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償いの果てに  作者: 伊平愉音
経九郎記
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経九郎記ー出会いの為の序章

 「のーとぱそこん。いんたーねっと。」

ミキが、土間での料理に興味を持ったと言って、それほど期間も経たないうちに藤森先生と共にやってきた。その時に板状の機械を僕に紹介してくれた。

土間のキッチンは一通り揃っていて、焼き釜まであった。それを見つけて喜んでいたミキを思い出す。

「私がこのオーブンを使ったところを見たの、もう覚えていないくらい幼い時なの。だから忘れていたんだけど、色々作れるみたいなの。やってみたくて。」

子供の様にウキウキ話すミキをダイキが笑いを堪えながら見ている。そんな事はミキは御構い無しに、機械に映し出された料理の姿を僕に見せてくれた。

「わあ、本当だね。どれも美味しそう。色が綺麗なのが多いね。」

僕はそんなことより、この機械の方がすごいと思っていたけれど言わない事にした。

「すまないね、ケイ九郎君。ま、夏休み期間だし、妻の道楽に付き合ってやってくれよ。」

藤森先生が、頭を掻きながら言う。

「楽しい事で忙しくなるのは、大歓迎だよ。」

と僕は答えた。

「材料は私で用意するから、釜の使い方、調べておいてもらえるかしら。」

と言うミキに、任せて、と答えると、

「じゃあ、記念すべき一つ目、何を作るかを決めましょう。」

と、ミキは続けた。その言葉に反応したダイキが自分も選ぶと言って、僕とミキの間に割って入ってきた。

「まあまあ、久しぶりに賑やかな夏になりそうね。」

人数分の麦茶のグラスをお盆から卓に移動させながら、シズエは笑っていた。


 稲荷の御社は、大小を問わなければ各地に点在している。それを知ったのは、あの武士を逃し、寝ぐらにしていた屋敷が燃え尽きるのを見届けた暫く後、西の方へ山を超えた頃だった。そこにあった、稲荷と同じ風貌の社を見つけた僕はそこを拠点にする事にしたのだった。その理由の一つが、そこから見える海だった。森と浜の境で身を隠し、押し寄せる泡にまみれた水と格闘している人間達の様子を見つける。そして、ここまで来る道中に弔った、行き倒れた旅商人の衣服を頂戴すると、人の姿に変身してそれを身にまとい、人々の会話に耳を傾けた。そうして、言葉を覚えていったのだった。

「海と呼んでいるのか。」

山を超えている間に歳を取っていた僕は、変身するとすっかり老人の姿になっていた。水に顔を移しても、もう何処にも、”佐藤忠信”の面影は見えなくなっていた。

 鼓は、何度も雨に濡れてしまった事で、何とか形を留めてはいたものの、今にも朽ちようとしていた。

「僕も歳をとった。もう還る時なのかもしれない。」

そう、思い直すと鼓を弔うためにお寺を探す事にした。すれ違う人々に寺を探していると伝えると、皆快く教えてくれた。そうして、その寺に辿り着き鼓を弔う場所を探す。境内を見渡すと、その塀の向こう側に大きな木が見えた。敷地から出てその場所に行き、木を見上げると蕾が今にも開きそうな様子だった。

「そろそろ、咲きそうですね。」

後ろから声をかけられて振り向くと、寺の住職と思われる人間が立っていた。

「この桜が、大人気でしてね。」

と言う、その横顔を見て僕は話し始めていた。

「実は、両親の遺品を弔う場所を探しているのです。」

すると、住職は言った。

「桜の下がいいのなら、内の墓地にも桜が植わっていますから、ご案内しましょう。」

 そして、海の見える稲荷の社からこの寺へ通う事になったのだった。そうするうちに、一人、二人と声をかけてくれる人間が増えていった。囲碁を指す友人ができ、酒の試飲をキッカケに、人間の食べているものの味を知る。酒の味、油揚げの味。好物ができた僕は、いつからか、自分が本当は人間ではないことを忘れてしまうほどに、その町に馴染んでいった。

そうして、体を失う鍵を手に入れてしまった事など、知るはずもなく。


あの穏やかな日々を忘れない。


 その夢から覚めたのは、土間にある薪のオーブンでパンを焼いた日の、次の日の朝だった。街へ行った時に食べたパンとは比べ物にならないほどに美味しく仕上がり、リュウイチを始め、近隣に差し入れるほどに皆で喜んだのだった。

