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償いの果てに  作者: 伊平愉音
経九郎記
9/9

傍受

 黒い靄が立ち込めている。それは僕が、目覚める瞬間に見ていた白い靄の立ち込める世界。その配色を反転させたような、でも、もっと深い色味だった。時々折り重なったり、混ざり合ったり、様々な動きをする青色の部分が見える。大輝が選んでくれた着物の紺色と藤森先生が選んでくれた着物の紫色に似ているなと思った。視界の外側で生まれた丸いものが遠ざかっていくのが見える。靄の方も動いているが、こちらも動いているようだった。あの時と明らかに違う。でも何か似ている。多分気分がいい、という感覚だ。遠ざかる丸いものが時々白く輝く。綺麗な世界があるものだ。そう、心でつぶやいた。


 今までにないタイプの夢の出現を不思議に思う。狐の時代にも、今の時代にも、あんな風景は記憶になかった。それは何を意味しているのだろう。今日は僕が目覚めて、丁度一年たった日の数日後だった。散々騒いで、嬉しさを噛み締めたあと見えたものはそれと何か関係があるのだろうか。

まあ、何か見えたのかどうかもわからないほどだった。何か分かるまでは、様子を見るしかないか。と心でつぶやきながら、自室の戸を開けた。味噌汁の薫りがして、朝食の準備の整った卓に視線を向ける。食事のメニュー意外は、毎日変わらない風景だ。僕は平和の意味を少しずつ、でも、ようやく理解していた。


 無事に収穫を終えた田畑を、次の種まきのために土をならしていた。今日で畑仕事も春までお休みだ。詰める酢飯も外側の油揚げも去年とは違う、全てこの畑から取れたもので作るということができて、次はもう少し広げてみようかと、義雄と話していたところだった。

「ん、よおし、こんなもんか。戻ろうケイ。これで春まで土はお休みだ。」

僕は頷いて桑を杖代わりに家の方へ戻っていった。

去年は歩く練習をしていた縁側に、庭から腰掛ける。静江が持ってきたおにぎりの乗った大皿を囲むように、義雄が庭から縁側に腰掛ける。そして、静江からお茶を受け取る義雄の様子を何気に見ている。変わらないやり取りを、別の角度から見ていることが不思議だった。

 作業着から柳刃模様の着物に着替え、自室を出ると丁度エンジン音が止まる音がした。その時僕は、相談してみようと思っていたことがあった。

「でも、説明が難しいな。」

どう説明するかと、考えながら松葉杖を片側に一本だけ持ち、藤森先生と大樹を出迎えた。

 「夢ですか。」

「はい。その、今までに見たことのない景色で、その、この前の記憶にも無い。」

「夢の役割が記憶の整理から、普通の夢に変わっただけかもしれないが、どんな風景か説明できるかい?」

手を顎に当て、考えながら藤森先生は尋ねてきた。僕はいよいよ説明しようと、瞼の裏側を見つめた。

「暗くて、黒と青色と、紫かな、そんな感じの色が折り重なるように、揺れながら動いていて、時々矢のように光が入ってくるけれど、辺りは暗いままで、あ、時々、石鹸を泡立てるとできるシャボンの、大きいものが光に吸い込まれるように遠ざかっていく。」

僕の出すなぞなぞに、大樹も真剣に考えている。その顔に声をかけてみた。

「何か思いつかないかい。」

すると、難しい顔のまま大樹は言った。

「一個ある。暗くないけど、プールで潜って遊んだときに、水の中から上を見たら大きいシャボン玉が遠ざかるのが見えたなって。」

すると、藤森先生と義雄と静江が同時に声を上げた。

「ああ。」

「なるほど、そうね。そうだわ。」

「私達も実際にそこに見に行ったわけではないですが、テレビで深海の生き物についての事をやった時にそのような風景が映し出されたのを、見た記憶があります。」

「あの番組は俺も好きで、録画してあるよ。見てみるかい。」

義雄が立ち上がりながら言った。

「見られるの?見てみたい。」

驚いて、思わず僕は声を上げていた。そして皆でテレビのある部屋へ移動した。

 

