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春よ、恋  作者: 音穏
5/10

05.触れるか触れないか

「よぉ!」

 相変わらず青海屋へ足を運んでいた彼の真正面から、幾つかのあんころ餅を頬張りながら歩いてきたのは、見覚えのある男。何故か満面の笑みで餅を持っていない側の手を挙げて、挨拶をしてきている。

「…」

 それを迎えるのは、顔を歪ませた男、朝陽。

 ついでに口元も歪んでいるのだが、それらを気にも留めずに男は先日と同じ紺を主体とした白の格子柄の流しを身に付けていて、先日よりも袖は草臥れている。

「何でそんな顔すんだよー!」

 あははは、と笑う彼の名は、将幸。絵描き志望という、朝陽の愛しい彼女の幼馴染だ。

 それだけでも面白くないというのに、呼び合っている呼称が全くもって許せない朝陽にしてみれば、滅多に出来ない武家以外の知り合いだけれど、思わず身構えてしまう。

「なに」

 だから思わず、眉間を寄せたままで朝陽はそう口にした。

 …尋ねたくないのは山々ではあったが、好きな綾菜の幼馴染。やはり邪険には出来ない。というわけで、朝陽は形上、尋ね返した。というより、武家の人間へ対して、これほどに遠慮なく声を掛けてくる人間も居ないのだが。

「うん、まあ、今からあーちゃんトコ?」

「そう」

 だから邪魔しないでくんない? …という言葉が裏に隠れているのには、やはり将幸は気づかない。

「そっか、んじゃ、おれの相談に乗ってよ!」

 んじゃ、の意味が分からないんだけど…!

 朝陽の脳内には、そんな言葉が響く。

 持っていたあんころ餅を食べ終えたらしい将幸は、白い粉のついていた手を袖で適当に払ってしまうと、その手で朝陽の背をぐいぐいと押す。

「ちょ、何の相談? ここで話せないようなことなわけ?」

「そうそ、おれってさ、神経質で~!」

 けたけたと笑いながら、そんなことを言うヤツは神経質ではない。断じて。

 …朝陽はそう思いながらも、『朝陽は相談にも乗ってくれない男だ』と綾菜に彼から伝わるのが本当に嫌で、強引な将幸の行動にも渋々応じた。

 そのまま、綾菜のいる店へ背を向けて…つまり朝陽にしてみれば、今来た道を戻って。

 自宅である屋敷を越えて、町の周囲に存在する山々の中で唯一水源があることで水神のみくまり様の祠がある麓までやって来た。

 その山から流れる川のほとりで、将幸はようやく押していた手を離して。

「すまねぇな」

 苦笑して、そう謝罪する。

「良いけど…それで、何?」

「ああ…」

 崩れたわけではないけれど、襟を正しながら朝陽は尋ねた。

 それに返ったのは、どこか戸惑うような、躊躇うような、消え入るような声で。

 初めて、本当に込み入った話なのかもしれない、と朝陽は感じた。

「どうしたのさ?」

「ああ、そうだな…なんていうか………真面目に答えてくれっかな、朝陽さん」

「相談と質問によるよ」

 苦笑して頭を掻く将幸に、朝陽は息をついて辺りを見回す。

 今のところ、周囲には誰も居ない。ここ最近からすると随分暖かな日差しが差し込んでいる日なのだが、子供が遊んでいる光景もない。

 まあ、町から少しばかり離れた場所だからなのかもしれないが。

 朝陽の回答を受けて、将幸は眉を寄せて悩み顔を浮かべてから。

 意を決したように、口火を切った。

「女を買うのって幾らか分かる?」

「………………………悪いけど帰らせてもらう」

 怒り顔になった朝陽がくるりと踵を返して川のほとりを歩き出すので、その背に将幸から謝罪が再び届く。

「ゴメンて! 聞き方悪いよな!」

 そしてその直後に、どうしてそう言ったのか、の意味が朝陽は分かった。

「えーと、…実は幼馴染をさ、たまたま…町で見かけて声掛けたら……売られたみてぇで遊女しててさ」

「…」

 綾菜の幼馴染である、将幸。

 つまり、その彼の幼馴染は、綾菜の幼馴染でもあるわけで。

 踵をまた返して、改めて将幸に向きかえる。そこには、いつものようなおちゃらけた様子は微塵もなくて、どこか思いつめた表情があった。

「身体…壊してるみてぇなんだけど、ああいうトコ、医者にも診せてくれねぇだろ? …アイツ、今にもぶっ倒れそうなのに、借金がって言って…今も、……その、身売りててさぁ」

 段々と弱まる声。

 本当に困っていて、本当にその幼馴染を気遣っているのがよく分かって、朝陽はどう言葉を掛ければいいのか分からず、口を噤んだ。

 だがすぐに目の前の彼は勢いよく顔を上げて、朝陽を真っ直ぐに見る。

「助けてぇんだ、どうにかして、医者に診せて治してやりてぇんだ。なあ、朝陽さん、幾ら金を積めば助けられる?」

「……分からないよ、そういうのってやっぱり借金次第、ってこと、だろうしさ」

 その返しを聞いて、彼は思いつめた表情のまま小さく呟いた。

「だよなぁ、分かって…たんだけど、…やっぱ、人に言われると心臓痛むな」

 ははは…、と最初見たときとは大違いなほどに弱々しく将幸は声だけで笑うと。

 近くにあった岩に身体を預けて、俯きながら大きな息を吐いた。

 そして両手を腹部の前付近で広げたあと、強く握り締める。

「この手で触れることは出来るのに、抱きしめることは出来るのに、助けられない」

 どきり、と朝陽の心臓が大きく鳴った。

 彼と朝陽は逆。

 不意の接触はあるが、愛情を露にして触れられない。

 けれど、買出しを手伝うことも出来るし、一緒にいるとき困っていたら庇ってやれる。それが彼女にとって助けになっているかは…自信ないが、何かすることは出来る。自己満足だとしても。

