29話
クリスがダンジョンから街への帰路を歩み、トミーがクリスからの情報収集を考え夜までの探索を腹に決めたその頃、エリー以外が飲んだくれた酒宴を終えた翌日、エリーの口は盛大に開いていた。
「あ、あ、あ、あの、あのの、のの」
「う~ん……こういう服って去年の流行りだったでしょう? 流石にちょっとねぇ?」
「これは大変な失礼をいたしましたテーカ様。いやはや流石はエムネン家。お抱えの冒険者に与える服ということで慣例に従って流行の一段落ちの準備をさせて頂きましたが、私としては流行や慣例に囚われず、個人の合う合わないを重視するというのは大変素晴らしい取り組みかと存じます。」
「の、の、あの。」
「だって、エリーちゃんって可愛いじゃない? 去年の流行りって、ちょっとふわっとしすぎて私あんまり好きじゃなかったのよね。今年は、なんだかきゅっとしてるじゃない? そっちの方が合うと思うのよ。」
「エリー様。失礼いたしますが、少しお立ち願えませんでしょうか。」
「あ、あ、ひゃいっ!」
豪華なソファーの、ふわっとした反発をうまく利用できず、もたもたと立ち上がるエリー。
モノクルをした初老の紳士はその顔に携えた笑顔を1ミリも崩すことなく眺め、ただ立ち上がるのを待っている。
「ふむ……」
なんとか立ち上がり、不自然なほどにビシっと両手を整えて起立したエリーを、じっと眺めるモノクル紳士。
エリーはといえば細身の紳士の視線に怯えるように目を泳がせることしかできない。
「……流石はテーカ様でございます。仰られる通り、こちらのエリー様が去年の流行りのエッグラインが特徴的な物を身に着けた場合、持っておられる魅力を半減させてしまうことでしょう。今年はコケティッシュな風潮が見えておりますし、こちらのエリー様は非常にお若くありますが、それでも流行りを十分に取り入れるべきスタイルをお持ちでいらっしゃいます。そうですね……コンサバティブさを残しつつもセンシュアルに。かといってそちらばかりを主張しすぎないよう、レイヤリングでノスタルジックさを仄かに香らせるような物が最適かと。」
つらつらと、まるで魔法のように流れ出てくる紳士の良い声は、エリーの左の耳から入って目を回し、そしてそのまま口から流れ出ていった。その様子をニコニコと眺めるテーカが口を開く。
「もー、私に気を使って、わざわざ分かりにくい言葉にしなくてもいーのよー。エリーちゃんにも分かりやすく言ってあげて。」
「これはまた失礼いたしました。重ねてお詫び申し上げます。それではファッションに関わる者の意見として……エリーさんは大変スタイルが宜しいので折角の見目の良さを活かすべきと考えます。そのスタイルに合う衣装というのは、少し肌を露出させセクシーな印象を与えるような服が良いかと。」
「せ、セキュシー!?」
エリーは瞬きが加速し、額から汗が流れる気がした。
セクシーな服が、どのようなものか想像もつかないけれど、わざわざ着たいとは、まったく思わないのだ。言葉からは怖い印象しか受けない。
ただトミーに言わせれば『何を言っているんだこいつは?』と思う程に、エリーが一張羅として着ている服も十分にセクシーすぎる物ではある。なぜならウエストがキュっ、胸とお尻がボーンとなる衣装だからだ。
だが、エリーにしてみれば、これはお婆ちゃんであるエステラが「うんうん。エリー似合うよ~」「エリー可愛いよ~」と言って聞かせた服。エリーのお婆ちゃんへの信頼度があってこそ着ている服であり「お婆ちゃんの服なら間違いはない」という信頼があるからこそ着れている服なのだ。断じてエリー自身がセクシーな服を着たいと思っているわけではなく、お婆ちゃんが良いといった服であり、お婆ちゃんの勧めてくれた着方に間違いがありえないと信じているだけなのである。
そんなエリーの戸惑いようから心情を察していたように老紳士は言葉を続ける。
「もちろん、うら若き乙女が肌を晒すのは抵抗があって当然ですので、そのセクシーさは華やかになりすぎないような衣装を重ねて覆い隠します。敢えてセクシーさを内に秘める形を演出するのが、もっともエリーさんにお似合いになる……と、ご進言させていただきとうございます。」
言葉を終え、キランと光る紳士のモノクル。笑顔で嫋やかな雰囲気を纏った老紳士であれど、発せられた言葉には揺るがぬ自信と強さがあった。
「うふふ、エリーちゃん。この人は、そういう似合う服を選定するスキルを持っている人だから信頼してもいいわよ~。」
「ひ、ひゃい!」
「うん。それじゃあ任せるわぁ。」
「ありがとう存じます。」
「ち、ちょ、ちょちょ、ちょ、ちょっと待ってください! テーカ様! わ、私、そんな服を着る機会とか、いえ、というか、私、あまり、お役にとか、いえ、あの、ダンジョンにもぐる、いえ、あれ? いや、それよりお金とかが――」
「もー、いーのよーエリーちゃん。私の趣味だからー。」
「えええええっ!?」
「あっ、そうだわ! エリーちゃんって部屋に備え付けの物ばかり着てるみたいだし洗濯とかも少ないって聞くわ、うちに来たばかりだし、きっと下着とかも全然ないんじゃないかしら? 探索用の服も一着みたいだし。」
「なんと、折角の素材をお持ちですのに……」
「ねーあなたもそう思うでしょう? もったいないわよねー」
「えぇ、大変もったいない事でございます。宜しければ見立てと、エリー様に合う服のある店をご案内させていただきますが?」
「それいいわね! これから見に行きましょう!」
「テーカ様自らですか! 呼ばなくても良いと……流石、時を大事にされるエムネン家。喜んでお供させていただきます。」
勢いよく立ち上がるテーカに、深い礼をするモノクル紳士。
エリーが言葉を挟もうにも、テンポよく紡がれる言葉の間に飛び込むことなどできはしない。そんなおろおろとするしかないエリーの腕に手を回して動き出すテーカ。
「さぁエリーちゃん! まずは下着よー!」
「テーカ様。是非探索の際にも使えそうなワスピーなどもご検討ください。」
「それいいわね!」
「あああああああ。」
まるで引きずられるようにエリーは部屋を後にするのだった。
――その夜。エリーの自室に山と積まれた服や下着に靴。それらを前にして、嬉しいやら、焦るやら、もうどうしたらよいのか分からない感情が、じわじわと沸き上がり、その行き場のない感情が心から溢れ出してしまい、膝をかかえて、すんすんと小さく泣くのだった。
……断じて、美味しい物が沢山食べられる環境なのに、絶対に太れなくなったという絶望感から泣いているのではないのである。