日替わり転移外伝 ~願望の高利貸し~
「よう」
「……はぁ」
どこかけだるげに聞こえる呼びかけに樋口キョウヤは思わず生返事してしまった。
目の前の男が左手を億劫そうに挙げている。
どうやら呼びかけの主らしい。
「……どうも」
眉をひそめながら、キョウヤは男の全身をジロジロ観察する。
藍色の着流しをやや乱暴に崩し、特に胸元を大きく開いて諸肌をさらけだしている。髪型はざんばらで、長めの前髪の間からのぞく目つきは鋭い。瞳がどんよりと曇っているのがチグハグな印象を抱かせた。
(……あれ? そういや俺、なにしてたっけ)
そもそも、どうしてこの男が自分に話しかけてきているのか。
記憶がおぼろげでキョウヤは思い出せない。
何か嫌なことがあった気はするのだが。
「さて、と」
「うっ……」
着流しの男の無造作な接近にキョウヤが呻く。
雰囲気に威圧されたというより、男に見下される格好になったのが癇にさわったのだ。
「ボウズ。信じられないかもしれないが、はっきり言うぞ。お前は死んだ」
「は? 何言って……」
唐突な宣告に対し、キョウヤは頬をぴくぴくとひきつらせて笑みを浮かべる。自分ではニヒルだと思っている笑みを、だ。
他人から見れば気持ち悪いだけの笑いを、着流しの男は気にも留めない。
「お前がどうして死んだのかは知らんが、俺に引き合わされているからな。間違いなく死んでいる」
「何言っちゃってる? 何様? いい大人になって死神気取りですか、まじウケるんですけど」
口元で涎と唇をすりあわせて下品な音を立てながら、キョウヤは挑発的に肩を上下させた。
普段笑われる立場の彼にとって、他人をあざけ笑う機会は貴重な娯楽なのだ。
「あ、なに。怒る? 怒っちゃう? 待って、暴力反対」
着流しの男が押し黙ったのでキョウヤが慌てだした。
なけなしのプライドとメッキでできた心の城塞を無条件降伏させ、頭をかばう。
しかし、クラスメイトの伊藤と村上なら必ず仕掛けてくるあびせ蹴りは来ない。ビクビクと腕の下から上目使いで安全を確認したキョウヤはじりじりと後退する。
「変な奴だな。まあいい……周りをよく見ろ」
男に言われて、キョウヤは自分の置かれている状況を確認しようと男から視線を外し――絶句した。
どうして気づかなかったのだろう。青い空、白い雲。日常的に目にした晴れの空。それが天を仰ぐまでもなく広がっている。
ふたりとも、空の上に立っていたのだ。
「何コレ、珍百景? それとも俺の隠された力が覚醒しちゃった系?」
「ばぁか……今のお前は幽霊なんだよ」
おっかなびっくりウザいリアクションのキョウヤに、男が追い打ちをかける。
「死んでんだよ。何度も言わせるな」
びくりとキョウヤの動きが止まった。
ここまで言われて、キョウヤはようやく思い出した。
――体育館裏、呼び出し、女子からの告白かと思いきやリンチ。腹を蹴られ、背中を蹴られ、贅肉だらけの顔をグシャグシャにぬらしながら、早く終わってくれと二次元の嫁に祈りを捧げていた自分。意識が遠のく。ああ畜生痛い痛い死ね死ね世界のやつら全部死んじまえ、どうして俺がこんな目に遭わなきゃならないこんなの間違ってるからみんな死ねばいいのに――
「…………え、嘘。俺の人生、これで終了?」
まだ何もしてない。女子のおっぱいも揉んでないし、エッチもしてない。本番はこれから、いつか、そのうちたぶん始まるはずだった覚醒回はきてないのに……。
そんなとりとめのない思考に頭を混乱させながら、わけのわからない叫びを挙げるキョウヤ。
絶望に顔を青くする少年に、着流しの男がニヤリと笑う。
無気力に見えた着流しの男が初めて見せた笑みの意味に、哀れな道化が気づくことはない。
「ああ、終わりだ。だが運がいい。いいか喜べ、お前は転生できる」
「……はへ? 転生?」
転生、と言われてキョウヤはすぐに思い至った。
異世界転生。チート。ハーレム。夢想の中だけで許されていた甘美なる成功体験と、その実現……。
真っ青だったキョウヤの顔が、あっという間に喜色に染まった。
「じゃあ、あんたは……いや、あなたが神か!」
「その問いかけは、お前で18人目だな」
はぁ……、と。着流しの男はため息をついて頭をぼりぼりかいた。
「『残念ながらそんなんじゃねえ』と応えることにしてる。神じゃなくて『マカミ』だ。俺の名前はマカミだよ……まあ、あれだ」
マカミと名乗った男が胸板を張り、真面目な調子で宣言した。
「願いを言え。転生前に、大抵の願いならひとつだけ叶えてやる――」
「キタコレー!」
その言葉を待っていたとばかりにキョウヤが全身のバネを使って万歳する。
ぶるんぶるんと腹の肉が震えた。
「チートだ! チートもらって転生! テンプレ転生!」
「おう、そうだよ、テンプレだ。ちなみにテンプレって言葉を使うのはお前で49人目だよ」
ニヤニヤと笑みを作りながら、マカミが肩をすくめる。
「本当に、本当にどんな願いでもいいのか。チート能力でも、ハーレムでも!」
「ああ、どんな願いでも叶えてやるぜ。ひとつだけな」
ひとつだけ、という言葉にキョウヤの動きが止まった。
鳩が豆鉄砲をくらったような、呆然とした表情。
「ひとつだけ……」
「ああ、そうだ」
キョウヤは俯いて、己の両手を見つめた。
ひい、ふう、みいと指を折る。
(ひとつだけ、ってことは……チートか、ハーレムか……どっちかしか選べない?)
テンションの乱高下を繰り返したせいか、目の前がぐるんぐるんと回転するような錯覚を覚えつつ、それでもキョウヤは考える。
生前から今までこっち、一番脳細胞をフル回転させて。
そこへ、すべてを見透かしたようなマカミの一言が追い打ちをかける。
「ついでに、前世の記憶を来世に持って行く場合も願いのひとつに数えるぞ」
「え、そ、そ、そんな……そんなんじゃぜんぜん足りないじゃないか!」
詐欺だ! と叫びだしたくなるのをキョウヤは必死に抑え込んだ。
かんしゃくを起こしそうになるのを懸命に堪えながら、ない知恵を絞ろうと爪をかみ始める。
さすがの彼でもマカミの気が変わったらまずいのはわかる。
「全部が全部、ひとつの願いとしてカウントするが……どうする?」
(ひとつの願い、全部でみっつ、みっつ……?)