 それが出来ないのは、同じように好きな相手がいる男として、心から悔しくてやるせないのだとよく分かった。

 もし逆の立場なら、自分はどうしただろう。

 家が傾いたとしても、もしかすると跡を継いで、金を積んで、彼女を助けたかもしれない。

「…金無いんじゃ、身請けも出来ないしね」

「そうなんだよ…やっぱ、世の中、金か」

 はあ、と重いため息。見える横顔は思いつめている。

「けどさ……せめて、出来るだけ一緒にいたらさ…困ってるとき、…手、差し出せるよね」

 綾菜が金に困っているようには、今のところ見えない。

 いつも笑顔。いつだって、自分を出迎えてくれる。柔らかな雰囲気と共に。

 けど、自分が何かしてあげているかというと、…出来ていない。

 結局、将幸と同じ。

 立ち止まって、息をついているだけ。

 今の関係が壊れて、今以上の距離が出来てしまうのを恐れているだけ。


 そんなことでは、何もしてやれないのに。

 好きになった愛しい人に。


「だよなぁ」

「不安な彼女を、抱きしめてあげることも、出来るし」

「…ああ」

「そうすることで、その子を救えてやれるかもしれないよ」

「……そうだよな」

 納得している風の将幸を、朝陽は見て。

 彼もまた、右手を固く握り締める。

 好きな人のためにしてやれること。

 それはきっと今の朝陽には数少ない。もっと近くにいかなければ。

 触れても抱きしめても、問題ないほどの距離にならなければ。

「朝陽さん、あんがとさん! なんか、出来ることしてやるよ。当面は、借金返済のための資金として、アイツんとこに通う!」

「……がんばって」

 女を買うために通うことへ、がんばって、も何もないのだけれど。

 自分なりに見つけた答えなのだろうから、朝陽はあえてそれ以上何も言わずに、ただ応援の言葉を口にした。

 そのあと、その幼馴染のところへ行くという将幸と別れ、朝陽はもう一度、綾菜の店へと足を向ける。

 町を通り、川のほとりには少なかった人間たちの波を掻き分けて。

 見慣れた看板を目にして、ほお、と息をついた。

 すると、

「朝陽さま、こんにちは。今日は遅かったですね」

 店先から、綾菜の声が掛かった。柔らかい笑顔と共に。

 こうやってすぐに自分を見つけてくれることを考えると、彼女も多少は自分を好きでいてくれる、と期待して良いかもしれない。

 けれど、形にしなくては、分からない。

 こればかりは口にしないで意思疎通など、難しい。

「うん、まあね」

 綾菜の言葉に笑顔で頷いて、大きめの長椅子に腰掛ける。ちょうどその椅子には他の客が二人居たけれど、距離は開けていたし、綾菜しか見ていない彼にとって相手の性別などどうでも良いことで。

「何になさいますか?」

 そう問いかける綾菜を見つめる。

「今日はね、あんころ餅かな」

「朝陽さまもあんころ餅ですか?」

 くすくす、綾菜が笑う。きっと午前中に、将幸がそれらを買いに来ていたのだろう。

「うん、そう」

 笑う綾菜に釣られて、朝陽も笑う。

 受けた注文を奥へ伝えに行く綾菜を見送り、先に出されたお茶を飲む。

 暖かい湯気が上がって、身体の芯から温まる。

 遠くで綾菜を呼ぶ客の声。大きく返事をして、彼女は店の奥から移動していく。

 それらを見て、朝陽の顔は不思議と綻ぶ。

 一生懸命な綾菜の傍にいたい。

 真剣にそう思っている。

 ただ、身分のことがある。父親と母親が許すはずはない。しかも、兄たちも含め、朝陽も、許婚までいる。

 綾菜のために、それらを捨てても後悔しないか。

 彼女にとってその行為は迷惑ではないのか。

 何度も自問自答する。

 迷惑かどうかは、聞いてみなくては分からないが、きっと。

 親と縁を切っても、後悔しない。

 綾菜と一緒に居られるのならば。触れて、抱きしめて、困っているとき支えてあげられたら…どんなに倖せか。

「朝陽さま、はい、どうぞ」

「…っ! あ、うん、ありがと!」

 いきなり脳裏に飛び込んできた声に、朝陽は慌てて餅の乗せられた皿を受け取る。

 そういえばあんころ餅は初めて食べるな、と思いながら口にしたそれは、想像より甘くて、どこか懐かしい味がした。

「美味しいね」

「ありがとうございます」

 にっこりすると、笑顔が返る。

 触れられる距離に、近づこう。

 そう心に決めながら、朝陽は二つ目の餅を口に運んだ。

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