21話
「アっ、アっ、アォォオオンっ!」
頭の中に鳴り響いた鳴き声で目を覚ます。
目を開き視界に広がるのが見慣れた天井であることを理解してから、のそりと身体を起こすと、かかっていたシーツがはらりと落ちた。
身体を起こし裸が露わになってもぼーっとした頭は未だ夢の半ばにあり、しばらく暗い部屋の中で頭に響いた鳴き声が何だったのかを考えて過ごすと、ようやく昨日相手をした客の鳴き声。正確に言えば今日になった頃に鳴かせた客の鳴き声だったことにようやく気が付く。そして気が付くと同時に何故だかわからないけれどため息が一つ漏れた。
ようやく動き出した頭。
凝った肩を軽く動かすと、寝固まった筋肉や関節が鈍い痛みを返してきて、その痛みを切っ掛けにどんどん身体の目が覚めてくる。
ベッドの脇のサイドテーブルに乗せられたパイプに煙草を詰めてマッチを擦り、その火を煙草に移す。
二度、三度とパイプを勢いよく吸い、煙草から怠く重い紫煙が身体へと移り住む。
煙により一層億劫になった精神を味わいながら細く煙を吐きだしつつ部屋の様子を伺うと、部屋に差し込む光の加減から、夕方頃、いつもより少し早く目が覚めた頃合いだと理解する。
パイプを置いてローブを羽織り、ドアの鍵を外して開くと、すぐに何人もの男の視線が自分へと向けられた。
「いるわけない……か」
なんとなく少女がいる気がして扉を開いたのだが勘は外れていた。
男達の下卑た視線を気にすることなく扉を締め、再度ベッドに腰かけてパイプに手を伸ばし煙を吸い込む。
ベッドに倒れ込み仰向けになり口の力を抜くと顎が勝手に口を開き、肺にまで入っていた煙が口から立ち上るようにゆっくりと天上へと向かってゆく。
「エリーのヤツ……うまくやってんのかねぇ。」
ムチのスキルを持ち技を教えて欲しいと頼みに来た少女。
自分の心に何かを取り戻してくれた少女を思い出して一人ごちる。
彼女は自分のスキルが鞭であるにも関わらず、まったく絶望していなかった。そして純粋だった。
その姿と比較するように自身の昔の姿を思い出し、そして自分のスキルに向けられた奇異を見るような視線もまた同時に思い出す。
「まぁ、あたしのスキルと比べれば可愛いもんだけどさ……」
向けられた視線を思い出すと同時に思い起こされるスキルを受けた時の記憶。
『夜の女王様』
長い時間をかけた検討の結果、このスキルを宣告された。
蝶よ花よと育てられ、何不自由なく文武両道を志した子供時代。誰しもが美しさを称え、優しい言葉をかけてくれた時間だった。だが、それはスキルを受けた時から一変した。
10歳の子供であるにも関わらず、男も女も皆、スキルが知れ渡ると同時に自分を見る視線が大きく変化したのだ。
一度そう見えてしまうと全てがそう見えてきてしまう。
称える言葉の裏を、優しい言葉の裏を、笑顔の裏の表情を。その全てが子供にはとても恐ろしく思えた。
そんな視線にも4年は耐えた。だけれど、それ以上は耐えることはできなかった。
気が付けば家を飛び出し、自分のスキルに誘われるように夜の街へと身を落としていた、そしてスキルは夜の街で、いかんなくその力を発揮した。
ただ少し思っただけで勝手に身体も口も動き、夜に関わる人間達をいいように動かすことができたのだ。家からの追手なんかが家に連れ戻す事を諦めざるをえない程に。
いつしか自身のスキルに身を任せていた。
小川に流される葉のように、大きすぎるスキルの力の中で自分自身の心はただ流され続けていた。
自分がスキルを使っているのか、それともスキルが自分を使っているのか。気が付けばボンヤリとそんな事を考え、全てが虚しくなり、1人ひっそりと過ごすことを選んでいた。
そんな時に、あの子がやってきたのだ。
まるで朝日のような純粋な輝きを持った子。エリー。
そしてそんな朝日のような子は私に教えを請い、きまぐれにそれに応えた。
ただのきまぐれ。
だけれど、その触れ合いが自分の中に何かを取り戻させていた――
コンコン
ドアを叩く音が聞こえる。
早い時間だけれど、ドアを開けて外に顔を見せたから慌ててやってきたのだろう。
「あいよ……」
「姉さん。おはようございます。」
ドアの向こうから聞こえる少女の声。
朝日のような声ではなく、夕暮れの少女の声だ。
「開いてるから入んな。」
「失礼します。」
伏し目がちに頭を下げながら入ってくる少女。
着ている服はまだ馴染んでいない商売用の服。少女の容姿には合っていない。
顔を上げた少女は若干の緊張を宿した真剣な顔をしていた。