「どうだい?」

いわれて、僕は考えながら言った。

「うーん。こんなにキレイじゃなかったけど、でもよく似ていると思う。全体が揺れる感じとかはそっくりだ。」

そうかと言いながら藤森先生は、僕を見ていった。

「何か今、不安を感じているかい?悩んでいたり。」

問われて僕は、少し考える。でも、

「いいえ。毎日幸せです。」

と心からの、そのままの言葉を言った。

「その夢は、君にとっていい夢か、悪い夢かどっちだい?」

考えながら問を重ねる藤森先生に、僕も考えながら返した。

「悪い気分にはならないです。ただ、新しいことなので気になって。」

どちらでもない、か。と聞こえるか聞こえないかくらいの声で藤森先生は言った。

「悪影響があるわけではないのなら、もう少し様子を見てみましょう。でも少し、今日の検診には念を入れておきます。」

気を取り直すように藤森先生はいった。


 僕がこの世界に帰ってきてから、2度めの年末年始を迎える。1年前のように街で皆で過ごすため、朝から準備をしていた。あの日よりも随分柔らかくなった藍色の着物に身を包み着替えやお土産の入った荷物を風呂敷に包んで背負い、松葉杖を一本だけ持って藤森先生と大樹が到着するのを待っていた。

「去年と今年では、同じ街でも違うように見えるんだろうな。」

「そうかも知れないね」

少しだけよそ行きの格好をした義雄とそんな言葉をかわす。

静江も、いつもより良い格好をしていた。去年もそうだっただろうか。これから生きることになる時間に比べるととても短い時間を心のなかで遡る。

その思考の中に、車の近づいてくる音が聞こえた。

「ああ、来られたわ。」

「さあ、行こうかの。」

二人の言葉を合図に玄関を出て義雄がカギをかけると、去年と同じ座席位置で車に乗り込んだ。

 

 いつの間にか眠り込んだその夢の中。あの夢を毎日見ているが、今日は少し違うと感じた。あの時義雄が見せてくれたテレビの映像と殆ど同じに見えた。もちろん揺らめきは違うが。光が差し込んだ分だけ、黒が青みを増し、美しさを感じさせた。だが、その代わりに加わったものがあった。寒い。というより、身体が冷たい。そんな感じがした。

