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償いの果てに  作者: 伊平愉音
経九郎記
2/9

経九郎記ー目覚めて

 夢とは違う匂いがした。心地のいい、温かい匂い。目を開けると同時に入ってきたのは空の色ではなく、規則正しく並んだ黒っぽいモノ。見た事がある。これは人間の作った家の天井だ。思考することも出来ず、天井の模様をぼんやりとただ見つめる。しばらくして、色々な匂いが彼方此方にある事に気付く。その中を一際強い匂いが道を作り始めた。僕はいつの間にか、その匂いの始まる方を探して顔を傾けていた。すると。

「おや、気がついたかい?」

「ああ、目が覚めたんですね。」


 人間が三人いるのが見えた。一人が近づいてきて、僕の顔と首に指先を当てた。そして話し始めた。

「私の声が聞こえていますか?」


 その人が何を言っているのかも理解できていた。だが、体の動かし方と声の出し方がわからなかった。何も出来ずその人の顔を見つめていると、

「聞こえているんですね。大丈夫ですよ。」

と言って、僕の顔に指を当てた。そして指を離し再び話し始めた。

「君が眠っている間に、君の身体を診させて頂きました。あちこちに傷が見られましたがどれも軽いものでした。他は何も問題ないと言いたいところですが、恐らく貴方も気付いている通り、身体を動かすためのもの、“筋肉”が固いというか、柔らか過ぎるというか、私にもよくわからないのですが、とにかく身体を動かせる状態ではなくなっているんですよ。

…これが何かの病気によるものかどうかは様子を見ないとなんとも言えませんが、瞼と心臓各臓器そして、」

笑顔になってその人は、

「首が動きましたから。」

と言い、さらに続けた。

「君さえ臨めば、次第に動けるようになるのではないでしょうか。」

頷くことができない代わりに、僕は瞬きを一つした。間が空いて、少し表情を曇らせたその人が言った。

「話せるようになった時でいいのですが、右脚の事を聞きたいのですが。こちら側の、その、失われている脚のことです。」

意味が分からず、その人の顔を見つめていると、

「どちらにせよ、今は答えられないですね。すみません。今は起き上がれる様になるのが先です。また様子を見に伺いますね。」

言いながらその人は立ち上がった。遠くで、様子を見ていた他の二人と何かを話し、その人はその場からいなくなった。 残った二人のうち一人が近付いてきた。遅れてもう一人が、両手で何かを持って近づいてきた。

「おまえさんに何があったかは、話せる様になるまで待つとして、お前さんがウチの布団で寝ている理由を説明しておこうね。」

「その前に、あなた体、起こしてあげて。」

そうじゃなと言って、一人が僕の体を背中を抱えるように起こした。そこへもう一人が、小さな道具で何かを僕の中に口から入れた。するとそれに反応する様に首の内側が動き、”ゴクン”という音が聞こえた。その音の後に香りが残ると、僕は、さっきまで見ていた夢を思い出していた。

「これはね、甘酒って言うのよ。どう?飲める?」

自然と顔が甘酒を飲ませてくれた人の方を向いていた。

「良かったわ。さ、もっと呑んで。」

ゆっくりと、湯呑みの甘酒をすべて飲ませてもらうと、僕を支えていたもう一人はゆっくりと僕の身体を再び布団へ預け、さっきの話の続きを話し始めた。

「おまえさん、うちの田んぼの真ん中で倒れていたんだよ。丁度その辺りに案山子を立てておいたんだ。だから昨晩の強風でその案山子が倒れたと思って直しに行ったんだ。そしたらそこに、案山子じゃなくておまえさんが倒れてたんだ。…それで、駐在さんと医者をしている家族を呼んで相談して、ここに寝かせることにした。今朝の話だよ。」

その人は、一息で話し終わると、

「これも何かの縁だ。何か分かるまでゆっくりしていくと良い。そもそも動けないんじゃ、どうしようもないからなぁ。」

と言った。それに続いてもう一人が、

「そうそう。できる限り手助けしますからね。」

と言った。甘酒の残り香ももう消えていたのに。なんだか、温かい感じがした。


 炎の向こうに誰かがいる。僕とその人は同じ顔、同じ姿で、燃える瓦礫と炎を挟んで見つめ合っている。勿論、偽物は僕の方である。甲冑を付けたその人は、深く頭を下げ姿勢を元に戻すと、僕の様子を気にしながら去っていった。