マカミの意地の悪い問いかけに……キョウヤはふと、ランプの魔神の寓話を思い出していた。
もし自分の前にみっつの願いを叶えてくれる魔神が現れたらどうするかシミュレートしていたことを。
とてもバカバカしいが、ネットでも有名な「願い事のパラドックス」を読んで、ゲラゲラと笑っていたことを。
だけど、もし、それが可能なら。
でも間違っていたらどうしよう。
魂でも取られるのか。でも、でも、でも。
キョウヤはだらだらと黒光りする脂汗を流しながら、一世一代、なけなしの勇気を振り絞り、彼にしては珍しくまっすぐに他人の目を見て。
「願い事を……100個に……いや。無限にすることはできますかっ!?」
叫んだ。
叫んでいた。
今この瞬間だけ樋口キョウヤは真の覚醒を迎え、額に第三の邪眼を開いていた……かもしれない。
一方のマカミは、意外そうに目を見開いている。
「無限……だと……?」
わなわなと震え出したマカミに、「ひっ」と喉をひきつらせるキョウヤ。
「願いを無限にする……そんな欲深い願い事を口にしたのは、お前が初めてだ」
睨むように見定めるように。
マカミは、キョウヤの魂をのぞき込む。
「数はともかく、その問いにはこう答えることにしている…………『ああ、できるぜ。その願い事でいいんだな?』」
緊張の限界を迎えたキョウヤが大きく脱力し、へなへなと崩れ落ちてアヒル座りになった。
空中は何もない虚空のはずだったが、幽霊になると関係ないらしい。
(初めてか。俺が特別で最高に冴えてるってことが証明された!)
自己意識を肥大化させたキョウヤの警戒心は一挙に吹っ飛んだ。
それを見て取ったのかか、マカミが満足げに口端をつり上げる。
「そ、その願い事ができるなら、お願い、しても、いいですか?」
「ああ、いいぜ。それなら」
どもるキョウヤにマカミが右手を差し出す。
「『契約、完了』だ」
マカミの右手首に奇妙な輝きを放つ輪っかから鎖が伸びていて、途中から虚空へと消えていているのがキョウヤの目に入った。
だが、大仕事をやり遂げたキョウヤにとっては些末事。マカミの手を両手ですがるように掴む。
「よろしくおねがいしまぁす!」
結論を言ってしまえば、今までも願い事を増やしたいという輩はいた。
しかし、マカミは嫌な顔どころかノリノリで引き受けていたという。
「そういう連中、特にお前等ぐらいの歳は『チートハーレム異世界無双』の願いコンボを希望する奴が多いからな。意味は知らんが、考えることはだいたいわかる」
マカミの得意げな顔にキョウヤは苦笑いするしかなかった。そんなわけであっけなく望みを無限にしてもらったあと、キョウヤの考えた願い事はさし当たって4つ。
美形に生まれたい。
金持ちの家に生まれたい。
世界最強クラスの才能に恵まれたい。
前世の記憶を引き継いで知識チートしたい。
美形に生まれればモテるだろうし、金持ちの家に生まれれば何不自由なく暮らせる。そして才能さえあれば俺TUEEEできて、女の子は「素敵、抱いて!」となりハーレム達成。
現実的に考えればそんな簡単に行くわけがないのだが、キョウヤでなくとも男の子なら一度くらい胸躍らせるシチュエーションなのかもしれない。
「じゃあ、生まれる前の願いはそれだけか」
「えーと……他に俺みたいな願いをする奴って、どういうこと言います?」
「その問いは13人目だ……どんだけ自信ないんだよ、お前等は」
キョウヤとて本当は気づいていた。本当のところ自分はどうしようもない人間の屑であることも、どうせあのまま生き続けていたところで悲惨な結末を辿ったことも。欺瞞で己を騙していただけ。
しかし、やり直しの機会はこうして訪れた。
ならば、失敗はできない。
上目遣いのキョウヤにあきれた様子でため息をつくマカミだったが、口癖なのかすでに何度か披露した台詞を続けた。
「今回はこう答えることにしよう。他によくある願いは『剣と魔法の異世界ファンタジーに転生したい』と『適当に幼少期を過ごしたらキンクリしたい』だ」
「あ、それも指定しないと駄目なんすね……って、キンクリですか?」
キョウヤは訊いておいて良かったと胸をなで下ろしたが、ふたつ目の願いの意味はよくわからなかった。
「時間をふっ飛ばすことをキンクリって言うんだろ? 由来は知らんが」
自分で言っておいて首を傾げたマカミだったが、ニヤッと笑ったかと思うとキョウヤに耳打ちする。
「なあ。お前の願いにはぶっちゃけ、女とヤりたいってのもあんだろ?」
「え、えっと、それは!」
直球発言にキョウヤがきょどった。
17年童貞にして彼女いない歴が年齢とイコール。
おそらくあのまま生きていたら30過ぎて魔法使いになっていたであろうキョウヤにとって、マカミの提案は刺激が強かった。
確かにエロいことはしたいけれど、その辺は胸に秘めつつ口に出すのもはばかられる……健全男子に顕著な心境である。
しかし、次のマカミの言葉はキョウヤにとっても腑に落ちるものだった。
「やれる歳になるまで何十年ものんびり過ごすつもりか?」
「あっ。そ、そうか……」
「適当に幼少期の天才アピールをしたり、堂々と子供枠として女湯に入ったら、あとはヤるだけ……そういうもんなんだろ?」
マカミの言い分はともかくとして、飽きたら時間を進められるというのは素晴らしいとキョウヤは得心する。
念のため確認したところ、いざとなれば巻き戻すこともできるというし、早送りした間の記憶も補完できるという話だった。
(さすがに話がうますぎる気がするけど……)
興奮が冷めてくると、さすがのキョウヤも違和感を覚えた。
最初のうちはやる気なさげだったマカミが、今はあまりにも積極的だ。
願いを増やされたことに文句どころか、さらに願い事をさせようといろんな提案をしてくる。
「あのー。願いの代償とか――」
なにげない探りにぴくり、とマカミの眉が動いたのをキョウヤは見逃さなかった。
「――って、あるんですかね」
「ないとは言わないぜ」
だが、マカミの回答はあっけらかんとしたものだった。
「願いに頼り過ぎるとな、魂が腐るんだよ」
「魂ですか?」
キョウヤにはいまいちピンと来なかったが、マカミはいたって真面目な目付きで頷く。
「願い事ができる前提で……それがさも当たり前だと感じるようになったら、おしまいだ。もう後戻りできなくなる」
如何にも含蓄深い響きを持たせていたが、キョウヤにしてみれば「なんだ、そんなもんなのか……」と拍子抜けの比喩オチだった。
魂が腐るなんて言うから、てっきりなんかもっとヤバイのかと思っていたのだ。
「んじゃ、気をつけます」
と、口だけ適当に動かすキョウヤ。
「ああ」
マカミもぶっきらぼうに返すだけだった。
(……お)
キョウヤにとって、それは不思議な感覚だった。
手足を動かそうとするが握り拳を握るのが精一杯で、それが、とてもちいさい。
(目が見えない……)
光は確かに感じる。
だが、目が開かない。
「そりゃそうだ。赤ん坊なんだからな」
近くからマカミの声が聞こえる。
「どうする、見えるようにするか? お安い御用だぜ」
(あ、おなしゃっす)
キョウヤが承諾すると願いが叶ったのか、視界はすぐに開ける。
どうやら赤ちゃん用のベッドに寝かされているようで何もかもが大きく見えた。
まるで巨人の世界にでも入り込んだかのようだ。
部屋の気になる特徴といえば、豪華な装飾だろうか。
(金持ちの家に生まれるって願い、叶ってるっぽいすかね?)
