年末年始、胆嚢全摘の顛末
2020年の年末に緊急入院しました。
珍しい経験ではありますので、以下に顛末を記します。
■2020/12/23
昼:
自転車で数駅離れた本屋に行きました。
走行距離は往復30キロほどで、平均時速は20キロ前後です。
自転車乗りなら同意してくれると思いますが、まあお散歩レベルです。
これを3回繰り返せるようになると90キロで、そこそこ長距離(片道50キロ以上)を走っても大丈夫という目安になると個人的に思ってる距離ですので、1往復で支障が出るはずもありません。
ですが。
夜:
嘔吐2回。胸骨付近に痛みを感じました。
嘔吐こそしましたし、吐き気も残ってますが、表層の痛みであるように感じていたため、筋肉痛だと判断して痛み止めと吐き気を抑える薬を飲み、ついでに胸に湿布を貼りました。
■2020/12/24
朝:
痛み止めの影響かぐっすり眠れた。痛みも感じません。湿布が効いたのかな、などとノンビリします。
昼前:
痛み始めます。
痛み止めがもうあまり残っていないので、医者で薬を貰おうと考えます。
昼前:
何となく、近所の整形外科じゃなく総合病院に足を運びました。
しかし、受付は数分前に終了しているとのこと(11時30分で締め切ってるそうです。で、到着は30分を回った直後)。
普通なら諦めるところですが、受付の方に症状を聞かれたので
「筋肉痛だと思います」
などと言わずに
「胸骨のあたりが痛むんです、あ、二回吐きました」
と相談したら、救急外来なら案内できるとのこと。
私としては痛み止めさえ貰えれば良いわけだからと、これ幸いと救急外来に案内されました。
昼過:
救急外来の先生は内科の先生で、胸の痛みと聞いて色々検査をしてくれました。
血液、心電図、胸部レントゲンなど。
いやいや、筋肉痛でそこまでしなくても、と思わないでもありませんが、救急外来に送られた手前、筋肉痛だと言い出せずに色々検査を受けます。
で、血液検査の炎症の数値が高い(白血球数:16270)ことが判明。なおこの時点では熱は平熱でした。
「炎症があるのは間違いないけど、あなたが痛いという部分に悪いところは見付からない。痛みが続くようなら、明日、また通常の外来で来て」
と仰るので、取りあえず痛み止めください、とお願いすると、痛み止めと胃炎の薬の処方箋をくれました。
なるほど、筋肉痛じゃなく胃炎なのか、胃炎もまあ炎症だよね、などと思いつつ、薬を貰って帰宅します。
■2020/12/25
未明:
痛み止めが切れ、目が覚めました。
痛む部位が胸骨から右肋骨下部というか、右上腹部に『移動して』います。
24日の朝方、前日深夜に飲んだ痛み止めの影響で通院判断が遅れたことを思い出し、痛み止めは我慢し、何とか眠りに就きます。
朝:
右肋骨下部がとても痛い。
万が一があるかもと、入院の為に軽く荷物をまとめます(本気で入院になるとは思ってなかったので、準備と言っても三日分の着替えとCPAP程度。歯ブラシや箸やコップなど準備から漏れてました)。
※過去にも2週間の緊急入院をした経験があり、必要な物はそれなりに知ってました。
朝食もそこそこに自転車で通院。自転車に乗るとどういうわけか、体を上手く立てられず、いまいちバランスが悪くて驚きました。
受付で、前日、救急外来で見て貰ったことと症状を告げると、内科に回され、血液検査の結果、炎症の数値が24日と比べて更に悪化していると判明。
病院の入り口で、非接触体温計で体温測定をした際は平熱でしたが、昼少し前から38度近い発熱。
炎症のためだろうとのことでしたが、時期が時期だけにコロナのことが脳裏をよぎります。
痛む部位が変化したことから、CTと腹部レントゲンで、胆嚢結石があることが判明しました。普通は数ミリサイズらしいですが、レントゲンに映るのはピンポン球サイズにも見えました。
結果、これは内科の領分じゃないと、外科に回されることに。
で、CTや血液検査の結果から、緊急入院が決定。
治療計画方針としては、抗生物質の点滴で症状を緩和しつつ、2週間ほど様子を見て、その後の対処を決めるというもの。