「クシュン。」

珍しくくしゃみをして、目を覚ました僕に静江が言った。

「あらあら、大丈夫?」

滑り落ちたひざ掛けを静江に再びかけてもらう。

一度だけ鼻をすすって、僕は言った。

「ありがとう。」

何となく、深呼吸をして姿勢を直す仕草をしていると、藤森先生がそのままの姿勢で話し始めた。

「もしかして、以前話してくれた夢を、また見たのですか。」

僕は、一つ息を吐いて、言った。

「まあ、そうです。でも、今までは感覚なんてなかったのに。」

「それは、窓の冷たさの影響でもあるでしょうね。暖房の温度少し上げましょうか。」

なるほどと、思いながら窓に手を当ててその冷たさを確認した。

「流石に寒いわね。12月ともなると。」

うん、そうだねと、僕は静江に相槌を打った。

 ああそうだ。と言い藤森先生が言った。

「また、人間ドッグをやろうと思っているんですがどうですか?」

「去年やったやつですね。はい、大丈夫です。」

と僕が言うと、

「悪夢では無いようですが、眠っている病気が夢で警告をしてくる場合もあるので、君にとってもいいタイミングではないかと。」

「あ、そうか。そうですね。」

と、僕は思いついたように言った。

 そうして、静かになる車中の中で藤森先生がなにか言ったような気がしたが、僕はまた夢の中へいつの間にか落ちていた。

ゆらゆら揺れる、僕を包むもの。少しずつ少しずつ、温かさが染み込んでいった。


 カーテンが突然開け放たれるように、僕は目を覚ました。その反動で体を起こすと、

「お、グッドタイミング。ケイ着いたぞ。」

と、義雄の声がした。車は大樹たちのいる家の駐車場にもうすでに収まっていた。

「大丈夫ですか。珍しくよく寝てたけど、気分が悪いとか。」

藤森先生の声がして心を落ち着かせると、ため息を付きながら背もたれに背中を預けた。そして、無理矢理に頭を起こすようにシートベルトを外しながらながら言った。

「夢が突然消えたので驚いて。でも大丈夫です。ごめん、今、降ります。」

「慌てなくていいのよ。本当に丁度到着したところだったから。」

静江の優しい声に救われた気持ちがして、一瞬動きを止めると再び車を降りる作業に取り掛かった。

僕の側の扉を外側から大樹が除くのが見えた。僕は笑顔を返すと車の扉を開けた。

「荷物持っていってあげる。」

扉が開くなり、大樹は両手を差し出してきた。僕は遠慮なく風呂敷包みを渡すと松葉杖を使って車を降り、振り向いて、今度は僕が静江に手を差し出した。

「荷物、持つよ。持っていってもらう、かな。」

ハハッと笑いながら、二人分の荷物を抱える大樹を先頭に、順に玄関から中へ入っていった。

 去年と同じ部屋に荷物を置くと、皆がいる居間へ移動する。すると、卓にはもう人数分のお皿とお茶が用意されていた。

「お好み焼きしましょ。座って座って。」

と、美樹が僕に微笑みながら言い、鉄板のような平たい鍋を卓の上に置いた。

「確かに初めてかもな。ケイは。」

後から居間に到着した義雄が言った。

 焼きながら食べるのか、たのしいな。と思いながら美樹がお好み焼きを焼く様子を見ている。すると最初の一枚を僕のお皿に乗せてくれた。

「構わないから、暑いうちに食べて。」

これが美味しいよと、大樹がソースの蓋をとって渡してくれたので、そのままお好み焼きにかけた。少しかかりすぎたソースをお箸で少し伸ばして、小さく割って口に入れた。

「たこ焼きに色々入れたみたいだね。」

というと、似たようなもんだと、義雄が笑った。

 お好み焼きが全員分行き渡り、美樹も焼くのをやめて食べ始めると、藤森先生が話し始めた。

「さっき、車の中で言おうとしていたことなんですが、明日水族館へ行こうと思うんですよ。」

口の中に残っていたお好み焼きを飲み込んで、

「スイゾクカン」

と聞き返した。

「お魚がいるんだ。」

と、なんとも簡単な説明を大樹がしてくれた。まあ間違ってないが、とフォローしつつ

「海にいる生き物を観察できるテーマパークというか、そういうところなんですよ。」

と、詳しい説明を藤森先生がしてくれた。更に先生は続けた。

「この間から気になっているという”夢”の手がかりがつかめるかもしれませんし、どうですか。」

なるほど、と思いながら

「行きたいです。」

と素直に答えた。じゃあ決まりだ、良かったなと藤森先生は大樹に向けていった。やったあ、と喜ぶ大樹を見ながら僕は考えていた。


そういえばこの姿になってから海を見ていない。狐の時ですら表面を山の上から見ただけだった。今まで気にもとめなかった、あのキラキラ光るその下に生きるものを見ることができるのかと思うと、とてもワクワクするのだった。


 電車に乗るのは、歌舞伎を見に行った時以来だ。そんな事を思いながら車窓の流れる様子を見ている。

役割があったとしても、教えてくれるものなどいるわけもない。僕は、そのヒントを見逃さないようにといつもアンテナを張り巡らせていた。だから、少しの間でも夢を見るほど眠ってしまうのかもしれない。それを知ってなのか偶然なのか、藤森先生が言った。

「夢のことはひとまず置いておいて、おそらく初めて見るであろうものを今日はただ、楽しんで見てはどうかな。ずっと考えていてはつかれるのも無理ないよ。」

頷いて僕は、そうすることにした。


 年末という事もあって賑わいを見せつつも、なんとなく落ち着きを感じる水族館の中。ショッピングモールや他のお店に比べて少し薄暗く、まるであの夢のようにゆらゆら漂っているような感覚だった。あまり長くいると、歩きながら寝てしまいそうだと思っていたが、透明な窓の向こうに見える生き物がまるで話しかけてくるようにその姿を見せてくれるので、いつもとは違う楽しみ方を味わうことができた。松葉杖の音が少し、いつもより響いて聞こえる。そのうち、メイン水槽だという、ひときわ大きな空間が現れた。透明な壁で仕切られた向こうは、まさしく知らない世界だった。そこを移動し動き回る生き物たちはまるで空を掴んだ鳥のようで、美しさにあふれている。ただ感動していた。見覚えのあるまさしくその風景をその頭上に見ていたが、その時はもうただその新鮮な感覚を楽しむことにだけ集中していた。

 



 

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