33話
「ハァ……ハァっ」
エリーは肩が動く程、荒い息をしている。
激しい運動をしたからかと言われれば、それは違う。田舎の生まれでありダンジョンに挑んで活躍しようという少女が、5分や10分軽く身体を動かしたからと言って肩で息をする程体力が無いわけもない。
今エリーが息を切らしているのは、焦燥に駆られているからだ。
自身でもわかってしまう焦燥を、その行動で隠すべくステップを踏んで移動しながら、目の前のモンスターを見据えるエリー。
「GRRRRR……」
目の前にいるのは凶悪な目をした亀のモンスター。その伸ばした首の長さだけでも30cmはあり、たくましく伸びた亀の頭から、その尻尾の先端までの長さを計れば1mに至るだろう、そんな小型と呼ぶには抵抗のある大きさのモンスター。
だがそのモンスターは一歩も動けはしない。
心を奮い立たせ鞭を握る手に力を籠め、足を踏ん張り、動けない亀の頭に向けて鞭を振るう。
「ピャアァアォオオンっ!」
鞭は亀のモンスターに届くことはなかった。
なぜならば縛られた亀がエリーの振るわれた鞭の前へと躍り出た……いや、亀でありながら中空を飛んで振るわれる鞭を、その身をもって止めたのだ。
中空を舞う縛られ亀にエリーの鞭がぶち当たり鞭を、その身に受けた亀は儚げに一鳴きしながら地面に着地。そして着地と同時に、まるで鞭の衝撃に感じいるようにピーンと亀の頭を立てフルフルと震えた。
「もぉぉおっ! なんでー!」
たまらず腕をブンブンと振りながら心の叫びを表に出てしまったのはエリー。
「うぅぅう……」
若干涙目になりながら、もう何度目か分からないステップを踏んで縛られ亀から逃げるように場所を変え、テーカが踏んで押さえている亀に向けて鞭を振るう。
「ピャアァアォオオンっ!」
またも鞭が振るわれた瞬間に、とんでもない瞬発力で飛び跳ね鞭の前へと躍り出る縛られ亀。
見事、鞭をその身に浴びて着地した後、ただフルフルと亀は頭を振るわせ、その口から涎を垂らす。
「もーーーーーっ!」
エリーは、そんな亀に対して、ただ狼狽と鬱憤の混じった声を強める事しかできない。
亀を踏みつけつつ、その攻撃を盾で防ぎながらエリーとエリーの攻撃を邪魔をしている亀の様子を眺めていたテーカは埒が明かないことを悟り、自分が踏んづけている亀のモンスターに注意を向ける。
「GRRRRR……」
亀のモンスターは縛られ亀と大きさ自体に変わりはない。縛られている亀も頭と尻尾を伸ばせば全長は1mになるだろうから同じ種族のはずだ。
だがこの2匹には大きな差がある。まず踏んでいる亀からは宙にジャンプして見せるような脚力を感じる事はない。足を通して伝わってくる力も瞬間的な力というよりは、ぐいぐいと継続的に足掻き続けるような力。対して縛られ亀は同じような大きさにも関わらず、空を舞って見せる程の瞬発力を何度も見せている。
最初は、その縛られ亀の行動が仲間の亀モンスターを鞭から守ったのかとも考えたが、これだけ続くと、それがどうにも違うことは理解できた。
アレは単に鞭を当ててほしくて動いている動きだ。今もエリーが鞭を振るいそうになれば「ぶってぇぇっ!」とばかりに鞭の前に飛び出そうとしている。
対して踏まれている亀のモンスターは縛られ亀やエリーの様子がおかしいことを疑問に思いながらも、それ以上に自分を踏みつけている足になんとか噛みつこうとしているし、その噛みつこうとする様からは明確な程に敵意が感じられる。
この足を噛もうとしている亀の目は、自分の邪魔をする者はすべて排除しようというような意志を感じさせる危険な魔物の目。この2匹はそこも決定的に違う。
「ん~……とりあえず膠着状態だし一回考える時間を取りましょうかねー。」
そう一言発し、テーカは亀の噛みつき攻撃を防ぎ続けていた盾をジリジリと動かしてゆく。
「よいしょー」
気の抜けるような一言とともに亀の首元まで移動した盾はギロチンの刃のように下ろされ亀の頭を落とした。
「ひぃっ」
「ピィッ!」
あっという間に盾で踏んづけていた亀のモンスターを殺処分したテーカの姿に、エリーと縛られ亀から小さく悲鳴が漏れた。頭を落とされた亀のモンスターの首からはピュッピュと死んで間もないことを表すように血が噴き出しており、縛られ亀は驚きの声を上げた後、その血を見ながら『oh…no…』と言わんばかりに首を振っている。
「やっぱり、その亀おかしいわよねー。」
あまりに人間くさい亀。
それを証明するかのようにテーカから漏れ出た言葉を聞いた縛られ亀は、ジリ、ジリっ、とテーカから距離を離し、こっそりこっそりと、テーカの視線から逃れるようにエリーの後ろへと移動。そして頭を極力甲羅に引っ込めて、いないふりを始めた。
「妙に人間臭いのよねー」
「は、はぁ。確かにそう……ですね。」
亀の盾にされたエリーも同意見しかでない。モンスターというよりは別の生き物のようにすら感じる。
ただエリーには、絶対に口には出せないけれど、この亀の印象が、どこかメチヤに重なるものがある気がしてならないのだった。
「でも、とりあえずエリーちゃんの鞭が使えない状態は、どうにかしないといけないわよねー」
「ですね……」
「うーん。いっそ次は、私みたいにその亀を踏んでみたら?」
「えぇっ!?」
思いもよらぬ提案にテーカの顔を見た後、亀に目を向けるエリー。
「ぴゃ?」
ムクムクっと首を少し伸ばした亀、つぶらな瞳をエリーに向け、微かに首を傾げている亀。
その目は『なぁに?ぼく、どうしたら良いの?』とでも言いたげだ。
「亀なんて、とりあえず踏んづけとけばいいのよー。その亀もたぶん一緒でしょー。
よし。とりあえず次の亀を見つけて試してみましょー。」
「は、はぁ。」
すぐにモンスターの亀を探しに動き始めて見つけ『こうやるの』と参考のように踏みつけてみせるテーカ。
エリーは戸惑いつつ、確認の為に一度鞭を構えてみけれど、やはり鞭に対してまた飛ぼうとしているのか、やる気に満ちた動きを見せる縛られ亀。
ため息を漏らしつつ、エリーは縛られ亀を踏んでみる事にした。
「はぁあぁん!」
亀は鳴いた。