入院手続きの待ち時間でスマホを使って胆嚢結石のことを調べると内視鏡手術があるらしいと分かります。それなら切った方が早いんじゃないのかとも思ったものの、切らずに済むならその方が安全なのは確かだよね、と考えます。
朝、家を出る前に、入院の可能性を考慮して着替えを3日分程度は用意してきたけど、2週間はちょっと想定外です。
ちなみに、朝はちょっと寒くて寝間着代わりのスエットの上にジーンズ、セーターなどを着てきたので入院時、寝間着になるのはとても簡単でした。
■2020/12/26
朝:
血液検査の結果、更に炎症が悪化していると判明。抗生物質の効果がまったく出ていない。
これは様子見をしてる場合じゃないと、緊急手術が決まり、家族を呼ぶようにと言われます(万が一、手術中に何かあった時に、医師の勝手な判断ではなく家族の同意の下で対処を行いました。とするための保険です。前に弟が手術したときは、私が待機要員として呼ばれました)。
CTの写真を見ながら手術の説明を先生に受け、胆石って内視鏡でサクッと取れるんですよね、と聞いたら、それが出来るのはもっと小さいもので、ここまで大きな胆石は内視鏡では無理だし、数値から考えて胆嚢摘出術になるかもだから、開腹手術になるとのこと。入院期間がどうなるのかとかは思いつきもしなかったので聞きませんでした。
諸々の同意書(必要になったら輸血するとか、全身麻酔使いますよとか、何かあったら判断を任せますよ、みたいなの)にサインをして、午前中(覚えてませんが、多分10時くらい?)に手術開始。
手術着に着替えて、車椅子に乗ります。
手術室まではベッドで移動というイメージがあったのですが、車椅子での移動。到着したら手術台には自力で上れと言われまして頑張りました。立ち上がって座るのは何とかできましたが、腹部が痛くて、体をうまく動かせませんでした。体を起こしたり、ベッドの上で横向きになったりが大変な苦痛で、補助なしではできない状態です。
で、台の上で補助を受けつつ横向きになって、背中に麻酔。をうつための麻酔を打たれ
「背中、麻酔入れてますけど、痛くないですか?」
と聞かれて、
「痛くはないけど、圧迫感を感じますね」
と答えたところで意識がなくなりました(映画なんかで、患者に数を数えさせるイメージがあったのですが、私はやったとしても記憶に残っていません)。
で。目が覚めたら午後になっていて、ナースセンターの目の前の二人部屋に入ってました。
胆嚢摘出して、胆石も取ったと言うことで、取った胆石を貰いましたけど、見た感じ、胆石はCTで見たよりもずっと小さい(小径7ミリ、大径1.1センチくらい。真っ黒で多孔質)。表面に付着していた組織とかは除去されてる模様。
摘出した胆嚢はパンパンに膨らんでて、破裂寸前だったとかで、念のため組織検査に回すとのこと。
術後、意識がはっきりして最初にしたのは着替えです。
手術着着たままですので、看護師さんたちに手術着を脱がせて貰い、家族に持ってきて貰っていた着替えに着替えさせて貰います。
いやいや、腹切ったんだよね、体起こしちゃって良いの? とか思いつつ、補助をして貰いながらも着替えを終えると息も絶え絶えでした。
ちなみに腹部には腹帯なるサラシで出来た腹巻きみたいなものが巻かれてまして、この時点では、どこをどう切ったのかとか全く分かりません。
なお、家族の話だと、手術室から戻ってくると、しばらく朦朧としつつも返事を返す状態だったらしいですが、正直、まったく記憶にありません。意識がはっきりするまで、結構時間が掛かったように思います。
あ、手術直後に接続されていた管各種はメモ書きが残してます。
・手術用の太い点滴の針(看護師さんが20ゲージだっけ? とか言ってましたね)。
・背中に麻酔(体を起こせるようになるまでは、胸に刺さってると思っていたけど、胸にテープで固定し、首の後ろを通して背中に刺さっていました。点滴と比べると、とても細い管(直径2ミリに満たないくらい)です。)
・腰の右にドレーン(腹の中に管を通し、術後の出血やら、染み出る諸々の体液などを抜くためのもの。容器に陰圧が掛かっていて、吸い出すように作られている。出てきた代物については、血が混じった挽肉に黄色い液体を混ぜた物?)
