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春よ、恋  作者: 音穏
3/10

03.落書き

 八雲町は大きな通りが二つ交差するように作られている。

 もちろんその大通りから細い路地はまるでクモの巣のように幾つも走り、行き交う人々が顔見知りに会うたび笑顔で挨拶を交わしている声が響く。

 そんな通りを、軽快な足取りで歩いていると、実家近くに住む女に彼は声を掛けられた。

「あら、朝陽さま、ご機嫌いかが?」

「あ、こんにちは。道場での鍛錬も終わって一息してるところです」

「まあ、ふふ。たまには身体をゆっくりするのも良いですわよね」

 にこにこと笑顔で女はそう言いながら、頭を軽く下げる。

 そうしてお供を連れ、家へ向けて歩いていくので、すれ違う。そしてそのまま二人は、背を向け合って目的の場所を目指す。

 見えてきた、長椅子が並んだ店。

 数人の客がそこの長椅子に腰掛けており、相変わらず繁盛しているようだ。それが、他人事のはずなのに、嬉しくて。

 今にも跳ねそうな足取りで進んでいた朝陽の足が、近づくことに速度を落とし。

 顔を認識できるほどの距離で、ぴたりと止まった。

 見えるのは、好きな綾菜の笑顔。それはいつものことだ。接客業なのだから、当たり前。

 最初遠目に見ていたときは、よく目にする日常のものなのだと思っていたけれど、…近づくごとにそれは違うのだと回転の速い朝陽の頭は理解した。

 仕事中の彼女の笑顔と、そこにある笑顔はほんの少し違う。

 たぶん、他の客は気づかないほどの、些細な違い。

「……」

 どう声を掛けようか、朝陽は躊躇った。

 いつもなら親しげに挨拶をするけれど、彼女の横にいる"男"が気になって仕方が無い。

 そこへ、先に綾菜が朝陽の存在に気づいて白くて細い手を振った。

「朝陽さま! 今日も来てくださったのですか!」

「あ、ああ…うん」

 頷いて。

 ちらりと彼女の隣にいる男を、朝陽は一瞥する。

 その目線を受け、男は軽く会釈をした。紺を主とした白の格子柄の着流しは、どこか幼げなその見た目に反し、大人びているが、少し草臥れている。黒髪は肩を僅かに超えるほどの長さで、後ろで一つに括られていた。

 その男が自分の隣へどうぞと左手で示したので、朝陽は戸惑いつつも指し示された長椅子に腰掛け、期せずして見知らぬ男と隣り合うことに。

「お団子は何になさいます?」

「あ、うん、えー、そうだな……茶団子、かな」

「はい。いつもと同じで、三本でよろしいですか?」

「あ、うん」

 にこにこと綾菜は頷いて、台所のある店の奥へと進んでいって、彼はまたもや予想外に隣の男と二人きりになった。

「どうも。おれ、将幸まさゆき

「…どうも。オレは朝陽だよ」

 名前はどうでも良い。

 どういう関係だ?

 彼の頭の中はそんなことしか今浮かばない。特に睨んでいるつもりなどなかったのだが、将幸と名乗った男は挨拶をした朝陽を見るなり、表情を崩して噴出した。

「ぷはっ! っと、いきなり笑って失礼! けど朝陽さん、おれのこと仇みたいに見てんね!」

「え」

 そんな目をしていたのか、と朝陽は慌てて表情を変える。

 それがまた男には可笑しかったようで、幼げな顔をますます幼くさせるように笑って、続けた。

「別に、おれ、仇になるようなことしてねーんだけどな」

「…」

 だから、どういう関係?

 朝陽の頭の中は、やはりその言葉しか浮かばない。

 普段、綾菜が仕事をしているときの笑顔に別段大きな違いはなさそうに見えても、この将幸という男へ向けたものは違った。

 どこか特別感のある。

 そんな。

「……」

 …そこへ、店の奥から綾菜が一つの皿を持ち、戻ってきた。それはどうやら朝陽へのものではなく、彼の隣にいる男のものらしい。

 綾菜は将幸の隣へたどり着くと、目を細めて皿を差し出した。

 そこには七つ、餅が並んでいる。

「まーちゃん、はい」

「あんがと、あーちゃん」

 …まーちゃん?

 ……あーちゃん?!