「当たり前だろう」
ベッドの近くで腕を組みながら自分を見下ろしているマカミが見えた。
キョウヤは無事に転生を果たしていることを実感する。
「ああ、ちなみに俺の姿はお前にしか見えないからな。側にいるから、願いがあったらいつでも言えよ。頭の中で念じるだけでもいいからな」
マカミのそんな説明ですら、今のキョウヤには馬耳東風だった。
(ああ、本当に異世界転生……しかもチート持ちでしかも願い事無限……)
あらゆる夢想の実現と無双のはじまりに胸を踊らせる。
前世の時に抱いていた鬱屈した欲望やドス黒い願望にではなく、純粋にこれからの未来に夢を描きながら。
「すごいですわ、王子!」
「さすがでございます、王子!」
美少女メイド軍団がシンプルな美辞麗句でもって、キョウヤを褒め称えている。
金持ちとしか希望していなかったキョウヤだが、とある王国の第3王子として生誕していた。
確かにこれなら金に困るどころか贅沢し放題。ハーレムに至っては合法。毎日が酒池肉林で、ここにいる美少女メイドで食ってない娘はひとりもいない。何人か身ごもらせてしまったが、後始末は王国がやってくれている。
ふたたびの齢17にして、キョウヤは栄華を極めていた。
「いやぁ……こんなの、まったく大したこと無い。できて当然さ」
キョウヤは甘いマスクで煌びやかな金髪を手櫛でかきながら、大げさに謙遜した。
その動作だけでメイドたちは腰砕けになり、「素敵、抱いて!」と叫び出す始末である。
前にお忍びで城下町に出たときには大変なことになってしまった。
「ううむ、これは……」
「おお、父上。いかがですか、この出来」
様子を見に来た王……つまり今世におけるキョウヤの父が立派な髭をしごきながら天をあおいだ。
メイドたちが称賛し、キョウヤが自慢げに披露したのは黄金と宝石でできた城。
当然ミニチュアサイズなどではなく、実寸サイズである。
「相変わらず規格外だな。だがこれでは……」
「ご安心ください。消そうと思えばいつでも消せますので」
キョウヤが城を瞬時にして出現させたのは、王城のすぐ横。
基本的な建築様式こそ王城と同じだが、煌びやかな外観はオリジナルのそれをはるかに上回っている。
「そういう問題ではない。これでは伝統ある我が国の城が一夜城に劣ると思われるではないか」
「事実そうではありませんか。いっそのこと、今の城を取り壊してあの城に住みましょう!」
かつての親ばかだった頃の王なら頷いたかもしれない。
だが、最近はそうでもなかった。
「愚か者! いい加減、いつまでも子供気分で浮かれるな! 良いか、そなたはいずれこの国の礎となる者。もっと物言いには気をつけよ」
一喝すると、王は去っていった。
ぽかんとしていたキョウヤだったが、やがておろおろしていたメイド軍団を下がらせて芝生に寝ころんだ。
「なんか最近、親父がうざくなってきたなぁ~」
周囲に誰もいないことを確認し、一言。
「おい、マカミ」
「ああ、いるぞ」
ただひとり、枕元に立つひとりの男。
おおよそキョウヤの煌びやかな王族の服と並ぶには似つかわしくない着流し姿。
だが、彼の無礼を咎める者はいない。誰も彼がそこにいると認識できない。契約者であるキョウヤ以外には。
そのマカミに、キョウヤは軽い調子で問いかける。
「あいつ消せる?」
「実の父親を殺すのか」
目を細めたものの、マカミは己の耳を疑わなかった。
これまでにも誰かを殺す願いは叶えているし、キョウヤ自身も人の命をなんとも思わなくなっている。
それでも、まだ肉親だけは手をかけていなかったのだが。
「やだな、殺すって人聞きの悪い。俺はそう願うだけで、叶えるのはお前。つまり殺すのはお前だろ」
殺人教唆のほうが罪が重いぞ、という言葉をマカミは飲み込んだ。
「殺さずとも、心変わりさせるだけで十分だろう。お前の言うことを何でも聞くようにするとか」
「ムカついちゃったからさ。そろそろ潮時だろ、あのじじい。だから殺しちゃって」
「……わかった。明日にでも逝去させる」
これで王国は混乱し、凄惨な王位継承争いが幕を開けることになるだろう。
しかし、ふたりはそのことについて語り合おうとはしない。
最終的に誰が王になるのかなど決まりきっているからだ。
「ところでさ、隣国のアルティーナ姫っておぼえてる?」
言われてマカミはすぐに頷いた。
「ああ、あの別嬪さんか」
「いろんな美少女をゲットしてきたけど、あれに勝る娘はいなかったよね」
キョウヤがニカッと笑う。
他の誰かが見れば幼さを残したかわいらしい年相応の少年の笑顔に見えただろう。
だが、マカミが胸中に懐く感想は「女をペットか看板ぐらいに思っている怪物がまた乱杭歯をむき出しにしているな」だった。
「あれさ、俺にふさわしいと思うんだけど、どう?」
「いいんじゃないか。お前に惚れさせて、縁談をもって来させればいいんだろう」
それだけで願い2つだ、とマカミは頷く。
「えーと、惚れさせるのはなしで。いいよ、俺の美貌と強さ、それに性格だけで落としてみせるから。縁談もこっちで持ちかけるからさ」
「……ち。わかった」
やりとりはいつもどおりだったが、何となく気になったキョウヤは首を巡らせる。
「お前さ、そうやって願いを細かくカウントする意味ってあるわけ? どうせ無限なんだから、数えるだけ無駄っしょ」
「こっちの都合だ。気にするな……そんなことより」
マカミは誤魔化すように話題を変えようと、黄金の城を見上げた。
「あの城どうする?」
「んー、あれ消すならそれも1回なんだろ?」
「ああ、願いは解除できない。他の願いで上書きするしかない」
「ケチ。いいよとりあえずそのままで」
「その台詞、もう83回目だな。俺は何度でもこう答える……『それがルール』だ。これだけは願いでも変えられない」
「ハッ……」
また小言が始まった、とばかりにキョウヤは笑い飛ばす。
