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帰り道と寒い朝の思い出

 校則で、バイトが終わったら午後9時には帰宅しなければならないことになっている。その日は客が多く、なかなか仕事が上がらなかった僕は、レジの前に誰もいなくなった一瞬を狙って、タイムカードを突くのもそこそこに店を出た。

 必死で自転車を漕げば、なんとか時間までには帰れる。別に学校に帰宅の報告をする義務があるわけじゃないが、万が一、バレたらバイトはできなくなる。そうなれば、僕に生活の手段はなくなるのだ。

 たった一つを除いて。

 図書館を出る時に見たポスターだ。

 去年の秋、家を後にする僕の背中に親父が投げつけた一言は、今でも心臓まで突き刺さっている。

 ……なんなら、軍の奨学金貰ってお礼奉公するか?

 僕が小学生になった頃、日本の憲法が変わったらしい。道徳の授業で、伝統がどうとか、国やふるさとを愛する気持ちがどうとか習ったけど、よく覚えていない。だいたい、そんな価値観に照らしたら、故郷を離れて立身出世を図ろうとするなど、僕がやっていることは言語道断ということになる。

 それはともかく、軍隊の存在が認められて、海外の戦争にも参加できるようになった。そんなことが理解できるようになった頃には、もう学校でも入隊を前提にした進路指導をやっていた。

 実家の辺りの中学校でも、高校や大学を卒業した後の入隊を条件に、軍から奨学金を貰って進学する者は珍しくなかった。

 僕もそうしようかと思ったけど、オフクロが止めたのだった。何か最近、物騒だからというのがその理由だった。

 実際、この辺りにも対空ミサイルを配備した基地がある。弾道ミサイルが落下したという想定で、高校でも避難訓練を2カ月に1回くらいの割合でやっている。

 もっとも、そんなことが起こるという実感はない。毎日が、前の日と同じように過ぎていく。

 全力で自転車を漕ぐ僕と並走する、セーラー服姿の妖狐と過ごす毎日はどうなるか分からないけど。

「お腹空いた」

「食ったばっかだろ」

 いちいち食欲を満たしてやっていたらキリがない。

「あ、コンビニ」

「お前のせいでクビになった前のバイト先な」

 一言で切り捨ててやったが、反省の言葉は聞けなかった。

「昔のことじゃない」

 実家から帰るとき、バスに乗り込んで来たヨウコは、ずっと僕の隣に座っていた。下宿近くのバス停に着いた頃には、どこで降りたのか、いつの間にか姿を消していた。

 だが、その日の夜、レジ打ちに立った僕の前に、ヨウコは店のおにぎり1つ持って姿を現したものだ。

 それが文字通りだってことには、店長や他の店員に対応を促されて気付いた。金なんぞ持っていないことはハナっから分かっていたが、こういう行動に出られると、無視することもできなかった。

 そんなわけで、コンビニへ寄りたがるヨウコへの宣告は、あの晩と全く同じだ。

「おごってなんぞやらんからな」

 客ではなく、関係者だということを店内にアピールした一言だったが、それは完全に裏目に出た。

 運の悪いことに、岬さんが店に入ってきたのだ。

「あ、妹さん?」

 ヨウコが声を真似てみせるのは、そのことを思い出したからだろう。

 別の客に対応してレジに立っていた僕は、思わず金額を打ち間違えていた。大慌てで訂正しようとしたが、岬さんが見ていると思うと、そのミス自体が恥ずかしかった。うろたえればうろたえるほどキーを打ち間違え、僕はすっかりパニックに陥ってしまった。

 その時だった。

 レジの機械がレシートを巻き込んで逆転を始めたのは……。

「失敗したの、元に戻してあげたんじゃない」

「あれ、お前が壊したんだからな」

 ヨウコの言い訳を一蹴してとどめの一言を放ったころには、レジの故障の責任をとらされてクビになったバイト先は、車道のはるか後方に飛び過ぎている。

 ふ~ん、という返事と共に、その恨みは開き直った一言で返された。

「じゃあ、狐ネットワークはもう……」

「ごめんなさい」

 僕は掌を返すように下手に出るしかない。ヨウコの助けがなければ、僕は岬さんにとって足手まといでしかなかった。

 だいたい、そうやって手を貸してくれるのは、この娘が意外と義理堅いからだ。


 コンビニには寄ってやらなかったが、僕は次の日の朝食も兼ねて飯を炊き、油揚げを刻んで醤油までかけてやった。

 面倒くさかったので、ネギは刻まなかったが。

 確か、出会った日の夜も、油揚げ抜きで、飯だけ炊いてやった覚えがある。

「あの後さ、しつこく名前とか住所とか聞いたでしょ?」

「聞いた」

「あれって、ナンパだよね」

「中学生女子と同じ部屋で一晩過ごすわけにゃいかんだろ~が!」

 両親を呼ぶか、あるいは警察に相談して家まで送り返そうと思っただけである。ところが、名前を「ヨウコ」と答えたきり、こいつは完全黙秘を貫いたのだった。

 そんなわけであの晩、僕は結局、寒い寒い秋の夜を、下宿の外で過ごすことになったわけである。

 次の朝、鼻水ずるずる垂らしながら部屋に戻ると、実家からついてきた見ず知らずの女子中学生は、玄関前で三つ指突いて出迎えたものだった。

 そこで初めて、この娘が何者か分かったのだ。

「信夫ヶ森の百年狐、一宿一飯の恩義を果たさせていただきます」

 ヨウコは夜食を食べ終わると、そのときと同じ仁義を切ってみせた。多少おどけて見えたのは、僕もコイツも慣れてきたせいだろうか。

 だから、こっちも慇懃に頭を下げてみせる。

「謹んでお受け仕る」

 そこでヨウコは、ふう、と息をついてあぐらをかいた。

「まあ、岬さんとはアカの他人でもないわけだし、まだチャンスはあるって」

 不敵に笑ってみせるが、どうも不安だ。だいたい、自分の身だしなみからして不用心この上ない。

「スカート姿で足を開くな」

 天井に遣った目をちらっと下ろすと、ヨウコが慌てて前を隠すところだった。

「どこ見てんのよ」

「……すまん」

 ちょっと気まずい空気が流れた後、コホンと咳払いしてその場をごまかしたのは妖狐のヨウコのほうだった。

「……まあ、ライバルいるっていうのは想定外だったけど」

「どうすんだよ」

 恩を着せるつもりはないが、ビジョンを示してもらわないと納得はできない。だが、その当然の問いにヨウコは答えようとはしなかった。

「自力で勝てると思ってんの?」

 その威圧は、何の展望もないことを問わず語りに示している。僕は目の前を閉ざす暗雲を拭き払おうと、思いっきり笑ってみせるしかなかった。

「無理です!」

 ヨウコは、セーラー服の薄い胸を小さな拳で叩いてみせた。

「まっかせて! お兄ちゃん」

 自信たっぷりに請け合っては見せるが、今日も落ち着きのないその振る舞いを見ていると、どうにも不安は拭い去れなかった。

 でも、なぜだろう……僕の心の中に、それを楽しんでいる自分がいる。

 そう思ったとき、ヨウコは喝を入れるかのように、再び咳払いすると、正座して厳かに言った。

「では、お兄ちゃん、寝る前に誓いの言葉を」

 僕も居住まいを正して、あの朝、仁義を切った妖狐との約束を改めて口にする。

「決して、他の女に二心を抱かざること。移さば、その日没に死すべし」

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