32話
「うーん。」
「う~ん。」
「う、う~ん。」
片手で頬を支えながら眉で軽いハの字を作りながら唸るテーカ。
腕を組んで盛大に眉間に皺を寄せながら唸るルーク。
そんな二人の空気を読んで顔色を伺いながら唸ってみるエリー。
「ピヤァァ……」
テーカとルークの視線の先の亀も、どこか困り顔で一鳴きしている。
スっとテーカが足を亀の前に動かすと、どこかウットリとしたような表情で亀は頭を足に擦り付け始めた。足を離すとションボリと亀は頭をうなだれる。
次にルークが足を亀の前に動かすと、亀は睨みつけるように固まり微動だにしない。だが、決して噛みつこうとはしなかった。ただ「なんじゃワリャアおう?」とでも言わんばかりの憮然たる面持で佇むだけ。
「……エリー。」
「は、はい。」
足を引きながら声を発したルークに促され、次はエリーが亀の前に足を差し出す。すると、亀は大層嬉しそうに頭をエリーの足にこすりつけはじめ、あまつさえ口からは涎まで垂らしている。だが涎を垂らしても、決して噛みつきはせず、むしろ舌を伸ばしてはエリーのブーツをチロチロと舐めている。
「うーん。」
「う~ん。」
テーカとルークが声を上げ、エリーも伸ばした足を引いて同じように悩むポーズを取る。亀はエリーの足が遠ざかりションボリした。
「とりあえず敵意はないっぽいのよねー。」
「私にはあるようだが?」
亀の前にルークが足を延ばすと、また「おうコラボっケカスぅ」とでも言わんばかりの顔をする亀。
「でも攻撃はされてないじゃない? まー、この亀はきっとオスなんでしょうねー。ダンジョンのモンスターに雌雄があるのかは分からないけれどー。」
「納得できるようなできないような……だが、まぁ攻撃の意思はないとして、そうなるとエリーのムチ打ちで吐き出した何かしらが敵意かなにか。ってことにでもなるのだろうか?」
「前例が無さ過ぎて分からないわねー。」
「さっぱり分からんな……」
「うーん。」
「う~ん。」
「う、う~ん。」
二人の思考や推察を邪魔しないよう、それでも『一緒に考えてます』と言った雰囲気を伝えるべくエリーがまた唸る。
「エリーちゃんはどう思うー?」
「えっ!? あ、はい!」
考えに行き詰ったテーカは、そんなエリーの何も考えていない空気を察しながらも敢えて聞いてみようと水を向ける。突然話を振られたエリーは焦りながらも亀について思考を巡らせる。
だが何も浮かばない。それも当然だろう。エリーはこの階層に来ることも初めてであれば、この亀のモンスターと対峙したのも初めて。初めて尽くしなのだから。
「な、なんだか、アレですね! 味方みたいですね! モンスターですけど!」
「味方ねー。」
『敵意がない』と発せられた言葉から、いきなり中立を飛び越えて味方を連想してしまう単純さを感じながらも、テーカは自分の見方を少し変えてみることにした。
「ねー。カメさんー?」
「ピャ?」
呼びかけに反応する亀。
初めて呼びかけをしてみたが反応があるということは意思の疎通ができる可能性があるともとれる。
「あなたは敵なのー?」
「ピャ?」
「味方なのー?」
「ピャ?」
「なんなのー?」
「ピャ?」
だが問いかけに対して返ってくる反応は一律のピャ。意思疎通できているのか疑問符が浮かんだテーカは首を傾げると、亀も同じように首を傾げた。
「まぁ、アレだ。とりあえずよくわからない状態だが、ここはダンジョンの中。じっくり考えるのに向く場所とは言い難いし、折角この階層まで来ているのだから他の亀でも同じような事になるか検証してみるのはどうだろうか?」
「そうねー。いつまでもこうしていても仕方ないし。それじゃあこの亀はどうする? ころすー?」
「ピャァア! ピャァア!」
テーカの言葉に『たしけてくだせぇ! たしけてくだせぇ!』と言わんばかりの悲愴な声を上げ頭を振る亀。
「やっぱり言葉、わかってるのかしらー?」