ルールだろうがなんだろうが、キョウヤにとってはすればどうでもいい。
どうせ願いは無限なのだ。
願いさえ使えるなら物理法則とか、現実の厳しさとか、そんなものだってねじ曲げられるのだ。
まさにチート。最強。転生の醍醐味。
(へへ。チートハーレム……万歳!)
キョウヤにとって人間賛歌とは、己を賛歌することに他ならない。
他の何者も……たとえ神であろうと自分以上の幸福を味わってはならないし、自分の邪魔をする者は排除する。
他のすべてをどん底まで引きずりおろすことこそ、キョウヤのライフワークなのだから。
王に続いて第1王子と第2王子を病没させて難なく王に即位したキョウヤは、早速アルティーナ姫を差し出すよう隣国に打診した。
だが断られた。
隣国の王はアルティーナ姫を他の同盟国の王子と結婚させるつもりでいたし、幼なじみ同士で結ばれることを本人たちも望んでいると、強い調子で固持してきた。
「あっそ。んじゃ、お前ら全員死ね」
思い通りにならないことにイラッとしたキョウヤの不興を買い、隣国は一夜にして滅んだ。
アルティーナ姫以外のすべての命が突然失われ、塩の柱と化す。
平和だった隣国はキョウヤによって併呑され、支配下におかれた。
あまりのことに精神崩壊してしまったアルティーナ姫をベッドに連れ込みレイプ同然で犯した後に、マカミに頼んで姫を正気に戻してから、改めてキョウヤは言い放った。
「お前は俺の嫁だ。いいな」
「酷い、酷すぎます……どうしてこんなことができるのですか」
涙を涸らしつつ、アルティーナ姫はキョウヤに詰め寄る。
蝶よ蝶よと育てられ、民や動物と心通わせ、自然と命の営みを愛していた姫からすると、キョウやのそれはまさしく悪魔の所行だった。
「あー……やっぱめんどい。マカミ」
「おうよ」
だが、そんな邪悪すらも愛らしく感じるように精神を変質させられ、アルティーナ姫は瞬時に奴隷化された。
「ああ、あなたこそわたしの運命の人……」
その頬には涙が伝い続ける。
「自力で惚れさせると言っておいて、このザマか」
マカミが呆れた様子で吐き捨てる。
「うるさいな。消えろ」
キョウヤの毒吐きにむしろマカミはニヤリと笑う。
「それも、お前の願いか?」
「抜かせ」
マカミに本当に消えられてはたまらないので、その声はやや弱気だった。
それを見てか、マカミは腕を組みながら思案する。
「お前は、なんというか……他のチートハーレム礼賛者と違うな。これでは、ただの魔王だ」
「はっ。今更逃げ出すつもりじゃないだろうな」
「いや、まさか。お前の魂はとっくの昔に見放しているが、契約は契約。いかなる望みでも請われれば叶えよう」
「そうだ。お前はそれでいいんだよ」
どれほど酷い願いであっても、マカミはノーと言わない。
長い付き合いだから、キョウヤもそれはわかっている。
それでもいつか見限られてしまうような気がして、内心ではビクビクと震えていた。
卑小な感情から目を背けるためか、キョウヤは暇つぶしがてら世界征服を始めるべく、世界に向けて宣戦布告した。
もちろん、止めてくれる人間はひとりも残っていない。
この日から、キョウヤは魔王と呼ばれるようになった。
「ははは、いいぞ。踊れ踊れ!」
「くそ……魔王め。いつか俺の後に続く者が貴様を――」
「うっせー死ね!」
「ぐあーっ!」
戦士は光に飲み込まれて消滅した。
「くっ、殺せ!」
「やだね。お前は美人だから、俺のハーレムに入れてやるよ」
「誰が、お前なんぞに……」
「最初はみんなそう言うんだよ。さ、連れて行け!」
姫騎士は触手で調教された。
魔王としての刺激的な日常にキョウヤはご満悦だった。
身体能力はカンストしており、どんな攻撃も当たらない。
不老不死になったので死の恐怖からも解放された。
もっともマカミには不老と不死できっちりツーカウントされたが。
「なあ、本当にいいのか、これで。今からでも子供時代からやり直したほうがいいんじゃないのか」
最近のやり方に辟易しているマカミが、アンモニアでも嗅いだように顔をしかめている。
「いいんだよこれで。俺がやりたかったのはこれなんだ」
陶酔した目で両手を広げるキョウヤは、まさに我が意得たりと哄笑した。
マカミは魔王キョウヤの下品な振る舞いを冷めた目で眺めていたが、やがてぼそりと呟いた。
「あー……つくづくお前みたいなのの願いって叶えちゃいけねえんだなぁ。お前はあそこで死んで記憶もまっさらな状態で生まれ変わっておいた方が世のためだったってわけだ」
次の瞬間、マカミの頬を光の奔流がかすめた。
「なんだ、文句あんのか」
手の平をマカミに向けたまま、キョウヤは凄絶な笑みを浮かべる。
チート砲と名付けられた光は、マカミをも消し去れる。
「そもそも話持ちかけたのはお前だろ。あ?」
「ああ、そうだ。全部俺だな」
「お前は俺の願いを叶え続ける奴隷……いや、願望実現装置にすぎないんだよ。二度とそんな口をきくな」
「それが願いなら聞き入れよう」
「ああ、願いだ。だから黙れ!」
それっきり、キョウヤは願いを言うときにしかマカミに話しかけなくなった。
無数の美少女やアルティーナ姫が自分を愛し、股を開く。
気に入らない奴は殺し、犯し、目障りな国は滅ぼす。なんと心地よいことか。
破壊者の道をひた走るキョウヤに、マカミはキセルをくわえながら遠目に見つめ、ただ一言。
「……臭えなぁ」
そう呟くのみだった。
少年は死んだ。
死因は交通事故。
まだ6歳だった。
神が小さく哀れな魂を哀れんだからだろうか。
「なんでもひとつだけ、お願い事叶えてあげる!」
魔法少女を名乗る女の子が、少年の目の前に現れた。
「生き返って、お母さんに会える?」
少年が上目遣いで問いかけると、女の子は困ったように俯く。
「ごめんね。『ルール』があるから、生き返らせてあげることだけはできないの。生まれ変わる場所は、また違うところなんだよ」
