、見るからに、ヨシオが話していることもあながち嘘でもないのだろう。そう思うしかない。
訳あって、紆余曲折あって、色々あって、なんだかんだあって、二転三転して、現在はこのアパートにて、僕とヨシオで二人暮らしではなく、一人と一匹暮らしをしている。
「ねぇ、ご飯まだ?」
「そんなんだから、お前道端で彷徨うことになるんだぞ?」
「はあ!? それ今関係ねぇし!! マジ関係ねぇし!! うるせぇし!! 黙れし!!」
「はいはい」
「はいはいで片付けんな!!」
前述の通り、途方に暮れたヨシオは雨に打たれており、痛いけな猫だったのだ。
人語を話せるだけに、人語を理解しているだけに、そこそこ、こそこそ、それなりに、なりそれに、頭は回るようで、頭は回転するようで、人語を話す猫なんてバレたらどうなるかわからないと考えたヨシオは、途方に暮れるしかなかったらしいが、それを不憫に思った僕が声をかけたのが運の尽きだったようだ。
『お前、行くとこないのか?』
『そうなのよねぇ』
『!?』
あの衝撃的な出会いを僕は一生忘れることはないだろう。忘るることはできないだろう。
「それで? 学校はどうだったのよ?」
ちなみにだが、これはちなみになのだが、余談なのだが、蛇足なのだが、ヨシオは僕が名付けた。
「ん? まぁこれからって………感じかな?」
「何その間?」
「いや、特になんもねぇよ。ましてや、お前が気にするようなことなんか一つもねぇよ」
「そうなの? それならいいのだけれど。ほら、私こう見えてもアナタの保護者じゃない?」
「どう見えてもお前が僕の保護者には見えねぇよ。どう見てもお前は僕のペットにしか見えねぇよ」
「むーー!」
この猫が言った通り、僕も言った通り、この家には僕とヨシオ以外の家族はいない。
to be continued.