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春よ、恋  作者: 音穏
10/10

10.すき

 大勢の人が行き交う、八雲町の最も大きな通りは今日、夕方にも関わらず、普段よりも賑わいが強い。

 つい先ほどまで明るい日差しが差し込んでいた道は、今、等間隔に置かれた灯篭からぼんやりと発せられる、ほのかな光で照らされている。

 その中を、二人は手を繋ぎ、並んで歩いていた。

「賑やかだね」

「はい」

 笑う朝陽の言葉に、綾菜は笑みを浮かべて頷く。

 今夜から三日かけて、この八雲町では鎮魂祭が行われる。

 春のこの季節に行われるのは、昔、大雨が夜中に降ったことで水位が上昇し、眠りについていた大勢の町人が亡くなったことに由来していて。

 どこからともなく、亡くなった町人が安らかになるような静かな音楽が、町中に響き、聞こえている。

 とはいえ、月日が多く過ぎれば、それは「鎮魂祭」という名の祭りへと変化していて。

 現在では「卯月灯」と呼ばれ、夜には子供が駆け回るほどの明るい賑わいを見せるようになった。

 もちろん、亡くなった先祖への鎮魂の祈りを怠らないよう、みくまり神社への参拝は町人全員が行っており、それに朝陽は綾菜を誘って共に神社への参道を歩いていた。

 途中、綾菜が石に躓き転びそうになったことで、朝陽はこれ幸いとばかりに「転ばないようにしないとね」などと少々強引に手を取ってはいたが。

 傍から仲のいい夫婦にも見えるほど、睦まじく並んでいる。

 そろそろ町を出て、等間隔に灯篭が続く深い森の参道へ足を踏み入れる…というところで、朝陽が彼女の手を握り締めながら綾菜の顔を覗き込んだ。

「疲れてない?」

「大丈夫ですよ」

 気遣いなのか、本当に心配なのか。朝陽の問いに、綾菜は微笑み。

 続けて、逆に問いかける。

「それより、先ほどの…良かったのですか?」

「ああ…」

 戸惑う綾菜に、彼は深いため息と相槌を吐き出した。

 青海屋へやって来た朝陽を呼び止めた人物がいて、それは彼の親が決めた許婚で。

 この卯月灯の参拝に誘われたのだが、全く迷うことなく蹴ったのだ。その理由は、綾菜と行くから。

 彼の許婚は、朝陽の父へ報告する、と息巻いて踵を返した。

 その一部始終を綾菜はハラハラとした心地で、見て、聞いていたのだ。

「良いんだよ。だって、オレが、綾菜さんと参拝したかったし」

「あ、…ありがとう、ございます」

 ぽお、と綾菜は頬を赤く染める。

「お礼なんて良いってば。オレがしたいようにし」

 頬を染める綾菜を可愛いと思いながら、そこまで言ったときだった。

「朝陽兄ぃ!!」

 真後ろから、背中をとび蹴りされ、朝陽は前へ転びそうになり、何とか踏みとどまると急いで蹴った人物を睨みつける。まあ、名前の呼び方と口調からすぐに誰かは分かっていたが。

「大地! 何すんの!」

「怒らんでもえぇやろ。…あー、そやな。朝陽兄ぃが転んでもうたら、手ぇ繋いどる綾菜姉ちゃんも危ないわな」

 そっちの心配か、と朝陽が顔を顰める。

 綾菜は驚いた表情をしていたが、すぐに大地を叱り出した。

「駄目よ、大地くん。怪我、しちゃうよ」

「そやな。すまんなぁ」

「…」

 反省しているのかどうか疑わしい謝罪だったので、朝陽がますます顔を顰める。

 それに気づいたのか、少年は慌てて駆け出して、真っ直ぐに砂を蹴り参道を登っていく。子供らしい身軽さで駆けていくその背を目で追いかけた二人が見たのは、またもや大きな背中の青年を後ろからとび蹴りしたところで。