遠ざかる甲冑の揺れ、擦れ合う音に耳を澄ます。辺りはオレンジの混じった赤色。光を時折放つのが、眩しかった。


 眩しさで、僕は目を覚ました。夢で見たよりもはるかに透き通ったオレンジ混じりの赤色の光。朝日が、瞼を開けた僕の目を刺激する。思わず閉じた瞼を深呼吸とともに再び開ける。身体はまだ動かす事が出来ない。唯一動く首を目一杯使って辺りを見渡した。僅かに空気が動いたそちらを見ると人が一人現れた。

「あら、起きていたの。おはよう。甘酒、飲む?」

僕は一つ、瞬きをする。

「待ってて。今作るわ。」

そう言ってその人は、そのまま作業を始めた。その後からもう一人が現れた。

「おお、おはよう。起きていたのかい。」

そう言って、僕の側まで来て座った。しばらくして作業をしていた人が湯呑みと匙を乗せた板を持ってきて、しばらく前と同じ様に二人並んで座った。そしてまた、しばらく前と同じ様に二人がかりで甘酒を飲ませてくれた。

 少し離れた場所で食事を始めた二人の様子を眺めている。食事を終えると、二人はそれぞれに作業を始めた。 作業を終えた様子の一人が僕を見て何かを言おうとして、気付いた様な顔をした。

「おまえさんをなんと呼ぼうかな。」

その言葉にもう一人が言った。

「そういえばそうね。あなた、名前、覚えてる?」

「今日の仕事が終わったらゆっくりやろうか。な。」

「そういえば、私達も自己紹介してないわ。」

「本当だ、自己紹介しなくちゃなぁ。わしらは農家をやっているんだ。これから作業に行ってくるんだ。昼には戻るから心配しなくていいからな。」

そう言って、二人はその場からいなくなった。僕は視線を天井に戻すと、言葉を唱えていた。


ナマエ、ナマエ


 誰かが僕に名前を授けると言った、そんな記憶が蘇る。その名前を思い出そうとしていた。あれは確かあの、夢で見た火事よりも前に起きた出来事だったはず。

ぐるぐると考えているうちに、またいつのまにか眠り始めていた。


 夢の始まりは、連続する刀の交わる音だった。乾いた音がその度に耳に刺さる。

僕がいるのは、その音の中心だった。鋭く尖った、美しく磨かれた刃、刀が、別の誰かによって、僕に向かって振り降ろされ、突き出される。それを僕は、僕の持っている刀で受け、弾き返す。 

 守らなくてはいけない人がいた。その人は、両親の匂いのするものを持っている。守らなければ。せめて今、この場だけでも。

 そんな想いで渾身の力を振り絞り、大技を繰り出す。

勝負は決した様だった。敵が傷を庇いながら去って行くその様子を、乱れる息を整えながら眺めていると、後ろから声がした。

「そなた、佐藤忠信ではないか?」

振り返ってその人を見る。


サトウ、タダノブ


「おお、やはりそうだ。佐藤忠信。」

僕が変身した姿は“佐藤忠信”という人に瓜二つだったのだ。

このしばらく前に、山中ですれ違った武士がいた。それがその人だったのだ。息を整え声を出そうとすると、背後からもう一つ声がした。

「おお、おぬし、佐藤忠信か。」

その声の人の方へ、もう一人が駆け寄った。二人は両手を取り合って話している。その様子を見ながら刀を鞘に収める。と、後から現れた方の一人が僕に向かって声をかけてきた。