 まだ起きるには早い時間だったが、僕は縁側に移動し戸を開けて朝の日が差すのを観察する様に眺めた。

 あの時、人間の作る料理の味を知り、人として生きる事を味わった。新しい味を知った事が、あの時の記憶と繋がったのだろう。

 同時に、記憶の穴が全て埋まった事を自覚する。まるで背中に羽が生えたかように、身体を軽く感じた。


忘れない、何一つ 


 花火大会があるというこの日、夏野菜の初収穫を迎える。昨日からミキもここに滞在し、ダイキとともに収穫作業を朝から手伝ってくれていた。夜に向けて皆んな大忙しだ。


 この数日前、石窯の存在を知ったリュウイチが、畑仕事を終えた藤森一家を含めた僕達に提案をしにきた。

「花火を、ここから見える場所であげてもらう事にするんだ。あの土間のキッチンを使って、近隣の人も呼んでパーティーをしないか。石窯でピザや、ケーキやパイを焼いて、カレーとおにぎりとそれから、ああ、もちろん参加者のみんなにも材料集めとか準備とか手伝ってもらってさ。」

それに対して、最初に言葉を発したのは僕だった。

「人が集まってワイワイやるんだね。楽しそうだな。僕はやりたいけど、みんなはどうかな。」

少し驚いた風に僕に注目した直後、直ぐに笑顔を取り戻し、皆んなは口々に言った。

「自家製夏祭りね。」

「わあ、楽しみだね。」

「私も、早めに仕事を切り上げられる様にします。」

「とれたての夏野菜も使えるかもな。」

そして、最後にシズエが付け加えた。

「まるで、昔に戻ったみたいね。こんなに楽しくて、なんだか若返りそうだわ。」

その言葉に、僕は一層笑顔になった。


 「贅沢だなあ。去年は音だけだったのに。」

ヨシオが言うとシズエが補足するように言った。

「駐在さんに感謝しなきゃいけないわね。たった一声でこんな楽しいお祭りになるなんて。」

「本当だね。こんなに賑わうとは思わなかったよ。」

と僕も言う。

「職業の役得ってやつかな。場所もちょっとズラすだけだったしな。」

リュウイチが言う。リュウイチは思い付く全ての人にチラシまで作って宣伝したらしい。買い物に行く途中に出会うご近所や出会う人達も、夏休みで帰省している家族を誘って参加してくれていた。予定人数を聞いてみると明らかに縁側だけでは足りず、テーブルを庭へ追加し並べなくてはならなかった。そのテーブルにミキが作っていたテーブルクロスを斜め敷きにし、その上に草花をいけた花盛を置く。そんな風にできるだけオシャレに演出する。そして、思い付くだけの料理を並べ、取り皿も用意して。

 そうしている間にも人が集まる。こういうイベントごとが今までこの地域には少なかっただけに、みんな楽しみにしていてくれた様で、それぞれが差し入れを手にしていた。賑わいが最高潮になった頃、最初の花火が上がる。一瞬の歓声の後、しばらく辺りは花火の上がる音だけになっていた。

 そこへ、藤森先生の運転する車が駐車する音が聞こえて来た。

「あ、お父さんが来たよ。お父さんもう始まってるよ。」

ダイキが言いながら車の方へ走って言った。程なくしてダイキに手を引っ張られながら藤森先生が姿を現す。

「ああ、ずいぶん集まりましたね。神社の祭りに匹敵しそうじゃないですか。」

と言う藤森先生に僕は言った。

「リュウイチが、頑張ってくれたんです。」

「ああなるほど、さすがだな。」

と藤森先生は笑った。

 会話に加えてくれとでも言うように、花火の連続して上がる音が響く。つられて歓声が上がり賑わいがさらに増す。花火が散りきるのを見届けると僕は立ち上がって言った。

「追加のお料理を用意するよ。」

すると、藤森先生が腕まくりをしながら言った。

「土間でやってるんですよね、手伝わせてください。」

「もちろんじゃない。ねえ。」

とすかさずミキが言った。

それ以外にも、集まってくれた人たちが入れ替わり立ち替わり手助けしてくれた。

「こう言う感じは普通の祭にはないからいいな。」

と藤森先生は言った。


 畑の収穫物はどんどん増えていった。その野菜を直売所に持って行って売るのが、ヨシオとシズエの生活の糧だったのだが、あの花火の日以降、売れ行きが明らかに増したと言っていた。おかげで忙しくなっていく日々。だけど全く嫌な気はしなかった。楽しくて仕方のない日々が続いた。