・尿道カテーテル(麻酔が掛かっていて、トイレに行きたいと感じられないそうで、袋に垂れ流しです。最初は抵抗ありましたが、今となっては、中々便利だったな、あれ。とか思ってます)
・あと酸素吸入
背中に繋がってる麻酔の入れ物からはどうやら常時麻酔が入り続けているようです。で、容器には何やらスイッチがあるようで、それを操作すると体内に麻酔が追加で注入される仕組みらしいです。
切った場所が痛いときは看護師さんに頼んで麻酔を入れて貰います。それがなければとても眠れるものじゃなかったでしょう。
なお、看護師さんによって、使用の推奨度が異なりました。
看護師さんA「これ、使用間隔が6時間くらいって制限があるから、使っちゃうと夜眠れなくなったとき困りますよ」
看護師さんB「そんなの気にせず、痛いときは言って下さい。我慢は傷に悪いです」
みたいな?
で、とても痛かったので、夜痛くなったら夜の自分に任せようと、気にせず頼むことにしましたが一回使うと8時間くらいは効果が続いたので使用間隔の短さとかで困ったりはしませんでした。。。慣れてくると変化するんでしょうかね?
■2020/12/27
朝:
あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
「おれがベッドに寝ていたら
看護師さんが「今、レントゲンが来ますから」と言っていたんだ」
な………何を言っているのかわからねーと思うが(略
二人部屋にレントゲンが来ました。
レントゲンを撮りましょうと言われていたのでてっきりレントゲンの所まで車椅子で移動するのかと思いきや、レントゲンの機械がやってきて私の体の上を通り過ぎて行きました。
そのあと、蒸しタオルで体を拭いて貰いました。
まだ自分の手術の痕は見ていません。
さて、その結果を見て、まあ大丈夫でしょうと、ナースセンターそばの4人部屋に移動します。
なお、25日からずっと点滴が続いています。抗生物質と栄養剤とのこと。そう栄養剤の点滴です。
ご飯は食べていません。最後に固形物を食べたのは、25日の朝食ですね。点滴のおかげか、絶食でもそれほど苦しくはないです。
ちなみに、手術の際に挿管したためか、痰が出ます。まあ、ちょっと考えてみてください。腹筋に20針の切り傷があるんです。その状態で咳とかしたら痛みで涙目にもなろうというものです。
あまりの痛みに咳が止まりました。
人体の反射作用って咳を止める方向にも働くのか、とちょっとビックリです。
■2020/12/28
体を起こしても良いと言われ、試しに起こしたら悶絶しました。
いえね、体を起こすって腹筋使うじゃないですか。
そこを手術で20針分も切ってるのに腹筋に力を入れたりしたらそりゃ痛いですわ。
で、ふと思いついたこと。
「痛む部位的に切ったのは腹直筋だよね、腹斜筋を使って体を斜めに起こしたら痛くないのでは?」
いえ、そんなこと生まれてこの方やろうと思ったこともありませんし、意識して腹斜筋を鍛えたこともありません。ただまあ肩凝り対策に、首と肩周りの筋肉を意識して一本ずつストレッチとかをしたことがあったので、意識すれば筋肉はある程度別々に動くとは知っていました。
で、試しにやってみたら、出来てしまいました。。。うむ、個々の筋肉の知識があると、こんな器用なことができるのですね。
普通に考えれば、筋肉は独立してません。繋がってるわけだから絶対に痛くなりそうなのに……いえ、確かに痛みはあるにはありますけど、無視できる程度に収まりました。うむ。人体の神秘です。
あ、体起こしたら背中痒かったのでポリポリ……? 不思議です。何も感じません。どうやら背中にはまだ麻酔が掛かってるようです。これだけ感覚が消えてるのに痒みを感じたのは幻肢痛の親戚でしょうか?