とっても残念だったけど、少年の目には女の子が困っているように映った。
本当なら叶えてあげたいオーラをたくさん出している。
少年は文句を言ったらだめだと、素直に願いを取り下げることにした。
「お母さんも、いつかは生まれ変わるの?」
「うん、そうだよ。いつかはね」
こういうとき、少年は考え方を変えなさいと両親に教えてもらっていた。
だから、子供らしい柔軟な発想で願い事を口にする。
「じゃあ、お母さんが生まれ変わったら、またお母さんのこどもになりたい!」
魔王の支配する地域からやや遠い土地。
寒村で生まれたその少年は、厳しい自然環境と優しい母親の下でたくましく、すくすくと育っていた。
7歳のときのこと。
村長のハゲに鳥の糞を塗るという悪戯をして、大好きな母からこっぴどく怒られることがあった。
「悪いことをすると、魔王に食べられちゃうわよ」
母からすれば躾の一環だったに違いない。
だが、少年は怖がるどころかこう言い放った。
「だったら、僕が魔王をやっつける!」
「お母さん、魔王ってわるいやつなの?」
8歳になった少年はベッドの中から、傍らの母に尋ねる。
「ええ、そうよ。とても恐ろしくて、強くて、残酷だわ」
「わるいやつなのに、どうしてみんなやっつけようとしないの?」
「魔王を倒せる勇者が、まだ現れていないからよ」
母の声は優しく、どこか懐かしくてムズムズした。少年は子供心にこう訊く。
「そいつやっつけたら、お母さんうれしい?」
「そうね、うれしいかも」
そのときの母の笑顔がとてもまぶしくてきれいだったから。
少年は魔王をやっつけてやろうと決めたのだ。
18歳になった少年は旅立つ。
母がとても心配してくれたけれど、最終的には「体に気をつけて」と送りだしてくれた。
剣の達人に指南してもらったり、偉い魔法使いに教えを請う。
すべてを吸収し、少年は強くなった。
母にときどき会いたくなったけど我慢する。
それが少年の心も強くした。
魔王が支配していた地にも足を踏み入れたが、本当に酷い。
こんなこと絶対に許されるわけがないと怒りを燃やし、魔王に従う悪い奴らをやっつけた。
洗脳された子供が母親を殺す光景を目の当たりにしたときに少年は魔王の邪悪さを確信して、必ず打倒すると決意を新たにした。
同じ志を持つ仲間を集め、各地を旅し、魔王の撒いた災厄の種を知恵と勇気で取り除く。
いつしか少年は勇者と呼ばれるようになっていた。
「魔王が不死身だというのは本当なのですか」
「うむ。千の剣と万の槍をもってしても、魔王を殺すことはできぬ。彼奴は不死身なのじゃ」
勇者は老賢者の言葉に愕然とする。
それが本当なら、どうすれば魔王を打倒できるというのだろう。
「ここより西の地に、不死者の心臓を破壊する聖剣があるという」
「それは本当ですか」
「噂でしか聞いたことはないが、真実であれば魔王を倒せるやもしれぬ」
賢者の言を受け、勇者は西の地に向かう。
そこは人の住まう地ではなく、荒涼とした大地におそろしいモンスターが巣喰う魔境だった。
勇者は苦闘の果てに、やがて巨大な神殿へとたどり着く。
「来てくれたんだね。待ってたよ」
神殿の最奥で、不思議な雰囲気の女の子が待ち受けていた。
「あなたは?」
「あたしはね、魔法少女だよ」
どこかで会ったことがあるような気がする。
頭の片隅でそんなことを考えながら、勇者は女の子に問いかけた。
「この地に不死の魔王を打倒する剣があると聞いた。本当なのか?」
「うーん、確かにそういう剣はあったよ。でも、ずっと昔に壊れちゃったみたい」
「なんと……」
彼女の言うとおり、台座に置かれた剣はまっぷたつに折れている。
望みは絶たれたのだ。
「ならば仕方ない。別の方法を探すとしよう」
踵を返す勇者を、魔法少女が呼び止める。
「まだ諦めてないの?」
「諦めることなどできない。ここにたどり着くまで、何人もの仲間が死んだ。魔王を倒すまでは絶対に諦めない」
勇者の答えに魔法少女は「そっか」と呟いた。
「じゃあ、そんな勇者くんに免じて、願い事をひとつだけ叶えてあげる」
「願い……?」
「そ。願い。あたしは魔法少女だから、ひとつだけ、どんな願いでも叶えてあげられちゃうんだ」
それが本当ならば……。
否。
何故か本当だと確信した勇者は、すぐさま願いを宣言する。
「なら、聖剣の復活を願おう」
「魔王を滅ぼすっていう願いにしないのー?」
「魔王は僕の……いや、僕たちの手で倒す。必ず」
それが約束だから、と勇者は小さな声でひとりごちた。
「ほんと、いい子だね」
魔法少女は満足げに微笑む。
「りりかる、まじかる、すくらんぶる!」
そして彼女はふしぎなじゅもんを唱えた。
すると勇者の前に光り輝く剣が浮かび上がったではないか。
勇者は聖剣を迷うことなく手に取った。
「感謝する!」
「ううん。あたしは願いを叶えただけだから。その感謝は何か別の形で、他の人に返してあげて」
魔法少女は少し寂しそうに笑う。
「これで今度こそ、『契約完了』だよ」
その言葉に勇者はまたも既視感を覚え、なんとなく口が動いた。
「もし魔王を倒せたら、また会おう」
「うーん。そのときはあたし、ここにいないかもしれないけど」
「そうなのか……」
寂しげな微笑だった。彼女はこんな俗世から離れた地でひとり、延々と誰かを待っていたのだろうか……。
(側にいてやりたいとも思うが)
あいにくと、自分には使命がある。
ここに居続けるわけにはいかない。
「縁があらば……いずれまた会おう」
だから勇者にできるのは気休めの、再会の挨拶程度。
「うん。待ってるね」
それでも魔法少女は深く頷いて、花がぱっと咲くような満面の笑みを浮かべた。
勇者が神殿を後にして振り返る。
すると神殿があった痕跡は音も跡形もなく消え失せていた。
