28話
メチヤの顔がトレイと密着し、そのフィット感を楽しんでいたその頃、ダンジョンの中にいるパーティの一つに不和が生じていた。
「まだ16階層だぞっ! まだまだ先に進むべきだろう!」
「そうは言いますがねぇ……これ以上は、ちぃとキツイんですよねぇ。」
10代の若々しく吠えるような声に対して、30代には乗っているであろう男の声はどこか呆れを含んでいる。
「武器防具を貸し与えた上に高い金で雇ってくれるような主人の言うことは聞くものだろう!」
「はんっ。確かに今、俺たちゃあトリス商会に雇われてる雇われ人だぁな。貸してくれた武器も防具も驚くほどいいもんだ。使っててちょっと欲しくなっちまう位にはいい武器だ。だがな雇い主はアンタじゃない。アンタの父親のモーケさんと俺たちの契約だ。」
「父の契約は私の探索を補助する契約だったはずだ。それに父と私は似たような物だろう!」
「ははっ、まさか商会の人間の癖に契約人が違っても似たような物だとか言いだすとはね……正気で言ってんのかいアンタ?」
笑い出した男に10代の若々しい声は苦悶に満ちた舌打ちを残すだけで続かなかった。
「それになぁ、この契約じゃあアンタの言う探索補助は名目でしかない。そもそもモーケさんとの約束は、アンタの冒険心をある程度満足させて、きっちり家に帰すことが一番重要な事になってる。要はアンタの護衛ってこった。ご丁寧な事に武具の貸し出しも万が一が無いように手厚くな。」
「だがしかし! その武器防具があるからこそ、もっと深く潜れるだろう? 20階層だって目標に出来るはずだ! アンタたちの契約だって成果を上げれば、もっと利益が得られるはずだろう?」
「まぁ、契約金の半額までの成果は全部モーケさんに納めることになってるが、もう目算で契約金の7割程度は利益が上げってるしな。超えた分は利になってくるのは違いない。」
「だろう? ならばもっと利益を追求したら良いじゃないか!」
「まぁ、正確には契約金の5割以上の成果については2割がモーケさん。残りは俺たちで分け合う内容だからモーケさんの利益もどんどん増えるし、アンタの言い分にも一理ある。だがな、さっきも言ったが、この先はキツイ……あぁ、いや、もっと分かりやすい言葉に変えて言おう。これから先は『素人に毛が生えた程度の剣士のお守りをしながら戦い続けられる場所じゃねぇ』って言ってんだよクリスさんよぉ。」
言い終わると同時に30代の男の目が威圧的な目に変わる。
その目に気圧されクリスは口を噤む。
「まぁお前はよくやってる方だと思うよ。だがな、まだまだ荒い。この先に行けば怪我をするか下手すりゃ死ぬ。だから聞き分けろや。
……ってぇワケでぇ? 帰投しても宜しゅうござんすかねぇ? クリスさん。いやいや、ご主人様とでもお呼びしましょうか?」
クリスの黙り込んだ様子に、すぐ雇われ探索者の仮面を被り直す男。
「……帰投で良い。」
「さっすがトリス商会のクリスさんですねぇ。まだまだお若いのに引き際ってもんを弁えてらっしゃる。いやぁ素晴らしい。おーいお前ら! けぇるぞー!」
声をかけられた男の仲間らしき2人は、軽い返事を返してすぐに動きはじめる。
30代の男は無念そうな表情を隠そうともしないクリスに対して軽く柄頭でつついてから男たちの後に続くよう顎で促す。
クリスは小さく舌打ちをしてから足を動かすが、その内心は穏やかなものではなかった。
(クソッ! 雇われは肝心なことろで役に立たんということか!
……だが口惜しいが今回は従うほかあるまい。この男たちに比べ私の力量が劣っていることも、また確かだった。だがしかし護衛などと言っているが、これまで護衛らしく守られた覚えはないぞ!)