少しだけ、痒みを感じると思われる箇所をひっかいて満足すると諸々(熱、血圧、血糖値、血中酸素濃度)測る時間です。
ちなみに、手術後からずっと発熱が続いてます。38度くらい?
術後の反応としては普通と言われましたので、そういうものなのでしょう。
蒸しタオル数枚が配布され、体を拭きました。
手術の痕を見ました。
右の腹部に斜めに赤い線。で、ホチキスの針の大きいのが20個。
ドレーンの穴は更に下で真横なので見えません。ん? ドレーンの穴から切った場所まで結構距離有りますね。これは手探りで管を通したのかな? まあ、見てると触ってみたくなるので、拭いたらすぐに腹帯を巻きます。
昼:
お昼から五分粥ですが食事が開始になりました。
夜:
同じ病室のお爺さんが、夜中になると歌い出しました。。。そういうのを気にする程度に余裕が生まれたということでしょう。
ちなみに私、踵の骨に異常(踵骨棘)がありまして、ずっと寝ていて、そこがベッドに当たっていたからか、とても痛みます。うん。手術の跡より余程痛いです。。。
■2020/12/29
未明:
突然、
「あ、治った」と感じました。
何というか、呼吸がスッと楽になったんです。
呼吸のたびに、体の中の切った部分に痛みを感じていたのですが、その痛みが急に気にならなくなって呼吸が楽になった、と言うのが多分言葉にしたら正解なのでしょうけど、感覚的には「あ、治った」です。あれは不思議な感覚です。
毎朝体温、血糖値、血圧、血中酸素濃度を測り、隔日で血液検査をしてるのですが、朝の検査で熱も下がってました。
で、血液検査の数値も安定していたそうで、レントゲンを撮ることに。今回、レントゲンさんは来てくれませんので、こちらから車椅子でお邪魔します。
「はーい、息吸ってー……吸ってる?」
「まだ浅くしか呼吸できないんです。立った状態で全力で吸うとちょっと痛くて」
「なるほど、はい止めて止めてー出来る範囲で構わないから」
みたいなやり取りがありましたが、まあ、検査結果は極めて順調です。
昼:
全粥の食事になりました。
夜:
新しくお爺さんが病室に入ってきまして、ひとりで出歩くなと言われてるのに勝手に歩き回って、転んだりして大騒ぎでした。30日の朝、起きたら、別の病室に移されてました。。。隔離かな?
■2020/12/30
朝:
順調すぎるほどに順調な回復に、点滴をやめることに(針は残ってる)。
食事もしてますし、炎症の数値も安定してるそうです。
ちょっとこの回復速度はビックリしました。と言われました。
で、眠れないほどの痛みもないなら、と、麻酔の針も抜きました。
今までずっとうっすら麻酔が掛かった状態でしたので、それが止まったら痛いんだろうなぁ、とビクビクです。
まあ、麻酔掛かった状態なので抜いた感触も分かりませんし、そもそもどこに刺さってたんだよ状態です。分かっているのは管はとても細かったということだけ。きっと針も細かったのでしょう。
で、その後カテーテルを抜かれました。ズルズル抜く感覚がちょっと気持ち悪かったかも?