「すべて幻だったのだろうか……だが、聖剣は確かにここにある」
心の中で万に等しい感謝を告げて、勇者は魔王の地を目指した。
「キミはいい子だから教えてあげる」
これから転生する、という段になって突然、魔法少女を名乗る女の子がそんなことをが言い出した。
少年は首をかしげる。
「本当はね、願い事って増やせるの。ひとつだけじゃなくて、もっといっぱい叶えられるんだよ。ただし――」
引き留めようとしているのか。どこか必死さを感じられる女の子の言葉を、少年は首を横に振りながら遮った。
「ううん、へーき。お母さんに会えればそれでいい」
「そっか……」
ちょっとだけ残念そうに、女の子ははにかんだ。
「それなら『契約完了』かなぁ。願いはぜったい叶うから。来世ではがんばって、いろんな人に感謝を伝えてね」
「うん! お姉さん、ありがとう!」
お母さんに会えるのがうれしいのか、少年ははしゃいでいた。
そして何の気なしに女の子へ問いかける。
「えっと、お姉さんにもまた会える?」
「うーん、どうかな。またキミが生まれ変わるときひょっとしたら会えるかもしれないけど」
「ふーん……」
女の子は寂しそうだった。
そういうときどうすればいいんだっけ、と少年は母の教えを思い出す。
「やっぱりお願い事をあとふたつ増やす!」
「ほにゃ?」
女の子が変な声で鳴いた。
「『僕が困ったとき、お姉さんとまた会いたい!』 どうかな?」
そんな願い事は聞いたことがなかったのか、女の子はとってもびっくりしていた。
少年はだめだったのかな、と小首を傾げる。
そんな様子が可笑しかったのか女の子はぷっと吹き出した。
「いいんじゃないかな。それで、最後のお願い事は?」
「えーっと、また会ったときに考える! これなら絶対会えるよね?」
「……うん、そうだね。絶対に会える」
少年の提案に、女の子が口元を抑えて嗚咽する。
「お姉さん、泣いてるの?」
「泣いてない泣いてない。キミはあれだね、天然のたらしさんだ」
「たらし? あっ、うん! みたらしだんご大好きだよ!」
「あはは……」
少年の純真な返しに、女の子は参った様子で乾いた笑いを漏らし、願い事を増やした時の注意点を教えてくれた。
「大丈夫?」
「うん!」
元気の良い返事と同時に少年のからだが光り輝く。
門出の時間だ。
このまま現世の母親が生まれ変わった異世界、母親の子供が生まれる時間軸へと飛ぶのだろう。
「ぜったい最後のお願い事、叶えてね!」
「うん、またねー!」
少年が消えた跡を名残惜しそうに見つめながら、女の子は小さく手を振った。
「勇者が聖剣を手にした段階で、魔王が倒されることなど決まりきっていた。如何に魔王が強力であろうと関係ない。魔王がそうあるように、勇者はそれを越えるべく世界によって産み落とされる。古来、そのように物語は綴られてきたし、今回もまた例外ではなかった。
あらゆる宇宙は誰かが願う形にくねり、連環し、収束する。奇跡は奇跡にあらず必然であり、偶発によって観測されたらそもそも奇跡ではなくなる。どうにめぐって堂々巡り、シュレディンガーの猫はニャアとは鳴かぬ。
唯一奇跡と呼べるものがあるとすれば、出会いであろうか。見知らぬ人とすれ違う確率のことを言っているのではない。ともすれば知り合い、惹かれ合い、結ばれ成就し産み落とされる生命との出会い。前言撤回、やはり奇跡はあるのかもしれない」
マカミが詩とも論文ともとれる言の葉を朗々と唱え。
「……ふん。三流だな」
その最後を自嘲でもって締めくくった。
「あん……?」
気がつくと、キョウヤは空の上にいた。
いつもの全能感はなく、全身にまんべんなくずっしりと重石が乗っているような気だるさだけがある。
それはアルティーナを抱いた後の脱力感とも似て非なるものだった。
目の前にマカミも浮かんでいたが、表情にいつものような軽薄な笑みはない。
初めて出会ったときのような、まったくやる気のない顔だった。
「あれ、ひょっとして戻ったのか。でもそんなの願ってないし、一番最初にまでなんて……」
これまでも巻き戻しは何度か願ったことがある。
だけど、今のキョウヤに心当たりはなかった。
説明を求めるようにマカミを睨むと、彼はため息を一つついて。
「お前は死んだ」
はっきりそう告げた。
一言一句聞き間違えようのない言霊を、キョウヤは「はっ」とせせら笑う。
「嘘だ。俺が死ぬわけない」
「死んだんだ」
「俺は不死身だったんだぞ! なんで死ぬんだよ。不死身なんだから絶対に殺せないはずだろ!」
激昂してキョウヤが唾を飛ばすと、マカミは首をひねって言葉を選んだ。
「そうだな……大方、あの勇者が不死性を無効化する魔法か武器でも使ってたんじゃないのか? それぐらいしか思い当たらんよ」
「そんなのがあるなんて……だましたな!」
「だまして悪いが……って、いやいや全然だましてないからな。願いはちゃんと叶ってたさ。ってか、別に不死殺しなんて『お前ら』の中じゃあ珍しくもないだろ?」
「勇者がそんな物を……なんで教えてくれなかったんだ!」
「ふざけろ。そんなの見ただけで俺にわかるわけないだろ。俺は願いを仲介するしか能がないんだぞ」
役立たずめ、とキョウヤが心の中で愚痴る。
願いを仲介するという表現に少しひっかかりを覚えたが、すぐにどうでもいいと思い直した。
「ちっ、わかったよ。じゃあマカミ、さっさとやり直すぞ。こんな結果認めるか! 今度こそあいつら皆殺しにして――」
そう、自分にはマカミがついている。
願い事は無限なのだ。不死殺しがなんだ、そんなものだって無効化するよう願えば終わりの筈だ。
マカミに叶えられない願いはない。
不可能はないのだ。
自分が願いを口にするだけですべてを思い通りに変えられる。
圧倒的全能だ。
(これがいわば俺の能力。マカミの力なんかじゃない、マカミを従える俺が最強!)