 サクラノオキナと名乗った時の事を思い出す。笑顔を交わす人々が自分の周りに増えて行く様子。そんな日々を突然失う事になったあの日。そんな日が、この生活にも訪れるのだろうか。考えたくないけれど、遅かれ早かれ避けられないのは、いつの世だって変わらない。そこからズレたのは僕の存在だけ。必ずそういう日が来る、それがわかっているならせめて、日々を大切に楽しもう。それが、送り出す事になる側の義務だろう。

 

 大輝が自宅へ帰っていくと、僕の寝ていた部屋もなんとなく広くなった様に感じる。空気も、一段階ひやりとする様に感じた。

「大輝がいつも元気一杯だもの。余計に寂しさを感じるのかも知れないわね。」

心にまで冷たい風が吹く感じがすると言うと、シズエはそんな風に答えてくれた。そして僕は、”寂しさ”という言葉を新しく覚えた。

 まだ青い大豆の実を少しだけ収穫しておいたものを、土間で茹でる。それを豆腐にすることも出来たらしいが、僕はそのまま”枝豆”として仕上げた。ヨシオが好きだと言ったから。収穫の時期をズラすだけで全く別の料理が出来上がることが不思議だった。狐の頃は、木や草に成ったそのままの実を、そのまま食べていた。人間は更に加工し、味つけをするんだ。食事にまで時間をかけるなんて、ゆっくりなんてする暇もない。

 日々を埋めるなど簡単なことなのかもしれない。そんなことを考えながら、器に盛った枝豆の山に塩をふり、夕食後に卓でくつろぐヨシオとシズエの前に置いた。

「すっかり手慣れたなあ。まるで料理人だよ。」

ヨシオが言う。二人の教えてくれるのが上手なんだよ、と返す。するとシズエが、

「ケイちゃんが頑張り屋さんなのよ。松葉杖を使っているとは思えないわ。」

と言った。僕はふふっと頬を指で掻きながら微笑んだ。

 枝豆をつまみながら、知らない間にシズエが漬けていたという梅酒を飲む。また新しい味を知り、ふわりと胸が騒ぐ。今度梅酒の作り方も教えてもらおう。

「もう、あれから1年経とうとしているんだなあ。稲刈りの前だっただろう?」

「あ、そっかぁ。そうよね。もう1年なのね。あっという間ね。でも…」

僕は意味がわからず耳を澄ませていると、シズエが説明してくれた。

「すべての日に名前がついているのは教えたでしょう。1月1日から12月31日まで。あわせて365日。うるう年のときだけは366日になるけどね。で、おじいさんがケイちゃんを稲穂の中で見つけた日は、10月10日だったのよ。今日は9月10日だから、後一月後で丁度一年経ったことになるの。」

