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19話


 何度駄犬をっても気が治まらない。

 この駄犬の行いに対しての怒りが大きい。だけれど焚きつけて放置した自分に対する怒りも、ほんの少しない訳でもなかった。


 あらかじめ情報を得ていてからこそ駄犬が暴走する可能性がある事は理解していた。

 だからこそ私のペットの誰かしらを目付に付けるつもりで、その目付け役を誰にするかの選定をしている段階だったのだが、駄犬の行動が早すぎた。まさか焚き付けてすぐにエムネン家当代を襲うなんて思いもよらなかった。せめてエリーを見つけて話を聞くくらいだろうと高をくくって、その高が違い過ぎたのだ。


 エムネン家がその場で無かった事にしたからこそ大きな問題になる事は無かったけれど、これは借りを作ってしまったのと同義。誰も見ていなかったのなら知らぬ素振りもできた。

 だけれどエスデス家を継ぐ最有力候補である姉の子飼いの探索者が運悪く居合わせてしまい、全てを姉に報告してしまった。


 私はこの駄犬から報告されるよりも先に、あの姉から嫌味たらしく聞かされ、さらに慰めの言葉までかけられたのだ。こんな屈辱があるだろうか。


「んーっ!」


 声が漏れる程に力を込めて扇子を返し駄犬の頬を打つ。

 ありったけの力で打っている私に対して打たれている駄犬は声の一つも漏らさない。無気力にただ打たれるだけ。

 もうこの駄犬は打っても効かず自分の手の方が痛んでいるとさえ思えてくる。


「あぁもうっ!」


 最後に扇子を駄犬の頭めがけて投げつけて踵を返し、椅子に戻って腰掛ける。

 扇子を握っていた手の平、そして手首のあたりまでじんじんと痛み、それがまた腹立たしい。


 同じ場所を巡り続ける恨み言から思考を切り替え、自分のこれからを少しでも良くする方法を考える。


 今の状態から挽回して家督を継ぐことができるようにする為には大きな成果が必要になるだろう。

 姉の成果はエスデス家の戦力は兄弟姉妹で4分割されているにも関わらず30階層に至り、そこで希少な宝石を発見した事が大きい。

 宝石はすぐにお父様が王都に献上に向かう程に希少だったと聞かされた。それ以上の情報は私は手にできていない。


 だからこそ皆が驚き王都の献上品に相応しいと認められる物を手にすれば、まだ首は繋がる可能性はある。まだ完全に潰えたとは言えないはず。


 だけれど最下位を走っている私のペット達は皆、やる気などないだろう。そうなるのも分かる。ペット達だってバカではない。どうせ私に媚を売っても無駄になると判断したのであれば、危険の多い無茶な探索はせず当たり障りない探索をするだろう。そうしていれば、いずれ私ではない誰かが家督を継いだ時に部隊が再編され、そこから本気を出して功績を出せば良いと考えているはずだ。

 全員が全員そう思っていなかったとしても、パーティを組む4人の内の誰かがそういう考えを持っていたとしたら30階層に挑むことなどできない。

 そう考えるような者を抱えながら挑める程、甘い階層ではないのだから。


 もちろん私がダンジョンについていくことなど出来ない。

 監視もできず、地上で飴と鞭を使うしかできないのに、今はその『将来の有望さ』という飴が無い状態になってしまったのだ。飴が無ければ、もう真剣に私の為に動こうと思う者はいないだろう。