マカミに今の心の声は聞こえない。
念話も願いしか聞き届けられないと既にわかっているのだ。
何も遠慮する必要はない。
(そもそも主人公最強が負けるなんて展開はクソ過ぎる。鬱展開じゃないか)
自分の犯した大罪を棚に上げて延々と妄想するキョウヤだったが、いつまでも何のリアクションもないマカミをいぶかしんで催促した。
「おい、早く叶えろよ。やり直しだ!」
いつもなら勝手に意を汲んで余計な事まで叶えようとしてくる癖に、マカミはいつまで立っても動かない。
「無理だ。お前の願いは叶えられん」
「はぁぁ~?」
挙げ句にそんなことを言い出したので、キョウヤは挑発的な態度を隠す気が失せた。
「何言っちゃってくれてんの。頭ん中お留守なわけ? 願い事は無限なんだから、切れるわけないっしょ。なんで叶えられないんだよ」
「その問いはお前で9人目だ。こう答えることにしている」
マカミはふん、と鼻を鳴らして一言。
「『契約、満了』」
「は?」
「俺がお前の無限の願いを叶えるっつー契約はお前が死んだことで満了しちまった、って言ってるんだよ」
呆れているというより諦め、あるいは失望を滲ませた声だった。
キョウヤが意味を理解する前にマカミが頭をボリボリとかきむしりながら声を荒げる。
「ったくよぉ、せっかくの大口契約が台無しだ。お前、どうしてくれるんだよ!」
「な、なんだよ……」
あまりの理不尽さに言葉を失ったのはキョウヤだった。
それはそうだろう。
キョウヤにしてみれば怒る権利があるのはキョウヤの方であってマカミではない。
そもそもマカミがどうして怒っているのかさえキョウヤには理解できないのだから。
「俺はな……ひょっとしたら、お前が負債を全部持って行ってくれるかもしれないって、マジで期待してたんだぜ?」
「……負債?」
なんの話をしているのか、とキョウヤは怒りに震えた。
それが何であれ、願いが先の筈だと。
契約なんて知ったことではない。
願いは無限なんだから。
それでも、どうしても契約が必要だというのなら……。
「再契約だ!」
キョウヤにとって、これは当然できると考えた上での命令だった。
自分が命じればマカミが従う。
これまでずっとそうだった。
悪態をつくことはあっても、目の前の男が願いを叶えなかったことは一度もない。
たとえ人倫にもとる願いであっても、なんであったって叶えてくれた。
だからこれも叶えてくれるはずだ。
叶えてもらえないなんてことがあっていい道理はないのだ!
そのはずなのに、マカミは嘆息し首を横に振った後、顎で何かを指し示した。
「……右手を見てみな」
困惑を覚えつつも、キョウヤはしぶしぶ従う。
「え、これ……」
見たことのない……いや、見るだけならいつも見ているものがあった。
腕輪。右手首にしっかりとはめられていて、輪に取り付けられた鎖が伸びているものの、途中で虚空へと消えていて。
「お前は俺と同類、願いを叶える『魔神』になった。契約どおりにな。これでお前はさだめから逃げられない」
マカミも右手を天に捧げてみせた。手首にはまったく同じ腕輪がはめられている。
「願いを叶える魔神。転生を控えた死んだ人間の前に現れ、あらゆる望みを叶えるとささやくもの。夢の貸付人、願望の高利貸し……それが俺たち魔神だ」
「ふざけんな! 取れよ、こんなの。聞いてないぞ!」
キョウヤが必死こいて腕輪を引きはがそうとするが、びくともしない。
「言ってないからな。契約内容を逐一説明しなきゃいけないルールはない」
「そんなの詐欺だ!」
自分に起きていることをまだ理解しきれていないキョウヤは、決死の想いでマカミにつかみかかった。
「再契約、再契約して、こんなの外せよ!」
「だから、無理だって言ってるだろ。魔神は魔神と契約できねえし、そもそも魔神は自分の願いを叶えることができない。クソったれの至高神曰く、俺達はそういう存在なんだとよ」
ようやく、怒鳴り散らしていたキョウヤの動きが止まった。
「もう、願いは叶えられない……?」
「ああ」
「もう、俺の栄光の未来は来ない……?」
「ああ」
「もう、終わり……?」
とつとつと紡がれる小さな声に、マカミはただ一言。
「ああ、終わりだ」
告げてから、キョウヤの肩を叩いた。
食ってかかるキョウヤを無理に振りほどいたりせず、ただ単に現実を子に諭すような調子で。
リストラしなければならない部下に声をかける上司のようなたたずまいで。
キョウヤは、マカミにもたれ掛かるようにずるずると崩れ落ちた。
気の利いた転生だと思っていた。
神様も自分のことを見ていてくれて、哀れんで、ちゃんと帳尻を合わせてくれたんだと。
だから自分が恩恵を受けるのは当たり前で、感謝するほどのことじゃないとキョウヤは思っていた。
「俺が、悪かったってことなのか?」
茫然自失のまま呟く。
まだ全部受け入れられなくて、まだ終わりを信じられなくて、涙さえも出なかった。
続きがあるんだと、抜け道があると、どこかで己を誤魔化しながら自分が悪いわけない……そう思いこもうと必死だった。
何で自分がこんな目に合わなきゃいけないのか。湯水のように願いを浪費し、湯水のように世界の理をねじ曲げ、思い通りにしてきた罰ということなのか。
ともすると、この後に浴びせられるのは糾弾ではないのか。
自業自得、因果応報だと。
だがキョウヤの予想に反し、マカミは珍しく優しげな表情で首を横に振るだけだった。
「そんなんじゃねえ。単に精算の時が来たんだ。利子つきでな」
「利子……?」
不穏な単語に思わず顔が硬直する。