つまり、季節が周ったということか。と自分の中で納得する。

「ケイちゃんが来てくれたおかげで、日々が楽しくなったわね。」

「全くだ。最初はどんなことになるのかと心配だったけどなあ。」

二人の言葉は無遠慮なようで、だけど、その裏にある温かさを感じていた。


見守っていてくれたんだな。

二人に見つけてもらえるように、僕が生まれる場所を選んだんだろうか。そんなふうにさえ思える。


三人ともそのまましばらく静かに、すっかり暮れるのが早くなった庭の暗さを眺めていた。


 そのひと月後、皆が、僕の誕生日を祝うために集まってくれていた。

嬉しいけれど、なんだか終始、居心地が悪いような気がしていた。その理由を心のなかで考えていると、リュウイチが

「ほら。」

と言いながら、青いリボンの付いた細長い包を手渡してきた。

「え?」

というと、

「えって、あ、そうか。初めてってことになるもんな。てことはお前1歳?」

あははと一笑して、リュウイチは続けた。

「誕生日はめでたいだろ、だから、贈り物をするのさ。プレゼント。あげるって言ってるのさ。」

「そうなんだ。」

出されたものを受け取りながら、更に居心地が悪くなる気分がした。

リュウイチに開けてみろ、と催促されるので包みを開け、出てきた箱の蓋を開けた。中に収められている手に収まる大きさの円形のものを持ち上げる。

上部には鎖がついていた。全身金色で、凹凸のある装飾が施されている。両手でその表面を探っていると、下部にあった突起に指が触れた。そこを押すと、

「これ、時計?でも見たことない種類だね。」

こうやって開けるのかと、扉部分を2,3回開け締めする。

「懐中時計っていうんだ。腕時計と迷ったんだけどさ、お前着物着てることのほうが多いしソッチのほうが似合うと思って。」

その言葉に僕の居心地の悪さは一瞬で嬉しさに変わった。

「ありがとう。大事にするよ。」

というと、リュウイチは、

「ああ、当たり前だ。」

と言った。その言葉にそこにいる全員が声を上げて笑った。

「私は新しい着物を仕立ててもらってきました。後で着てみて下さい。」

藤森先生は、着物の包を少しだけ広げ模様を見せてくれた。夜空と昼の青空が見えて、僕はまた嬉しくなった。ありがとうと言おうとするのを遮るように、ダイキが僕に二つ折りになった硬質な紙を渡してきた。丸いシールで封がされている。ダイキに促されて封を開けると、歌舞伎の演目の登場人物がポーズを撮っている姿が飛び出した。

「ポップアップカードっていうのよ。立体的に作って、開いたときに驚かせることができる、グリーティングカード。お祝い用のお手紙なの。」

「僕とお母さんで一緒に作ったんだよ。」

僕はフフッと笑って、言った。

「ありがとう。うれしいよ。本当に。」

しばらく、その雰囲気を味わうように無言で目を伏せているとシズエが話しだした。

「さあさ、私からの贈り物はごちそうよ。みんなで楽しみましょう。」

花火大会のときに集まってくれた何人かのご近所の人たちも料理やおやつを手に徐々に加わり、結構にぎやかなパーティーになっていった。


 日が暮れて、ヨシオとシズエと僕でようやく片付けを終えた後、ひと月前の今日と同じ様に縁側に3人並んでくつろいでいた。するとヨシオが立ち上がり、何かを手に戻ってきて言った。

「わしも用意しておいたんだ。」

簡素な紙の袋の中に指を入れ中の物を取り出す。広げると、星空のような模様の扇子に袋状の飾りがついていた。

「扇子のほうがおまけで、お守りの方が、わしにとっては重要かもな。」

「お守り」

言いながら、”御守”という漢字が書かれていることに気づく。

「俺たちは、争いが好きじゃない。人をいじめたり、警戒したり、人が心を痛めるようなことをすることもな。だから、自ら言うのも何だがケイは幸運だったんだと思う。だけど。」

縁側に、先ほどと同じように座り直してヨシオは続けた。

「世界は広い。人間も、街で見たものですら、ほんの一握りだ。残念だが、いい人間ばかりじゃない。ケイが傷つく出来事もきっとあるだろう。

この先ケイより、俺等のほうが先に逝くことになるのは明白だし、だから、今後ケイが、もっと広い世界を生きることになったときのためにできる事をと考えたときに、見守り祈ることくらいしか思いつかなかったんだよ。」

一息に胸の内を吐き出したヨシオの横顔を見つめる。僕は、あの武士が名前をくれた時、そして、鼓が目の前に差し出された時の事を思い出していた。

「ありがとう。」

胸が熱くて、右手でそっと押さえた。

あの時、声にならなかった言葉が、ようやく言えた。そんな思いだった。

扇子を閉じ、その先にある御守を左の手の中に、そっと、包み込んだ。


 夜が更け、ヨシオとシズエが自室に去った後も僕は少しだけ縁側に座り、今はガラス戸越しに庭を見つめていた。目を閉じ、御守を握ったまま胸に手を当てて、心の温かさと庭の静けさを溶け合わせるように、今日の溢れて止まらないものを抑えることに集中していた。

虫の声がする。心を直接撫でるように響いてくるその音を意識しながらゆっくりと目を開けた、その時だった。


 庭の暗闇に、ガラス戸越しに何かが見えたような気がした。僕は思わず目をこすったが、そこにはもう自分の姿が写り込んでいるだけだった。


その続きをこの後、夢の中で見る事になる。

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