08.夢のはなし
「……なんやねん、アレ」
団子を食べに店を訪れた大地少年は、二人の様子に顔を歪ませた。
少年の前にいるのは、この店の看板娘と、この町でも有名な道場の三男。
娘はいつもなら元気で可愛らしい笑顔を浮かべて接客しているのだが、今日は照れた様子で頬を染めて接客中。時折、普段なら絶対しないような間違いをしていたりもする。
そして、そんな彼女を目で追っていたにも関わらず、慌てたように目を逸らし、照れながら笑って、青年は頭や頬を何度も掻いている。
「アカンわ」
少年はふううと思い切り息をつき、奢ってもらっている団子を頬張る。
相変わらず団子は美味く、味付けされた甘い醤油が香ばしい匂いを食べたあとでも漂わせている。もぐもぐと咀嚼しつつ、再びちらりと一瞥。
「…」
「……」
そこではやはり、目線が合うなり、二人して頬を染める。
そんな二人を見て、大地が顔を顰めたところ、隣にどっかりと腰を下ろした男が来た。
「何、あの二人。いつもと雰囲気違くね?」
座ったのは、綾菜の幼馴染ということで店へよく通っている将幸。おかげで、団子をよく買いに来る大地とも顔見知りになった。
特に大地は物怖じしない口調と態度だからか、強い印象を与えるわけで一度で顔を覚えられる。
将幸もまたそんな理由で少年の顔と性格を記憶し、気を配ることもなく隣へ挨拶もなしに座ったわけだ。
「昨日な、朝陽兄ぃが親父とやりおうたんやて」
「え!!」
大地用にと置いてあったお茶を勝手に口へ運び、啜りながら彼は目を丸くした。
目を向けた場所にいる朝陽が、団子を持ってきた綾菜と話をしている。それはこれまでのような雰囲気とは少しばかり違い、幸せそうなそれが漂っている。
「そうなん?」
「マジやで。綾菜姉ちゃんのこと知られてしもてん。そんでな、親父に認めてもらおとしたんやて」
「ふーん…てことは朝陽さんが勝ったってことだよな。それは良かったなぁ…、あーちゃん、嬉しそう」
「そやな」
綾菜を見た将幸が、ぽつりと零すように呟く。羨ましいという気持ちもその表情からは感じられたが、それ以上に安堵のものが強い。
綾菜の幼馴染という情報以外この将幸のことを大地はほとんど知らないけれど、大事に思っているということはよく分かる。というか分かりやすいほど、態度に示している。
幼馴染とはそういうものなんだろうか、と大地はぼんやり思いながら、また朝陽を見た。
将幸がそんな態度な上、綾菜の気持ちに気づきもしていなかった朝陽が一人勘違いして、苛立っているのを数度見かけたことがあり、頭の中で笑ったものだ。
けれど、でも。
綾菜には世話になっている。だから、幸せそうな様子が嬉しい、という将幸の気持ちもよく分かる。
嬉しくて、幸せで、浮き足立っているから、失敗をする綾菜。だが、さりげに朝陽は時折手を出して助けていたりして、それがまた頬を染める理由になる。
「…なんや、むしゃくしゃすんな」
「なんでだよ、八歳児」
再び人の団子に手を出し、将幸が顔を顰めている大地へ笑いながら尋ねると。
「知らんわ。つか、何、人の団子食うてんねん! 金払えや!」
「へいへい」
苦笑しながら将幸はここで初めて、綾菜を呼んだ。名を呼ばれ、初めて来ていたことに気づいたらしい綾菜は、幼馴染のほうへと小走りでやって来て、照れた様子ではにかむ。
「ご、ごめんね! 遅くなって! 注文だよね、何にする?」
「綾菜姉ちゃん! 聞いたってや、将幸な、人の団子に無断で手ぇ出したんやで! どない思う?!」
「え、そうなの? そっか、ごめんね、あたしが来るの遅くて…」
困り顔で綾菜が謝る。
頭を下げたその背後から、殺気を感じ、大地と将幸は殺気を向ける男へ目を向ける。
綾菜が一等大事らしい彼にとって、どういう理由があれ、頭を下げさせることは腹立たしいことに繋がるようだ。
「謝ることないで、将幸が悪いっちゅーだけやしな」
「おれが悪者かい。ま、良いけどよ。あーちゃん、三色団子お願い」
「はい」
三色団子、というのは白い普通の団子とお茶を混ぜた茶団子、そして乾燥させた桜の花を使っての薄桃の団子の三つが入っているもので、店の人気商品の一つとのこと。
綾菜は頷き、注文を伝えるため厨房へ。
それを見計らい、大地は長椅子から立ち上がったかと思うと、朝陽のいるところへ近づく。最後になってしまった団子を頬張りながら。
近づく気配に気が付いて、朝陽は厨房へ行ってしまった綾菜の背を見ていた視線を外し、少年へ目を向ける。