この後に及んで、まだ何かあるというのか。
「いいか、よく聞け。魔神は生前に叶えてもらった願いの2倍……そのぶんだけ『他人の願い』を叶えるまで絶対に解放されない。『自分の願い』1つにつき、『他人の願い』2つだ。それまでお前は魔神で、自分の望みを叶えることができない」
驚きに目を見開いたのはキョウヤだ。
「なんだよそれ……なんなんだよ!」
「なにもクソもない。倍返システムっつーらしいぞ。ふざけてるよな。とにかく、そういうふうになってんだ」
あまりに理不尽な言いぐさにキョウヤは凍り付くしかない。
自分のことはさておいて、見知らぬ他人に奉仕しろというのか。
そんな押しつけを、ただ黙って受け入れろというのか。
奴隷のようにただ働けというのか。
「お前の願いの数は230,819。その倍だから461,638個分だな。なんだ、ぜんぜん大したことねえじゃねーか」
マカミがけらけらと笑った。
「そんな……そんなに願いは言ってない! サバ読むな!」
「あいにくと、数を数え間違えたことはこれまで一度もないんだ。自分のノルマで暗算は慣れてるんでな」
「いやだ! 俺はやらないぞ……絶対にだ。絶対に他人のためなんかに働かない!」
それが、キョウヤの人生哲学だった。
自分は自分のために。他人は自分のために。みんなは自分のために。
マカミも嫌と言うほど知っているので、今更驚いたりせず肩をすくめる。
「借りたもんは返さねえと駄目なんだよ」
「違う! 願い事は代償はないって、お前言ったじゃないか! こんな酷い代償があるなんて……!」
そう、これこそが代償だとキョウヤは断定する。
説明する義務がないなんて酷い。
こんなのがあるなら自分は何も願わなかった。
そういえば、マカミは何かと願いを叶えさせようとしてきた。
さっきは負債と言っていた。
マカミも自分と同様多額の『願いの負債』を抱えていて、それを精算するために黙っていたのか。不都合だから。
だとしたらマカミは自分を利用していたという事だ。
(絶対に許せない。チート砲で消し飛ばしてやる)
いつものように手の平を突き出せば、光の奔流が伸びて相手は死ぬ。
全力の殺意でもってマカミに手をのばした。
だけど、何も出ない。
そうなるとわかっていたとばかりに、マカミは失望の入り混じった視線をキョウヤに飛ばした。
「……代償がないなんて言ってないぞ。『魂が腐ること』だって口を酸っぱくして教えたよな? 倍返システム……こんなもんは代償のうちに入らねえ。ただの『ルール』だ。もらったもんは別の誰かに倍にして返さなきゃいけねえ。そういうふうに決まってるんだ。俺らは従うしかないんだよ。諦めろ」
「いやだ! 俺は、こんなところで終わるような小さい人間じゃないんだ! チート、ハーレム、全部を叶えて栄光の未来を俺だけが掴む、他の誰にも――」
言葉の途中でキョウヤの右手の鎖が何かに引っ張られるようにクイクイと反応した。
「お、早速呼び出しか。早いな、うらやましいぜ。結構待ちが長いからな」
キョウヤの嘆きがぴたりと止んだ。
わかってしまったのだ。
どんなに泣きわめいたところで運命は残酷で、斟酌などしてくれないのだと。
「や、やだ……助けてくれよ、マカミ。助けて……」
それは願いでも命令でもなかった。
ただ、すがっただけ。
「別に存在が消えてなくなるわけじゃねえんだ。返済に励め」
マカミの言葉に棘らしきものはまったくなかった。あるいは先輩魔神としての激励だったのかもしれない。
「金、女、力。全部叶ったろ。いいじゃねえか。十分いい目みたんだからよ。お前、これ以上他に何を望むってんだ?」
その問いに、走馬燈のごとくキョウヤの記憶が掘り起こされた。
野心、欲望、呪詛……何もかもそげ落ちて尚、残った願いを口にする。
「俺は、生きたい……」
ただ在りたい、自己を保存したいという、生きとし生けるもの共通の想い。
生まれたときからあって、叶っている願い。
キョウヤは事ここに至って、そんな当たり前を思い知った。
「ああ、そうだな」
マカミは無様な結末を迎えるキョウヤを笑ったりしない。
ただ、泣きじゃくる子供をあやすように、キョウヤの頭に手を伸ばす。
「生きたいよな。でも、お前は死んだ。死んだ奴は死んでるから生きられないんだよ」
それで最後。
キョウヤは鎖の先、虚空の奥へと吸い込まれていく。
「うわああああああぁぁぁぁぁ………………」
あとには何も残らない。
ただひとり、着流しを乱暴に着崩した諸肌をさらけ出す男がたたずむのみ。
「あーあ。今度こそノルマ達成いけるかもって思ったんだが……いやはやまったく。遠いねぇ」
先ほどまでのどこか悲しげだった雰囲気は微塵もない。
身勝手な物言いではあったが、マカミは彼を憎んでいた訳でも嫌っていたわけでもなかった。
魔神の役職から解放されるため、ただそれだけのために他の誰かの希望につけこみダシにする……自分に比べればキョウヤなどかわいいガキだと、本気でそう考えていた。
もっとも、キョウヤのようなクズならば幾分か罪悪感が薄れるのも否定できない。
「願いを無限にしたのはお前が最初」と驚いたふりをするだけでいいように踊ってくれる良客でもある。
「しゃーねえ、次のカモ探すか……」
こうして新たな魔神を宇宙に解き放ったあと、マカミは待つ。
自分を必要とする……願いを叶えて欲しいと欲する転生者を。
できれば「たったひとつの願いを増やしてくれ」と願う欲深き愚者を。
それはひょっとすると、どこか別の物語の主人公なのかもしれない。