「…!?」

「ど、どうしたのですか?」

 朝陽がその長椅子から立ち上がって、将幸を真正面から見つめる。

 それに綾菜が戸惑いつつも、声を掛けてきて……始めてそこまでした一連の行動が、自分の無意識下であったことに気が付いて。

「べ、別に! うん、気にしないで」

 取り繕うように朝陽は男の隣へ、再び腰掛けた。

 将幸側になる右腕が、ぴりぴりと神経の逆立つかのような感覚が彼はして、気持ちが全く落ち着かない。

「綾菜ー!」

「はぁい」

 店の奥から掛かった母親の呼び声に綾菜は返事を返すと、慌ててそちらへ足を向ける。

 そうしてまた、この場には、朝陽と将幸、二人だけ。

 白い皿の中にあったあんころ餅が今ではもう五つになっているので、どんどん食べ進めているようだ。

 彼にとって三つ目のあんころ餅を口に放り込んでから、将幸はそれを咀嚼し、飲み込んでしまうとお茶で喉を通す。ぷは、と息をするように吐き出してから、長椅子の前に足を投げ出して無言の朝陽へ話しかけてきた。

「朝陽さんてさ、あーちゃんのこと、好きなんだね」

「…だったら、どうすんの?」

「だから、そんな敵意むき出しにしなくて良いって朝陽さん。おれ、あーちゃんの幼馴染。同郷なんだよ」

「…え?」

「あーちゃんとこは、団子屋開くために早くに村出たし、一緒に遊びまわったのは五年かそこらだけど。で、おれは、こっち」

 将幸はそこまで言うと、軽く右手を動かした。それは、まるで筆を動かすような仕草。

 その仕草を見ても朝陽はよく分からなくて、男の顔へ目線を動かした。

 それを受け、将幸は能天気にあはははと笑いながら言う。

「絵描きになりたくてさ、こっちに出て来たってワケ。まあ、おれの絵が大して売れるわけでもないから、あーちゃんの好意で大好物の餅多めにしてもらってんだけど!」

 今の言葉に嘘などなさそうで。

 少しばかり、朝陽は安堵する。

 心中で息を小さく吐いていると、隣にいた将幸が身体をぐぐっと前方へ倒して地面に手が触れられるほどになった。

 そして指で、地面に何かを描き出す。

 何事かと、朝陽は地面に何か描いている将幸の指先を見つめる。その先からは土をなぞる音が響く。周りからは、道行く人々の喧騒が聞こえているのだが、不思議とそれらが朝陽の耳によく届いて聞こえて。

「…」

 出来上がる前に、朝陽は何故か自分の頬が熱くなるのを感じた。

「あ、…」

 驚いて朝陽の二の句が出ない。

 地面には綾菜の顔が、出来上がっている。

「おれ、人相描きも得意なんだよねー。あーちゃんに見えるっしょ」

「…うん」

 似てる。本当に。

 心底そう思って頷いたとき、背後から声が届いた。

「あ、まーちゃんてば、またあたしの顔描いて!」

 また?!

 朝陽の頭の中で、その言葉だけが復唱される。

「だーってさぁ、ただ言葉だけじゃおれの絵の評価、できねぇって思って! あーちゃんの顔、可愛く描けてるじゃん」

「もう」

 綾菜がそう呆れたように膨れた顔を始めて見て、朝陽はますます顔の温度があがるのを感じて。

「仕方ねぇーな!」

 将幸がそう笑ってすぐに、また地面になにやら描き出したので、そちらへ慌てて視線を動かした。

 前や横を向いていたら、綾菜に顔が赤いことに気づかれてしまう。そう思ったからだ。

 地面の上を、まるで紙のように将幸の指は慣れた様子で動いていき…出来上がったのは何故か朝陽自身の顔。

「な、なんでオレの顔描くのさ?」

 しかも隣に。…という言葉は、何故か気恥ずかしくて、彼は形にする前に飲み込んだ…ものの。

「うん、美男美女! お似合い」

 満足な様子で描き終えた将幸の笑顔と共に出た言葉に、思わず朝陽と綾菜は一気にそれぞれの頬を真っ赤に染めた。

「…!!!」

「…まーちゃん!」

「良いじゃん、あー、残念! 結構傑作だけど、地面だから消えちゃうな!」

 わははと将幸は楽しげに笑うのを見たあと、目をばちりと合わせた挙句、お互いに赤く染まった顔に気づいてから、店の奥から聞こえた呼び声に反応して綾菜がこの場からいなくなるまで。

 …いや、いなくなって、その背を見送っても。

「……」

 朝陽の頬は温度が高くて。

 どうしようもなかった。

「ね、朝陽さん」

「なに」

「今のあーちゃんの似顔絵、紙を十枚買ってくれたら、一枚描いてあげるけど、如何すか?」

 にやり。将幸の顔が悪戯っ子のように歪むから。

 顔を顰めて呆れたように息をついて、…けれど、朝陽が「分かった」と小声で頷くまでそう大した時間はかからなかった。

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