「大儀であった、佐藤忠信。よう静を守ってくれた。」

人間に変身した僕は、人間の言葉が話せた。

「いいえ。それが我が使命。当前の事をしたまでです。」

そして、その人が言った。

「大義の褒美に名を授けたい。」

僕は言った。

「勿体無きお言葉。大切にします。」

遠ざかる声が言う。

「これからはそう名乗るが良い。」


 天井がそこにある。夢か、と、大きく深呼吸をする。その時、

「あぁ…」

喉の奥で音が鳴った。思わず息を呑む。


 あの人が名をくれた時と同じくらい、心が賑やかになった。思い出した。声の出し方を。

「あー、あー。」

何度も何度も自分の声を確かめる様に、天井に向かって声を放つ。それを繰り返した後、夢で授かった名前を発音してみる。

「あー、かー、くー、けー、けーうーくーおう。」

声が出ても、言葉を発音するには訓練が必要だった。だが、

「け、う、く、おう、けう、クオウ。」

もらって嬉しかったあの名を、言えるようになりたかった。

 飽きることなく、天井に向かって記憶の中の名を放っていると、遠くで戸が開く音がした。

「ただいま。」

と、現れた二人に向かって声を投げかけた。

「あー。」

二人は驚き、直ぐに笑顔になった。

「声が出せるようになったのね。なんだか嬉しいわ。」

「本当だなあ。そうだ、自己紹介だったな。それとおまえさんをなんと呼ぶかを決めよう。」

二人は、それぞれ飲み物を用意して僕の側に並んで座った。

「まずは自己紹介、オレの名前からだな。オレは佐藤義雄、ヨシオだ。」

「次は私ね。私は、佐藤静江、シズエよ。」

僕は首を動かして答えた。

「次はおまえさんの呼び名だな。」

と、ヨシオが言ったところで、僕は練習していた名をゆっくりと発音した。

「け、う、くおう。」

「けうくおう?」

とヨシオが言う。もう一度発音する。

「けぅ、くをう。」

「けう、こう?」

とシズエが言う。

どうしても再現できない部分が二箇所。肝心な部分が再現出来ない。もどかしい気持ちになりながら、それでも出来るだけ近い音を目指して発音する。

「けう、くおう。けぬ、く、よう。けむくをう。」

二人とも復唱したり黙り込んだりしながら、僕の言おうとするものが何かを真剣に捉えようとしてくれている。なんだか申し訳ない気持ちになってくる。やがて、

「くおう、くおう、く、ろう、くろう…。九郎!もしかして“くおう”は“九郎”じゃない?”勘九郎”の九郎。」

僕は目を輝かせていた。

「おお、なるほど、そうか。九郎か。当りなんだな。あとはその前に付く…“けい九郎”か、けう、けぬ?“けん”とかか?」

その時僕は、何故だかたまらなく面白い気持ちになりいつの間にか笑顔を作っていた。そのせいで、僕の名前が決まってしまった。

「おお、そうか。“けいくろう”さんか。“けい”と呼んでもいいかね?」

と、ヨシオが言った。ただ楽しくて、嬉しくて、僕は笑顔で大きく頷いていた。

こうして、僕の名前は”ケイクロウ”となった。


新たな時を生きることを許された、そういう思いがした。


*          *          *


 俺は、火曜日から金曜日を大学病院に出勤する日、病院が休みになる土日と祝日に自分の診療所を開け、月曜日と、祝日の翌日を自分の休日ということにしていた。

 ”彼”を最初に診たのは、丁度、連休最後の祝日で、月曜日だった。そのおかげで、休日は田舎に行くというスケジュールを無理なく入れ込むことができた。

 初めて”彼”を診た日から、最初の金曜日の事。仕事を終えて帰宅すると、妻の美樹が両親から電話があったと報告してくれた。

「例の”彼”が、声が出せるようになったそうよ。名前を名乗ろうとしてくれたけど、発音の仕方が未熟で、聞き取れたそのままを名前にしたって。そんな適当、失礼じゃない?その”彼”に。」

半笑いで話す美樹に、俺も笑いながら言った。

「はは。でも、名前がないよりマシだと思ったんじゃないか。きっと”彼”もそれで納得したんだろう。で、なんて名前か聞いた?」

ええと、と思い出す仕草をして美樹は言った。

「えっと、そう。”ケイクロウ”ですって。”ケイ”の方は分からないけれど、”クロウ”の方は”勘九郎”の九郎だそうよ。それは間違いないって言ってたわ。」

ふうん、と相槌を打つ。”ケイ”の方はどんな漢字だろう、と思った。

 晩飯を済ませ風呂に入ると、湯船に浸かりながら彼、”ケイ九郎”の、予想よりも早い回復状況について考えていた。あの日あの瞬間に、静かに活動を開始した”ふう”な心臓の感触を思い出す。

 赤ん坊の場合、話すよりも動けるようになる方が先だ。もし、その通りなら、もう立ち上がるところまで回復したのかと思いゾクっとする。だが、美樹に確認しても、そちらの報告はなかったと言っていたのを思い出す。

「”成長している”とは違うんだから、回復順序が逆転しても不思議ではないか。」

と、思い直して独り言を言う。そして最悪の状況も同時に想像した。


考えても仕方がない、様子を見るしかない。と、俺は思考を無理やり止め、風呂場を出た。

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