色々管が抜けたので、看護師さんに頭を洗って貰いました。床屋さんみたいな感じの台でお願いしました。
残っているのはドレーンですね。
■2020/12/31
午前:
色々測定して、異常なし。
ドレーンも抜けました。
内臓のあたりまで差し込んでた管を抜くにしては、あっさりと。で、抜いた穴にはガーゼあてておしまい。
咳したときに痛む部位というのが、ドレーン抜いたら痛まなくなりました。
内臓(私の場合、肝臓の下あたり)に管入れてたわけで、それが痛みの元になっていたようです。まあ、考えてみたら、腹部に低刺激とは言え、異物入れてるわけですし、チューブに陰圧掛かってるわけですから、そりゃ、違和感ありますわ。
午後:
点滴の針も抜けました。
大晦日だから、病院食ですが夕食は蕎麦でした。
■2021/01/01
朝:
ドレーン抜いた穴を防水テープで塞いでもらい、そのまま自力でシャワーを浴びました。
防水テープ、すげー。
そして、切った場所はホチキスの針で止まってます。水漏れしないのか、ちと心配。
極めて順調に推移してるそうなので、いつ頃退院か聞いたところ、まあ検査結果次第だけど1/4くらいかなと言われました。
■2021/01/02
朝:
血液検査で正常。退院は1/4でほぼ確定。
退院予備軍となったため、ナースセンターから離れた部屋にベッドごと引っ越し(センターに近い病室には、重篤な方を集めますので)。手術室行く時に適わなかったベッドでの移動です。
午後:
脇腹の防水テープが外れました。
■2021/01/03
終日:
特にやることもなく、スマホで電子書籍を読んだり、ダウンロードしといた映画を見たり。
アベンジャーズが中々面白かったですね。
エンドゲーム見て、え、マジで? ってなりましたけど。。。
■2021/01/04
午前:
数値が安定(白血球数:7500くらい?)して退院。
20針ほど縫ってる(正確には、ホチキスの針みたいなもので止めてる)けど、針は退院の直前に抜き取りました。
■退院後
数日は自宅のベッドにいましたが、すぐに飽きてコンビニまで行ったりを始めます。
踵の痛みがあるから大人しくしてましたけど、お腹の方は違和感こそありますが、痛みは殆どありません。
数日ほど発熱がありましたが、寝てたら治りました。
■2021/01/09
午前:
別の理由(慢性の病気)で通院。
血液検査を行う。
白血球数が10560と増えていて、あれれ? 無理しちゃったっけ? と思うものの、とくに何も言われずに帰宅。
■2021/01/12
午前:
術後の検査、という名目での通院。
9日の結果はちょっと悪かったけど、12日の結果は正常だから問題なし、とのこと。
ただ、生検の結果はまだ出てないとのことで、後日、結果を聞きに行くことになりました。
■2021/01/26
午前:
通院、生検の結果を聞きに行くと、ガンとかはなかったそうで、またしてもガン保険を貰い損ねる。
ただ、胆嚢は真っ黒になっていて、半ば壊死していたとのこと。
あと少し遅れたら破裂して、お腹の中が汚染されていたそうです。
手術してくれた先生は、切り取った胆嚢は腫れてたし、周囲の組織も少し影響出て固くなっていたとか笑いながら言ってました。。。
◆◇◆◇◆
■まとめ。
うん。
改めてみると結構な綱渡りです。
当初、私は自分の状態を、筋肉痛と思ってましたし痛み止め貰ってこようと医者に向かいました。
だから、整形外科でも良かったし、近所の薬局でロキソニン買ってもよかったんです、というか普段の私ならそうしていました。
でも、もしも総合病院じゃなく整形外科に行ってたら、痛み止めを貰って帰り、痛くなったら薬飲んで耐えてたでしょうから、手遅れになったかもなのです。
そう考えると、総合病院に向かったのが最初の『幸運』です。
総合病院に向かっても、整形外科で筋肉痛を主張していれば結果は同じだったでしょうけど、たまたま受付に間に合わず、案内してくれた救急外来にいたのが内科の先生だったのがふたつ目の『幸運』でした。
もしも救急外来にいたのが整形外科の先生で、私の「多分筋肉痛だと思います」と言うのを鵜呑みにされていたら、どうなっていたか。。。
救急外来の、しかも内科の先生だから色々検査してくれて、だから25日(金曜日)の血液検査結果で、急変という判断ができ、そこから緊急入院という選択肢が出てきました。
で、25日に入院して半日抗生物質投与していたから、26日(土曜日)になってそれでも悪化するのはおかしいと、緊急手術という選択肢が出てきました。
