26話
「お手柄よトミー。」
「……あぁ。」
満足そうに顔を綻ばせるソレアと、不服が滲んだような顔のトミー。
無精なトミーが部屋に帰って脱ぎ散らかし、そのまま放置して眠ったせいで翌朝、放置した服から12階層の『酔いどれ茸』が生えていた。脱いだ服を苗床にし、まるでブナシメジのように小さな茸が生えていたのだ。それをソレアに急かされて様子を見に来たメイドが発見した。
「ふむ……これは間違いなく、酔いどれ茸の幼体ですな……興味深い。」
学者然とした壮年の男がルーペのような物で、茸の生えた服をじっと観察している。
自身の脱ぎ散らかした服がじろじろと観察されてトミーの居心地は随分と悪い。
のそのそと立ち上がり、ふんむと腕を組みしばし思考を巡らせる壮年の男。
「それでガーク、育成、繁殖は行えそう?」
頃合いを見て声をかけたソレアに対して、じっと視線を返すガークと呼ばれた壮年の男。
「まだ結論は出せませんが可能性はあると言えるでしょうな。
トミーの話を聞くに、大量の酔いどれ茸の毒の飛散していた事から毒の服への付着、そして冒険者との乱闘がキーポイントであると考えています。」
エリーに鞭でしばかれた等、いくら詳細な報告を求められたところで答える事も出来ず、冒険者の乱闘という言葉に置き換えて説明したのだ。
「つまり酔いどれ茸の毒と言われている物自体が『種』なのでしょうな。そして服の背中と尻の部分から集中的に茸が生えている事を見るに、蹴られたり等の衝撃、刺激が苗床に定着させる要因となった……もしくは成長させる要因なのかもしれないと考えております。」
そう言葉を口にしながらも確かめるように茸の生えた服を観察するガーク。
「それと汗等の染みこみも影響があるかもしれない所を見ると……水と塩分も関係するかもしれませんな……まぁ実際に生えているのですから、生育環境の組み合わせを準備して試験すれば養殖も可能となるでしょう。」
ガークの答えに満足そうに微笑み、大きく鼻から息を吐きだすソレア。
これまでに無かった新方向からの成果が自分の子飼いから得られたのだ。それも成果を出すと宣言したトミーが即日に。
それが誇らしく、そしてなにより自分の為に頑張ってくれた結果なのだから。なによりも嬉しく、気持ちが抑えきれず大きな鼻息となっていた。
「言ったと思うが、その場にはシコルスキー家の者や……エムネン家の者も居た。同様の事を経験しているだろうから、茸が生えてるだろうし、きっと他の家々も養殖に取り組むぞ。」
ソレアの鼻息を察し、トミーが再度の説明を念の為に行う。
だけれどもそれに対して余裕を持った表情を返すソレア。
「えぇ分かっているわ。ただねトミー。私は貴方よりもあの2家について詳しいの。
そうね、ことエムネン家においては探索者達にも小間使いが多く付けられているから貴方みたいに洗濯もせずに放置をする事はないでしょうね。
シコルスキー家については冒険者任せの事も多いと聞くし、茸が生えるかもしれないけれど、あそこは武人肌だからこそ、探索に関わる全てが冒険者任せなの。もしかすると茸が生えた事に気付いたとしても冒険者が価値に気づかず捨てるかもしれないわ。それに万が一家の者が気づいても養殖等の手間をかけるよりも、できる者に恩と一緒に押し付けるタイプの家よ。」
微笑ながら片眉を上げるソレア。
「つまり、我が家はシコルスキー家に恩を売られる心配が無くなったのよ。そして、よしんばエムネン家でも茸が生えたとして、やる事と言えばせいぜいが食料としての販売程度でしょう? でも我が家は違うわ。ねぇガーク。」
話を振られたガークがコクリと頷く。
「えぇそうですな。この酔いどれ茸の種……まぁ酩酊毒については薬に出来る可能性も考えられますな。
単純に思いつく使用法としては……頭が鈍くなることから自白剤なんかにも使えるでしょう。」
「そういうことよ。貴族同士の探り合いに使われている間者は戦々恐々ね。秘密を探りに来たつもりが逆に秘密を喋らされる事になるかもしれないんですもの。あぁ怖い。そしてそんな薬を私達が作り出すの。これがどういう意味か分かる?」
堪えきれず失笑するソレア。
ソレアの心底嬉しそうな様子に逆にゲンナリしたようになるトミー。