クリスがチラリと後ろを見ると先ほどまで話していた男が、一瞬だけニヘラと愛想笑いを浮かべ、すぐに真顔に戻る。すぐに顔を正面に戻す。
(つまりこの男の見立てでは、この16階層までが私の力量の限界ということか。これ以上進めば、きちんと護衛として動く必要があるということ。
彼らにしてみればダンジョンに入るだけで当初の契約金は手に入る。そしてダンジョンの成果でお父様に渡す分以上の成果も手に入ったことで、オマケ的な利益も手にした。つまり、もう充分稼げたから終わりということだ。)
軽く口元を押さえながら考え続ける
(今後同じような形で雇ったとしても、またこれくらいの階層で引き返すことになるはずだ……となると契約内容を考えなければならないだろうな。口惜しい。)
そこまで考え溜息が漏れた。
父親をどう説得するか、や、探索者の思いのほかの頼りなさから漏れた溜息だった。
その溜息を耳に捉えた30代の男もまた、若い探索者にありがちな過剰な自己評価の高さで、見えないところでしているカバーに気づいていない様子を感じ取り小さな溜息を漏らす。
「まぁ帰りはゆっくりじっくりモンスターを倒しながら、もっと利益をだしていきましょうねぇ。」
そう声をかけながら、雇い主であるクリスの父親から内密に依頼された『クリスがパーティを組んだ状態で問題なく戻ってこれるであろう最深度の査定』を13階と決めたのだった。
--*--*--
「オラァっ!」
止めと言わんばかりの掛け声がダンジョンに響くと同時にグチャっと潰れるような音が鳴った。7階層にいるミミズのようなワームの頭を壁と挟むようにトミーが殴り付けたのだ。
ふぅ、と一息つきながら少し汚れの付いたガントレットをズボンで拭う。
「コイツは特に、なんの利益もなさそうだな……」
事前に粘糸のような物を吐き出す情報は仕入れいていたから、なにか利用できることがあるかもしれないと観察しながら戦っていたのだが、吐き出される粘糸で思いつくのはせいぜいが接着剤程度。接着剤は自分ですら知っているニカワがあり、手にできるくらいには十分に流通していることから利用価値はないだろう。
「まぁ、次の階でも目指すか。」
得られるものが無いことを確認し、次の階へと向かい始める。
トミーは、酔いどれ茸がケツから生えたこと……否、履いていたズボンの臀部から生えてきたことをソレアが大発見と喜んだことから、ただただ深層を目指すのではなく、各階を改めて観察しながら慎重に動いていた。
30階層くらいまで潜って、ようやく喜ぶような宝が手にできると思っており、まさか12階層という価値の少なそうな階で、重要な発見ができるなどと微塵も思ってはいなかったのだ。
「確か、次の階はダンゴ虫みてぇなヤツだったよな……殻が硬ぇから、なんかに使えたりすんのかな? ……いや、だとしたら、もう使っているヤツがいてもおかしくない。使われてないのは、なんか理由があるか全然使えないからかだろう。まぁ、いいか。とりあえず実物を確認してみよう。」
独り言を呟きながら足を動かす。
この独り言がダンジョンに潜っている孤独のせいか、それともこれまで組んでいた時の情報共有の癖なのかは分からなかった。
そんなトミーの足がピタリと止まる。
曲がり角の先に気配を感じたのだ。
息を殺し、そっと一瞬だけ角から視界を巡らせ顔を引く。
顔を引いてから瞬間的に目にしたモノが何かを思い返すと、見えたのが人間達であり、そして昨日見たような装備であることが思い起こされる。
「あぁ、確かクリスか。」
安堵か面倒か、どちらともつかない言葉が漏れ、警戒している相手に分かるように角から手をヒラヒラと動かしながら姿を現す。
こちらの姿を確認したことで、相手の前衛も警戒を解き再び歩き始める。発している雰囲気からダンジョンから帰っているところなんだろう。
警戒心を抱かせない距離を取り、そして、クリスが無駄に話しかけてこないよう、更に距離を取る。
だが、トミーに気づいたクリスは隊列を離れ向かってくる。
トミーは白目を剥きたい気持ちを、そのまま表情に表さずにはいられなかった。
「やぁトミー。なんて顔をしているんだい?」
「あぁクリス。面倒なヤツに会ったなぁと思ってな。その様子じゃあ昨日から潜りっぱなしだったんだろ? 疲れてるんだろうしサッサと帰りやがれ。」
「なんて嬉しい気遣いだろうねトミー。16階層まで行ってきた私は涙が出そうだよ。」
「ほう? 16階層まで行ってきたのか……」
興味を惹かれた顔をしてしまったことに気が付いたトミーは即座に憎々しげな表情に変わる。
逆にクリスは笑顔に変わった。
「まったくトミーは素直なままで嬉しいよ。それにしても……昨日とは随分雰囲気が違うじゃないか。」
「雰囲気ねぇ……まぁそれを言うならお前もな。」
ピクリと眉を動かすクリス。
「しかし……一人で潜っているようだね?」
「ほっとけ。」
問いながら静かに口元に手を当て黙り込むクリス。
トミーは、ただ首を一度鳴らした。
「用がねぇなら俺はもう行くぞ。じゃあな。」
「あぁ、トミー。今は多分昼頃だろう? もし今日の夜にダンジョンから出ているようなら、どうだい食事でも。」
「いらん」
「そうかい残念だよ。16階層まで急いで行ったものだから色々と情報交換でもしたかったんだけれどねぇ、もちろん私のオゴリで。あぁ残念だ。単身で潜っている、お強いトミー様には16階層程度の生の情報は不要のようだ。」
「はぁ……夜には俺も外に出てるかもな。」
「あぁ、私も夜頃には出口付近にいるかもしれないな。偶然が重なるのを楽しみにしているよ。」
相変わらずの皮肉めいた笑みを残して、クリスは隊列に戻っていった。
トミーはボリボリと頭を掻く。
「まぁ……今日は12階までの確認のつもりだったしな。」
誰に聞かれたわけでもないのに言い訳のように、また独り言ち歩き始めるのだった。