そうやって並べていくと、中々なタイトロープだなと思えるのです。
まあ、そもそも病気になったのが不幸だろ、と言われればそうなのですが、それでもこれだけ器用に危険を回避できたのは、結構な強運なのかな、とか思ってしまいます。まあ実際には医療従事者の皆さんの経験と技術があればこそではありますが。
あ、あと、1/26の通院で言われたのです。
もしもあれが今日だったら、ベッドが確保できず、入院は出来なかっただろうね、と。
そうすると、あのタイミングというのも実に運が良かったのです。
年末年始で、一旦退院して自宅で過ごす、という方もいて、ベッドの空きが多い時期だったし、まだコロナの影響はそこまで大きくなかったのですから。
他にも、年末年始の入院の経験とか、痛み方とか麻酔の効果とか、色々と貴重な経験ができましたし、そう考えると、収支はプラスだったかなと思えるのです。
ただ、今回のことから皆さんにふたつだけお伝えしたい教訓がございます。
●痛み止めで痛みを耐えられるとしても、痛みがあるなら早急に医者に診て貰いましょう。
今回、一番衝撃だったのは、内臓が壊死し掛かってても痛み止めで痛みって緩和されちゃうものなんだ、ということです。
痛みがあるのは異常な状態なのです。
仕事があるからと、痛み止め飲んで頑張ったりするのは危険です。
●痛みが激しいと、本当に痛む部分とは違う部分が痛く感じたりすることもあります。
私は最初、胸骨の痛みを感じ、筋肉痛と認識していました。
で、切った後で思い出したのです。中学の時の英語の先生が盲腸で入院したとき、最初に痛かったのは頭だったので、まさか盲腸だったとは思わなかった、と言っていたのを。
なるほど、こういうことだったのか。と得心しました。
要は「自分の体のことは自分が一番よく分かっている」というのは嘘です。ということです。
痛みの部位とか、体は平気で嘘をつきます。
検査結果と自分の感覚に乖離がある場合は、客観的な情報(CTとかレントゲンとか)を信頼しましょう。
■その他
入院時にあって便利だった物。
●小さなウエストポーチ。
ユニクロで買った薄くて1000円しないヤツ。これが何かと便利でした。
そんなに歩き回れませんけど、小銭入れとスマホとかを持ち歩くのに、便利でした。あと、普段はベッドの手すりにぶら下げてたから、行方不明にもなりにくかったし。
というかね、ベッド上で身動き取れなくなると、ベッドの上に置いた物が行方不明になります。具体的にはスマホ。健康なら起き上がって見回せば良いんですが、それが出来ない間は、何回スマホを見失ったか。
ああ、そういう意味じゃ、目立つスマホケースとか、長目のストラップとかもあると便利かもですね。
●モバイルバッテリー
延長ケーブル使ってスマホの充電してましたけど、たまに充電器が熱くなるのです。スマホは体から離したくないけど、充電器からは離れたい。という時に、鞄の中で2年ほど眠っていたモバイルバッテリーが役立ちました。モバイルバッテリーなら体から離して充電するのにも心理的抵抗は少なく、寝てる間にモバイルバッテリーを充電して、起きたらバッテリーからスマホを充電するというサイクルでした。
●筆記用具
スマホもありますけど、文字で記録を取るならメモが一番楽で早いです。
入院中の各種記録やら、書類に署名とか、まあ、結構使いましたね。
●箱
薬を入れるのに、大判のラノベよりも一回り大きなプラスティックの箱を使ってまして、この箱が結構便利でした。
薬は入院時に全部預けてしまってますので、箱は空っぽです。
で、それに箸やスプーンを入れたりしていました。あと、コップを使う際、箱の蓋をお盆代わりにしたりとかですね。
まあ、その他はタオル、ウエットティッシュとかの当たり前の物ばかりですから割愛します。
■スマホの使用量について
ええと、私はスマホ2台とFOMA携帯を使っています。
当時、スマホ1台はSIMを入れず、電子書籍を読んだり、SDカード内の動画を見るのに使っていました。
SIMが入ってる方は、ツイッターとネット小説がメインです。
電話はFOMAだからスマホの通信量に影響はありません。
例えばスマホですが、2月の高速通信は208.9 MBでした。
ところが、12月は4483.2 MB、1月は3665.8 MBとなりました。
うん。色々読んでいたからというのもあるでしょうけど、予想外の多さです。
購入した電子書籍と動画は基本、SDカードに入れてます(そのために512GBのSDカード入れてます)ので、重たい物のやり取りはしていないはずなのですが。。。解せぬ。