「今日はアンタ達に教える日だったけか……」
「はい。お手数をおかけしますが、どうか宜しくお願いします。」
「アンタ……飯はちゃんと食べたのかい?」
「はい。食べました。」
「はっ。うまくつけない嘘ならつくんじゃないよ。」
「…………すみません。」
サイドテーブルにあった革袋を少女へと投げる。
少女は突然飛んできた袋を慌てながら受け取ろうとするけれど落としてしまい、革袋から鈍色の硬貨が数枚こぼれ、慌てて拾い革袋へと戻した。
「あ、あの、姉さん……これは?」
「アタシは勝手に向かうからアンタは全員分の飯を買ってきな……腹減らしてちゃあ折角アタシが教えてもすぐに忘れちまうからね。」
「あ、有難うございますっ!」
「ふん。身体が育つ時期にちゃんと食わないと、育つもんも育たないさ。アタシも食うんだから足りない量とか、混ぜもんの入ったケチなもんなんか買ってくるんじゃないよ? 運ぶ手がアンタだけで足りなけりゃアタシの名前を出し持ってこさせるんだね。ほら、さっさと行きな。」
勢いよく頭を下げて出ていく少女。
パイプを手に取ると、思い出に浸った時間と、夕暮れの少女と話をしていた時間のせいか火が消えていた。
「はぁ……行くと言った手前、ちゃあんと行かないとねぇ……」
まだ客を取るには早い少女達が金を稼ぐ方法を教える。
夜の住人を駒として支配し使う夜の女王様らしからぬ偽善者のような行為。
だが、だからこそスキルに使われている自分ではなく自分自身が生きているのだと実感する事が出来るような気がした。
「さぁて、とりあえずは緊縛と、じらし方でも教えようかね。」
一つ伸びをしてから服を纏い、夜の帳が降りはじめる街に向けゆっくりと動き出すのだった。
--*--*--
「ひぃいいい!」
その頃エリーは怯えていた。
腰が引けた状態で、キャットオブナインテイルを両手で持って、なんとか腕を前に伸ばしている。
「まぁそうなる気持ちは分かるのう。」
「ですね。蛇とかと違う嫌悪感がありますから。アレは。」
ダンジョン6階層。
ウニウニと動く直径20センチ、長さ60センチはありそうなミミズのようなワームがじりじりと距離を詰めてきているのだ。
「ひぃいいいいーーー!!」
手がプルプルと震えだすエリー。
エリーは田舎生まれで農作業も手伝った事があるから虫に耐性は多少ある。
だけれどもそれは多少でしかない。嫌いだけれど我慢できるくらいだ。それがとてつもない大きさで迫ってくれば絶望的な嫌悪感しか沸かなかった。
「いやぁああーっ!!」
もう見るのも嫌な気持ちが暴走する。
キャットオブナインテイルが汚れてしまうような気もしたけれど、それ以上に近づいてくる虫が嫌。とにかく攻撃だ。
手を振るって振るって鞭を振るう。
ビシビシバシバシと鞭が四方八方からワームを襲った。
だけれども打たれているワームはまったく気にする素振りも無く、その頭をゆっくりと起こす。
「いっやぁあぁあーっ!!」
ちらりとその様子を見ながらエリーは、更に力を籠めてただただ手を振るう振るう振るう。
バシバシバッシバシとワームに当たる鞭。
だけれどもワームは全く効いていない様子。
やがて起こしたワームの頭にピリっと縦に走った裂け目がどんどん深くなってゆく。
「むっ!? これはイカンな。」
それを見たメチヤがすぐに動いた。
ワームが粘糸を吐きだすつもりな事に気が付いたのだ。
エリーとワームの間に割って入った瞬間にワームから吐き出される粘糸。
ブビュビュビュッビュッビュ
「いっやぁあぁあぁあーーっ!!」
「おっ、オっ、おっ、オっ、おっ、オっ、おっ、オっ、おっ、オっ」
まったく見ていないままに鞭を振るい続けるエリー。
四方八方からメチヤの背中や尻目がけて渾身の力で振るわれるエリーの鞭。
メチヤの表は粘糸だらけ、裏はムチだらけだ。
「う~ん。ワームに対してはエリーの鞭は効かない……と。嫌悪感の関係かな? まぁ、とりあえず検証はできたか。」
義理の父が無残にエリーにムチ打たれている光景に目もくれずワームを切り飛ばすルーク。
「それにワームは別にエリーに叩かせなくともワームの粘糸の回収も可能だから、敢えてわざわざエリーに叩かせる必要もない……と。となれば、この階は無視で良いな。」
「いやいや、いっやぁあぁあぁあーーっ!!」
「おっ、オっ、おっ、オっ、おっ、オっ、おっ、オっ、おっ、オっ」
一人納得するルークの後ろで粘糸まみれのメチヤが変な声を上げ続けるのだった。