 遠目ではあったが、青年が振り向いたことで、それが大地の兄であると分かった。

 そして、見知らぬ女が隣にいて、大地に何か言っている。

「誰かな…恋人?」

「…どうでしょう…?」

 綾菜が首を傾げる。大地の兄は甘いものなど好まないような目つきの鋭い男なのだが、意外にもかなりの甘党で、よく青海屋へ足を運んでくれる常連の一人。

 けれど暗闇で微かに見えるような女の人を連れてきたことはないし、町でもあまり見かけたことはない。

 朝陽の言うように恋人なのだろうか…と綾菜が考えていたところ、隣で彼が何故か嬉しげに声を弾ませる。

「だよね、だって、春だもんね!」

「…??」

 うんうん、と何度も一人で頷いて。

 不思議そうに自分を見上げる綾菜に、同意を求めてきた。

「春は恋しなきゃだよね! 隼人もイイヒトできて、春めいてきたよね!」

「春って、そういうもの…ですか?」

 綾菜がきょとんとした目で尋ねると、朝陽は全く迷うことなく頷く。

「うん。春は幸せ色なんだよ」

 そうだったのか、と元々素直な性格の綾菜が純粋に納得しているので、朝陽はそんな彼女の手をぎゅうと握り締めて続けた。

「だからね。オレ、ほんと、幸せ」

「…っ!」

 しみじみ、朝陽が呟くから。

 心底幸せそうな笑顔を間近で見せるから。

 それを見た綾菜が真っ赤にその白い頬を染め、ふにゃあ、と嬉しそうな笑みを浮かべると「あたしも、です」と呟き返す。

 彼女のその言葉と笑顔を見た朝陽もまた、赤くなって。

 近づいた、みくまり神社の話を持ち出して、話題を急展開させた。

 そのまま人の流れに乗るように二人は参拝する。神社と呼びはするが、小さな祠とその周囲に、透き通った水がこんこんと沸き続ける水源の池があるだけ。

「帰ろっか」

「はい」

 今来たばかりの道を二人はまた歩き出す。

 周りも同じように祈りを終えると、踵を返し町へと下山していくので、その流れに乗って…と綾菜は考えたのだが。

 山道を降りる途中で、朝陽が綾菜を気遣ってゆっくりと進めていた足を止めると、参拝のとき以外結局手を握ったままの彼女へ問いかけた。

「ちょっと寄り道してもいい?」

「はい」

 先ほどと同じ言葉を返す。けれど、先ほどよりも不思議そうな口調で。

 朝陽は頷いた綾菜を確認すると、きょろきょろと寄り道する場所を探していたが、見つけたようで山道から少しだけ山の茂みに分け入っていく。彼が前を歩くことで、春の暖かさで成長を開始した草花が歩きやすいように軽く横へ倒されていて。

 その大きな背中を見つめながら、綾菜は何処へ行くのか心臓をどきどきと高鳴らせつつ、付いていく。

 遠くから聞こえる梟の声。

 足元から響く虫の声。

 見上げると鬱蒼とした木々ではあるが、それでもその隙間から白い月が暗闇の中にぽかりと浮かんでいるのが見えた。

 この月明かりだけが、足元を照らす灯りなので、周囲は照らされている場所以外は墨で染めたように黒く染まっている。

「着いたよ」

 朝陽の言葉に綾菜は目を見開く。

 そこから見えるのは、町の全体像。どうやらここは、山の中腹らしい。ふわりとした草の生えた丘になっていて、森が切れていた。

 そこからは町を照らす灯篭の明かりと、その通りを歩く人影が見えて。

 夜の闇に浮かぶ町に綾菜が「…きれい」と呟き、朝陽を見上げる。

「これを見せてくださるために…?」

「うん。きれいだよね。ちょっと前にね、見つけたんだ」

 はい、とどこか上擦った声で綾菜は返し、町の景色に魅入っている横で、朝陽は彼女の手を放すと。

 背後から、ぎゅうと苦しくないほどに抱きしめた。

「…あ、あさひさま…っ」

 抱きしめたまま、朝陽は「うん」と頷き返す。けれど腕の力は弱まらないばかりか、綾菜の頭に自分の頬を摺り寄せるように近づいてきて。

「…あのね…」

 そう囁くように切り出した。

「何度も何度も繰り返し言いたいし、聞いてもらいたいから、言うけど。オレ、綾菜さんがほんとに好きで、好きで。ずっと、一緒にいたいんだ。一緒にいれるなら、どんなことでもできると思うし、乗り越えられると思ってる」

 急な告白に、綾菜は耳まで真っ赤に染まる。

 嬉しい台詞。これだけでも充分に幸せになれるというのに。

 朝陽はそんな綾菜に、続ける。どこか、くすぐったそうに笑いながら。

 けれど、言葉を選ぶようにゆっくりと。

「けど、それじゃ、オレばかりが幸せだから。そんな一方的なのは駄目だとオレは思うからさ、綾菜さんをずっと、ずっと護るよ」

「そ、それでは、あたしが一方的になってしまいます…!」

 護る、と言われるのは、心底嬉しい綾菜だが。

 言葉通り、自分は与えられるだけになる気がして、彼女は朝陽の腕を少しばかり強引に解いて向き直る。目の前には月に照らされた朝陽の、真っ直ぐな眼差しがあって。

 思わず高鳴った胸を押さえながら、彼女もまた真っ直ぐ見つめ返しながら続けた。

「あたしも、一緒にいられるのなら、…本当に、本当に嬉しいんです。だから、………それだけで充分ですから」

 必死な様子の綾菜を見た朝陽は微笑んで、額をこつりと合わせる。

 普段よりもずっと近いその位置に、綾菜の頬の温度は上がりっぱなしだ。

「オレと同じだね」

 こくり、頷く綾菜の頬に彼は手を添える。熱いのが知られてしまうのではないかと思うたび綾菜はますます緊張して、心臓もどきどきと速度を速めていく。

 手を添えたまま、朝陽はそんな状態の綾菜の額から自分の額を僅かに離し、鼻の頭に軽く口付けた。

「…っ!」

 そのあと、頬、瞼、額、と順に口付けていった朝陽は、驚きと緊張とで動けずにいる綾菜に笑う。

「そんなに緊張する?」

「は、はい…」

「そっか」

 頷き、朝陽は顔を離すと、ぎゅうとまた抱きしめてきた。そのとき何か呟いたようにも聞こえたが、この距離にいる綾菜が聞こえないのだから、よほどの小声のようだ。

「朝陽さま?」

「ん?」

 何と言ったのか、尋ねようと綾菜は声をかけたが。

 それもどうでも良くなった。抱きしめられたことで、朝陽の胸に顔を埋める形となっていたのだが、耳に聞こえる鼓動の早さは自分と同じだったから。

「何でも、ないです」

 朝陽の胸に擦り寄り、綾菜はそれだけを呟くと、彼の背に腕を回して、離れたくないとばかりに背中の白い長着を強く掴んで、目を閉じる。

 その仕草はこれまで一度もなかったから、朝陽は驚いた表情を一瞬だけ浮かべたが。

「好きだよ。…もう離さないからね。覚悟してて」

「はい」

 くすくすと顔を埋めたまま笑う綾菜の様子に、笑顔となった彼もまた目を閉じて。

 改めて綾菜を強く抱きしめると、もう暫くだけ…と、彼女の温もりに浸った。

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