「何?」
「勝ったん?」
これだけで意味を理解したのだろう。朝陽は照れた様子で頷いたあと、少しだけ真顔になると呟いた。
「…ま、たぶん、手を抜いてもらったんだと思う。なんていうか…父上の実力はあんなもんじゃなかったし」
「強ぅなったてことやろ?」
「違う。絶対」
昔から刷り込まれた情報というのは、なかなか変えられない。特に父親なんてものは、「強い」だの「恐ろしい」などと感じ続けていれば、そういう風にしか頭が働かない。
大地と同じように朝陽の近くへやってきていた将幸はそう頭の中で考え、苦笑していると。
先ほどまでの幸せそうな表情を消し、朝陽は目を伏せた。
「それに、認めたわけじゃない。…許婚も、結局そのままだし」
「そうなんやな。勝ったんやし、結婚すると思うとったわ」
「け、結婚て…」
ぐわぁ、と朝陽が耳まで赤くなってその言葉を復唱。
それを見て、にやりと将幸が悪戯じみた笑顔を浮かべた。
「何? 立場的に無理っぽいけど、実のところ、そういうことを妄想してたってやつ?」
「なっ」
「助平なことも考えてたんだろ!」
「あー、そうなんやー、妄想してたんかー、助平やー!」
将幸と同じ表情で大地が笑う。朝陽はますます赤いが、膨れた顔で文句を口にする。
「お前らな!」
否定はないので、想像はしてたらしい。
怒る朝陽を中心に男三人がけたけたと笑いあっていると、三色団子を持った綾菜が微笑んでやって来た。
「楽しそうですね」
「うん、あーちゃん。実はねー!」
「何喋る気!?」
ぎゃあ、と何かを言いかけた将幸へ、朝陽が慌てて真っ赤なまま声を荒げる。
そんな様子に大地はお腹を抱えて大笑い。
綾菜は話が見えないためにきょとんとした目を浮かべていたものの、くすりと笑みを浮かべて朝陽と将幸の会話を聞いていた。
それから暫くは仕事をしつつも会話に加わる綾菜と男三人は笑い合っていたが、まず大地が兄が帰る頃だからと帰宅し、そのあと将幸も行かなくちゃいけないところがあると帰っていった。
まだここで綾菜と話をしたいと思ってはいても、さすがに店を閉めるとなればここには居られないので、朝陽も実家へ戻ることに。
「…じゃあ、明日もまた来るね」
「はい。待ってますね」
片付けをする両親に見送るよう言われ、綾菜は歩み寄り言う朝陽を見上げ、微笑む。
空からは夕日が差し込んでいる。
頭上ではカラスが何羽も山へと向かい、鳴いて飛んでいく。
人が家路を急ぎ、早足で通りを歩いていて。
そんな中、朝陽は別れたくなくて、微笑む綾菜を見つめたあと。
意を決したように、手を広げ。
自分よりずっと小さい彼女を抱きしめた。
「…っ!!」
引き寄せられた身体が固まる。
声なく驚いている綾菜に、彼はこの距離でしか聞こえない声で囁いた。
「昨日も言ったけど。好きだよ」
綾菜の顔が真っ赤に染まる。
そして恥ずかしげな様子で、硬直していた身体を僅かに動かし、小さく頷いて。
「あたしも、好き、です」
それだけ言うと、相当恥ずかしいのか、朝陽の胸に顔を埋めてしまった。
朝陽は頭の中で言葉にならない声で叫んだあと、ぎゅうう、と強く抱きしめる。その急な行動に綾菜が驚いて「ど、どうされたのですか?」と慌てた声で問いかけてきたが、止められなかった。
それでも、いつまでも抱きしめてはいられないから、少しだけ間を空けて手を離す。
本当に、名残惜しげに。
「帰るね」
こくりと頷いた綾菜へ笑って、朝陽は踵を返した。
頬の温度は信じられないほど熱い。火に当たっているかのように、火照っている。
綾菜も同じような気持ちだといい、と願いながら、彼は抱擁の余韻がまだ残る手のひらを握り締めて、一人呟いた。
「夢みたい」
綾菜も自分を好きだといってくれるこの状況が夢のようで、足がふわふわとする。
振り向くと綾菜がまださっきと同じ場所に立っていたから、立ち止まり手を振ると、彼女から振り返された。
そうやって嬉しくて幸せでたまらない朝陽を見送る綾菜もまた、一人手を振り返しながら呟いていた。
「…夢かもしれない」
まだ今の状況が嘘のようで、夢のように感じられて彼女はほおと息をつく。
ただ、抱きしめられたことは夢じゃない。
全身が熱くて、発火したような感覚がまだ残っているから。
あの言葉を囁かれた耳が今も熱を持っている。
夢として終わりませんように。
そう祈りながら、綾菜もまた姿の見えなくなった朝陽の道から目を外し、自分を呼ぶ母親へ返事を返して、店の奥へと入っていった。