「そういう風にも見えるよなぁ……」
「うーん……こっち来なさいー。」
「ピャア!」
手足を動かしテーカへと近づいてゆく亀。
「おぉ。分かってるみたいだな。よし、こっちにも来てみろ。」
「ピャ。」
『なにいってんだコイツ』とでも言わんばかりに一瞥し、迷わずにテーカへと足を進め続ける亀。
「よし分かった。」
「ピャァ!」
ルークが剣に手をかけた瞬間に『いやぁスミマセン! 空耳かと思いましてぇ! えっへっへ』とでも言わんばかりにサササとルークの足元に向かう亀。
「コレ。絶対わかってるわねー。」
「のようだな。」
「……ですね。」
遠巻きに見ていたエリーも純粋にそう思った。田舎で牛や羊も見ていたけれど、ここまで完全に言葉を理解する家畜はいなかった。やっぱり動物とダンジョンのモンスターは違うのだとその異質さを感じ、ちょっとだけワクワクした。
「あの、私も呼んでみていいですか?」
「あぁいいとも。」
「えっと亀さん。おいで。」
「ピャァン!」
「わわわわっ!」
シュババババっ! と、これまでにない勢いで移動する亀。あまりの勢いに後ずさり、もたもたと足が絡まり転びそうになる。
「ピャァァ、ピャァァン」
亀は頭をエリーの踏ん張った足にこすりつけ始め、亀の口からは、また涎が流れ始める。
「ちょ、ちょ、」
「ピャァァン、ピャァァン」
亀の頭が激しくエリーのブーツを撫で上げ、その力強い亀の頭の動きからズリズリと音が聞こえてくる
「ちょ、やめて。」
「ピャァァン、ピャァァン」
エリーの静止など聞こえていない様に、夢中で動き続ける亀の頭。
「も、もう! 止めてっ!」
「アォォオンっ!」
止まらない亀の頭にエリーは反射的にムチを振るってしまう。頭の先端に鞭をくらった亀は一撃と同時に、そそり立つように停止し固まった。
「うーん。とりあえずエリーちゃんに、すごく懐いてるのは分かったわー。」
「そうだな。明らかに異常だ。まぁ、とりあえず害意はなさそうだし、もう一匹ムチ打って検証しよう。」
「は、はい。」
そそり立つ亀の頭は一旦保留にすることが決まり、ルークが次の亀を探す為に動き出しテーカとエリーも、それに続き歩き出す。
だがチラリと後ろを振り向いてみれば亀はそそり立たせたまま、その場から動かなかった。なんとなく気になり、チラチラと振り返ってしまうエリー。
「おいでー」
「ピャッ!」
そんなエリーの様子をみてテーカが止まっている亀に声をかけると、亀はハっとしたような声を一度あげ、ダバダバダバと慌てて追いかけ始めた。
移動を再開し、時折振り返ると亀はきちんとついてきている。それを見てテーカはふと思いつく。
「ねぇねぇアナタ。」
「ん? どうした?」
「あの亀って、ちゃんとついてきてるし結構力も強いから、甲羅の上に何か載せたら運べたりしないかしら?」
「ほう、モンスターに荷物を運ばせる……か。」
立ち止まり顎に手を当てながら亀を見るルーク。
「確かに亀の甲羅に何かヒモででも括り付けておけば運ぶかもしれないな……面白いし、ちょっと試してみようか。」
荷物を持っていたルークは、万が一無くなっても問題ないと判断した瓶とロープを取り出し亀へと向かう。
「ピャァ……」
亀はイヤそうな顔を近づいてくるルークに向け、その雰囲気を感じ取ったルークが試しにロープを両手でピンと引っ張ってみると亀は心底嫌そうに頭を横に振り続けた。止まらないメトロノーム亀の頭。
その永遠に続きそうな様子から、なんとなしにルークはエリーにロープを手渡してみる。
「ピャアァン!」
すると亀は一転して動きを止めて嬉しそうな表情を浮かべた。
ルークとエリーは、しばし顔を見合わせ、互いに何とも言えない表情を作ることしかできない。
やがてエリーは諦めたように、どこか喜色の滲む亀にロープを這わせ、瓶を亀に括り付ける。
今ここに、縛られモンスターの運び屋が爆誕したのだった――