 結論に行きつき、既に自分の打つ手がない状態に等しい事に気づいてしまい、肘掛けに肘をつけて頭を支えるけれど、力が抜け、そのままもたれかかる。


 私の指導者としての寿命は、この5年間の競争の間だけ。

 既に3年目に入っているから後2年で終わる事になるのだろう。


 どんどん諦めの気持ちが胸の中に広まってゆく。


 だけれども、やはりそれを認める事など出来ない気持ちがいかりのように底に突き刺さろうと心の中で踏ん張っている。


 ただ、踏ん張ってはいるけれど諦めの気持ちは、刺さるべき底をどんどん遠くしてゆく。

 競争が終わった後、18歳となった私が家督を継いだであろう姉により政略結婚の貢物として利用される未来を見せてくる諦めの気持ち。

 そしてもう、私自身が、どこかでそれもまた仕方のない事と受け止めていた。


 気が付けば怒りに満たされた心の内は凪いでいた。

 そしてその代わり、目の前に広がる世界はどこか色()せる。


 錨は、もう刺さるべき場所が見つけられなくなっていた。


「…………なぁ。」


 声に顔を上げ、見たくもない物に目を向ければ、膝をつき口から血を流している駄犬の姿がある。

 仕置き室として使っているこの部屋には、もう私と駄犬しかおらず、メイドや他のペットの姿が見当たらない事に今になってようやく気が付いた。


 おおよそ兄や姉の配下の者達と情報交換という名の交渉でもしにいったのだろう。

 駄犬に手枷をしているワケでもなく、戦闘系のスキルを有する駄犬が私に反抗したとしても止める者は誰一人としていない。


 そんな状況だけれど不思議と怖いとも思わない。

 というよりも、もうどうでも良いとさえ感じていた。

 むしろ駄犬がこの陰鬱な気持ちも全て壊してくれるかもしれないとさえ思える。


「なに? まだたれ足りない? 私もまだまだ殴り足りないけれど、悔しいかな貴方の顔より私の手の方が弱いのよ。」

「…………」


 ただじっとこちらに目を向ける駄犬を見下しながら思う。


 私をこの状況に追い込んだくせに。

 私に殴られ続けたくせに。

 なぜこの駄犬は私に対して怒りひとつ無いような視線を向けてくるのかと。

 その無垢とも言える視線に私は再度苛立ちを覚えずにはいられない。


「貴方程度のおつむだと、まだ貴方がどれだけ悪い事をしたかすら理解できていないのかしら? 流石は駄犬ね。」

「それは理解できた……アンタにはすまなかったと思っている。」

「口のきき方も忘れるとは、やっぱり駄犬ね。貴方のせいで2年後にはどこかの肥え太った豚の愛玩道具と成り果てる事になった私だけれど、まだ貴方の主人なのよ。『様』をつけて呼びなさい。『様』を。」


 『愛玩道具』という言葉に反応したのか、目をくわっと見開く駄犬。


「……すまなかった。」


 しゅんと落ち込んだように顔を落とした駄犬。その様子が不思議に思え、存外私の事を気にしているのかと一瞬だけ考えた。

 でもすぐに、この駄犬を焚き付ける時にエリーという幼馴染を利用して焚き付けた事を思い出す。

 どうせ私の事を考えたのではなく、そのエリーが愛玩道具として使われる事を私と重ねたことで罪悪感が生まれたのだろう。その考えに至り『どうでもよい』という気持ちが一層深みを増してゆく。


 言葉を続ける気持ちにもなれず、背もたれに身体を預けてぼんやりと薄暗い部屋の天井を眺める。


 これから私はこんな気持ちのまま生きていくのだろう。

 ただの駒として、誰にも期待もされず、誰かに期待することも許されず、ただ『エスデス家』という名前の付いた人形として生きるのだろう。


 そう思ったその時、自分の右頬を何かが伝う感触がした。

 だけれど、それすらも既にどうでもよくなっていた。


「どれだけだ。」

「……なに?」


 再度聞こえた駄犬の声に微かに首を傾げて目を向ける。すると、また目尻から何かが頬を伝った。


「成果を上げさえすれば……いいんだろう?」


 また真っ直ぐと私の方を向く駄犬。

 さっきと違い、今度は私を見ているような気がした。

 ようやくちゃんと私を見たのかと思えた。


「成果ね……ええそうね。ふふっ、貴方が王都に献上するにふさわしい様なものを持って帰ってくれば可能性はあるでしょうね。」

「わかった。」


 私をまっすぐに見据えて、そう答えた駄犬。

 私はその姿に思わず頬が引くつく。


「わかった……ですって? 何を分かったと言うの? 貴方のような駄犬が姉のお抱え探索者のように30階層まで潜れると? 貴方のせいで私の子飼いの者達の協力もあてにならないのよ?

 ええそう! 貴方のせいでね! 一人でダンジョンに入り成果を得るつもりだとでも言うの?」

「あぁ。そのつもりだ。」


「はっ! 貴方本当におつむも弱い駄犬だったのね。単独でのダンジョン攻略で10階層を超えてごらんなさい。よくて死ぬ。悪くても死ぬわ。」

「なんとかしてみせる。」


 私は真剣に馬鹿の相手をしていた事に気づき、再度背もたれに身体を預ける。

 ただ、私の心の底に残っていた錨が、少しだけ海底に刺さったような気がした。

 その錨が私の顔を動かし、再度駄犬に目を向けさせる。


「……私が出来る事は私の子飼いからの情報集め……それと、もう役に立たない荷物持ちの手配くらいしかできないわよ?」

「十分だ。」


 揺るがない瞳。

 私を見る、濃い茶色の瞳。

 実績も無いただの子供の戯言。夢見がちな妄言。


 だけれど今の私には、なぜかそれがとても心地良かった。


「分かった……この際、貴方に期待してみるのも悪くないかもしれないわね。どうせ終わるのだし。」

「俺は英雄になる男だ。約束は守る。」

「口だけじゃない事は、きちんと証拠を見せてからにしてちょうだい。」


 駄犬……トミーは私の言葉を聞いて立ち上がり、口から流れていた血を拭った。


「もし俺が成果を上げたら、一つだけ頼みたい事がある。」

「なに?」


「……エリーを取り戻すのに協力してほしい。」

「分かったわ……約束しましょう。」


「ありがとう。10階層までに出てくる敵やアイテムの情報を集めておいてくれ。俺はすぐにダンジョンに潜る準備をする。」


 トミーはすぐに扉に向けて動き出し、そして部屋を後にした。


 私は望みが繋がったような気持ちになりつつも、なぜか自分の片眉と頬が意思に関係なくピクリとひくつくように動いたことが気になって、指示を出すのが遅れるのだった。


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