そんなトミーの様子に気づき、ソレアは少し慌てながら口元を扇子で隠し向き直る。
「とにかく。トミー、貴方はそういう有用な可能性を見つけたのよ。
成り行き次第では貴女がエムネン家との間で犯した失態を補えるかもしれない成果になるかもしれない。」
扇子を閉じるソレア。
「自分で発した言葉の通り、トミー。貴方は早速、私の役に立ってみせたの。だから誇りなさい。」
ソレアの真っ直ぐな瞳。
どこか漁夫の利を得た様な気持ちで後ろ暗かったトミーも、そのはっきりと言い切った言葉に悪い気はしない。
「……あぁ。」
褒められるのは、やはり嬉しい。
その褒める人間が誰であっても嬉しいものだ。
今日もダンジョンに潜ろうという気持ちが心の奥底から湧き上がってくる。
それと同時に、ただ深く潜るだけではなく浅い場所、ただの敵であっても沢山の観点から注意を向ける事が重要なのだと身をもって理解できた。
「それじゃあ俺は、またダンジョンに行ってくる。」
「え?」
気持ちが乗っている内に、しっかりと歩みを進めたかったのだ。
だが、ソレアにしてみれば意外だった。
成果を上げた者は、しばし休養を取るのが常だったからだ。
予想だにしなかった言葉に呆気にとられたようなソレアの表情。それがどこか面食らった時のエリーのような雰囲気を感じとられ、トミーはつい昔馴染みの面倒を見ているような気持ちになった。
「心配すんな。ちゃんと待ってろよ。」
まるでエリーに告げるように答えてしまっていた。
発してすぐにソレアに言葉を発した事、そして身分差を思い出し、何か言われる前に自分の表情から微笑を消してダンジョンに向かい歩きはじめる。
残されたソレアは、気が付けば扇子を開くことなく右手で口元を押さえていた。
まるで他の人に聞こえるのではないかと錯覚してしまうほどに胸が高鳴る。
自分に優しく微笑みかけ、そして自分の為に危険なダンジョンへと向かってゆくトミー。
ソレアは遠ざかってゆくトミーの後ろ姿から、目を逸らす事が出来なくなっていた。
--*--*--
一方シコルスキー家
「……なぁ、茸が生えてたんだが……お前はどうだ?」
「うむ……生えて……た。」
…………
「……この茸は焼いて食っても美味いぞ。」
「むう? ……よし、食お……う。」
「まぁ自分の服に生えた茸なんて食う気にならんが……えっ?」
「……」
「……食うか。」
--*--*--
一方エムネン家、当主執務室。
そこには普段着のメチヤとルークの真剣な姿があった。
「12階層の茸は危険すぎます。」
「うむ。色んな意味でな。しかし……中々によかった。」
メチヤの返答に対して気にする素振りも無く続けるルーク。
「エリーの記憶は無いようですが採取に耐えられるのがメチヤ様だけというのは難があり過ぎますので、ここはひとつ、あの茸は無視しましょう。」
「……あの茸があればエリーの鞭を思う存分ふるってもらえる事が分かったのは僥倖だったのう。やはり容赦のない無遠慮の鞭というのは、また一味違う。才能そのものを感じさせてくれたのう。」
一瞬だけ目を伏せるルーク。
そして黙った。
もう何を言っても駄目だコイツ。そう思っているのだ。
「しかしあの茸の破裂を見るに広がった毒が胞子であり茸に育つのだろうな……あの胞子を採取する方法、例えば先っちょを袋に入れて破裂させたら胞子だけを回収できはせんだろうか……」
胞子回収方法を模索し始めるメチヤ。
その真意は、エリーをムチの女王として覚醒させる毒……いや、エリーを覚醒させる薬剤として手に入れる為だろう事をルークはすぐに読み取った。
そして、あの狂乱と快感を思い出し、身体がぶるりと震える。
だがどこか甘美な震えを、すぐさま理性で押し留める。
「リスクだけが高すぎます。諦めてください。」
「むぅ……」
「そんなに気になるなら、いっそ酒でも飲ませればいいでしょうが。」
「それだ!」
くわっと目を見開き、動き出したメチヤ。
自身の失言に気づき慌てて止める為に動き出すルーク。
年端もいかない新人探索者を呼び密室で酒を振る舞う等、名だたる当主にあってはならない振る舞いだ。
「じょ、冗談ですから! メチヤ様っ!? メチ……お義父さんっ! ちょっと待ってくださいっ!」
この後エムネン家では、なぜか酒宴が開かれたのだった。